【三】

 たびたび行われる会議が冗長になるのはよくあることだ。議題が一通り落ち着けばなおのこと、場は安穏とした空気に包まれる。それは本当によくある光景だった。
 しかし、ここ数日は明らかにいつもとは違っていた。
 もっとも重要な席に腰をすえる男は、世上を見極め的確な指示をあたえる明主と呼ばれる人物である。厳しくとも理にかなったことをし、温厚とは言いがたいが懐の広さは誰もが認めるほどだった。だが、今は誰が見てもわかるほど苛立っている。理由を問おうと口を開いた臣下たちは、結局一言も言葉を発することなく手元にある書類に視線を落とした。
 紙がめくられる音を聞き、彼らはいっせいにそれにならう。ひどく緊迫した空気に首を傾げる者の中で、わずかだが不自然に青ざめる男たちがいた。
 ひときわ豪奢な椅子に腰かけていた男――アーサーは、その一画に視線を走らせて瞳を伏せた。小姑よろしく口うるさい面々が蒼白となって身をこわばらせていたのである。
 アーサーの気性は決して穏やかなほうではない。多くの不満を胸中にとどめる性格で許容範囲は驚くほど広いが、一度火がつけばなだめるのは至難なタイプだった。過去に大国を破綻へ追いやることに心血を注いだ彼は、自分のその性格をよく理解している。
 そして、その片鱗を見てきた臣下たちもそんな彼の性分は重々承知しているはずだった。
 にもかかわらず、あの所業だ。
 数日たった今でもどうにも怒りが治まらない。カトリーナやミランダに罪がないことは明白なので、怒りの矛先は自然と議会に出た臣下に集中し、結果的に言及を恐れた彼らの中から欠席が相次いでいる。
 空席の多い机を見ていると、左側のドアがノックされて軋みを上げながらそっと押し開かれた。
「なんだ?」
 低く問うと、よほど重要なことでない限りとりつぐなと厳命されていた侍女は、ドアを開けたまま青くなって姿勢を正した。
「申し上げます」
 深々と頭を下げ、震える声で言葉を続けた。
「向かいのドアなのですが、か、カトリーナ様が陣取っていらっしゃって、通行の妨げに」
「カトリーナがいるのか?」
 首をひねって反対側のドアを確認してアーサーは眉をしかめた。
「はい。会議が始まってから、ずっと。それで」
「わかった。さがれ」
 短く命じると、そのいつになく厳しい声音を耳にした侍女はさらに青くなって飛び上がり、何度も頭を下げながらドアを閉めた。アーサーはざわめく会議室を一瞥してからおもむろに立ち上がる。
「今日はここまでとする。解散」
 顔を見合わせる男たちをおいてアーサーは向かいのドアを開け、一瞬だけ動きを止めた。
 廊下のど真ん中には侍女の言葉通りカトリーナがいた。しかもなぜか背筋をしゃんと伸ばして正座をしている。こんな姿を目にすれば、下働きの者たちはさぞ驚くに違いない。
「何をしている」
 ドアが開くのを大人しく待っていた精力的な娘にアーサーは呆れ顔になる。
「会議は終わったんですか?」
「……ああ」
 まさかカトリーナが出待ちをしているから早く切り上げたとは口にできず、アーサーは溜め息ついでに頷いた。今日使っていた会議室は城の中央に位置し、普段なら人の往来が激しい通路に面している。そこに、王妃候補となる娘が正座をして待っているのだ。いくら仕事とはいえ、カトリーナの前だか後ろだかを横切るのを躊躇った城の者は大いに慌てたのだろう。その光景が目に浮かぶようだった。
 迂回の通路はいくつかあるが、どれもこれもが遠回りになるうえに通路自体が狭いのだ。先刻のあれは、便が悪いことを知っている者たちの代表が会議室に直談判しに来たといったところだろう。
 これからは会議室も吟味する必要がある。
 待つなと一言告げればそれで事足りるのだが、嬉しそうに微笑んでいるカトリーナを見た瞬間、さんざん胸の中で繰り返していた文句はすぐさましぼんで消えてしまった。
「午後からの予定は?」
「食後にボルティノールとレノン、両国の使者と謁見」
「……そう、ですか」
 しょんぼりと肩を落とす。ああ、きっと午後はいっしょにお茶でもしたかったに違いない。確か根性で焼き菓子――のようなもの――を作ったと、侍女長のメアリが深刻な顔で教えてくれた。どうせ硬くて不味いんだろうなと苦笑して、アーサーはカトリーナに手を差し出す。
「合間に休憩を挟む。むさくるしい顔を見るより外で息抜きをしようと思っていたんだが」
「え?」
「使者殿も、謁見以外でオレと顔を突き合わせたいとは思ってないだろうな」
 アーサーを見上げていたカトリーナの顔がぱっと明るくなる。しっかりと掴んだ手に力を込めて、澄んだ瞳をアーサーに向けた。
「ご一緒にお茶でもいかがですか? はじめて焼き菓子を作ったんです」
 嬉しそうにほころばせた顔にアーサーは瞳を細める。どうしてこんな男がいいのだろうと、彼はひどく不思議に思った。カトリーナは小国ではあるが一国の王女で、容姿も出身も申し分ない。多少奇異な行動をとることもあるが――それで大いに周りを困惑させるが、年齢や出会い、そしてアーサー自身の態度を総括すれば、恋愛感情など抱くはずもない相手だった。
 ならば、金が目当てか。
 ふとわいた疑問は、カトリーナが身をおく環境ゆえのもの。彼女の祖国であるロルサーバは凶作続きで国が完全に傾いていた。報告だけ受けていたアーサーは、ロルサーバから訪れた少年を目にしてそれが偽りのない情報であると確信した。
 の地の荒廃はすさまじく、よく国民が逃げ出さないものだと密偵があきれを通り越して感心するほどらしい。
 あのままではいずれ疫病が蔓延するだろう。そうなれば、荒廃は土地ばかりか人の心にまで忍び込んでくる。
 ロルサーバには金が必要だった。それも、荒廃の度合いから考えればなみの金額ではどうにもならないほどの額が。人を養い治水につとめ、耕馬こうばを買って荒れた大地を一から肥やす――それは、国をひとつ作り上げるのに大差ないほどの労力と時間、金が必要になる。
 その命綱を得るために、カトリーナはここに来たに違いない。
「陛下?」
 首を傾げながら立ち上がった彼女の体はふいに大きくよろめいた。とっさに出した腕の中に華奢な体がすっぽり納まる。
 ロルサーバからここまで、休みなく馬で順調に旅を進めたとしても陸路なら軽く三十日はかかる。若い娘が、しかも、一国の王女である娘が、粗末な服を着てとももつけずにやってくる距離ではない。
 ロルサーバはきっと、アーサーの予想をはるかに超える速度で荒廃を続けている。十七年前の動乱を思い出し、アーサーの口に苦いものが広がった。
 手を差し伸べれば救える国に違いない。
 だが、いっときの情で流されて援助をすれば、後々の外交問題にも発展しかねない。善意だけで動けない立場というものがある。広い視野で次に自分が何をなすべきか、それがもたらす結果を打算的にはじき出し、そして動かねばならない立場がある。
「すみません、足が痺れて……」
 アーサーの腕の中、彼の思惑など予想だにしないカトリーナは頬を染めて謝罪した。痛みに耐えているのか彼女の白く細い指はきつく彼の腕を掴んでいる。
 会議は三時間続いた。いつから待っていたのかは知らないが、きちんと正座しているには長すぎたことくらい予想できる。アーサーは一瞬身をかがめ、驚くカトリーナを抱き上げて大きく外の開け放たれた窓の桟に座らせた。
「は、はしたないわ」
「歩けないだろ」
「……歩けませんけど」
「しばらくの間だ」
 窓の桟に腰かけたカトリーナはどこか悔しそうな表情で口をつぐんだが、アーサーはかまわずその隣に並んで外を眺めた。背後の扉が何度か開き、低い呻き声とともに閉じられたが気にしないことにし、眼下に広がる景色へと意識を集中する。どこまでも続くこの森がバルトの領土の一角になる。いまは大国と呼ばれて久しいにもかかわらず、この国には意外なほど未開墾の土地が多く存在していた。
「ほんの……ほんのわずかな違いなのに」
 森を見つめたカトリーナの口から小さな言葉が零れ落ちる。
 凶作のことを言っていると察しはついたが、アーサーはあえて何も返さなかった。バルトは幸い交易を中心にして栄えているので一部の食糧価格の高騰以外は際立った変化がないものの、ロルサーバとおなじく農村地帯の被害は甚大であると報告を受けていた。いまは国家備蓄でまかなえるからいい。長年無駄であると批判を受けていた食料の備蓄がようやく日の目をみて、国民たちの生活を支える確かな基盤となっている。
 バルトはそれができるだけのゆとりと力があった。しかし、彼女の祖国は。
「あ、楽になりました」
 思考の波にさらわれかけたアーサーの隣でぱたぱたと足をふって、カトリーナが勢いよく窓から下りた。
 そして、着地したあとに奇妙な声をあげ、奇妙な姿勢で動きをとめる。どうやらまだ完全に戻ったわけではなかったらしい。ぐっと痛みをこらえる姿にアーサーは苦笑を漏らした。
 笑いながら手を差し出すと待てと命令するように手の平が彼のほうへ向く。姫君らしくない動きがおかしくて肩を揺らしていると、唐突に郷愁に似た感情をおぼえて笑みを消した。
 なにかがふつふつと胸の奥から湧き出すような、それは今まで感じたことのない不可解なものだった。
 彼はなぜだかひどく狼狽した。痛みをこらえながら不思議そうに見上げてくるカトリーナから視線をそらし、深く息を吸い込んで得体の知れない感情を振り払うようにきつく目を閉じる。
「ご気分がすぐれないのですか?」
 不安げな彼女の声に双眸を開きとっさに大丈夫だと返した彼は、視界のはしで黒い影が動くのを見て表情を変えた。
「……最近すこし無理をしすぎたかもしれん」
「お休みになられたほうが」
「いや、怠けている証拠だ」
 心配するカトリーナに微苦笑で答えアーサーは気配を探る。シャドーならあんな下手な隠れ方はまずやらないだろうし、臣下にしてはうますぎる。すぐに、ここ数ヶ月で急増したイーサからの流民の姿が思い浮かんだ。
 バルトは国の風習で流民を多く受け入れる。治安もよく、職が多く、物価が安いと好条件がそろっていれば、これは当然の流れともいえた。アーサーもこの状況には慣れている。
 ただ、イーサの流民は他とはわけが違う。くだんの国は流民を出すほど荒廃してはいないのだ。やってきたイーサの民たちが自らを流民だと主張し荒れた祖国を嘆いているが、密偵からそんな報告は一度も受けていない。
 町はおろか城内にも侵入してきた彼らを邪険にあつかうわけにはいかないが、どうにもきな臭い。
 戦争を嫌うレリャンと対立しているという噂もアーサーの耳に入っており、不信感は募る一方だった。
 なにかを企んでいる可能性は否定できないだろう。
 だが、一国の王としてこの場にいる以上、確証もなく動くことはできなかった。それにイーサからの流民は、ものを盗むでもなく誰かを抱きこむでもなく、情報をさぐるでもなく、本当に何の動きも見せずに潜伏を続けるだけなのだ。不審者としてとらえれば追求する前に奥歯に仕込んだ毒を噛み潰してあっけなく自害する――それは腹に一物ある動かぬ証拠なのだが、アーサーにとってはどうにもやりにくい相手だ。
 全員が毒を仕込んでいるとは思っていないが、死者が出るのはあまりいい気がしない。甘いとどんなにシャドーから言われようとも、もう二度と悪戯に命を奪うことはしたくないと思っているから慎重にならざるを得なかった。
 たとえ国王の命が第一だと腹心の部下に言われても、彼はそんな言葉には一切耳を貸さなかった。
 もともとが惜しむほどの命でない。利用できるという理由でそれを望む者がいて、ようやく価値が見い出せる程度の命なのだ。
 それは今に始まったことではないのだと、彼は自嘲気味に思う。
 短く息を吐き出して、不審者には気付かないフリを決め込み足の痛みが去ったらしいカトリーナに歩くよううながす。
 そうして、彼女を危険から遠ざけながら何気ない風を装い軽く口を開いた。
「次からは椅子でも持ってきたらどうだ? 床は硬いだろう」
「ええ、ロルサーバの椅子と同じくらいには」
 くすりと笑ってそう応え、それからアーサーを凝視するように見つめる。
「どうかされましたか?」
 カトリーナに小首を傾げて尋ねられ、アーサーは内心でひどくうろたえた。どうやら視線が不審者の行動を警戒してさだまりなく動いてしまっていたらしい。
 卑猥な格好で寝所に訪れたり森の奥まった墓所に平然とやってきたりと、彼女は第一印象同様に恐ろしく行動力がある上にやることが突飛だ。しかも、なかなか勘がいいときている。さらに、知識も豊富だと総料理長が感心していた。
 まさか揉め事に好んで首を突っ込むとは思えなかったが厄介なタイプだ。少なくとも、今まで訪れた姫君たちとはあまりに違うので、アーサー自身、彼女の扱いに困る場合が多い。
 しかし本人はまったく意に介さず、純粋な瞳で見上げてくる。
「……用事を思い出した」
「お急ぎですか? あの、……お昼は」
「予定が」
 とっさに嘘をつくと彼女の表情が暗くなる。いままで散々嘘をついてきたのにどうしてこんな小さな嘘で良心がとがめられるのか、その理由が瞬時に思い当たった彼は己の心にただ呆れるほかなかった。
 未来になにも残さないと誓ったのに、婚姻を結んでどうしようと言うのだろう。国が何を求めているのかを知った今、それを望まない男が人を愛したところで伴侶を苦しめる結果しか生み出さない――彼は、それもまた良しとはしなかった。
 非難されるなら自分ひとりで充分だと思っている。
 そこに誰かを巻き込む気など毛頭ない。だから、彼女とは言わず、すべての人々にひとしく一線を引く。
「すまないな」
 短く謝罪するとカトリーナは驚いて顔を上げ、とっさに首をふった。
「いえ。お茶の時間は?」
「あまりゆっくりできないが、それでよければ」
「はい!」
 沈んだ顔を嬉しそうにほころばせ、若い娘らしくしとやかに膝を折って一礼する。
「では、中庭にお茶の用意をしてお待ちいたします」
「ああ、そうしてくれ」
 言いながら中庭の見える窓へやってきたアーサーは再び不審者の姿を見咎めて表情を険しくした。今までさほど目立たなかった彼らが、最近になってやけに活発に行動を始めているのは決して気のせいではない。警戒を強めるシャドーを見て、彼は確信を抱く。
 あまり城内を混乱させたくないアーサーは、火種になりかねない姫君を誘導しながら中庭を盗み見た。どうやら不審者は中庭を突っ切って建物へ入ろうとしているらしい。警備がゆるすぎるなと嘆息していたアーサーは、さらに中庭の別の一画で動くものを発見し息をのんだ。
 緑の色彩の中にとりどりの花が咲き乱れている。その中で、いっそう美しい花がふわりと歩き出した。
 いつもより控えめな衣装だが、派手な容姿は否応なく人目を引く。広い城を探索するようにきょろきょろと忙しなく視線を走らせる女は、あろうことか不審者が消えた方向へと歩き出した。
 他国に来て怪我を負わせることも、恐ろしい目に合わせてしまうことも好ましくない。それに、彼女になにかあればそれこそ外交問題にも発展しかねない。
 庭を横切る二人目の王妃候補であるミランダを止めようと、いったん離れかけた窓に向かって足を踏み出したアーサーは、不意に顔をあげた彼女と視線が合って思わず動きをとめた。
 大きく目を見開いた彼女は視線を動かし、それから微笑んで軽く会釈する。あとは、まるで隠れるように顔を背けてもと来た建物の影へと消えていった。
「陛下? どうしたんですか?」
 中庭を見おろしていたアーサーに不審を抱いたカトリーナが窓の外を見るが、すでにミランダの姿はそこにない。言葉通りカトリーナに気を遣って接触をひかえてくれているのだろう。
 いつものように二人とも国に帰せばいい。不穏な空気が満ちる王城から出れば、それで彼女たちの安全は保障されるのだ。そうはわかっいるのに、いつもなら一も二もなく行動にうつす彼がなかなかその措置に踏み切れないでいた。
 どっちつかずの自分に嫌気を覚えながらもアーサーは首をふる。
「なんでもない。もう行かねば」
「あ、はい。それでは午後に」
 軽く会釈するカトリーナをおいて歩き出すころには神経が張り詰めていた。
 いつまでもこのままにしてはおけないのはわかっている。バルトがいくら武術に力をそそぐ国だとしても、あまりにイーサの人間が増えすぎれば内側から崩されかねない。
 彼は立ち止まり、わずかな逡巡の後に武器庫へ向かった。驚く兵士に言葉をかけ、剣を一振り借りてふたたび歩き始める。
 波乱の予感は少しずつ彼の胸の奥で膨らんでいった。

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