【二】

 別にそれから何が変わったというわけではない。同じ高校に通っているお隣さんというポジションだから、部活がない日はいっしょに帰るのが習慣になっていた。
 それから気が向けば美奈子が惣平の家にあがりこむ。彼の父親は単身赴任中で、母親はよく父に会いに行っては帰ってこない日が続いた。
 おかげで惣平は身の回りのことを一通りできる。女の美奈子よりも家事をこなしていた。
「惣平、醤油は?」
 付き合うようになってから、美奈子は頻繁に台所に立つようになった。味付けが濃いのが難点ではあるが、その努力を惣平は高く評価した。もちろん、本人には伝えていない。付き合うといってもこれといって変化のない二人は、ただ意図して同じ時間を共有しあう間柄に落ち着いていた。
「右の棚。入れすぎるなよ」
「わかってる!」
 少しむくれた横顔に、惣平は苦笑した。付き合ってからはじめての金曜日の夜だった。
「ねぇ」
「んー?」
 面白そうな番組を探してテレビのリモコン操作しながら気のない反応をする。バラエティー番組の明るい爆笑に手を止めて、談笑を耳にしながら惣平は首をひねった。
 台所では美奈子がなぞの創作料理に着手している。今日はまともな味なんだろうなと心の中で問いかけると、美奈子がコンロの火を切るのが目に入った。
「今日、泊まってもいい?」
 突然の言葉に心臓が大きく跳ねた。リモコンを取り落としそうになって一人で焦り、瞬時にやましいことを考えてしまって何も言えなくなる。しかし好奇心がまさって緊張しながらも頷いた。
 そして、こちらを見ていない美奈子にそれが伝わっていないことに気付く。
 惣平は大きく息を吸い込んだ。
「……おじさんとおばさんは?」
「法事で実家」 
「ふぅん。……別にいいけど」
 平静を装い、まるで気にしていないとでも言うようにバラエティー番組を凝視した。明るい笑い声が響いてくるが、内容はまったく耳に入ってこなかった。
 そして出された食事も、きっといつもどおり美味しくはなかったはずなのに、それすらよくわからなかった。
 特別な関係にすぐ飽きると思っていた。そうすれば、平穏が戻ってくるはずだった。
 美奈子がただ単に「彼氏がいる」という状況に憧れていたわけではないことを知ったのはその日の夜遅くだった。
 闇の中でしっかりと結ばれた手を慎重にはずし、眠りに落ちた「恋人」の顔をそっと覗き込んだ。なかなか色気のない初体験に少し笑えた。知識としてはわかってはいたのだが、お互いに未経験がたたって要領を得なかったのだ。
 気を遣ってやるゆとりすらなかった。
 惣平は小さく溜め息をついた。これはひどく一方的で、まだ感情の伴わない関係だ。彼にはその自覚が十分ある。
 それでも、同じベッドで眠りにつく美奈子の寝顔になんともいえない気持ちになった。
 そっと手を伸ばして顔にかかった髪をどけた。眉をしかめたままの寝顔に苦笑してその隣に深く身を沈める。
「なんか、変な感じ」
 一人ごちて安らかな寝息を耳にしながら目を閉じた。
 触れた素肌が心地いい。緊張と興奮が去った体はすぐに重くなり、その意識は間もなく闇にのまれた。
 翌日、せっかくの休みだから遊びに行くかと誘うと、動きたくないと美奈子に睨まれた。

Back  Top  Next