『 せ ん ご く 屋 』


「旦那が好きそうな品でさぁ」
 男は上がりはなに半身をあずけて腰掛け、板張りの床を激しく叩き、景気よく啖呵たんかを切った。
「山越え海越え、はるか仏蘭西フランスから渡ってきた、いわく付きの鏡なンすよ」
 芝居がかった語り口に大げさな身振り手振りまでついてくる――さて、最近の道楽は観劇だったかなと、店主は細い指で煙管キセルを弾いて呑気に考えている。
「鏡かい」
 優美な装飾をほどこした煙管の雁首を火鉢に軽くあててから、店主は普段はめったに人目にさらさない片手を着物のふところから出した。血を思わせる朱色の風呂敷をはずすと、精緻な花をあしらった鏡が姿を現す。
「こいつぁ……」
 眉をひそめると、若い行商はやや視線をそらして顔を歪める。
「魔女裁判で死んだ女の遺品だって話で」
「お前さん、これ……」
「旦那! 後生だから見せないでくださいよ! オレはただの使いで!」
「あこぎな男だねぇ」
「やだなぁ、商売上手って言ってくださいよ」
「……いくらだい」
 問うと男の顔が瞬時に明るくなる。
「さすが! せんごくの旦那は話がわかるお人だ!」
 続いて提示された金額に、店主は軽い目眩でも覚えたのか双眸を閉じた。文句を言おうとして口を開き、しかし結局何も語らず懐から財布を取り出す。
「毎度! ぜひまたご贔屓ひいきに」
 金を受け取ると、ひょいと脚をおろして唐草模様の包みを肩に引っ掛け、行商は満足気な笑みとともに店をあとにした。
 残された店主はというと、難しく眉根を寄せたままである。
「まったく、変なもんばかり増えてきやがる」
 毒づいたその視線の先には花の鏡が一つ。彼の視線はさらに移動した。狭い店は薄暗く、天井まで続く棚には彼でさえ首を傾げるような代物が、うっすらと埃をかぶったまま山のように鎮座している。背後が住居になっていたが、こちらはふすまできっちり塞がれていて確認することができない。しかし、店内で唯一の空間は三和土たたきの通路と彼が座る光を失った床だけというのだから、その不精ぶりも筋金入りで、彼の背後も想像に難くなかった。
 店主が何度目かの溜め息をつくと、店の戸が小さく開いた。
「おや珍しい、入っていらっしゃい」
 彼はそっと鏡を風呂敷で隠してから柔らかく表情を崩し、戸口で中をうかがう小さな子供に呼びかけた。
 不意に声をかけられ、少年はおっかなびっくり頭だけを店に入れて彼を見る。
「何がお望みでしょうねぇ」
 再び煙管を手にしてゆったりと問う。少年が戸惑うのも気にせず、肘掛けを軸にして斜にかまえ、やや薄い唇から細く煙を吐き出して笑んだ。背の半ばまである黒髪は不精の証だが、幸いそれに気付いた者はごく稀で、彼はそれをいいことにいつもそこら辺に落ちている紐で縛って人目をやり過ごす。細く整った眉、長い睫毛に縁取られた底知れない闇を思わせる黒瞳、高い鼻梁に長身細身とくれば、視線を集めてしかるべき逸材である。
 この男、筋金入りの不精者だが残念なことになりだけはいい。
 少年は店の中を見渡してからようやく入ってきた。
 壁の一角は窓になっている。そこをしきりと気にしながら、
「髪飾りが欲しい」
 と小さな声で用件を述べた。
「贈り物ですかい」
 少年は店主の言葉に大きく頷いて窓辺にある髪飾りを見つめた。
「ああ、ありゃお高いですよ。いくらありますかねぇ」
 少年は、慌てて汚れた手をつぎはぎだらけの着物の懐に突っ込み、掴んだ物を店主に差し出した。彼は瞳を細めてから少年の顔に視線を戻す。
「物にゃそれぞれ不変の価値がありましてね、残念ながらこれでお譲りすることはかないませんが」
 表情を曇らせた少年に微笑して、店主は手近な箱をいくつか探ってから少年に向き直った。
「こちらで宜しければお譲りいたしますよ」
 店主が手にしたのは黒塗りの髪飾りである。所々にはめ込まれた貝殻は小さな花の形をし、上品だが可愛らしい雰囲気のある一品だった。
 少年は目を丸くして店主を見上げ、恐る恐る握りしめた小銭を手渡した。
「毎度あり。お客さんはお目が高い。きっと喜んでくださいますよ」
 少年は油紙で包んだ品物を大切そうに胸に抱いて戸口へと向かった。それを見送っていた店主が、小さく驚きの声をあげる。扉が大きく開き、入ってきた男が少年を突き飛ばしたのだ。
「汚らしい店だな」
 男は尻餅をついた少年を睨みつけてから不躾に店内を見渡した。
「ガラクタばかりか」
 少年はすぐに立ち上がり、閉まりかけた扉から逃げるように姿を消した。その姿に胸を撫で下ろす店主の耳に、この店には似つかわしくない騒音が届く。恰幅のいい男は店内のものを手当たり次第つまみ上げては乱暴に棚に戻していた。
 この店にはめったに人が訪れず、一日に三人来るなど快挙にも等しい。しかし、その三人目がこれなのだから、店主としては喜ばしい状況ではなかった。
 だが、客は客と割り切って店主はその動向を見守っている。
 五十代も半ばに差し掛かった男は洒落た洋装と口髭に特徴があった。身なりからすれば資産家――けれど、人相からしてあまり綺麗な手ではなさそうな様子だ。
「探し物はなんでございましょう」
 店主が声をかけると、いま初めて気づいたかのように男は店の奥へと視線を投げた。それからわずかに目を細める。
「ずいぶんと見栄えのする店主だな。売るのは品だけか」
「ええ生憎と」
 男の嫌味を気にした風もなく、店主はにっこりとそう応じた。
「……何を扱う店だ?」
「見ての通りでございますよ。趣味で骨董品ガラクタを集めていたらこうなりまして、屋号をこさえてたなを開いております。まあ、開店休業みたいなもんで」
 店主の言葉を聞いているのかいないのか、男はうろうろと店の中の物色を続けている。やがて、
「女が喜びそうな物は?」
 と、低い声で聞いてきた。
「申し訳ありませんが、さほど気の利いたものは……」
「ああ」
 店主の前に立ち、男は断りもなく無骨な腕を伸ばして風呂敷を掴みあげた。彼がぎょっとしたのも知らず、男は財布から小金を取り出すと床にばらまいて踵を返す。
「ちょっと、お客さん!」
「これでいい。もらってくぞ」
「待ってください! こんなはした金じゃ……ッ」
 腰を上げた時にはすでに男は戸口の向こうへ消えていた。下駄を履こうとしたが、不精な店主は履き物さえ用意していなかった。
「ああまったく、物には見合った価値があるってのに」
 店主は肘掛けに顔を伏せて息を吐き出した。
「あたしゃ知りませんよ。あれはいわくつきなんて真っ当な代物じゃない。そんなこと見りゃあわかりそうなものを……」
 死出の入り口を彩るのは真紅の花。それは絡みもつれて常世とこよへ繋がり、人が覗いてはならない終末を映し出す。
 深淵を覗き見た店主は、閉ざされた戸を静かに見やっていた。
 ――その翌日、少年は髪飾りの礼に再び店へ訪れた。
 どうやら母親への贈り物だったらしく、彼女は手渡された意外な品にとても喜んでくれたらしい。何が気に入ったのか、少年はその日から時間を見つけては店に顔を出すようになった。
 暇を持て余す店主はちょこちょこと動き回る少年を見るのが楽しく、腐るほどある余暇を飽きもせず少年を眺めて過ごした。
 毎日決まった時間に来るとは限らなかったが、時折ひどく遅く顔を出すことがある。その日も少年はなかなか姿を現わさず、店主は珍しく帳面なぞを眺めていた。
 戸が開く音を耳にして、
「今日は遅かったですねぇ」
 帳面から視線をはずさずそう声をかけ、かすかな血臭が店内に広がった頃、返答がないことを不審に思って彼はその顔を戸口へと向けた。
「おや、いつぞやの」
 開け放たれた戸には、いわくつきの鏡を買った男の姿があった。青ざめ、大きな体躯を震わせる男の手には、有無を言わさず持っていったあの鏡が鷲づかみにされていた。
「ど……」
 男は激しくあえいでから大股で近づいてきた。
「どういうことだ、貴様! これは何だ……!?」
「なに、とはなんでございましょう」
「ふざけるな! こんなまがい物を売りつけやがって!」
「人聞きが悪いですよ、お客さん。物にはそれぞれ価値がある。あんたはあたしに端た金を払ってそれを持って行きなすった。残念ながらそれで商談は成立だ。あたしに文句を言うなんてお門違いじゃございませんか」
「こんなもの……」
 叩きつけるように鏡を置き、男は店主を真っ向から睨みつけた。まるで羅刹のごときその顔には、小さな赤い花が咲いている。ただよう血臭を気にとめる事もなく、店主はその羅刹に飄飄とした笑顔を向けた。
 男が以前この店に来た時は、これから偉人にでも会いにいくかのように整った服装だった。それが今日はずいぶんと乱れ、服には顔同様――いや、それ以上に赤い花が咲いている。
 真紅の花、命の花が。
「これを見たせいで志津子が……オレの女が……ッ」
「……お客さんもこれをご覧に?」
 冷ややかな問いに、男はさらに大きく身を震わせて店主から離れた。店主は視線を男に向けたまま、秀麗な指を鏡のふちにゆっくりと滑らせる。
 男を捉えていた視線がわずかにそれる。
「これは仏蘭西から渡った逸品ですが、作られたのはこの国でしょう。実にごうが深い。お客さん、常世を飾る花をご存知ですか?」
「何を……」
「咲き乱れるは曼珠沙華、覗けば闇と目が合いますよ。あんた、その先に何を見なすった?」
 店主の指先が男に向く。愕然と立ち尽くす男は、その指が自分ではなくその背後に向けられていることに気付いてのろのろと振り返った。
 男の顔が驚愕すると同時、赤い膜を薄く張ったようななたが空中をゆっくりと落ちていく。
 店主はそっと瞳を伏せた。
 奇妙な音が生まれ、何かが床に崩れる重い音が続いた。しかし店主は動じることなく、瞬時に起こった惨劇を確認するように瞳を開けて正面を見た。
「あんたかい、この人にその鏡売りつけたの」
 気だるげな女の声が響いた。妙齢の女は、この、と言って顎で床をさし、次いで店主の手元を憎々しげに睨みつけた。
 しばらく押し黙り、揺れる視線を自らに向ける。
「あら、せっかく買ってもらった服が汚れちゃった」
 白い女の服も、やはり赤く染まっていた。ゆらりと近寄るその手には、赤い雫を何度も生み落とす鉈が握られていた。
「一人殺すも二人殺すも――三人殺すも、大差はないさ。……名前、聞いといたげるよ。名無しじゃ可哀想だから」
 鉈を持ち上げて女が笑った。
「あたしの名ですかい」
 凶器を手にした女を前にしても、店主はやはり動じる事なく、いつもの調子を崩さずゆったりと構えていた。
「あたしの名はせんごく屋ですよ」
「そりゃ屋号だろ」
「ええ、その通り。でも、とうの昔に名なんて忘れちまいまして、今はせんごく屋と申します。よく間違われるんですがね」
 彼は鏡を手にして怪訝な顔をする女に微笑んだ。
「せんごくのごくは国と思われちまうんですがね、本当は――」
 鉈を持った女に、彼は鏡をまっすぐ向けた。
 その鏡は、虐げられて死んでいった女の業を背負っている。彼女が真実魔女であったかなど、誰一人知るよしもないだろう。
 しかし思いはこの世に留まり、鏡を作った別の誰かの想いと共鳴し、世のことわりをほんの少しはずれてしまった。
 鏡の奥に見えるのは果たしてなんだったのか――。
 女は鉈を取り落とし、三和土に崩れた男につまずきながらも悲痛な声をあげて表へと飛び出して行った。
 遠く悲鳴を聞きながら、彼はくるりと鏡を返す。曼珠沙華をあしらったその鏡は雑多な店内をくっきりと映し出すにもかかわらず、そこにいるはずの店主の姿はいっこうに取り込もうとはしなかった。
「これも切ないですねぇ」
 呟いてから、ようやく気付いたように小さな呻き声をもらす男を見やった。
「おや、終焉を見たわりにはしぶといですね。急所をはずしましたか」
 身じろいだ男に溜め息をつくと、戸口が再び小さな音を立てた。あげた視線の先には、馴染みの少年が驚倒して立ちすくんでいた。
 店主は倒れている男と少年を交互に見て、手早く鏡を仕舞ったあとにっこりと微笑んだ。
「すみませんが、人を呼んでいただけますか?」
 言葉を失って口を開閉させ、少年は転がるように駆け出した。それに手を振りながら店主は呑気に煙管を手に取る。
「てめ……いったい……」
「丈夫なお方だ」
 掠れながらも声を発する男に苦笑した。店主は軽く火鉢に雁首を当てて灰を捨て、手馴れた様子で刻み煙草を丸めて詰めている。それからようやく歌うように告げた。
「申し遅れましたねぇ。あたしの名は千の地獄と書いて、千獄屋と申します」
 火鉢から火を取り、軽く一つ吸い込んで凄艶な笑みを浮かべた。
「以後、お見知りおきを」






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