【十】

 連日の朝議はイーサ、レリャンで起きている不穏な動きの報告と、バルト王婚約に勢いをつけ押しかけてきた商船、商人の処遇、さらに警備の強化と目立ちはじめた不法薬物流入の取り締まり等、議題に尽きることがなかった。
 アーサーに至っては、これに加えて日増しに増える申請書類にうんざりするほどである。ロルサーバの王がバルトに訪れると耳にした国民たちは盛大な祝典を期待し、膨大な人と莫大な金が動くと予想し躍起になっている商人たちをさらにあおっているので結果的に書類は通常の二倍、三倍へと確実に膨れ上がってきた。
 本来、バルトにロルサーバの王を招くことは異例だ。ロルサーバの大使一人が書状を持って婚礼の儀に出席してくれれば事足りる。
 だが、それでは体裁が悪い。バルトの使者がロルサーバに届ける巨額の援助を考えれば、相手もそれなりの地位を有する者を出してこなければ後々諸国になにを言われるか想像にかたくない。
 何事もバランスが大切なのだ。だから、あえて半端な金額は提示せず、財務長が青ざめるような金額の融資を命じ、ロルサーバが動きやすいようにと配慮した。
 書簡をたずさえた使者は乗り気でない様子だったが、彼はそれを表に出すほど愚かな男ではない。
「上手く立ち回ってくれよ」
 小さく口にして、アーサーは広間を埋め尽くす人々を眺める。これでロルサーバに国を建て直すための基盤の一部が届いたはずだ。それをどう生かすかは、の国の王の裁量にかける他ない。
 だが、おそらく危惧に終わるだろう。隣の空席にちらりと視線をやって、アーサーは微苦笑する。
 カトリーナの父親ならうまくやってくれるに違いない――そう、思う。
 不思議なくらい、確信を持ってそう思う。
「陛下?」
 椅子の隣にカトリーナが立つ。どこへ行っていたのか、彼女は頬を紅潮させながらも満足げな笑みを浮かべていた。
「見回りはすんだか?」
 どうせ彼女のことだから外の様子が気になって退出したのだろう。落ち着きのない態度は注意すべきものなのだが、すでに彼女の性格を熟知しているアーサーは咎めることなく尋ねた。
「ええ。お祝いの言葉をたくさんいただきました」
 機嫌よくそんな言葉が返ってくる。彼女は謁見の間をぐるりと見渡し、小さく声をあげるなり微笑んだ。アーサーが不審げに彼女を見ていると、なんでもないと言いたげに首を振って着席し背筋をしゃんと伸ばした。
 アーサーは疑問を抱きながら彼女の視線を辿り、そしてひどくみすぼらしい男がドアをくぐり謁見の間に足を踏み入れたことを知る。
 門番には不審者は入れるなと厳命してあった。そして、この慶事に駆けつける者は必ず身分を証明できるものを持参するよう通達し、ふさわしくない者はいかな理由があろうと目通りさせないとしてある。
 それにもかかわらず、謁見の間にふさわしくない類の男がいる。
 薄汚れた服を身につけ、長旅を強いられたとわかる荷を背負い、手入れなどしていないのび放題の髪が顔を覆っていた。つねに伏せられた顔から表情は読み取れないが、体を動かすたびに隆起する筋肉からして、鍛えられた身体を持っていると判断できる。
 祝辞をたずさえ訪れた民が男に気づいてにわかにざわめきはじめると、警護にあたっていたバルト兵は緊張した表情で視線を交わし、男の動向に注意をむける。男が正面に来たとき、一段とざわめきが大きくなった。
 ずるりと足を引きずるように男が前進する。
 アーサーはとっさに親衛隊隊長のウィリアムの姿を捜す。しかし謁見の間に彼の姿はなく、緊張した兵士たちの顔ばかりが並んでいた。日ごろから緊急時にそなえて訓練は充分に受けているが、一般人がここまで多い場では彼らも身動きが取りにくいだろう。どうせ狙われるのは自分の首だけだと高をくくって、アーサーはじっと男の動静を見守った。
 男は所定の位置に膝をつき低頭し、丁寧に、ゆっくりと献上の品を差し出した。
「これを、主人から預かって参りました」
 深く顔を伏せたまま男はかすれた声でうやうやしく告げる。そして、言葉を失ったかのように固まり、それ以上の説明もなくひれ伏しつづけた。
 男の前には細長い皮袋があった。剣のように見えるが、それにしては不自然なほど細い。わずかに興味をひかれて凝視しているとふたたび謁見の間がざわめき始めた。
「どうした? 陛下の御前だぞ!」
 控えていた臣下が声高に問うが、男はやはり身動き一つしない。不快げに顔をゆがめ、彼は男の元まで行くと乱暴に皮袋を持ち上げ、そして怪訝な顔をした。
 好奇心が首をもたげる。男の行動も気になるが、臣下の表情も気になって、アーサーは珍しく口を開いた。
「なんだ?」
「……いえ」
「……持ってこい」
 戸惑いながら臣下は階段をあがり、アーサーの元まで細長い皮袋を運んだ。皮袋はすり減り色あせ、ずいぶん使い古されていることがわかった。どんな僻地からやってきたのかと疑問を抱きながら皮袋を受け取った瞬間、アーサーにも臣下の反応がよくわかった。
 この形状なら剣であると予想できるが、剣にしてはやけに軽い。一体なにが入っているのか強く興味を引かれ、彼はきつく結んである糸をはずし――息を、つめた。
 するりと皮袋が滑り落ちると、薄闇で光を放っていたものがあらわになる。
「陛下?」
 カトリーナの声が、遠く響く。けれどそれすら耳に入らず、アーサーは茫然とそれを見つめた。細微に至るまで計算されつくした紋様はすべて銀でできており、秀美で鮮麗されているにもかかわらず、アーサーの手に驚くほどしっくりとおさまった。
 海の色を宿した石が銀細工に縁取られ鮮やかにきらめくと、周りから感嘆の溜め息がもれた。アーサーが皮袋をすべて取り払うと鞘にも同様に目を見張るほどの細工がなされていた。
 簡単に作れるようなものではない。卓越した技術を持つ者が、長い時間をかけて丁寧に仕上げたものだ。まるで命を吹き込まれたかのように輝く銀細工にアーサーは言葉を失った。
 彼が手にしたのは、見事な青い石を埋め込んだ、いまだかつて誰も見たことがない最上最美の銀の剣。
 ――知っている。
 震えながら、アーサーは思う。
 ただ一人、これをこの世に生み出すことのできる者を。誰よりも憎悪し、その手にかけようとした――これは、その男の手によってのみ作り出されることが叶った至宝なのだ。
 いったん口を開いたが、上手く言葉が出なかった。
 気を抜けばあふれそうになる何かを必死で抑え、アーサーはようやくの思いで口を開く。
「これを作った者は」
 つづく言葉が上手く出てこない。それでも必死に言葉をつむぐ。
「お前の主人は……」
 無事なのか、生きているのか、今、どうしているのか――。
 聞きたいことはいくらでもあった。崩落する王城で重傷を負った彼が生きていられる可能性はきわめて低く、くわえて身重のフィリシアもいたのだ。ただの火災なら時間をかければ彼らの生死を確認できたかもしれないが、現場は地下にあった火薬による爆発でいたるところが粉砕され、遺体の多くは性別もわからないほど損傷していた。
 あの状態で、生きているとは思わなかった。
 床に額をこすりつけるように平伏していた男がゆっくりと顔をあげる。
 その顔を見て、アーサーはさらに驚倒する。
「二男一女に恵まれ、いまは田舎で銀細工を作っております。成婚の噂を聞き、その剣を国王陛下にぜひと」
 淡々とそう語る男は、十七年前に親衛隊隊長としてエディウスを守っていたガイゼだった。ひどくみすぼらしいなりではあるが、以前と変わらぬまっすぐに澄んだ眼差しはよどみなく、刻まれた皺が目立ちこそすれ充分に面影を残していた。見間違えるはずはない。
「……そうか」
 お前が守ってくれたのか――不思議なくらいすんなりと納得した。あの恐慌状態で、それでも彼は主人を守り、そしておそらく「正しい」判断をしたに違いない。あの場にはイリジア兵も多く残留していたのだ。もし混乱のままエディウスの首が取られることになれば、国の基盤が揺らぐどころか攻め入ったイリジアも退くことができなくなり、この国は完全に崩壊していただろう。
 ガイゼは祝辞を述べ、深々と一礼して退室した。
 懐かしい後ろ姿を見送ってからアーサーは立ち上がり、
「しばらく休む。半刻後に再開する」
 とだけ残して、ざわめく謁見の間を足早に後にした。様々な思いが胸に浮かぶ。どうやって生きのびたのか、なぜいままで便り一つよこさずいたのか、どれほど自分が苦しんだのか知っているのかと――それらは、恨み言に近い、ひどく苦い言葉だった。
 なにも知らない子供が重責を押し付けられてどれほど苦労したか。眠れない日ばかりがつづき、ようやく寝付けば悪夢にうなされ、日中は仕事におわれ休む間すらなかった。
 国一つを維持するのはたやすいことではない。崩壊しつつあるのならなおさらだ。どんなに心を砕いても、嘲笑うかのように徒労に終わる日々にどれほど焦燥したことか。
 そんな中、歯を食いしばってどんな想いで――。
「陛下!」
 唐突に近づいてきた気配に振り向いて、アーサーは手をのばし駆け寄ってくるカトリーナを抱きしめた。
 文句を言いたい。つめよってあらん限りの罵詈雑言並べたて、そして。
「――生きて……」
 いてくれてよかったと、その一言を、伝えたい。どんなに離れた場所でもいい、たとえ一生再会することがなくとも、生きて、そして幸せになってくれさえしていれば、もうそれ以上になにも望むことはない。
「すまない、しばらく一人にしてくれ」
 ようやくそれだけを伝えてカトリーナを解放すると、彼女は静かに頷いて身を引いた。
 それからなんとか控えの間まで歩いていき、ドアを閉めた途端、彼は剣を胸に抱きしめながらその場に崩れるように座り込んだ。
 すでに言葉など出なかった。
 胸の奥であふれる思いはそのまま嗚咽となって唇を割った。
 悪夢のような過去は決して消えることはない。けれどその先には、この剣が宿すような澄んだ光が待っているのかもしれない。
 震える手で剣を抜き、アーサーは涙でかすむ目を凝らす。
 剣舞に使う物に似ている見慣れない形状の剣に目を細めると、涙がこぼれて剣身で弾けた。
 あの二人は生きている。言葉より雄弁にその剣はその事実をアーサーに伝えてきた。
 姿を現さないのはこの国の平穏を望んでのことだろう。連絡一つよこさなかったのにもきっと訳があるに違いない。もとより先王が生きていると噂がたてば、アーサーが築いてきた地位が大きく揺らぐ。さらにエディウスが王城から失踪した真相が知れ渡れば、国はふたたび大きく荒れたに違いない。
 これはおそらく、それを回避しながら祝いの言葉を伝えるための、彼らにとって精一杯の贈り物なのだ。一切の妥協を許さず作られただろう剣にいつの間にか笑みがこぼれた。
 彼らは幸せであるに違いない。十七年前取り損ねた手を、いまやっと掴むことができたような気がした。
 アーサーは剣身の棟に額を押し当てて深くこうべをたれた。
「ここに誓う」
 二度とあんな犠牲は出さない。目先にとらわれず己を見極め、この国の更なる発展と安寧をこの剣にかけ盟約する。
 そして、遠く遠くたゆまなく、国がつむぐ喜びの歌をあの二人に届けよう。

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