第14話
それから毎日謁見漬けだった。
公務というものらしい。
椅子に座って微笑んでいれば魔将軍や有望な悪魔たちは機嫌がよく、逆にダリアが不愉快そうにしていても機嫌が良かった。
怒った顔もいいらしい。
「……変態か」
なるほどと、ダリアは納得する。変態は珍しくないから大目にみよう。しかし毎日同じことの繰り返しで、初めこそ素直に応じていたダリアだが、いいかげんに飽きてきた。
これから何年も何十年も、何百年だって同じことを繰り返すのかと思うと辟易してくる。
しかし、逃げ出すという発想がない彼女は少し空いた時間を見つけては、足しげく水晶のもとに通っていた。
ダリアは床に座り込んで、器用に角度を調整して水晶を突き出してくれる鳥の足を見た。生きているのか死んでいるのか正体不明の足は、ダリアが来ると面白いくらいに全身で喜びを表現してくる。
「変わらんな」
ポツリとダリアはこぼす。
水晶は相変わらずとりとめもなく風景を映し出していた。
ぼんやり見ていると突然水晶が暗転し、小さな光が生まれた。怪訝そうに見つめたその場所には、どこか暗い表情の少年が書物に視線を落としている姿があった。
「誰だ?」
初めて映った人物を見つめて不思議そうに問い掛ける。間仕切りされた狭い空間で読書に没頭している少年が、ダリアの声に反応するようにふと顔をあげた。
ダリアは驚いて口をつぐみ、水晶に映し出された少年があたりを見回し、再び本に視線を落とす姿にほっと溜め息をついた。
そして、小首を傾げた。
ダリアは水晶を見下ろして顎に手を添えて低くうなった。別段警戒するほど危険な生き物には見えないのだが、なぜか神経がとがっているような気がしてならない。
「誰だ?」
再び問い掛けると、
「貴女の伴侶ですよ」
穏やかな声が応じた。
ダリアは慌ててドアを振り返る。ヴェルモンダールが微苦笑していた。
少し乱れた感のある髪を撫で付けている姿からして、突然消えたダリアを走り回って探したのだろう。
「伴侶だと?」
「ええ」
「……馬鹿馬鹿しい」
水晶が映すのは幼すぎると表現してもいいほどの少年だ。人間のようだから驚くほどの速さで成長して年老いていくのだろうが、真顔で告げられるにしては趣味の悪い冗談だ。
「なにが見えますか?」
隣に立って水晶を覗き込んだ男は興味深そうに問い掛けてきた。
「子供がひとり。……本を読んでいる」
ヴェルモンダールはちらりとダリアを見下ろして、それから頷いた。
「ようやくそこまで辿り着きましたか」
おかしなことを言う男はそれきり黙りこんだ。
ダリアもそれ以上言うことがないので口をつぐんで水晶を見入った。小柄な少年がひとり、道を歩き始めた。彼は建物に入り、本を返却すると本棚を熱心に見て回っている。とてもその歳の子供が行かないだろう棚を見ているので、周りがなんとなくギョッとしている姿が面白かった。
しばらく少年を映した水晶は、唐突に沈黙する。
せっかく見られた風景以外のものを取り上げられ、ダリアは残念そうに溜め息をついて立ち上がった。
「謁見に戻るか」
「そうして頂けると助かります。時に、ダリア様」
「なんだ?」
「その服は?」
言われてダリアは視線を落とす。彼女が身にまとっているのは宝石である。そこに布地は一切使われておらず、さまざまな色の、さまざまな大きさの石を繋ぎ合わせてドレスに見立てていた。
「暇なヤツがいるだろう。シェスカがとめたが着てみた。どうだ?」
「どう、と言われましても返答しかねますが。まっとうな服がないのかと嘆かれる賓客はおりませんか?」
「鼻の下を伸ばしていたぞ」
呆れるヴェルモンダールに笑顔で返してやった。そうやって彼女は日々の大半を謁見で潰し、時間があれば水晶を覗きに行った。
「伴侶か……魔王の伴侶という事は、私の夫か? 人間がわざわざ選ばれるなら、相応の理由があるのだろうな。魔力を高める道具にでもなるのか?」
共鳴、と言うのもがあるらしい。魔力を高めるための増幅に多大な功績をあげる行為だ。相性がよければ無尽蔵に魔力を生み出す。
ただし、魔力が尽きれば命も尽きる。この点だけを注意すれば、危険ではあるが、あるに越した事はない。
「さらってくるにもこれではな……」
まだ体が完成されていないのであれば、増幅装置としての期待はできない。
はてどうしたものかと、ダリアは困惑する。
益があるようには見えないのだ。
あまりに幼い少年を、それでも暇つぶしとうそぶいてダリアは観察しつづけた。手を伸ばして触れた水晶から、ひやりとした感触しか伝わってこない事に不満を覚えながらも、飽くことなく見つめていた。
夫というのは納得がいかないが、見ているぶんには問題ない。人間界は雑多でその光景だけでも楽しかったから、ダリアは映し出された少年よりも少年が身をおくその世界を気に入っていた。
やがて、水晶は少年以外の姿を見せた。
黒髪の女。
少年から青年へと成長を遂げた彼は、穏やかな目をしてその女を見ていた。
不思議な気分でダリアは水晶を覗き込む。
水晶の内側で女が動く。ダリアは目を見開いた。
「なんだ、これは」
幸せそうに微笑むその顔はダリアと瓜二つ。寸分の狂いもなく彼女自身が笑顔を絶やすことなく青年を見つめている。
どんな馬鹿げた予言だというのだろう。
「これが、水晶の見立てか?」
水晶に手を沿えてダリアは問い掛ける。有り得ないと、なぜかそう思う心があった。
こんな未来が来るはずがない。
水晶の予言はあくまで予言で、その見立てが必ず的中するわけではない。
だが、とダリアは水晶に視線を落としながら考える。
「嘘というわけでもないのだろう……?」
いつものように座り込んでいたダリアは、すくと立ち上がり驚く鳥の足を無視してドアに向かった。
「ヴェル! 降りるぞ!!」
声高らかに側仕えを呼んで、彼女は廊下を横切った。
座標固定は少し覚えた。あまりうまくはないが、界と界をひととき繋げる事はできる。人間界に降りる事ができる。
「ヴェル! 支度しろ」
うっすらと微笑を浮かべて彼女は歩く。
未来の夫となる少年に出会うために。