【四】

 時計を確認して、アーサーはティーカップを戻して立ち上がった。
「あら、もうそんなお時間?」
 向かいに腰かけた女は小首を傾げるように問いかけて立ち上がる。貴族の娘らしからぬ気だるげな動きにわずかな違和感を覚えて眉をしかめると、彼女はいつものように姿勢を正してから妖艶とした笑みを浮かべた。
 大輪の薔薇のごとき美貌で微笑むのはミランダ・エスタール。
 美しく慎ましやかで、しかし平民とは馴れ合わない気高さを持ち合わせた、織物の町として有名な国の富豪の娘だ。
 ここ数日で、臣下たちが彼女を王妃に推す意味がよくわかった。教養、礼儀作法は小国の姫君以上に身についており、場の空気を読むことにもけている。身を引くところはきっちり身を引き、そして何より、アーサーをたてる事を知っている。そのくせ、おかしいと思った点があれば相手のことを配慮しながらも理路整然と反論する。
 王妃として隣におくのであれば、アーサーにとってミランダほど理想的の女は存在しなかった。
「陛下?」
 じっと見つめていると、ミランダが不思議そうに目を瞬く。長い睫毛が音を奏でそうだと思いながら、アーサーは視線をドアへと向けた。
「長居しすぎたな」
「あら、嬉しいことをおっしゃいますのね」
 くすりと笑い、それから歩き始めた彼の背にむけて言葉を投げる。
「陛下、何か欲しいものはございません?」
「欲しいもの?」
「ええ。知人が遠方に行っておりまして、なんでも交易で栄える――バルトのような国にいるとかで、珍品がいろいろ手に入りますのよ。額あてや首飾り、指輪や武器など。陛下が装身具に頓着ない方でも、少しはお気に召すものがあるかもしれませんわ。何かご希望がありましたら」
 足をとめたアーサーはドアノブに手をかけたまま振り返った。
「ミランダ嬢、申し訳ないが遠慮する」
「え?」
「欲しいものはない」
「でも陛下、もしかしたら」
「必要ない」
「普段使いにでも。グラスや美しい織物――ああ、いい鍛冶屋も知っております。剣を一振り打たせましょうか? 陛下は剣の腕も素晴らしいとうかがっておりますのよ。陛下にふさわしい剣を作らせますわ」
 邪気のない提案とともに微笑み、彼女は音もなく近づきアーサーの腕を確認するように手をのばした。
「その鍛冶屋、腕は確かですけれど剣は打たないという偏屈ですが、わたくしのつてで」
「結構だ」
 思いのほかきつい口調で拒絶して彼女の手を払うと、小さな悲鳴が聞こえてアーサーははっと我にかえった。最近、不審者の件で少し気が立っていたのかもしれない。驚いて手を押さえる彼女の姿に慌て、彼はたったいま払った手を掴んで広げさせた。
 王たるもの、多少は身を飾ることを覚えたほうがいいと言われ、彼は仕方なく指輪をはめている。ゴツゴツとして邪魔臭く、ときどき服に引っかかってどうにも扱いにくい代物だ。美しく細い手には、おそらくそれでつけてしまったのだろう赤い線が走っていた。
 思わず舌打ちしそうになる。
 だから指輪なんて必要ないのだと胸中で毒づき、彼は手入れの行き届いた白い肌に唇を落とすと血の味を確認するなり服を裂いて軽くしばった。
「医務室の場所は?」
「し、知っておりますわっ」
「そうか。……すまないが」
「ええ、一人でも平気です」
 布を巻いただけの手をしっかりと握って、彼女は顔を背けるようにして何度も頷く。いつもまっすぐに瞳を見つめ返してくる彼女にしては珍しい行動だと思いながら、アーサーは凶器と化した指輪をはずした。
 捨ててやろうかと睨んでいると、視界のはしにするりと白い手が伸びてきた。
「それ、頂いても宜しいですか?」
「……指輪を?」
「ええ。あの、もし譲っていただけるのであれば……なにか、代わりのものを……代価がご希望なら、すぐにでもご用意いたします」
 もじもじしなら言葉を探す彼女にアーサーは思わず苦笑する。見た目や行動に似合わず、存外と可愛らしい女性なのだとはじめて知った。
「こんなものでよければ差し上げよう。それなら、臣下たちも納得する」
 下手に始末してしまうよりよほど体面を保つことができる。ありがたい申し出に快諾し、アーサーが指輪を彼女に渡すと、それを受け取った彼女は手の中の塊に目を見張った。
「重いですわ」
「ああ、やっと楽になった」
 男物の指輪を両手でつつむように握りしめる彼女に微笑みかけて、アーサーは意気揚々と部屋をあとにする。その足で軽装に着替え、裏手に広がる森へ向かおうと城内を闊歩していると、馴染みの花売りがアーサーにぺこりと頭をさげた。
「お花はいかがですか?」
「もらおう」
「ありがとうございます!」
 毎日必ず花を買うことを知っている彼女は、彼専用の花を常に用意している。嬉しげな笑顔といっしょに手渡された花は色鮮やかに視界を彩った。礼を言い、恐縮する彼女を置いてアーサーは通用口を抜けて森の中に足を踏み入れた。
 いつもの道をいつもの調子で突き進み、そして彼は思いがけないものを発見して足をとめた。
 森の一画にひっそりと存在する空間はいつもと変わらず彼の訪れを静かに待っていた。静寂で満たされた広場――長く、彼以外が足を踏み入れることのなかった場所。
「……カトリーナか」
 いびつな思いだけをしみ込ませた空間に、鮮やかな花がそえられていた。一瞬目を奪われてしまうほどに強靭で明るい、それは人の手が加えられることなく自然が守り育んできた一輪の花であった。
「来て、くれたのか」
 安堵にも似た想いが胸の奥でひたひたと広がっていく。大きく息をついた直後、森を流れる風に全身を包まれた彼は、弾かれたように顔をあげた。
 ふわりと風に舞ったのは幻視の生地。光をいっぱいに受け、緩やかにはためいては次々と消えていく。
 アーサーは目を見開いた。
 何もかもが淡く透けて消えていくのに輪郭だけは鮮明で容易にたどることができる。それがひどく奇妙な現象であることもわからず、彼は呆然と足を踏み出した。
「美奈子?」
 知らずに口をついて出た言葉に、それはゆるりと反応する。
 風はやんでいた。
 けれど、彼女の周りだけが強い風に襲われたかのように乱れていた。歪み、崩れ、原形を失って幾度となく腐敗を続けるその姿が脳裏をかすめる。二度と見たくない――そして、待ち焦がれた光景に、彼は呼吸も忘れて墓標の前にたたずむ娘の姿を凝視した。
 ふたたび名を呼ぼうと口を開いた彼は、言葉のすべてを呑み込んでいた。
 ゆっくりと振り返ろうとした彼女を見つめ、懐かしい恋人の名を思い浮かべていたはずの彼は、無意識に別の面影をそれに重ねる自分に気付いて狼狽えた。
 愕然とする。自分が何を考えているのかがわからなくなった。
 息をつめ瞬きを繰り返すと、風に揺れる幻視は跡形もなく消えうせていた。それを見て、彼はいっそう混乱する。たったいま目の前にあった光景はなんだったのか、そして彼女は誰だったのか。
 夢が現実に表れたことなど一度もない。やはり過去に問い続けた疑問の通り、自分はいまだに狂い続けているのか。あるいは、際限もなく世界が狂い続けているのか。
 堂々巡りの愚問が胸の奥でずしりと重さを増していく。
 アーサーは花を握り締めたまま墓標の前で膝を折って手を合わせた。言葉もなく、ただ無心に瞳を伏せて闇に沈み込むようにしばらく時間を過ごし、のろのろと立ち上がって来た道を戻っていく。
 すぐにでもベッドに倒れこみたいほど疲労していたが、あらかじめ立ててあった予定通りに剣を手に町に降りた。重い足を引きずりながら人ごみを渡り、体に染み付いた順路をたどるように城下町の大動脈ともいえる巨大な通路を進んでいく。その途中で、彼は無意識のまま足をとめた。
「グレイグ」
 軒をつらねる店の一つ、他のどこよりもゴチャゴチャと定まりなく物を敷き詰めた店の奥に向かい、アーサーは声をかけていた。
「いないのか? グレイグ」
「ああ、はいはい、ここにおりますよ、っと」
 のそりと肉厚の背が動く。棚に隠れきれなかった体が商品を掻き分けてアーサーの前へと移動してきた。男は髭面を歪め、ほんのひとときアーサーを凝視して溜め息をついた。
「陛下はあまり調子がよくないようで」
「……いつも通りだ」
「そうですかね。オレには今にも倒れそうな顔に見えますぜ」
 肩をすくめて軽い口調で返す。おどけたようなその仕草とは裏腹に、瞳が労わるような光を宿していた。ああ、心配をかけているのだな――そう気付いて、アーサーは大きく息を吸い込んで双眸を閉じた。
 一国を任された者が簡単に不調を気取られてどうするのだと、呆れながら苦笑をもらす。彼はそのまま声をひそめた。
「それで、何か情報は?」
 短い問いに空気が変わった。ざわめきの中にあってなお、周りから音という音が遮断されていくような感覚だった。
「イーサの流民が増えてきてます。どうやら何かを探しているらしい」
「なんだと?」
「詳細はまだなんとも言えませんがね、……潜らせてるんですが、奴ら、どうにも他人を信用しなくて尻尾が掴めないんで」
 潜らせる、と口にしたグレイグにアーサーは鋭い瞳を向けた。
「おっと、危険な橋は渡るなと言ってありますよ、ちゃんと」
「深入りするなとあれほど……」
「けど、こっちだって情報が必要なんですよ。そりゃあ、バルトの兵はツワモノぞろいだってオレも思いますけど、だからって自警団がこの状況で何もせずにいられるわきゃないでしょうが」
 言い訳じみた口調で語る髭面の店主を軽く睨んでアーサーは肩を落とした。交易を中心に栄えた城下町には毎日驚くほどの店が並び、手に入らないものはないとまで謳われた市を目指して人が押し寄せてくる。これだけの規模の市が立てば小さな揉め事など日常茶飯事となり、国からの警備ではとても手が回らなくなる。やがて腕っ節の強い男が場を制するようになり、それが集まって自然と自警団というものを形成していった。
 本来なら国にとっては脅威となるものだ。民の言葉をそのまま代弁する彼らが力をつけることほど厄介な事はない。
 だが、もともと王族というものからかけ離れた位置にいたアーサーは、自警団の存在に難色を示す臣下とは逆に、彼らの存在に好意以外を抱いたことはなかった。はじめこそ積極的に接触をはかるアーサーに警戒した彼らも、純粋に国民のためを思って心を砕く王に信頼を寄せるようになり、現在の関係が成り立っている。
 対面するのは一国の王と、自警団の責任者である男。
「いいか、無茶はさせるなよ」
「そりゃもちろん、大事な仲間ですから」
 当然だと言わんばかりに頷く男にアーサーは不審な目を向ける。自主的に集まっただけあり、自警団はバルト兵以上の統率力を持つのだが、いかんせんやる気がありすぎるのが問題だ。名誉の負傷を自慢する輩が出続ける限り、口をすっぱくして安全確保を厳命する必要がある。
「信じてくださいよ」
 笑顔で告げられ、余計に胡散臭く思って睨む。すると、グレイグは視線を逸らし、すぐさま驚きの声とともにその視線をアーサーに戻した。
「陛下、あそこに元気な姫君が」
 姫君と言われ、とっさに思いつくのはカトリーナの姿だった。どうやら性格的にじっとしていられないらしく、彼女は城のいたるところに出没するのだが、町中も例外ではないらしい。付き人もいない彼女は王妃候補という身分もあり、なかなか城に馴染めないでいるのではないか。ふとそう思い至って不憫だと同情したが、その想いとは反して体はすっかり逃亡する体勢が出来上がっていた。
「陛下?」
「すまん、逃げる」
「は……!?」
 身をかがめ、唖然とするグレイグをおいて脇の通路を突き進む。何故だかひどくバツが悪い気がしている。どんな顔をしてカトリーナに会えばいいのかわからず、人ごみを苦労して歩いているだろう彼女を思い浮かべながらも裏道へと出た。立ち止まったとき口から漏れたのは、安堵とは程遠い苦笑いだった。
「なにをやってるんだ、オレは」
 呆れてそうつぶやき振り返ると、雑踏ははるか遠く、まるでオモチャを詰め込んだ小さな箱のように現実味を失っていた。
 絶えず流動を続けるうねりの中で人とはぐれてしまえば捜すのは困難を極めている。いまさら戻った所で彼女を捜し出せるとは限らないし、何より彼自身、さほど時間があるというわけではないのだ。
 城と道は繋がっているのだから、おかしな場所に迷い込まなければ帰れないという事はないはずだ。そう自分に言い聞かせて裏道を歩き出すと、別の通路から少年が転がるように飛び出してきた。
「おいちゃん、これ!」
 微妙な傾斜を保って削られた小さな板の中央に木の棒を差しただけのオモチャを差し出し、少年は瞳を輝かせて息をのんでいる。どうにも背後が気になるのだが、アーサーは少年からそれを受け取ると笑顔になっていた。
「作ったのか?」
「うん! もらったヤツ見て、一生懸命作った」
 大きく頷く少年の頭をくしゃりと撫で、昔懐かしいオモチャに指を滑らせる。祖国でこれは竹とんぼと呼ばれた子供用の玩具――たとえば派手なオモチャがなくても、子供たちはこうして様々なことを自分なりに理解し吸収して己の一部としてゆくものなのだ。
 両手を添えて勢いをつけながら天空へ放つと、この国の者の手によって作られた祖国の素朴な玩具は目を見張るほど見事に飛び立った。それに少年の歓声が続く。手をのばし、つんのめるように走りながら懸命に竹とんぼを捕らえようとする。その姿を微笑ましく見つめていたアーサーは、とっさに建物の影に隠れた男の姿を視界にとどめ、無意識に剣に手をのばしていた。
 アーサーは舌打ちしていた。動揺した男の瞳が覚悟を決めるように鋭くなったのを目の当たりにし、まずいと思った。声を発する前に、男も剣を手にして足を踏み出していた。
 男の間近には竹とんぼに気を取られた少年がいた。のばされた腕に男の無骨な手がからみ、否応なしに引きずられ、少年の体は男の腕の中へすっぽりとおさまる。
 竹とんぼが二人の背後に消えた。
「――なんのマネだ」
 状況が飲み込めない少年を怯えさせないように剣を鞘に戻し、アーサーは男を注視する。黒衣をまとった背の高い男は、鋭い瞳をアーサーに向けて一歩後退した。
「オレの命が望みか? それともこの国が? 生憎だが、思った以上に厄介な所だぞ。……それとも、金目当てか?」
 そのどれもが彼らの望みには当てはまらないだろうことを承知でアーサーは言葉を重ねる。退路が断たれたことを知れば、彼が剣を引く可能性は充分に考えられる。不穏な空気を感じていたのに対処できなかった自分に腹を立てながら、彼は時間を稼ぐためにさらに言葉を探した。
「交易の交渉権が欲しいなら話をつけよう。優先権が希望ならそれも伝えておく。望みはなんだ?」
 男は答えず、不躾にアーサーを眺めながら後退している。少年が顔をゆがめたのを見て、アーサーの中で焦りが広がった。人質は静かで従順な者がいい。泣き叫んで暴れる人質は邪魔になる。
 死さえ恐れないであろう男には、他者の命がどう映っているのか。そう考えただけで血の気が引いた。
「黙っていては交渉にならない」
 アーサーは努めて静かに口にした。
「移民権が欲しいならそのように――」
「うるさい、黙れ。我々がそんなものを欲していると思うか!?」
 言葉をさえぎるように手を振り払い、男はさらにアーサーから離れる。手のひらに見慣れない模様を認め、アーサーは歯噛みした。あれは間違いなくイーサからの流民の証だ。いや、流民全体が刻む印ではなく、ごく一部のものだけが持つ独特の印で、それには共通の意味がある。
 そう、まだ不透明ではあるが、共通の意味が。
「そんな矮小な望みなど口にするのも汚らわしい。金や地位に何の価値がある、真実欲するのは」
 悲鳴のような声でまくしたてた男は、唐突に少年を突き飛ばしてその場を離れるように飛びのいた。まるで野生の動物のように身を低くし、さらに機敏に飛びのく。
 男がいた場所には、漆黒の影がたたずんでいた。
「……お見事。しかし、正気でないのでは話にならない」
 中剣をかまえたシャドーの声が低く空気を震わせる。完全な戦いの体勢に入った彼に視線をやりながら、アーサーは地面に伏した少年を抱きかかえて二人から距離をおく。すっかり怯えた少年は小さく震えながらアーサーの服にすがりつき、顔を押し当てて嗚咽をもらし始めた。
 アーサーは少年をしっかりと抱きしめたまま男を観察した。
 刻々と焦点が狂っていく瞳に小刻みにゆれる体、何よりその瞬発力が人間離れしている。
 薬物か、とシャドーの言葉を反芻して考える。
 しかし、薬物投与とは尋常ではない。国で認可される麻薬の一部に含まれるクカも正気を失うことはあるが、人体においては痛覚を鈍くする程度の影響しか確認されていない。それも現在では国指定の調合師が細心の注意をはらい、肉体と精神に悪影響が出ない程度に改良されている。
 ――新種の何かが関与している可能性がある。
 シャドーの攻撃を意図してよけたのであれば相当な手練てだれか、あるいは別のなにかが作用したと考えたほうが無難だろう。
 そして、シャドーは後者だと判断した。
 アーサーもその判断に異論はなかった。
 戦いに身をおいたことがある者なら誰でもシャドーを前にすれば立ちすくむ。絶対的な力の差を突きつけられれば、歯向かうことがいかに無謀であるかなど剣を交わさずして理解してしまう。
 その自己防衛の本能が、男には欠落していた。
 剣をひるがえし男はふらりと歩を進めた――次の瞬間、右手に広がる通路を駆け出していた。
 逃げた、と思ったのは一瞬だ。不審者を追尾するために足を踏み出したシャドーをアーサーは鋭く制していた。
「行くな。深追いは禁止だ」
「しかし、アーサー様」
「罠を仕掛けてるとも限らない。オレは大切な片腕をこんな所でなくすのは御免だ」
 きっぱりと断言すると、その言葉が意外だったらしい彼は大きく項垂れた。
「そこまで腕は落ちておりませんが」
「いいから行くな。警備の強化を頼む。――それと、薬事に明るい者を集めてくれ。麻薬の流通経路の把握と調合師の所在の確認、イーサならびに、イーサと対立するレリャンの動向も逐一報告しろ」
「……御意に」
「他人の庭で暴れる度胸があるなら、こちらにも考えがある」
 真っ青になって震える少年をそっと抱きあげ、アーサーは歩き出す。子供を人質に取ろうとするその性根が気に入らない。その上、邪魔になったから突き飛ばすなど、大の大人がやることではないだろう。
 難が去ると無性に男のとった行動が腹立たしく感じた。
 ふざけやがって。
 そんな、一国の王には似つかわしくない言葉を胸中でつぶやく。来客中にことを荒立てたくはないが、当然ながら敵はそんな願いなどお構いなしに仕掛けてくる。しかも薬物も絡んでいる可能性がある。姑息に戦う術も知っているのであれば、いままで通りの対処では手に余ることも考えられる。
 アーサーは我が子を見て驚く母親に少年を預け踵を返した。
 その視線の先にはバルトを象徴する印、守るべき王城がひっそりとひかえていた。

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