第13話


 次に目が覚めたとき、ダリアはようやく自分の立場を理解した。
 ヴェルモンダールの言葉に嘘はなかったのである。身の回りの世話をしている女たちは、皆地位が高く教養もある。下女として使うより、役職をもって働くほうが性にあうのではと疑う者ばかりだった。
 淫魔に仕えることに不満はないのかと問うと、女たちは顔を見合わせて苦笑した。
「戴冠すればそのような些細なことは」
 ――と、言う事らしい。
 黒を基調とした肌触りのいいドレスを着せられ、ダリアは憮然とする。
「体のラインが綺麗だから見栄えがしますね。もっと大胆でも良かったかしら」
 扇情的なドレスを鏡越しに眺めていると、女のひとりがそう言った。少女の面影をとどめた美しい女――名をシェスカと言う。
「宝石は瞳の色に合わせましょう」
 そう言って、宝石を幾重にも重ねながらも上品なつくりをした首飾りを用意したのはノヴァ。
「髪、どうしよう……」
 難しい顔をしてうなっているのがアリエラードという、一番背の高い娘だ。これにあと二人加わった計五人が、ダリアの身の回りの世話をしてくれる。
 本来なら二十人から成るらしいが、あまりに邪魔くさいので減らすように伝えた。ゆえに部屋はいつも閑散としている。
 ドアをノックして、女が顔を覗かせた。
「戴冠の儀、準備が整いました」
 頬を紅潮させて告げたのはスイ。彼女がそのまま部屋に飛び込むと、あとを追うようにさらにひとり飛び込んできた。
「す、すすすごい数なんですけど! 魔城の大広間がいつもの数十倍でそこにぎっしり!」
 すっかり動転してどもっている少女チェチェムに、皆は嘆息した。戴冠の儀に備え、意思ある城が変化を始めたのはここ数日のことだ。一番劇的な変化を遂げたのは大広間で、空間を歪めて際限なく広がり続けた部屋は、すでにあるはずの壁すら目視することが難しくなっていた。
「ダリア様を緊張させてどうするのよ。仕事もしないで覗きに行って」
 シェスカが非難めいた声をあげると、スイとチェチェムは項垂れた。
「いい、きもが据わる」
 ダリアは項垂れたままの二人にわずかに笑って歩き出した。
「髪が……」
「必要ない。――行ってくる」
 ドアをくぐると道≠ェ見える。ここを進めと、そして玉座につけと、魔城が声もなくいざなっているのだ。
 なぜ自分なのか、という疑問がないわけではない。魔将軍を統率し、その頂点に立ったヴェルモンダールが冠を受けるのが妥当だとも思う。
 ダリアよりはるかにそれに適した逸材なのだ。
 だが、冠を受けなければ外に出ることもできないダリアは、別段これといって否定する要素も見当たらず、ヴェルモンダールが熱心に勧めることに後押しされてこの謎の選定に従うことにした。
 声が聞こえた。
 大広間に近づくにつれ確実に大きくなるそれは、歓喜の声ではなく嘲笑と罵声だった。
 女帝がなんであるか、その女帝となる者が何であったかに反感を抱く者が多いとヴェルモンダールがこぼしていた事を思い出す。
 この非難は、彼が冠を受ければ生まれなかったはずのものだ。
「だから、なんだと言うんだ」
 ふと、笑んだ。
 女が冠を受ける事が気に入らないのなら、淫魔が玉座につくのが気に入らないのなら、討ちにくればいいだけの話だ。
 闇の中で一度手放した命だ、惜しむ気もなかった。
 ダリアは巨大な扉の前に立つ。ドアに塗りこめられるように奇妙な形の獣がいた。彼らが深々と一礼すると、ドアは静かに左右に分かれた。
 ダリアは大広間を眺める。天井を探してしまうほど上にも横にも広くなったその空間は、城の一室と言うよりも広場に近い。
 すでに言葉にもならない非難の声が空気を埋めていた。
 ダリアは顔色ひとつ変えず、壇上に進んだ。
 冠を手にしたヴェルモンダールも、この罵声に気を留める様子もなく平然としていた。
 長い階段を昇りつめると、言葉が罵詈にかき消されると承知しているヴェルモンダールが膝を折るように目で合図をする。
 従うと、冠を掲げた。
 豪奢な装飾のそれは、確かに玉座でいただくのにふさわしい美しいものだった。ちりばめられた宝石の数々も、精緻な細工も目を見張るばかりの一品だ。
 だが、真価はその内側にある。
 罵声が頂点に達したとき、不意に頭部が重く感じた。これが王冠の重みかと納得しかけ、ダリアは眉をひそめた。
 覇者の力を宿す王冠は、ダリアの頭上でふいに崩れた。崩れて流れて、まるで模様のように彼女の肌を滑っていった。
 全身に刻まれたそれが消えた瞬間、ダリアは瞳を細める。
「なるほど覇者の力、確かに受け取った」
 黄金に輝く玉座に進み、罵声で震える大広間へと向き直ってゆったりと腰を据えた。
 肘掛けに頬杖をつく。
 そして、震える空間にひとつ、言葉を吐いた。
「文句があるなら進み出ろ。意見くらい聞いてやる」
 ささやくその声は、決して大声という種類ではない。もしもこの場が静寂に包まれていたら、ヴェルモンダールだけがかろうじて耳にする事ができる、そんな些細なものだった。
 にもかかわらず、声という声がやんだ。
 ニッとダリアが口元をゆがめる。
 玉座に腰を据えているのは、すでに地の底を這っていた淫魔ではなかった。
 悠然と構え、並み居る男たちにおびえの欠片も見せることなく笑んでいるその姿は、震撼するほど秀麗だった。
 冠を受けただけでこれほどの変貌を見せることはない。これは生来、彼女の中に眠っていたものだろう。視覚よりも確かに訴えかけてくる気≠ノ誰もが言葉を失って玉座を仰いだ。
 言葉どころか思考さえ奪う妖艶な女帝は楽しげに瞳を細めた。
「どうした?」
 死の息吹きを乗せ、悪寒が走るほど甘い声が揶揄するように響く。
 広大な空間いた悪魔は、脳に直接叩き込まれるようなその問いに膝を折った。瞬時に空間を支配した女は、次々と頭をたれる悪魔に向けて満足げな笑みを浮かべた。
 女帝――魔王ダリア、生誕の瞬間である。

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