【七】

 いつものように書類の束にむかい、アーサーは本日数度目の溜め息をもらす。ぼんやりと眺めていた書類を指先ではじき、かわりに机のすみに押しやられていたバスケットを引き寄せる。その中には、綺麗に焼きあがった菓子が丁寧に並べられていた。
 ひとつをつまんで眺めてみる。それはお茶の時間に食べて欲しいと言ってミランダから手渡されたものだった。
 下々の者と親しくすることを嫌うわりに彼女はこういったことが好きな性質らしい。なんとなく意外な気もしたが、値がはるとはいえ古ぼけた男物の指輪を肌身離さず大切に持っている姿を考えると、気位が高そうに振舞うあの姿のほうが虚勢のように見えてくる。
 立場上、いろいろ苦労しているのかもしれないなと、自分の境遇を重ねて同情にも似た思いを抱いた。分不相応の地位を手に入れると、現実との違いを埋めるのにひどく苦労するのだ。たえず気を張り続けているのもずいぶんと疲れる。
 少しいびつな菓子に視線を落とし、アーサーはようやくそれを噛み砕いた。そして、一瞬だけ動きをとめる。口に運んだ菓子は想像以上に硬めに焼きあがっていた。
「……レリャンの菓子は、もっと柔らかかったはずだが……」
 材料でも間違えたのかと眉をひそめる。口に残るのはどこか粉っぽい、昨今ではなかなか賞味できない田舎を思わせるような素朴な味わいだった。
 カトリーナの失敗作とは違い、分量や焼き方を間違えたという雰囲気はない。冷めた紅茶をひとくち飲んで、アーサーはふたたび菓子に手を伸ばす。
「悪くはないか」
 むしろ、アーサーの好みに合う食感と味わいだが、やはりどうしても違和感が残る。首を傾げながらも咀嚼してさらにもう一枚に手をのばした所で、するりと影が部屋に入ってきた。
 入室時にノックをするのは礼儀だし常識だが、彼にだけは特例としてすべてを許している。つねにアーサーの影となり、国賊として処罰されてもおかしくないようなあらゆる情報と秘密を共有する唯一の共犯者は、絶対的な忠誠を誓って彼の目の前にひざまずいた。
「なにか問題でも?」
 どこか緊迫した空気を感じ、アーサーは短く問う。漆黒の男は軽く頭をさげてから口を開いた。
「薬事に明るい者を集めました。現在、先の症状を照らし合わせ、可能性のある薬物に関して調査中です」
 その言葉で、路地裏の一件を思い出す。薬物による錯乱状態にあったと思われるイーサの男は、子供にすら平気で刃物を向けるのだ。放置しておいていいわけがない。しかし、これといって細かい指示をだしていなかったアーサーは、シャドーの判断に小さく笑みを浮かべた。
 よく出来た右腕だと思う。
 何もかもを失い、過去を捨て、郷愁さえ己の中で捻じ伏せた自分にとって、これほど心強い味方はいなかった。家族がどれほど悲しみ憔悴しただろうかと考えれば今でもやりきれない思いを抱き、残された美奈子の家族さえも傷つけたままであることに何度後悔したか知れないが――不思議と、シャドーの存在は暗くなりがちなアーサーの心をなぐさめる。
 自分勝手なものだと微笑を苦笑に変えて、アーサーは細く息を吐き出してから紅茶を口に運んだ。
「経過は?」
「いくつか検討のつくものがあるようですが、原産はイーサのようです」
「イーサは武器を多く輸出する国だろう。薬物にも手を出していると?」
「現物が手に入らないので薬物自体にまだ確証はありませんが、おそらくは。……それもまた、戦争の道具となるものではないか、との意見で」
「なるほど」
 酒で士気をあおるのはよくある話だ。薬物でそれを代用させようと考えているとなると、きな臭いどころの騒ぎではない。
「戦争でもはじめる気か、イーサは」
「可能性はあります」
 何気ない一言にシャドーはあっさりと頷いた。
「武器の製造が急速に進んでいます。しかし、それに対して搬出の量がつりあわない。その落差がどこで生じているのか――バルトでも、士気を維持する必要があるかと」
 淡々としたシャドーの言葉にアーサーの背がわずかに冷えた。もともと目元しか見えない男だが、こんな時くらいは多少の表情の変化があってもいいだろう。しかし彼はとんでもないことを顔色一つ変えずに告げる。
「武器の増産が確認されたのはイーサのオルマーニャと呼ばれる地区に集中しています。ここは娼館が多く、人の出入りと荷の搬入出が頻繁なため特定に手間取っています」
「……そうか」
 まさかここまで調べ上げているとは思ってもみなかったアーサーは、椅子に深く座りなおして肩の力を抜いた。
「お前の機転には恐れ入る」
「まだ、流民に関しては足取りがつかめません」
 少しだけ気落ちした声でシャドーが答えた。それが妙に人間臭くて、アーサーは表情を崩す。完璧な補佐は心強いが、どちらかというなら少しくらいミスや欠点があったほうが付き合いやすい。
 吐息をついて、アーサーは瞳を閉じる。
「流民にはグレイグのほうも手をこまねいてるらしいからな。あまり焦って深追いだけはするなよ」
「……自警団の団長自らが動いていると?」
「あいつが動くなら穏やかな話じゃないだろう。……間違っても張り合うなよ」
 釘を刺すと、心外だといわんばかりにシャドーがアーサーを見上げた。充分に信用のおける右腕なのだが、どうもグレイグとは馬が合わないらしく、時おりむきになることがある。行動は必要最小限にとどめ、なるべく市には近づかないようにしている辺りすでに嫌っているとしか考えられないのだが、アーサーはあえて口にはせずにバスケットに手をのばした。
「お前も食べるか?」
 問いながら差し出すと、一礼したシャドーが立ち上がった。そして、バスケットの中を覗きこんでアーサーの顔を見る。
「これは?」
「ミランダが焼いた菓子だ。いい味だぞ」
 伸ばしかけた指をとめ、シャドーが表情を険しくする。警戒するようなその気配に驚いてアーサーは目を瞬いた。
「……ミランダ様の」
「なにか?」
「もう一つ、報告が」
 膝を折り、シャドーが低い声で続けた。
「レリャンの資産家、エスタール伯に娘はいないとの情報があります」
「ああ、ミランダは妾の子らしいから、正式に発表されては……」
「いえ、おおやけにはされていませんが、エスタール伯は落馬事故の際に怪我をおい、子供ができない体です。事故当時に婦人は長男を身籠っていたそうで、それ以外に血縁者はいません。――息子は、今年で二十五歳になるそうです」
 意外な一言にアーサーは耳を疑った。ミランダはカトリーナよりは年上だろうが、どう見ても二十五歳をこえているとは思えない。こえているなら女遊びが高じた結果だろうと割り切ることもできるが、シャドーの話が正しかったとすれば隠し子という可能性は極めて低い。
「しかし、ミランダは正式な手続きを通してバルトに来たんだろう?」
「書類に改ざんのあとが」
「あったのか?」
「はい。エスタール伯は子ができないとはいえ、無類の女好きで有名な御仁です。事故の後遺症がおおやけにされていない事実から隠し子の噂など引きも切らない状態なので、便乗すればそれなりに信頼のおける書面が作成できる。それらを偽造し、巧妙に隠せばあえて事実関係を確認する輩などおりません。ましてや他国の醜聞、――嫡子欲しさに美貌と地位だけを考慮すれば、バルトの書類審査などあってないようなものです」
「……頭の痛い話だな」
「まったくです」
 二人の王妃候補というだけでも呆れたのに、その上でこのていたらくだ。いくら焦っていたからとはいえ、物には順序というものがある。それに、一国の王の婚姻に素性を偽った娘を候補にあげるなど言語道断だ。
「悪い娘には見えないんだがな」
 ぽつりとそうもらし、アーサーは焼き菓子に手をのばす。バスケットを持ってきたミランダの手に火傷のあとがあることを思い出し、アーサーは複雑な心境になる。だまされて一枚噛んでいるのか、共犯として狂言に付き合っているのかはさだかではないが、このまま見て見ぬふりをし続けてはいられないだろう。
 目的を訊き、本当の身分を尋ね、しかるべき処分をせねばならない。
 ふっと、指輪を握りしめて微笑む顔が脳裏をかすめた。王妃という身分は魅力的なものに見えるかもしれないが、果たしてそんな理由でここを訪れた女が、あんな風に微笑むことができるのだろうか。そもそも彼女は、王妃の地位など望んではいないと断言している。あれがもし偽りでないとするなら、なぜここにとどまり続けているのか。
 疑問がいくつも胸の中で生まれる。
 単純に何かから逃げ、ここを隠れ蓑として使っているだけならいい。レリャンに帰りたくないと告げたその理由が、そんな単純なものであるならささやかながらも望む物を与えることができる。
 だが、そうでなければ。
 それ以外の理由があってここにとどまっているのであれば。
「シャドー、それは信用がおける情報か?」
「残念ながら」
「……対立しているのはイーサとレリャンだったな」
「はい」
「……ミランダの素性、洗ってくれ」
「御意に」
 重い溜め息とともに命じて瞳を閉じるとシャドーの気配が瞬時に消える。次に目を開けた時には彼の姿はなく、寒々しいほど何もない部屋が目の前に広がっていた。
 きしむ椅子から立ち上がり、アーサーは手にしていた焼き菓子を口に含みながら歩き出した。何がどうなっているのか、細切れの情報が多すぎて事件の全貌がどうにもつかみにくい。複数の事件が同時に起きている可能性を考慮すると、全貌はさらにつかみにくくなる。
 疑いたくはないが、ミランダも何かの事件に首を突っ込んでいることが考えられた。ゆったりとした歩調で廊下を渡っていたアーサーは、ふっと中庭に視線を移して足をとめる。
 鮮やかな花冠がふわりと移動した。
 子供が作るような質素で少し形の悪い花の王冠は、柔らかくゆれる栗色の髪に不思議とよく似合っていた。
「……ミランダ」
 シャドーの報告を受けたばかりのアーサーは思わず窓に駆け寄って中庭を見おろす。彼女はドレスをつまみ、そこに中庭で摘み取ったらしい小花を乗せていた。
 彼女が庭の小道を曲がるとその指先が鋭く光り、アーサーは注視してから瞳を細めた。細く白い指には不釣合いな、いかにもサイズの合っていないゴツゴツとした指輪がはめられている。まるで純朴そのものといった姿をさらし、彼女は足早に建物の中へと消えていった。豪奢なドレスには似つかわしくないその行動と表情は、まるで楽しい遊びに興じるような嬉々とした子供のそれである。
 出会った頃には予想もできなかった一面に驚いていると、
「花の冠が欲しいの?」
 背後からそんな見当はずれの質問が投げられる。ぎょっとして振り返るとカトリーナが真剣な表情で中庭を覗き込んでいた。いくら雲行きが怪しいとはいえ、カトリーナにミランダの存在を知られるのはどうにも後ろめたく感じてしまうアーサーは、思わず窓を隠すように身をずらした。
「……陛下、見惚れてたんですか、いまの美女に」
「な……!?」
 なぜそんな発想になるんだと焦るアーサーに、カトリーナは不満げな顔で彼を押しのけて窓を覗きこんだ。しかし幸いにして、ミランダはすでに城の中に引っ込んでいる。広い城内だから、一度見失った人間を捜すのが困難であることを知っているアーサーは胸を撫で下ろした。
「それとも、ああいうドレスがお好みですか?」
 本人はきっといたって真剣に問いかけているのだろう。ぷうっと頬を膨らませて質問されるとさらに返答に困る。豊かな胸を強調させるドレスは確かに魅力的ではあるが、それはミランダが着ているからいいのであって、カトリーナに似合わないのは一目瞭然だった。
 だが、それを素直に告げるのは失礼にあたる。
 必死で言い訳を考えていると、むくれたカトリーナはドレスの胸元に指を引っ掛けてぐっと引きおろした。若々しいが色気を強調させるにはやや能力不足の胸元がほんの少しあらわになった。
「色っぽい格好なら私にだってできます!」
「よせ、それは困る! せめてもうちょっと胸が育ってからにしろ!」
「……」
「……」
「陛下」
「……すまん、他意はない」
 いや、それじゃ余計にひどいだろうと頭を抱えると、敏感にそれを悟ってさらにカトリーナがむくれた。
「ひどいわ」
 確かに彼女の言うとおりなので反論せず項垂れる。カトリーナはアーサーのその反応が気に入らなかったのか、くるりと踵を返すなり大股で歩き出した。
「メアリに服を新調してもらいます。胸元の開いた、色っぽいドレスを! 一番に陛下にご覧にいれますっ」
 肩をいからせツカツカ遠ざかっていく彼女は、とにもかくにも無駄に行動力がある。本当にやりかねないぞと思った瞬間、なぜだか血の気が引くような気がした。
「待て、カトリーナ! 今でも充分……い、色っぽい……かもしれない……」
 のか? と、うっかり語尾にくっつけたアーサーはふたたびまずいと思って口をつぐむ。いったん足をとめたカトリーナは、ふるりと肩を揺らし、今度はアーサーを振り切る勢いで駆け出していた。
「メアリー!!」
 恥じらいの欠片もなくカトリーナがドレスをつまんで駆けている。人目も気にせず大声をあげる彼女をようやくの思いで取り押さえたときには、突きつけられた憂い事に頭を悩ませていたことすら忘れていた。
「詰め物くらいします!」
「いや、だいぶ足りないから当分待て」
「へ、陛下のバカー!!」
 アーサーの失言に冗談で宣言したらしいカトリーナが真っ赤になって憤慨している。半ば面倒になってきたアーサーは肩をすくめ、そして重い空気が消えたことに気付いて苦笑した。
「お前といると、落ち着く」
 小さくもらした本音にカトリーナが驚いた顔になる。それに微笑みかけて、手を差し出した。
「さすがに走り回るのは疲れた。……よければお茶でも?」
 怒っていたはずの彼女の顔が瞬時に変化する。満面に笑みを浮かべた彼女はすぐさまアーサーの手をとって、それからはっとしたように唇を尖らせた。
「言っておきますけど、私、怒ってるんです」
「ああ、そうだな。お詫びにオレが茶を淹れよう。なにが飲みたい?」
「本当!?」
 ぱっと明るくなる顔に笑みを返すと、またもや彼女の顔が慌てたように引き締まる。しかし口元だけはどうにもしまりが悪いらしく、かすかに震えているのがわかった。
 いろいろと頭の痛い状況が背後にあるものの、軽い足取りの彼女に引っぱられるのは悪い気がしない。
「ジャムをたっぷり入れてください。甘いのが好きなの」
「ああ」
「そのあとはこってりお説教でもいかが?」
 不意に聞こえた低い声にアーサーとカトリーナが足をとめる。ほぼ同時に首をひねると、仁王立ちしたメアリがこめかみを痙攣させながらすさまじい笑顔で小首を傾げていた。
 自粛しろと言われていたアーサーは、年甲斐もなくメアリの名を連呼するカトリーナを追い掛け回していた己の姿を思い出す。
 こちらはこちらで頭が痛い話だなと思って、彼は人知れず溜め息だけを繰り返していた。

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