【六】
考えごとをしていると無意識のうちにペンを指先で回す。それは彼が学生のころ、受験勉強をしていたときについた癖だった。
「……陛下」
呼ばれて顔を上げ、ペンを回していた指をとめてしまったと内心でつぶやく。朗々とした声だけが響き、それ以外の音など存在しないかのように静まり返っていたはずの広い室内はいつの間にかざわめきで満たされていた。それは、いつもなら熱心に耳を傾けているはずのアーサーが、会議の真っ最中だというのに上の空でいたことを臣下たちが悟ったからに他ならない。
「すまない、続きを」
「はい」
言葉をかけると立ち上がっていた男は安堵したように口を開いた。しかし、アーサーの耳には内容がまったく入ってこなかった。彼の思考は、イーサからの「流民」に襲われたミランダと、その日の昼に会食したカトリーナのことで占められていた。
どちらも魅力的な娘である。願わくば、ふさわしい相手とともに幸せになって欲しいと素直に願っている。
ミランダが国に帰りたくないと言うなら、好きなだけ王城に滞在してもらってもなんら問題はない。方々に声をかければ彼女ほどの美貌と容姿、教養があれば結婚を申し込んでくる男は山のように名乗り出るだろう。しかし、ここで表立って動くとイーサの人間がなにか勘違いを起こす可能性も出てくる。万全をきすならこの不可解な一件が落ち着いてからのほうが好ましい。
幸い、ミランダは襲われたことに動揺し、以降はなるべく城から出ないことを約束してくれたのだ。この点に関しては助かったなとアーサーは素直に安堵した。
しかし、最大の問題がその後にひかえている。
「……あれは言ってきく娘じゃないぞ」
カトリーナはミランダとは逆のタイプのような気がしてならなくてアーサーは顔を引きつらせた。あの性格はいつかトラブルに巻き込まれるか、トラブル自体を引き寄せるに違いない。
アーサーは目を閉じる。
後ろめたさも手伝っていつも以上に寡黙になった昼食時、それでも彼女は嬉しそうに笑っていた。その姿を思い出すと後ろめたさとは別の感情が彼の心をざわめかせる。
ひどく残酷なことをしているのかもしれない。期待をさせ、そして一番残酷な方法で裏切ってしまうかもしれない。そう予期しているからこそ、もっと距離をおかなければならないとわかっているのに。
ふたたび室内がざわめき出したのに気付き、アーサーは溜め息をついた。
集中力がつづかず会議が冗長していくのがわかる。いったん自分だけ席をはずして議題を再検討させたほうが効率がいいと判断し、指示を出すために視線をあげた――直後、会議室のドアが前触れもなく開け放たれる。
会議中の入室は極力避けるように伝えてある中で、しかもノックもなしにドアを開けるなど珍しい。アーサーはとがめることも忘れてドアを見た。
ドアを押し開けたのは、メアリの下で彼女の指示のもと働いている侍女イザベラである。彼女は素朴な容姿そのままに、王城に勤める侍女の中でも気さくな部類に入り、珍しくメアリが目をかけている娘だった。
過去に何度か言葉を交わしたことがあったアーサーは、彼女がメアリから礼儀作法の一通りをしっかりと叩き込まれていることを知っている。こんな風に会議を中断させる娘でないことも知っている。
「どうした?」
ざわめく室内を鎮めて尋ねると、イザベラが涙をいっぱいためた目でアーサーをまっすぐ見つめ返した。
「も、申し上げます」
かろうじて一礼し、震える声で彼女は続けた。
「カトリーナ様の姿がありません」
「カトリーナの? どこか散策でも……」
「じ、侍女服をお貸ししたので、もし何かあったら……!」
「侍女服を貸した?」
「はい。ドレスが汚れ、シミ取をしている間だけ着ていただいていたのですが、どこを捜してもカトリーナ様の姿がなくて」
一瞬、アーサーは耳を疑った。基本的に気位の高い娘が多い王女たるものが、まさか下働きである侍女服を着てうろついているとは予想もしなかったのだ。しかも、よりによってこのタイミング――もしトラブルに巻き込まれても、消息をたどるのは困難になる可能性が高い。いつもの派手な衣装なら逗留中の王女として誰もが気にかけるが、下働きの娘と同じ服装では他にまぎれてしまってその足跡をたどることすら困難になる。
「もしかしたら、市に行っているかもしれません」
イザベラのその言葉を聞いた直後、アーサーは部屋を飛び出していた。城の探索があらかた終わっているなら突飛な格好のまま町に行っている確率がある。町で開催されている市なら、侍女姿は目立つので逆に見つけやすいに違いない。
驚く者たちを無視して廊下を駆け抜け、アーサーは城の入り口となる大扉を抜けた時点でぴたりと足を止めて振り返った。槍を持ったバルトの兵士が二人、息を切らせるアーサーの姿に目を丸くしている。
「カトリーナの姿を見たか?」
「は、……いえ、今日はまだ」
「侍女の姿は?」
「侍女? ああ、そういえば一人、うろうろと市のほうに」
まさかと思いながら町へ続く広場を見て、アーサーは戸惑う門番にちらりと視線を投げた。
「悪いがカトリーナが城内にいないか手分けして確認してくれ」
「カトリーナ様ですか?」
「オレは市に行く」
大扉を守る門番に告げ、アーサーは歩き出しながら視線を少し背後に移動させる。
「シャドー、お前も城内を頼む」
「御意」
「見つけたら縛っておけ」
「……かしこまりました」
こんなことならシャドーをカトリーナの護衛にまわしたほうが効率がいいのではないか、とも考えアーサーは歯噛みする。シャドーは難色を示すだろうが、この時期にこの城であれだけ活発に動く娘を野放しにするのはあまりに危険だ。カトリーナに注意すればいろいろ勘ぐってくるだろうし、しかし、下手な言葉を並べても好奇心を刺激しかねない。
厄介だと本気で呻きながら、彼は異様なほど自分が注目されているのにも気付かずに広場をぬけて巨大な通路に足を踏み入れる。いつ来ても人の多い道は活気があって好きなのだが、今日に限っては歩きにくい上に視界が悪いというこの状況が腹立たしくて仕方がない。
目を凝らし、アーサーは濃紺の侍女服を探す。幸い出入りの商人や客たちはさまざまな色の糸を織り込んだ派手な服装を好んで着ているので、濃紺の侍女服は意外と人目を引く。
大通りを進んだ先に、アーサーは濃紺のドレスを着た娘の横顔を認めて人並みを掻き分けて突き進んだ。彼女は馴染みの髭面の店主となにかを真剣に話し合っている最中だった。
安堵と同時に腹立たしさも覚え、アーサーは無意識に右手を持ち上げていた。グレイグがどこか楽しげに笑っているが、彼はかまわず持ち上げた手を垂直に彼女の頭部へと振り下ろした。
一瞬身をすくめた彼女はとっさに振り返ってひどく驚いた表情をした。
「陛下!?」
力を充分加減しながらさらに手刀を落とすと、なによ、と不満げな声が彼の耳に届く。呑気な姫君は自分の立場も把握していないのかと思うと呆れを通り越してしまった。
「城中大騒ぎだ、馬鹿者。カトリーナの姿が見えないと、侍女が泣きながら会議室に飛び込んできて会議がめちゃくちゃになった」
なんの指示も出さずに部屋を飛び出したのだから、会議は完全に中断したに違いない。その様子が手に取るようにわかって不満げな声で告げると、
「あ、忘れてた」
やはり呑気な姫君はそんな言葉を吐く。真っ青になって震えていたイザベラがどうにも不憫で、アーサーはさらにカトリーナの頭に手刀を落とした。
「あとでイザベラによく謝っておけ」
「はい」
「それと、次からは一言断って行くように」
「……わかりました」
詳しく説明できない状況からしぼりだした精一杯の言葉に、カトリーナは悔しげな表情で頷く。まったくとんだおてんば娘だと心底呆れていると、腹を抱えて笑うグレイグの姿が目に入った。
お前も一発殴ってやろうか、などと物騒なことを考えていると、
「人のことは言えないじゃないですか、陛下。それに普通は王女様に出歩くなと注意するもんであって、断ってから行けなんてなぁ、普通はありませんぜ?」
付き合いが長いだけあって遠慮のない言葉が向けられた。グレイグの意見には一理ある。いや、一理どころか、まったくもってその通りだと思う。
しかし、高貴な出身であるはずなのに侍女服を着込んで平然と出歩いてしまうあたり、もうどう考えても一筋縄ではいかない相手と判断せざるを得なかった。
頭痛の種は真剣な顔で口をつぐんでいる。せめて行く先の把握と護衛だけでも充実させたいと思いながらアーサーは肩を落とした。
「……とめても行くだろう」
「行くわ」
「じゃあせめて断ってからにしろ」
「そうします」
神妙に彼女が頷くと、どこからともなく笑い声が響いてきてアーサーははっとした。いつもはあまり目立たないようこれでも気を遣っていたにもかかわらず、今日は会議室から飛び出してきたためある程度かしこまった服を身に着けている。
これで目立つなというほうが無理な話しだ。結果、アーサーが「バルト王」であることを知った商人や客たちが物珍しげに集まってきて人だかりができてしまっていた。
神妙な顔で立っている侍女がロルサーバの王女であることが知れ渡るのも時間の問題だ。人の口には戸は立てられないなと溜め息を落としながらアーサーは踵を返す。さっさと王城に帰ってこってり油を絞ろうと心に決めると、背後からカトリーナの声が聞こえた。
「まだお使いが終わってないの!」
お使い? と内心で首を傾げるといつの間にか口からその単語が滑り出していた。
「ちょっと調理場のお手伝いを」
すごすごと差し出された紙には食材の名が並んでいた。
一体全体、一国の王女が何をやっているのか――すでに呆れは完全に通り越し、なんとなくおかしさのようなものがこみ上げてきたが、何とかそれを押しとどめて興味深々で身を乗り出して顛末を見守っていた武器商へ視線を移動させる。
「剣を一本くれないか? 悪いな、代金はあとで届けさせる」
「い、いえ!」
用心に越したことはないと思い、差し出された剣を受け取ってそう告げると武器商は恐縮して頭をさげた。いつもより柄が細くて慣れない感はあるものの、武器を選ばないと戦えないほど弱くはないと自負し、彼は剣をベルトに固定させた。
ふっと、彼女の笑顔が視界に飛び込んできた。
「朝議はよろしいのですか?」
「もう収拾がつかん」
次は緊急事態にそなえるマニュアルでも作成しておくかと苦笑して、カトリーナから紙を受け取った。記されている食材はグレイグの店でしか手に入らないものもあり、仕方なく向き直ると、案の定、髭面の男はニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべていた。
言い訳するのも面倒くさく、アーサーはぞんざいに注文して代金を手渡す。毎度ありという上機嫌な声を背にして歩き出すとすぐに隣にカトリーナが並んだ。多くの視線を集めているのに、彼女はこれといって動じた様子もなくどこか嬉しげに歩を進めていた。
リズムができるように歩調が自然と合ってくる。それがひどく心地よく感じてアーサーは動揺した。
隣を見れば、それに気付かない少女がスキップしかねない足取りで歩いている。
「……あれから鼻血は出てないか?」
「で、出てません!」
誤魔化すように問うと、真っ赤になって言葉尻を少しきつくしながらカトリーナが即答した。無意識に鼻をさすっているのは、もしかしたら痛みを思い出しているからかもしれない。
果たして、自分は本当に重ねているのだろうか――。
彼女と、失った恋人を。仕草の一つ一つはまるで違う。それでも、面影を追ってしまうことがあるのだろうか。
胸の奥にひそむ自虐的な後ろめたさがわずかに揺らぐ。確かに雰囲気は似通うところがあるし、それに興味が湧いたのも事実かもしれない。だが、それだけの理由でこうして肩を並べて歩きたいと思うものなのか、いまの彼には判断がつかなかった。
「あ、陛下! あの耳飾り綺麗だわ!」
嬉しそうに目を輝かせてカトリーナは露店を眺める。弾む声とともに指差された方角を見て、
「どれが欲しい?」
素直にそう尋ねた。そういえば、ミランダには指輪をプレゼントした形になっているが、カトリーナには贈り物をしていない。贈り物ならもっときちんとしたものを渡すべきだろうなと思いながら彼女の返答を待っていると、細い指先がある一点をさした。
アーサーはその方角を見て怪訝な顔になる。そこには宝飾品の店などなく、乾物やいかにも長旅に重宝しそうな食材が多く並んでいた。
それをまっすぐ指差して、カトリーナが小さく笑う。
ああそうかと、その時あらためて思った。こんな
「いつか、必ず」
胸に秘めた想いを言葉にし、微笑みながら短く告げて腕をおろす。高潔なその姿に一瞬目を奪われながら、アーサーは自分と彼女の間にある違いをはっきりと感じていた。たとえ同じ位置に立てる地位を有していようとも、誰もが重要視する、血筋、理念、思想――その根底たるべきものが彼には初めから備わっていない。
「これで悩んでいるのだから世話がないな」
誰にも悟られないようにつぶやいて苦笑いする。前を歩きはじめた少女に手を伸ばしたくなるこの衝動は、一時の気の迷いなのだろう。求めつづけた亡霊が消えて、いまはただどうしていいのかわからずに混乱しているのだ。
寒さに耐えかねてぬくもりを欲するのは珍しいことではないのだと、苦く苦く自らに言い聞かせて自戒を強める。
「陛下、ご気分でも?」
「いや、大丈夫だ」
不安げなカトリーナに笑みを向け、紙を広げて次々と食材を買い集めていく。そして一通りの買い出しが終了してから城に戻ると城内は彼の予想をはるかに超える混乱ぶりだった。カトリーナを見つけてすぐに帰るはずが見事に予定が狂い、しかもアーサーはそのことをすっかり伝え忘れ、王女大捜索は城全体を巻き込んで大々的に行われていた。
まずいなと思いながらもおくびにも出さず、アーサーはカトリーナに食材を調理室に持っていくよう指示し、単身で仁王立ちした侍女長メアリの前に移動する。
「……私から進言するほどの事ではありませんが」
いつものように抑揚なくメアリはそう前置きしたが、付き合いの長いアーサーは彼女が呆れているのが手に取るようにわかった。これでイザベラがきつく注意されることはなくなったかなと呑気に考えていると、
「自粛なさいませ」
様々な意味を含んだ言葉にアーサーの顔が引きつった。メアリはくるりと向きを変え、雑用はすんだと言いたげにスタスタと遠ざかっていく。思わずその背を見送っていると、辺りのざわめきが一段と高く鼓膜を揺らした。
好奇の視線を一身にうけていることを知り彼は慌てて表情を引きしめ――けれど、逃げるように職務室に引っ込んだ。
そして、しばらく机に突っ伏していた。