【古城にて】      第13話+α


 メイドは不機嫌にモップを動かす。
 広い城に住むのは彼女と伯爵しかいないのだが、その伯爵は魔城の主が決まったとかで数日前から最上層へとおもむいていた。
 なぜ一介の吸血鬼がそんな場に行くのだと問いたが、彼は言葉を濁して結局何も答えずに逃げるように城を後にした。
「つまらん……」
 手を止め、彼女はひとつ溜め息をつく。
 以前は伯爵がいなくても寂しいと思ったことはない。伯爵が出かけるのは日常だったし、掃除のときには率先して逃亡するような男だ。いてもいなくても気にならなかった。
 それが、彼が赤ん坊を拾ってきてから一変する。メイドは伯爵の代わりに子育てに追われ掃除まで頑張り、毎日が忙しく目まぐるしく、退屈だった日々は自然と充実していった。
「今頃、どうしてるんだろう」
 不意にダリアの顔を思い出して切なくなる。美しく育った彼女は、吸血鬼が毛嫌いしている種族という理由だけで城を出ることになった。
 そのことで伯爵に散々当り散らしていたメイドだが、数日後に訪れた彼らの仲間の態度で、伯爵の行動が決して間違いばかりでないことを知った。
 ダリアが城に居続けたら、メイドの目の前で殺されていたかもしれない。
 人間界と魔界の吸血鬼は別種であると伯爵から聞いてはいたが、冷徹なところは変わらない。たとえ身内が目の前にいようとも、不要と思えば同情も哀れみも見せず容赦なく命を奪う。
 それが彼らだ。
 理不尽であろうとも、力ある者の意見が正当化されてもおかしくない世界なのだ。浄化と銘打った彼らの殺戮を、力ない者が非難してもなんの解決にもならなかった。
 ダリアが無事ならいい。
 知識の乏しい彼女が生きのびていることを祈りながら、メイドは小さな溜め息をつく。
 そして、磨きあがったフロアを見渡してモップをバケツに突っ込んだ。邪魔がないぶんスムーズに作業が終わり、一通り掃除をすませてしまったメイドは眉をしかめた。
 他に何かないかと考えていると、玄関の一部が小さく開いて伯爵の帰城を告げた。
 伯爵がいない間は施錠するように言われている。完全に施錠された城の扉は内側からしか開かない仕組みになっていた。
 何日ぶりだろうと考えるよりも早くメイドは玄関に駆けよった。
「遅いぞ」
 素早くドアを開けて文句を言うと、伯爵はどこか嬉しそうな表情で笑っている。
「そう怒るな。交渉に手間どったんだ」
「交渉?」
「まだ日が浅いから城を出るのも一苦労だが、早いほうがいいと思って」
 おかしな事をいう伯爵の顔を怪訝そうに見上げると、彼は彼女が戸惑うほど優しい表情で頷いてから背後を振り返った。
 つられて視線を動かし、メイドは息をのんだ。
 別れてからずいぶんと時間がたつ。きっと何年も、何十年もたっているに違いない。時間の感覚の狂ったメイドにはそれすら理解できなかったが、一度だって忘れた事のない女が、懐かしい笑顔と共に立っていた。
「元気そうでよかった」
 小首を傾げるようにしてダリアが笑っている。メイドは伯爵を押しのけて彼女に駆け寄った。
「ダリア」
 両手を伸ばしてその首にすがりつくと、嬉しそうにダリアが頷いた。そして、ひょいと彼女を抱き上げると城のドアをくぐってフロアに足を踏み入れる。
「あまり外に出ると体に毒だ」
「ああ……ああ、そうだった」
 瞬時に苦しくなった呼吸は瘴気にてられた結果で、魔に属していないメイドは長くそこにいれば確実に命を落とすことになのだが、今の彼女にとってはその事実さえ取るに足りないものだった。
 だが、気遣ってくれる事実も嬉しくて何度も頷いた。
 昔から怪力の持ち主だったダリアは、細身のメイドを事も無げに運んでくれた。
「無事でよかった」
「うん」
 安堵すると、ダリアは微笑んでメイドの顔をのぞきこんだ。
「またここに来れてよかった」
 心からそう言ってダリアは瞳を細める。メイドはハッとして伯爵を見た。淫魔と吸血鬼は他の悪魔に比べても相性が非常に悪い。城にいてはまたいろいろ問題になるのではないのかと――それを承知で伯爵がダリアを連れてきてくれたのではないのかという危惧が生まれた。
「もう大丈夫だ」
 心を読むように伯爵はメイドに言葉をかける。意味がわからず、彼女はダリアと伯爵――さらに、後方で控えめに立っている見知らぬ壮年の男に視線をやった。
「なにが、どう大丈夫なんだ? 吸血鬼が来たらダリアは……」
「私は立場上、もう淫魔ではないらしい」
 ダリアは少し複雑な表情をしてメイドを見おろした。
「今は魔城に住んでいる」
「……魔城って、魔王が住んでいるあそこか?」
「そう。私はそこの主人なんだ」
「……主人。……と、いうのは……」
 困惑すると、皆が皆、申し合わせたように苦笑を浮かべた。
「冠をうけ、魔王になった」
「……はぁ――!?」
 突飛なセリフに素っ頓狂な声をあげると、ダリアは困ったような顔で頷く。
「久しぶりにメイドの淹れたお茶が飲みたい。――たくさん、話がしたいんだ」
「……ああ、うん……でも、その前に」
 戸惑いはぬぐえないが、きっと時間をかけていろんな話をしてくれるのだろう。
 穏やかなそのひとときを思い浮かべながら、メイドは両手を大きく広げて再びダリアを抱きしめる。たとえどんな立場になろうとも、変わらない思いがある。
 多くを語る言葉を持たないから、彼女はただ精一杯の笑顔を家族≠ノ向けた。
「お帰り、ダリア」

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