【十三】

 アーサーの目の前には、数日間姿をくらませた片腕が無言のままこうべをたれていた。
 命を救い、シャドーという名を与えたその男は、全身黒ずくめで文字通り床に縫いつけられた影のように微動だにせず主人の言葉を待っていた。
 これほど情勢が不安定なときに一言の断りもなく城をあけたことに憤りを感じた。しかし、彼がなんの理由もなく無責任に動くとはどうしても思えないアーサーは、弁解すらしない旧知の護衛を見て溜め息を漏らした。
「もういい。内情は耳に入ったか?」
 執務室の椅子に深く身を沈め、アーサーはシャドーを見つめる。
「はい。不逞の輩に会い、カトリーナ様が現在も高熱を出され、イーサの使者も斬りつけられたと」
 一度言葉を切り、シャドーは低い声でさらにつづけた。
「もう一人、イーサの娘も重症であると」
「……ミランダの素性は割れたか?」
「いいえ。いまだ自分のもとには身分をいつわったという情報以外はなにも」
「それが答えだな」
 アーサーは自嘲気味に口元をゆがめた。シャドーがミランダをイーサ国民であると知ったのは、おそらく医務室で医師の口から聞いたからであろう。どんなに調べようとも、ミランダの素性はレリャンの資産家の娘ではないという事実しか伝わってこなかったに違いない。
 それ以上の情報が完全に途切れているなら、ミランダの背後には、それを成すだけの力を持つ者がいることの証明になる。
 情報収集を何よりも得意とする男ですら暴ききれなかった闇の部分――それが、ミランダが身をおく世界なのだ。
「イーサに揺さぶりをかけようとする者がいる。シャドー、イーサミュールを知っているか?」
「狂王と呼ばれた独裁者が築いた滅亡の王国、ですか?」
 視線をあげたシャドーの声はいつになく硬かった。戦いに身をおき、殺傷を生業とした男は、その過去に反して無意味な殺生を善しとしない生粋の戦人でもある。彼のその声音だけでイーサミュールの評価が知れた。
「その紋章を利用して同志を集めた者がいるなら、お前は誰を疑う」
「……まさか、イーサ王家の者が」
「可能性の問題だ。ヴィンストアに直接伝令鳥をやって調べさせてる。さすがにすぐに尻尾は出さんようだがな」
 機転の利く男が黙り込むのを見てアーサーは瞳を伏せた。ヴィンストアはシャドー直属の部下の一人であり、今回の件でイーサに潜伏させている有能な諜報員でもある。その腕を知っているからこその沈黙は、不明瞭だった事象にわずかな光をもたらした。
「たいした手練てだれだ」
「ああ。背後には相当な大物がいる。うまく引きずり出せるといいんだが」
 そう頷いて、アーサーは山積みになった書類に視線をやった。
「イーサの……賊は、剣を手に入れようとしていた。オレの命じゃなくて、たかが剣を」
 書類の向こうには丸テーブルにのった銀の剣があった。洗練されたその剣は、いったんは敵の手に渡り、そしてイーサの使者に傷を負わせた後にカトリーナの手によってアーサーの元に戻ってきたものである。
「なぜ剣を欲しがる? ……そういえば、ミランダは指輪を欲しがったな」
 ふっと指を飾っていた細工を彼女に手渡したことを思い出すと、引きずられるように別の記憶もよみがえってくる。
 バルト城の背後に広がる森の中でミランダはイーサの流民に指輪を奪われそうになったと言っていた。さらに彼女の私室では、彼女の華奢な拳に刻まれた傷を目にし――あの後、アーサーは医師から伝えられたのだ。
 傷ついた手中から指輪が出てきたのだと。
 彼女はそれを手放すことをひどく怖がって、治療にずいぶん手間取ったとも言っていた。
「共通点はなんだ?」
 銀細工の剣も指輪も相当値の張る物ではあるが、あの手の人間が金目のものというくらいで身の危険を冒しているとは思えない。そこにはいまだ推し量れない目的が横たわり、真実を隠している。
 剣を眺めながら思案に暮れていると、室内に軽くノックが響く。
「陛下、緊急会議の準備が整いました」
 ドア越しのくぐもった声にアーサーは立ち上がった。


 それから幾日が過ぎた午後、ヴィンストアから伝令鳥が届いた。
 伝令鳥の足首に固定された筒をはずして黄ばんだ紙を取り出し開いてみると、そこには特殊なインクで書かれた小さな文字がびっしりと並んでいた。無言のまましたためられた暗号に視線を落とし、アーサーは息をのむ。
 そこには事のあらましと、王宮で不穏な動きをする男の名が記されていた。
「イーサ国王の実弟……」
「厄介ですね」
「証拠がどこまでそろっているかにもよるが……しかし、相手が悪い。まともにいけば、外交問題どころの騒ぎじゃなくなる」
「ですが急を要します」
「わかってる。町に徘徊していたイーサの流民が半減したらしい。イーサに帰った様子がないとなると、呑気に構えてるわけにはいかん。だが、この状況ではこちらも動けない」
 どれほど証拠があがっていても、他国の――ましてや、王の実弟が主犯であるなら、易々と名を出すわけにはいかない。歯がゆいが、こういう時こそ機をうかがうことが大切なのだ。先急げば不安定ながらも均衡を保っていた情勢が崩れ、思いもよらない結果を招き寄せるとも限らなかった。
 アーサーは嘆息する。イーサの貧困街ではいまだに武器製造が盛んであり、その多くは所在さえ知れないという。そして、バルトの城下町の裏では、得体の知れない薬物が横行し始めている。自警団の団長であるグレイグが団員とバルト兵を指揮して取り締まりを図っているが、状況は芳しくないと報告を受けていた。
「イーサに出す使者の選定も必要だろうな。誰が適任だと思う?」
「ロルサーバに一人送ったのが痛いですね」
「……あれは弁が立つからな。窮地を打開するには、あれくらいの度胸と自負が必要なんだが、生憎思い当たらん」
 カトリーナの祖国に送った使者は一癖もふた癖もある男で、傾いた大国に希望の灯をともした立役者の一人でもある。機転と並々ならぬ手腕を知っているからこそ、彼をロルサーバへの使者に任命したアーサーは、しかしこんな思いもよらない情勢に直面して頭を抱えている。
「いまさら悔やんでも仕方ない、か。とにかく、当たり障りなく議題に入れる。そろそろ時間だな」
 重い腰を上げて剣をベルトに固定してからアーサーはカトリーナの様子を確認し、兵士に声をかけて会議室へと足を向けた。この頃になると、さすがに城内でイーサの流民を見かけることも少なくなり、それがかえって事態の悪化をアーサーに伝えてきた。
 長い廊下を渡り会議室にたどり着くと、書類に視線を落とし深刻な顔で話し合っていた重鎮たちがぴたりと口を閉ざした。アーサーが着席した後、入れ替わるように円卓の一角に席をあたえられていた士官長が書類を手に立ち上がる。
「それでは、これより会議をはじめます。昨日お伝えしたように」
 朗々と響く声はこれまでに話し合われた内容を簡潔に伝え、さらに新たな議題を提示する。それは、織物の国として栄えたレリャン内部で起きた醜聞であった。
 会議室がにわかにざわめく。いま話し合うべきは、自国をも窮地に追い込みかねない薬物の横行、さらにイーサとレリャンの対立、賊の拿捕だほ、加えてイーサの流民の所在にある。他国で起きた取るに足りない醜聞ではないのだ。
 誰もがそう思い士官長を見た。しかし、アーサーだけは無言のまま模索する。他国の情勢はあらかた把握していたが、レリャンでは際だった醜聞を耳にした記憶がない。あえてこの時期に起こったのであれば、どうしても何かと結びつけずにはおけなかった。
 なにか肝心なことを見落としている気がして、胸の奥で不快なものが渦を巻く。ちりちりとこめかみが痛み出したその瞬間――会議室のドアが、無造作に押し開かれた。
 ドアにかかった細い指を見て、アーサーは無意識に立ち上がっていた。そのまま駆け寄って上着を脱ぎ、ドアにもたれるようにして立っているカトリーナの体を覆う。
「どうした、まだ寝ていろ」
 とても歩ける状態ではないはずだ。現に彼女は、どこかうつろな瞳で辺りを見渡し、イーサの使者は、と力なく問いかけてきた。
「重態だ。まだ意識はない。お前も早く……」
 続けようとした言葉はそこで途切れる。部屋着姿の少女は、連日寝込んでいる病人とは思えないほど満足げな笑みを浮かべていた。
「陛下、しばらく警備を強化してください。奴らが狙うのはあなたの命じゃない」
「なんだと?」
「あなたの地位を利用したいの。バルト王が動いたという既成事実もね」
 荒い息の合間に彼女は予想外の言葉を絡める。確かに命を奪うならこれほど遠回りなことはしないだろうが、確信を得たようなカトリーナの表情がアーサーにはどうしても腑に落ちなかった。
 詳細を聞こうと口を開いたが、彼女が前進したのに驚いて、彼は発熱したままのその体を支えるように歩き出した。彼女は円卓の上の羽ペンを取り、近くにある紙をけだるげに引き寄せて何かを書き留めて丁寧にたたんだ。
 そして動きを止め、ちいさくうなってから潤む瞳でアーサーを見上げる。
「シャドー、帰ってきてる?」
「ああ、お前が寝込んでいるあいだに」
 いまは通常の任につき、城を内側から護っている。何故そんな質問をするのかとアーサーが疑問に思っていると、彼女はごく短く、
「お使いを頼まれてくれない?」
 と、虚空に命じた。王妃となる娘の突然の登場にざわめく室内は、その一言でどよめきに変わる。シャドーはアーサーが王位を継ぐ以前から彼に仕えるもっとも古い親衛兵であり、信頼の厚い片腕である。これに命令できる者は王城の中でアーサーただ一人であるはずだった。
 それを承知していた重鎮たちは、音もなく入室し、カトリーナから手紙を受け取る影を見て目を丸くした。
「イーサ国王に……駄目だわ、えぇっと。ああ、宰相に渡してくれない? 彼ならうまく処理してくれるわ。ちょっと意地悪だけど、切れ者なのよ」
「カトリーナ、どういうことだ?」
「自分の手を汚さずに国を盗ろうと思った者がいるの。変わり者で有名なバルト王の息がかかった者が、イーサに喧嘩をふっかけたことにしたかったのよ。レリャンを巻き込んだのはね、その技術が欲しかったから。ああ、本当にあの国の王族は短気で困るわ」
 こめかみを押さえ、ひどく辛そうな声音でカトリーナが言葉をつむぐ。
「彼≠ヘ愚かにもイーサとバルト、レリャンの三国が戦争をすれば邪魔者がいなくなると思ったのよ。あるいは、その混乱に乗じてイーサ王を亡き者にしようとしたか。……陛下、血を分けた兄弟でもこんなことをしてしまうの。本当に駄目な人たちでしょう? でもきっと、イーサ国王は笑って許してしまうのよ。本当に……本当に困った男」
 大きく揺れた彼女に驚いて抱き留めると、きつく目を閉じたまま彼女は荒い呼吸を繰り返しながらなおも言葉を発した。
「陛下、レリャンに書状を……きっとあちらにも何か仕掛けているわ。でも、イーサの宰相は優秀だからすぐに落ち着くはず……レリャンの王に心配はいらないとご連絡差し上げて。でないと、キリエ様がまた倒れて……」
 キリエとは、レリャン国王その人の名である。なぜ貧困にあえぐ小国の王女が一国の王の名を口にし、イーサ宰相の才覚まで把握しているのか――過去に訪れた国であるとは知っていたが、アーサーにはあまりに想定外の言葉だった。
 腕の中でぐったりとするカトリーナを見おろしていたアーサーは、その体が異様な熱を帯びていることに気付いてとっさにドアに向かった。
「閉会する。城の警備を厳重にしろ。何があっても不審者を入れるな」
 怒鳴るように告げ、アーサーはカトリーナを横抱きにしたままドアを蹴破って廊下に出た。そして、蒼白になって待っていたイザベラに目をとめ、冷水を寝所に運ぶように残して廊下を突き進む。
 なるほど、とアーサーは胸中でつぶやく。
 これですべての情報がそろった。混乱を招き入れようとする者の正体、そしてその意図、その方法――それはあまりに愚かで稚拙な計画の全貌でもあった。
「もういい。お前はゆっくり休め」
 腕の中、まだ必死に言葉をつむごうとするカトリーナにそうささやきかけ、アーサーは寝所に着くなり慎重に彼女をベッドに寝かせつけた。
「わかった。大丈夫だ、戦争は起きない。国は必ず守る」
 カトリーナの口から途切れ途切れにあふれるのは、国の行く末を案じた祈りの言葉だった。大丈夫だ、安心しろと何度も言い聞かせ、うなされるようにつづいた祈りの言葉が途切れると、アーサーは握りしめていた彼女の手をそっと撫でて瞳を閉じた。
「シャドー、行け」
 カトリーナの選定は正しい。使者として送るのにこれほど適した者はこの国にはいないだろうと、アーサーは彼女の決断に納得した。戸惑うような気配を感じてアーサーは双眸を開き、じっとカトリーナを凝視したまま言葉を重ねた。
「イーサに行って国王に伝えろ。貴君が暗主でなくば、この紛乱を見事収めてみせよ。才腕を拝す、と」
 国は一人で動かすものではない。そこに多くの想いと尽力が絡み合い、瀬踏みや失敗を繰り返しながら成り立っていくものなのだ。
 しかし、狂った歯車をただすのは王の役目だ。たとえどんな理由があろうとも、王の役目なのだ。
「行け」
「……御意」
 低い声とともに気配が消える。それを確認して吐息をつき、アーサーもカトリーナから視線をそらした。窓からは民家の屋根が見える。それこそ延々と続いているのではないかと錯覚するほどひしめき合った家の中では、彼が守るべき者たちが何も知らないまま平穏な時の流れに身をゆだねていた。
 アーサーは身を翻し、深紅の絨毯を踏みしめる。
 彼にもまた、大任が残っていた。

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