【十一】
婚礼の儀までの期間、朝議からはじまり謁見、書類認証、献花、町の見回りに午後の会議、婚儀当日の打ち合わせと過密スケジュールをこなすアーサーはその傍らでミランダへの設問も忘れてはいなかった。
イーサの流民が増え、危惧していた薬物が町にばら撒かれるようになって状況はいよいよ切迫してきたにもかかわらず、シャドーは所用ができたのでしばらく城をあけると置き手紙だけして姿を消してしまったのだ。唯一の頼みの綱であるミランダを説得し、活路を見い出さなければこの奇妙な一件は進展を見せないかもしれない。
「……陛下」
眉根をよせながら考え込んでいると、目の前の髭面の男は大げさに肩をすくめてみせた。場所はバルト城下町、国を支える流通の拠点となる巨大な通路、そこに軒をつらねる店内。
現バルト王は、相変わらずの軽装で日課となる巡回の最中に馴染みの店主がいる店に腰を落ち着けていた。
「なんか悩み事でも? 深刻な顔ですぜ」
「……いや」
ミランダのことは、あまり公にしたくない。大事に手を出しているとなれば罪を問われることは確実だ。できることなら秘密裏に対処し、表立った処罰はさける事が好ましい。
しかし、希望通りに行かないのが世の常だ。
アーサーはいまだに頭を抱え、手をこまねいている。
「悩み事がないって顔にゃ見えないが……ああ、お茶でも飲みますか?」
「すまない」
言われて素直に頷くと、髭面の店主――グレイグがくるりと巨体を反転させる。基本的に物流の拠点となる城下町は店舗が多く、この店内も左右の壁にお手製の棚が設置され、多くの商品が並べられてひどく狭く感じた。むろん、店主が巨体なのも店を圧迫している理由の一つに挙げられるだろう。
アーサーは手早く淹れられた茶をすすり、じっと見つめてくるグレイグにちらと視線を向ける。
「なにか?」
「……いえ。ああ、前に潜らせてた仲間ですがね」
思い出したように口にする店主にアーサーは相変わらず鋭い視線を向けた。潜入捜査は確かに有効だが、利点ばかりが存在するものではない。むしろ、相手の正体や目的が判然としない状況で直面する危険を考えれば、はるかに不利といえる。
「グレイグ」
「そうカッカしないでくださいよ。オレだって能無しを送ってるわけじゃない。――仕入れた情報によれば、イーサの流民は二種類」
「なんだと?」
「本当に逃げ出した人間と、明らかに目的を持ってバルトに訪れた人間と、二種類いるようでね、奴ら、それを手の平の紋章で確認してるようですぜ」
「手の平の……」
「ええ。それが、なんの紋章だと思います?」
「……わかったのか?」
「イーサミュールの紋章」
「……イーサ……ミュール?」
「あまり一般的じゃないっすからねぇ。って、オレもこの一件までは知らなかったんですが、イーサってなあ、なかなかどうして血生臭い国でね」
アーサーの前にあるちいさな丸椅子に大仰に腰掛け、グレイグは声を落とした。
「大昔、武力で全世界を制覇しようとしてた馬鹿な王様がいたそうで――その王が治めてたのが、イーサミュール。どうやら来る日も来る日も戦三昧で、……国を大きくするためじゃなく、それは完全に狂王と呼ばれた男の趣味だったようでね。制圧した国の国民をとっ捕まえては首を切り落としてその国の城に飾ったっていう奇談まであるらしい。これに嘆いたのがイーサミュールの王子で、彼は王に反旗をひるがえし、自らの手で父王の首を討ち取った」
「……息子が、父親の」
「珍しいことじゃない。人の上に立つ人間は抑圧がきつい分、箍がはずれたらコトが大きくなる。それを身内が後始末するってなあ仕方がないんですよ。王子はその後、国名をイーサと改め、武力を捨てた。しかし皮肉な話だが、王がすべてを戦争につぎ込んじまったせいでイーサにゃ国を維持し国民を養っていくだけの財力がなくなっちまった。結局、新王がたっても戦争っていう鎖からは解放されなかったって話です」
イーサの財源は武器搬出である。なるほど皮肉な結末だとアーサーも同情した。
「ま、バルトはそんな心配しちゃいませんがね」
ニッとグレイグが口元を歪める。
「国民の声を第一に聞くような王が治める国は、間違ってもそんな道を歩いたりはしねぇ。その点じゃ、バルトは安泰です。こうして安心して商売もできる。夜間の見回り兵を増やしたって噂も聞きますしね。まったく、よく気が利く王様だ」
「当然の対処だ。夜間、この通りは無人になる」
「陛下にゃ当然のことでしょうが、普通の王様はそこまで気を回しませんよ。ご自分が明主と呼ばれる所以をご存知か?」
いきなり何だと眉をしかめると、彼は膝をたたいて声をあげて笑った。
「誰も陛下を悪く言う人間がいないんですよ。こりゃね、簡単なようで一番難しい。手放しで褒めることよりもずっと厄介さ」
どこかからかうような表情でグレイグはアーサーを見た。
そして、ほんのわずかだけ居住まいを正す。
「流民の多くにイーサミュールの紋章がある。過去に狂王と呼ばれた男が支配した国の紋章がね。さて陛下、こりゃなんの啓示ですかね」
「……イーサ国王は武に秀で、血の気が多い」
「ええ。もっぱら噂で」
「しかし、オレは愚王だとは思ってない」
「根拠が?」
「采配は正しく、国が長く安定している。どんなに慎重に動いても狂王の意思を継ぐのであれば、オレの情報網に引っかからないわけはない。イーサ国王は白だ。……だが、あえて紋章を引っ張り出すのであれば、裏で糸を引くのは王族という可能性が高いな」
バルトほど徹底した国は少ないが、この世界は血を重んじる国が多い。過去に失われたとはいえ王家の紋章を持ち出すのなら、自然と統率者はそれにふさわしい者に限られてくる。
「イーサ王家を洗うか。そういえば、イーサとレリャンが対立してる噂は聞くか?」
「噂もなにも、人気の生地が
「……そうか」
こっちも急務なのかと、アーサーは肩を落とす。それから重い腰を上げた。
「邪魔して悪かったな」
カップをテーブルに置くと目尻を下げたグレイグがアーサーの腰にぶら下げた剣に目を止めた。兵士用の剣を愛用する彼にしては珍しく、そこには銀細工の剣がある。
「陛下、それは……」
「献上された物だ。……いい細工だろう?」
「そうか、それじゃあの銀細工師は無事だったんですか」
「――知って、いるのか?」
ホッとしたようにグレイグが笑ったのを見て、アーサーは驚いて店主の顔をまじまじと見た。作り手の正体は決して知られてはならない。内心ひどく狼狽えながら言葉を探していると、グレイグは大げさに肩をすくめた。
「銀細工師をですか? いや、直接会った事はねぇからどこの誰とも知りませんがね、それだけの技術を持つ細工師は稀有ですから見りゃわかります」
彼は懐かしむように瞳を細めて言葉を続ける。
「酒場のオヤジが心配してたんですよ。もうずっと長いこと、銀細工師が店に来ないってんで……恋人もいたようなのに、あの戦争で死んじまったんじゃないかって。オレもその、ちっとばかし恩があったもんで気がかりで」
「恩? 銀細工師に、か?」
「ええまあ、なんて言っていいのか……その銀細工師が作った首飾りをですね、惚れた女に贈って……まあ、今の女房にしたわけで」
がりがりと乱暴に頭をかいて、グレイグは照れくさそうに笑った。エディウスの趣味の工房は臣下たちに評判が悪く、当然ながら彼らは芸術品としての価値さえあった銀細工には目もくれなかった。今思えば、これも幸運の一つに入るに違いない。
「……使いの者が届けたんだ。銀細工師がどうしているのかは知らんぞ」
「そんだけの物が作れりゃ元気でやってる証拠ですよ。オヤジにも報せてやらねぇとな」
晴れやかな笑顔にアーサーもつられて笑顔になる。この世の中は、意外なところで意外な接点ができ、そして成り立っていくものらしい。
もう一度礼を言い、アーサーは大通りへと出る。グレイグの言うとおり、いつもは多く出張っている用布や
「最近書類が多いから、そこまで気を回せなかったな」
アーサーは苦くそう口にした。全体数で見るなら、おそらく激減しているに違いない。迂闊だったと歯噛みしながら彼は帰路を急ぐ。
途中、いくつかの視線に気付いた。すぐにそれがイーサからの流民であると判断できたが、捕らえれば命の価値など微塵もないとでも言うようにあっさりと自害するような輩だ。下手に手出しをする事もできず、やはり歯噛みする他なく、アーサーは大通りを抜けて門番に開門を請求し、城内へと戻る。
とにかく急を要する。
アーサーは軽装のまま廊下を渡っていくつかの階段を登り、ミランダの部屋に直行した。午後はイーサから成婚の儀を祝うために大使が一人訪れるのだ、なんとしてもその前に情報を手に入れたい。アーサーはノックもそこそこ、返事を待たずにドアを押し開ける。
部屋に足を踏み入れた直後、わずかな違和感にアーサーは動きをとめた。
ミランダに用意されたのは来客用の部屋の中でもとりわけ賓客をまねくためのもので、アーサーが愛用している最高級の家具や調度品が用意されていた。見慣れたそれらに違和感など今まで一度も抱いたことがなかった彼は、怪訝な顔で室内を見渡して、ようやくミランダに視線を合わせる。
ひどく顔色が優れない彼女は窓辺に立ち、アーサーに向かって引きつったような笑顔を向けた。
「ミランダ?」
ぐっと口を引き結ぶ彼女に疑問を抱いて足を踏み出すと、ミランダはわずかに首を振った。その肩口が、見る見る赤く染まっていく。
「ど……」
「近寄るな」
鋭い声にアーサーは足を止めた。ミランダの細い肩に男の手がかかり、肉に食い込むほど強く掴む。ミランダの背後に身を隠していた背の高い黒づくめの男が、皮肉に笑みをゆがめながら身を起こしてアーサーを見つめた。
「……この
男が吐き捨てると彼女の肩が大きく揺れ、その顔に苦痛の色が広がる。アーサーはすぐに彼女の肩から剣が突き出しているのに気付き表情を変えた。
「イーサの者か?」
ミランダが彼らと接触を持っているのはすでにわかっていた。根気強く質問して、できるだけ穏便に事件を解決しようと動いていたが、それは徒労に終わったらしい。アーサーが息をのんで銀細工の剣に手を伸ばすと、男はふたたびミランダの体を背後から強く押した。
肩から突き出した剣先がわずかに動くと当時、ミランダの口から悲鳴がもれた。
「剣を床に置け、バルト王」
アーサーは一瞬躊躇ったが、青ざめるミランダの顔が視界に入り、あきらめるように剣をベルトから外して床に置いた。体術がどれほど通用するか自問しながらゆっくりと剣から距離をおく。
「まったく、こんな簡単な事もできないとは……所詮は下町の
男は苛立ちながらミランダを押し、よろめいた彼女をなおも急かすように突き飛ばす。悲鳴とともに足をもつれさせたミランダにとっさに手をのばすと、それを嘲笑いながら男は身を沈めて銀細工の剣を手にしドアへと駆け寄った。
攻撃されると思ってミランダを背後にかばったアーサーは、ドアの向こうに消えた男に唖然とする。バルト王の首を取るなら、これはまたとない機会だ。それなのにイーサの流民は剣だけを奪って逃げ出した。
「一体なんなんだ」
つぶやくと、その声に女のうめき声が混じる。アーサーは慌てて身をかがめ、ミランダの体を支えて傷を確認し、柳眉をよせる彼女の顔を覗き込んだ。
「いま医者を呼んでくる。しばらくこのまま待っていてくれ」
「剣を……わたくしのことなどいいのです。陛下、剣を……!」
立ち上がろうとしたその腕にすがりつき、ミランダは苦痛に歪んだ瞳をアーサーに向ける。
「取り戻さねば、陛下の御身が」
「ミランダ?」
思わず問いただそうと彼女を見ると腕を掴んだその手は真っ赤に濡れていた。肩の血が付着したのではないことは一目でわかる。骨さえ覗くほど深く切りつけられた指や手の甲からは血が滴り、過去にあたえた指輪を不気味に彩っていた。
「むごいことを」
うめくアーサーにミランダは首を振る。
「あれはバルト王の証の剣。奴らはあなたを罠にかけるために、王の証を欲したのです」
玉のような汗をかきながらミランダが口にする言葉を聞いて、アーサーの背に冷たいものが走る。彼はとっさに振り返って開け放たれたままのドアを見た。
「早く追ってください」
「だが!」
どんな理由があろうとあの剣を失うわけにはいかない。だが同時に、目の前で苦しむ人間を見捨ててまで追えば、あの剣が穢れてしまうような気がしてならなかった。
それに、失えば二度と元に戻ることのない人命はなによりも尊いものだ。
「国を守るのが王の勤めでしょう!? ならば、女一人見殺しになさいませ」
「いい加減にしろ!」
蒼白となる彼女に怒鳴り、アーサーはその体を抱き上げた。床にできた血溜りを見て出血の多さを知り、内心ひどく狼狽した。肩付近というより胸に近い部位に太い動脈はあっただろうか――混乱しながら彼は廊下へ出る。
「お願いです、陛下。……私の声は、もう届かなかった。約束は果たされなかった」
細い息とともに急速に声が力を失っていく。アーサーはそのまま階段をおり、いつもは人であふれているはずの廊下をかけぬけ眉をひそめた。
「……なんだ?」
どこか遠い場所でいくつものざわめきが聞こえる。アーサーは不安を覚えながらもさらに階段をおり、医務室のドアを開けて唖然とする医師の目の前を横切って寝台にミランダを横たえた。
医師は目を丸くしてからミランダの背を見て顔色を変える。
「早急に措置を」
「はい!」
「……何かあったのか?」
騒然となる城内にアーサーが背後を見ると、それが、と医師は青ざめた顔でアーサーに向き直った。
「イーサの使者が何者かに襲われたと……これからこちらに運び込まれる予定ですが」
医師の言葉にどっと心臓が鳴った。
「襲われた……?」
馬鹿な、と思わずうめいた。
「犯人は?」
「それが……その、か、カトリーナ様が追っているとのことで」
正体を問おうとしたアーサーに向かって、医師は困惑した表情で意外な言葉を告げた。いくらじゃじゃ馬娘でも、正体不明の敵を追いかけるなど狂気の沙汰だ。もし何かあったらどうするんだと思った時には、アーサーは医務室を飛び出していた。
追っているという事は城内か、あるいはすでに城外の可能性がある。大扉は兵士が守っているからそれ以外――利用頻度が低く、人目に付きにくく、さらに逃走に適した場所に出るドアを探す必要がある。
しかし、いっこうに思い当たる節がない。厩舎に行って愛馬を駆り、足で探したほうが敵とカトリーナをいち早く見つけられるのではないかと思い立ったアーサーは、間近にあるドアを開け転がるように外へ出た。
そして、足を止める。
視線の先には人だかりがあった。ちょうど古い水路のある場所だ。普段は使用することがなく、人が集まる要素すらない一画である。
怒鳴るような声を耳にしながらアーサーは茫然と人だかりに向かって歩き出した。水路を塞ぐ板の一部がはずれ、泥水が大地を汚している。その先を辿り、アーサーは息をのんだ。
多くの声が交錯する中、人々の間から見知った少女の顔が覗いた。
「息は!?」
「ある! メアリの様子はどうだ!?」
「こっちも大丈夫だ! 二人とも医務室へ――」
きつく眉根をよせた少女は、まるで腕の中の銀の光を守るようにずぶ濡れの体を丸めていた。少女の胸に抱かれていたのは、ついさっきイーサの流民によって盗まれたはずの銀細工の剣である。
「……守ってくれたのか」
手をのばすとカトリーナを囲んでいた人々は驚いたように左右に割れた。
「馬鹿だな」
気を失っていてなお、彼女はその剣をしっかりと抱えて離そうとしない。その剣にどんな想いが託されているかなど彼女には一切告げていないのに――それでも、その細い腕は過去と現在を繋げるために作られた剣を奪われないよう、固く結ばれたまま固定されていた。
のばした指先が触れた頬はひどく冷たかった。そっと頬を包み込み、アーサーは瞳を細める。
ほんの少しだけ、険しかったカトリーナの表情が緩んだ。
人々が見守る中で、アーサーは躊躇いもなく汚泥で汚れたカトリーナを抱き上げた。