【二】

 いつものように書類の束を片付け、アーサーは知らずに溜め息をもらした。申請書類は毎日毎日、バルト領土内――果ては、近隣諸国からも集まってくる。交易を中心に栄えた国はそのぶん規約が厳しく、それに関する書類も並みの量ではない。しかも、どれもこれもが至急だの重要だのというサインがでかでかと書かれている。
「速読を身につけておけばよかった……」
 確か三行ずつ読むのだと、過去にそれを会得した友人が興奮気味に教えてくれた。うんざりした表情をしながら世辞から始まる堅苦しい文章を飛ばし読みしていたアーサーは、廊下から聞こえてきたざわめきに動きをとめて顔を上げた。
「なんだ?」
「……侵入者のようです」
 誰ともなく問うと静かな声がそう返ってきた。室内に自分以外いないことにも気をとめず、アーサーはドアを注視したままわずかに眉を寄せた。
 日中のバルト城は警護の手が薄い。城の正面の大扉は兵士が守っているものの、いたるところで通用口が開放されているのだからこれは警備というより形式の部類に入る。しかし城内の要所要所には兵士がおり、城壁がない分を考慮して、下働きや出入り業者を装った、一部の人間しか把握できていない兵士が多く紛れ込んでいる。
 さらにアーサー自身も剣の腕には自信があり、シャドーという鉄壁の守りがあった。侵入者がたとえ優秀な刺客であったとしても、さほど慌てる必要はない。
 悠然とかまえていたアーサーは、その途中で漏れてくる会話に首を傾げながら立ち上がってドアへ向かった。
 刺客にしては聞こえてくる会話に切迫した空気がない。
 アーサーは用心のために剣を手にしてドアノブをひねり、それから目を瞬いた。
「へ、陛下……!!」
 鮮やかな青を基調とした鎧は一目で親衛隊隊員のものだと知れた。振り返ったその顔は隊長のウィリアム・ビクターのもので、彼はアーサーを認めると平時の彼からは想像もつかないほど慌てふためいた。
「どうした?」
「それが……っ」
 ウィリアムが口を開くと同時、彼のわきをするりとすり抜けて小さな影が姿を現した。
「アーサー王!?」
 ソバカスだらけの痩せた少年が近づいてくる。剣を抜こうとしていたアーサーは柄から手を離し、それを軽くあげてシャドーを制し少年を見つめた。
 バルトの少年であれば、いくら貧困がすすんでいてもこれほどみすぼらしい姿で王城へはやってこないだろう。大きく裂けたシャツは黄ばんで異臭を放ち、はいているズボンも同様だった。革の靴はぱっくりと口を開けて茶色く汚れた足がのぞく。無言で見つめていると、ぼさぼさの髪の下に隠れた瞳がぱっと光を宿した。
「アーサー王だろ?」
 少年は重ねて問いかける。アーサーは彼を取り押さえよとしたウィリアムも止め、そしてゆっくり頷いた。
 途端に、笑顔がはじけた。
 恥じて当然の姿でもまったく臆することのないその姿勢に、ふと、この城に来たばかりの姫の姿が重なった。まとう空気がひどく似ている。しかし、ロルサーバからバルトまでの道のりには悪路が多く、子供が簡単に旅のできるものではない。
「ロルサーバの者か?」
 半信半疑で尋ねると、少年は飛び上がるほど喜んで手をたたいた。
「そう! そうそう! すげーな、あんた!! オレ、お使いたのまれたんだ。はじめてだったからすげードキドキした! それでさ、これを」
 少年は言いながら腰にくくりつけてあった筒をはずしてアーサーに近づく。警戒する周りをよそに、彼は差し出されたものを受け取って首をひねった。
「手紙か?」
 筒は封蝋されているがまず間違いないだろう。しかし、やけに重い。
「カトリーナ様にはナイショな? じゃ、オレ帰る」
 くるりと背を向ける少年にアーサーは慌てた。水路を使えば多少は早いが、帰ると言って簡単に帰ることができる距離などではない。
「待て!」
 思わず呼び止めたアーサーに少年は不思議そうな顔で立ち止まった。
「これを届けるためにわざわざ?」
「そうだよ。だいじな手紙だからオレが責任もってとどけたんだ」
 大きく頷いて得意げに鼻の下をこする。長い旅路は決して楽なものではないだろう。見事に浮かび上がった肋骨を痛ましく思いながらアーサーはさらに尋ねた。
「一人で来たのか?」
「もう大人だからな!」
 得意げに胸をはって言い放つ。アーサーは頷いてからウィリアムに視線をやった。
「食事と服を用意してやってくれ」
「え!? いいよ、気にするなよ!」
「……大切な書状を持ってきた使者をもてなすのは当然のことだ。城を出る際には客船用の旅券と相応の食糧を」
「え――!?」
「使者殿は不服か?」
 真面目に問うと、少年は目を真ん丸にして口をぽかんと開けた。
「だ、だってオレ、手紙持ってきただけだし、そんな事してもらったら……っ!」
「不服なのか? じゃあ、一番いい客室の用意と侍女を十人ほど」
「い――いい! ご飯と服で! ありがとうございます!!」
 少年は慌てて叫ぶ。その後見せた表情はどこかほっとしたようなもので、ウィリアムに促されるように歩き出した少年は肩越しにアーサーを振り返って、もう一度笑顔を見せた。船に乗れば順調なら十日ほどでロルサーバにつくはずだ。バルト王直属の親衛隊隊長が手ずから発行した旅券を持っていれば、乱暴にあつかう人間はそうそういないだろう。
 ぼろぼろの筒に視線を落とし、アーサーは淡く笑みを浮かべた。
「いい子だな」
「……相変わらず……」
「子供は好きだが問題でも?」
「いえ。……甘すぎるとは思いますが」
「そうかな。遠路はるばる届けてくれたんだ」
 手の中で書簡を軽く弾ませながらアーサーはどこからともなく聞こえてくる声に笑みを返す。机に戻って腰を落ち着け、彼は開封して筒の中に押し込まれていた紙を引っぱり出そうと苦戦し、中を覗きこんで溜め息をついた。
 どうやって入れたのか、ぎっしりと紙がつまっている。
 指を突っ込みゆっくりまわしながら引っぱると、ずるずると黄ばんだ紙の束が伸びてきた。
「普通こんなに入れるか?」
 バルト城に届けられる書類の多くも同様の方法でやってくるが、しかし、ここまで窮屈な状態ではない。苦労してようやくすべての紙を取り出したアーサーは書面を開いて瞳を細めた。
 紙には多くの名が記してある。どれもこれも、ひたすら名前だけが綴ってある。机に散乱した紙の中で名前以外の文字が記入してあったのはわずかに二枚のみだった。
 アーサーは紙面に視線を走らせて難しい表情を瞬時に崩した。
 一枚目とおぼしき薄汚れた紙には「カトリーナ様は好奇心が旺盛で揉め事ばかりを起こしますが根はいい方です。以下、保証人」となんの脈略もなく始まり、ずらずらと名前が並んでいた。どうやら他の紙は署名の続きらしい。
 姫君が深夜に卑猥な格好で寝所に訪れたり、気味が悪いとささやかれる深い森に平然と踏み込んだりと風変わりな行動をするなら、支持する者たちも風変わりらしい。いや、これがお国柄という奴なのかもしれないと、長々と世辞の並んだ自国の書類とロルサーバの書類を見比べながらアーサーは苦笑した。
 最後に、カトリーナ様にはご内密に。と、締めくくってあるのがなんともいえずおかしくて、アーサーはしばし名を記した紙を眺める。
「一国の王に出す書簡ならもう少し形式が……いや、わかりやすくていいか」
 たくさんの思いを込めた書状を遠路はるばる届ける役はさぞ大任だったろう。どこか誇らしげな少年の顔を思い出し、アーサーは薄汚れて擦り切れた書状を丁寧にまとめて机の引き出しにしまった。
 バルトのアーサー王は偏屈だの変わり者だのという噂はロルサーバにも届いているに違いない。それに、凶作が続き土地が荒廃したロルサーバの民たちは、自分の生活で手一杯なはずだ。この書状はそんな中で届けられたものだった。
「この状態で、それでも心は荒廃していないんだな。……の国の王は明主なのか」
 一つ一つ綴られた名がそう伝えてくる。国は傾き貧困にあえいでいるが、それは目に見える事実であって真実ではない。綺麗事で国が成り立つものでないとよくわかってはいるが、真に心が豊かである国は土地が自然と活気付いていくものだ。彼の地には何よりそのきっかけが必要だった。
 アーサーは小さく息を吐き出す。
 援助ができないわけではない。しかし、外交というのはそう単純なものではなく、一時の感傷で動けば少なからず自国と他国に影響をおよぼしていく。
 ここで援助に踏み切ればどの国が非難を始めるか、そしてどの国が同じ蜜を欲するか――相応の理由なしに動けば、小さな摩擦がいたるところに生じてくる。偽善ばかりでは国が機能しないのだ。
 つらつらと考えている途中、軽いノックの音が室内に響いた。業務中に来客というのは珍しく、アーサーは怪訝な表情をしながらも入室の許可を出す。
「失礼いたします」
 うやうやしく一礼して初老の男が入り、すぐ背後に控えていた女に目配せした。漆黒の髪を揺らめかせて艶やかな緋色のドレスをまとった女がアーサーの前に進みでる。彫りの深い顔立ちに大きな目が印象的な整った面容の女だった。
「こちらはレリャン一の資産家と言われるエスタール家のご息女で」
「ミランダ・エスタールです」
 男の言葉を次いで女が優雅に一礼する。全身を宝石で飾りたて、大国の王を前にして優雅に微笑む姿は緊張の欠片もなかった。
 瞳の奥がわずかに揺らめく。まるでアーサーを観察するようにむけられた視線は、すぐに伏せられ真意を包み隠す。過去に何度か見た事のあるその動きにアーサーは息をのんだ。
 この手の女性がここに来る理由を知っている。ゆえに、アーサーは混乱しながら男に視線をやった。
「どういうことだ?」
 本来なら謁見の間で目通りするのが筋だろう。アーサーの予想が正しければ、これは異例の引き合わせになる。
「ミランダ様のご配慮です」
 初老の男はうやうやしく口を開いた。
「カトリーナ様を傷つけるのは忍びないと申し出てくださり、あえてこのような形で」
「傷つける?」
 反芻したアーサーにミランダは微笑みかけた。
「はじめまして、国王陛下。わたくし、このたび王妃候補の一人として参じましたの」
 アーサーの瞳をまっすぐ見つめ返して彼女は言葉を続けた。
「レリャンでは名が通っておりますが所詮は平民の出。そんな女と同列に見られては、一国の王女であるカトリーナ様に申し訳が立たなくて……ですから、どうか公にしないでくださいとお願い申し上げたのですわ」
 一夫一婦が基本のバルト王家に王妃候補となる娘を同時に二人住まわせる――それは、王妃にふさわしいであろう娘を一人ずつ王に引き合わせるのが慣わしであった国にとっては特殊な措置ともいえる。国はこれほど焦っているのかと苦々しく思う反面、カトリーナに対してひどく後ろめたいものを感じた。
 重鎮たちはアーサーが妻を娶る気がないのを見て手段を選ぶのをやめたに違いない。
 王家の血を途絶えさせることだけは避けたいとそう思い、逆鱗に触れるのを覚悟でまったく違うタイプの女を用意してきた。
 それがカトリーナとミランダ、健やかなる娘と美しい淑女。
 ――愚鈍なる者。
 胸の奥に苛立ちのような想いをかかえたままアーサーは青ざめた初老の男を見た。
 目先のことばかりに囚われ、真実を何一つ見ようとも、そして知ろうともしない愚かなる者ども。
 十七年前の動乱で彼らが守ってきた世界はあっけなく崩れ去ったというのに、それすら知らずに今までのうのうと生きてきた――そのつけは、一体なんであったのか。
「アーサー様」
 名を呼ばれ、アーサーは逸れた視線をミランダへとむけた。
「まだこの国のことがよくわかりませんの。いろいろと教えてくださいましね」
 美しい女はアーサーの胸のうちを知る事もなく、小首を傾げるように柔らかく一礼して蠱惑的な微笑を浮かべた。

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