【九】

 花を手に森に踏み入り、アーサーはいつもどおりそれを墓前に供えて歩き出す。常ならば彼の意識は粛々と引き締まっているのだが、今日はただひたすら動揺しつづけていた。
 シャドーからイーサの内政が荒れているという報告を受けた。イーサの主流は武器産業だが、それ以外にも多種多様の製品を製造搬出し、造船も手がけている。水路を活用して発展したバルトにとって、イーサは非常に重要な交易国のひとつだ。
 そして、織物の町として名高いレリャンもバルトにとっては大切な交易国だ。最先端の技術を駆使して織り上げられた生地は人気も高く、城下町で開かれる織物市には毎回足しげく通いつめるような熱心な顧客も多い。生鮮食品と違ってあつかいやすいということもあり、これを卸す店はあとを絶たなかった。
 そんな二国間に戦の兆しがあるという。カトリーナとミランダのことで頭の痛いアーサーは、さらに大きな壁に直面して心労を募らせていた。
「だいたい、イーサとレリャンには国交がないだろ? それでなんでもめるんだ」
 国を巻き込むようないさかいが起きるならそれなりの理由があるはずだ。イーサの重機をレリャンが買っているなら交流も生まれるだろうが、レリャンの王は自ら指揮を取って織機製造に心血をそそぐようなマニアックな男だと聞いていた。土地はさほど離れていないが、二国間で婚姻を結んだという噂もなく、争いの火種どころかどう考えても接点がないのだ。
「わからん……」
 間接的な要因を模索するも、これといってしっくりと来るものがない。さらに、バルト国内で増え続けるイーサの流民もなにが目的なのか皆目見当がつかない。
 ただ、新たに判明したことはある。
 ミランダとイーサの流民には何らかの関連があり、そしていまは公言できない内容であること。いっそミランダに接触しているイーサの流民をシャドーに探らせたいところだが、彼は彼で多くの任務を抱えている。本来ならアーサーの護衛だけをしているはずの彼はカトリーナにまで気を配り、加えてイーサとレリャンの内情を探らせているのだ。彼につく優秀な部下がいないわけではないが、少数精鋭を旨とする部隊ですべてをこなすにはどう考えても人数が足りない。
 これ以上の下命はさすがに躊躇われた。
 ふっと息を吐き出してアーサーは森から直接町に入った。
 ミランダの一件から多少疑心悪鬼になっていた彼は、カトリーナにも秘密があるのではないかとシャドーに問いかけたことがある。
「……秘密と言うか」
 そのとき、シャドーは困り果てた顔をして言葉を濁した。
「どうやらカトリーナ様は政略結婚には向かない姫君のようで」
 意味がわからず問い詰めると、行く先々で揉め事を起こし、多くの逗留先で追い出されて悪評がすさまじい姫なのだと困惑気味にシャドーが答えた。その逗留先の中にイーサとレリャンが入っていたと聞いた時には驚いたが、すでに何十という国を回ってきたのだから、これはおそらく偶然の巡り会わせなのだろうとアーサーは判断した。
 カトリーナはいろいろ型破りな王女である。最近は侍女のイザベラと仲がいいというし、王宮でそんな話を聞くだけでも奇異だと思った。さらに豊富な知識に行動力を加算し、なんにでも首を突っ込む性格を考えれば淑女を望む国々には間違いなく無用な王女だ。
 が、人として考えれば、単に好奇心旺盛な娘と言うだけであって、周りが心配するほどのことでもないような気がしている。
 ここら辺、実は同類である二人は、相手の行動に対して妙に寛大だった。もちろんアーサー自身が好意的にカトリーナを見ているというのも大きい。
 雑学に秀で、神出鬼没な姫君に諸国はさぞ手を焼いたことだろう。
「そうそう、あんな風に町にいたら普通は驚く……」
 濃紺の侍女服に真っ白のエプロンを着た少女を見ながら頷いたアーサーは、奇妙な悲鳴をあげて人ごみを凝視した。
 誰がどう見てもそれはロルサーバの王女その人である。市が立つ日はいつも以上に人が押し寄せ、女子供を連れてこないようにと注意を呼びかける日もあるくらい混雑する事もあるのだ。慣れた商人でさえ日を改めるのも珍しくないのに、事もあろうにアーサーの目には、ひしめき合う人波の中を窮屈そうに歩く王妃候補の娘が映っていた。
 この人波をどう渡っていこうかと考えていたアーサーは、悩むことすら忘れて人が作り出した濁流の中に突っ込んでいった。
 こんな世情で、こんな危険な場所に単身でやってくるなど狂気の沙汰だ。もしイーサの人間に見付かりでもしたら、命の保障など誰にもできない。視界に入り込む見慣れない黒衣の男たちに狼狽しながらアーサーは人波を掻き分けて前進した。
 人の体とは意外に厄介で、焦るのとは裏腹になかなか前に進まなかった。手をのばして距離を稼ごうにも人の体が邪魔をする。それが腹立たしくて歯痒くて、気づけば強引に人波を押しのけていた。
 早く――。
 早く、早く、あそこに行かなければと、気だけがいた。
 不意に彼女の横顔がはるか昔の記憶を揺さぶり起こす。
 あの時は、助けることができなかった。ただ茫然と、その体が崩れていくのを見守ることしかできなかった。
 彼女の盾にさえなれなかった己の無力さを何度呪ったか知れない。
 自責の念は心の一部となってそこに住みつき、もうずいぶん長いこと、彼を責めさいなんでいた。
 あんな思いはもうたくさんだった。
 ぎっしりとつまった人の波に、彼は強引に体をねじ込んで足を踏み出した。周りが彼を気にしていないように、この時ばかりは彼も無我夢中で突き進んでいた。
 そして、ようやくの思いで手の届く距離まで近づく。
 よろめいたカトリーナに驚いて、アーサーは無理やり人波に体を押し込んだ。
「こんなところに来る奴があるか」
 彼女を抱きしめるような形になったことに内心焦ったが、平静を保って小声でそう文句を言うと、安堵するように息をついたカトリーナが顔をあげた。
「捜しました!」
「……またそんな格好で……」
「似合います?」
 いやそう言う問題じゃないだろと心の中でつぶやき、溜め息を返して能天気な姫君に思わず苦笑する。彼女を見ていると焦っていた自分が滑稽に思えてきた。
 そっと彼女の背に腕を回してその体を包み込むと、きゅっと彼女が抱きついてきて、
「あなたが好きです」
 静かに言葉をつむいだ。
 それは、思いもかけず彼を動揺させた。
「私が、お嫌い?」
「――いや」
 嫌いになれればどんなに楽だろうか。
 何も背負わず、何も失わずにここに居たなら、素直に受け入れられた言葉であったかもしれない。
 強く惹かれるのは、すでに誤魔化しようがない感情だった。
 その想いを敏感に察知したのか、カトリーナの顔がぱっとほころんだ。
「では」
 続けようとする彼女をさえぎり、オレはと、アーサーは重く口を開く。
 誰にも言ってはならないこと。生涯隠し続けなければならないこと。憎悪に支配され多くの犠牲を望み、繁栄を約束された国を滅ぼそうとした――過去の、あまりに非情な愚行が一瞬で蘇ってくる。
「オレはこの国の人間じゃない。アーサーは、とうの昔に、死んでいる」
 身じろぎした彼女の動きが拒絶に思え、アーサーはきつく抱きしめてそれを封じた。
 一体どこで間違ってしまったのか、組み変わった運命はどうあらがっても元に戻ることはなく、真実は狂い、きっと刻まれた歴史すらおかしくなったに違いない。
「偽りの王だ。オレは死ぬまでこの国を騙し続けなければならない」
「陛下?」
 言うべきではない言葉が口をつくと、堰を切ったようにあふれ出した。
「前王を殺したのはオレだ。フィリシアも、あの乱世で命を落とした者すべて、オレが殺したようなものだ。だから、お前には応えられない。オレは王ではなく、ただの罪人だ」
 だから、断罪を。
 人々の平穏を望みながら、断罪だけを欲して罪を重ねるようにありもしない平和をつむぎあげた結果、いまのバルトは基盤を失ったまま存在しているのだ。
 王女という立場なら、事の重大性は他の誰よりも理解してくれるだろう。国を乗っ取った罪深い男に対して、軽蔑か落胆か、それに近い感情をぶつけられるに違いない。
 そう彼は想い、それを望んで言葉を待った。
 それなのに、強く抱きついてから顔をあげた彼女は、意外なほど落ち着いた表情をしていた。
「陛下。民は、あなたに従います。あなたが何者であろうとも」
 予想外の言葉に彼は狼狽えた。
「騙されているだけだ。偽者と知れば……」
「それに何の意味があるのですか?」
「国民はバルト王家のもとに集まったんだ」
 それこそが王の求められた資格だ。いままでさんざん王族だの血筋だのと言われつづけてきた彼は、バルトの血脈に国民が従っていると確信していた。確かに、ただの少年であった彼が、なんの後ろ盾もなく国の頂点に立ち人々を導くなど有り得ない話しだったのだ。
 それなのに彼女は真摯な瞳でまっすぐに彼を見つめてはっきりと否定した。
「違うわ」
「真実を知れば落胆する。それが現実だ」
「……何が欲しいの? 言葉が欲しい? 信頼が欲しい? それとも、裁きが欲しいの?」
 図星を指され、言葉が出なくなる。国を任された以上、よほどの愚王でなければ裁かれることはない。そして、彼は誰の目から見ても国のために奔走するような堅実な王であった。
 だから彼の望みは永遠に叶わない。乱心でもしない限り、断罪される機会は万が一にも訪れない。
「あなたがバルトの王です。真実なんて人それぞれよ。国民は明主たる者に従うわ。人が付き従う、それが、あなたがバルト王である証にはなりませんか?」
 思いもよらない言葉に混乱した。十七年もかけてすり込まれてきた常識が音を立てて崩れていくような錯覚に目を見張る。
 目の前には、透明な笑顔があった。
「誰でも始めはただの人よ。裁量を買われて地位を手に入れるの。本来はそういうものでしょ?」
 まったくその通りだ――そのとおりなのだが、周りにちやほやされてぬくぬく育ってきたはずの一国の王女がそれを口にするとは思わなかった。
 彼女には、生きているだけで無条件に与えられた地位と愛護の手がある。きっと祖国でその血がどんなに尊いのか教え込まれてきたはずなのに、この反応はまるで予想外だ。
 だが反面、彼女の発言を聞いて納得もした。
 こんなことを考える彼女だからこそ、侍女たちと楽しげに語らえるのだ。様々なものを見て、触れて、時には剣さえ手にしまっすぐに向かってくる。
 彼女の前では、いままで培ってきた常識など些細な知識でしかないのかもしれなかった。そんな彼女が、迷わず、怯むことなくアーサーの顔を凝視して可憐な唇を開く。
「私はあなたに従います。――生涯償わねばならない罪がおありなら、その枷を半分、私にお与えください」
 それはアーサーにとって、眩暈がするほど強烈で、あまりに熱烈な告白だった。遠く喧騒の内側で聞き馴染んだ声が響いていたが、それすら上手く理解することができなかった。
 カトリーナは抱きしめていた腕からすり抜け、視線を逸らすことなく後退する。歩くことすら困難なほどひしめき合っていた人のうねりがわずかに緩み、二人の間に空間ができた。
 うるさいほどのざわめきが静まっていくと、これまで見てきたどんな高貴な娘にも劣らない洗練された動きでカトリーナは膝を折った。
 息を呑まずにはいられない。釘付けになるアーサーに、凛とした表情でカトリーナは言葉をつむぐ。
「そばにおいてください、陛下」
 この状況で、それでもそんな言葉を口にする彼女の度胸は並大抵のものではなかった。それをむけられたアーサーは、深く吐息をついて双眸を閉じた。
 好意を抱く女に、恥も外聞もなくまっすぐに求められて拒絶できる男がこの世にどれほど存在すると言うのか。
 まったくとんだ姫君だなと胸中で愚痴をこぼしたが、無意識に浮かんだのは偽りのない笑顔だった。
「お前には負けた。――すまないが、皆、証人になってくれ」
 いつの間にかシンと静まり返った中、アーサーはあたりを見渡しながら朗々と告げた。
 まだ、色々と話していないことがある。
 過去を語れば、気がれたのだと疑われても仕方のない内容だった。それでもいつか彼女には、すべてを明かせる日が来るのかもしれない。
 この日、彼は、生涯の伴侶を得た。
 深く暗い森の中、闇よりなお漆黒の衣をまとった老婆がそっと祝辞を述べたのも知らぬまま。

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