【七】
日雇い労働者は紙面に署名をしなくてはならない。
適当に考えた名を記し、カトリーナは洗濯カゴを所定の位置におくと調理場へと足を向けた。女の多い場所はそれだけ噂話もよくでまわるし、質問も気兼ねなくできる。
「はいよ、イモ剥きね」
大きなカゴいっぱいのイモを渡され、カトリーナはヨロヨロと歩き出す。女たちが楽しげに会話する一角に向かうと作業用の上着を手渡された。
硬い椅子に腰掛け、何度も座りなおしてナイフをかまえる。
「あんた、どっかで見た顔ね?」
手をとめた女の一人に不躾に見られ、カトリーナは内心ぎくりとしながら小首を傾げた。
「お仕事は今日が始めてよ。日雇いなの」
「ああ、そうなのかい。ここは日当がいいから働きがいがあるよ」
「そうなの!?」
嬉しそうに弾む声で尋ねると、女たちは苦笑した。
「契約の時に聞いただろ?」
「え……緊張しすぎて、覚えてないわ」
「あたしも初めはそうだった。まさかお城で働けるなんて思ってもみなかったからさぁ、日雇いでも条件が厳しいからねぇ、ここは」
すでに侍女の服を着ていたカトリーナは無条件で契約書に署名することができた。ずいぶん適当だと呆れたが、どうやら途中の経緯をすっ飛ばしていたらしい。
カトリーナは必死でナイフを動かしながら耳をそばだてる。給料は自己申告で額が決まるらしいが、その詳細は一括で管理されている。適当なことを申告し続ければ日雇いのままだし、下手をするなら出入り禁止にもされる。
口と手を同時に動かす女たちはあっという間にカゴをカラにしてカトリーナを見た。
「手ノロいね。貸してごらん、これはこうするの」
まずナイフの持ち方から教えられ、次に刃を当てる角度、コツも伝授される。見る見る皮を剥かれるイモを見て、カトリーナは感嘆の声をあげた。
「綺麗ね。芸術だわ」
「よしてよ、変わった子ねぇ」
女はくすぐったそうに苦笑して、体を近づけて耳打ちした。
「皆のやることをよく見るんだよ。教えられるんじゃなくて奪うの。ここは待ってたら何もできないからね」
「わかったわ、ありがとう」
素直に頷くと女は破顔して去っていく。そしてすぐに別のカゴを持って戻ってきた。
「たくさん剥くのね」
「そりゃ、皆の食料だから。イモは安いしね、味付けもしやすいからいい食材なんだよ。昔はロルサーバからいいイモがたくさん来てたんだけど、今は凶作だとかってこんなのしかないけど」
女は手の中でイモを弾いて苦笑した。祖国を思い出して唇を噛んだカトリーナは、うつむいて手だけを動かした。
もともと痩せた土地だったがイモのできだけは不思議とよく、特産といわれるくらいに有名だったものだ。しかし、今は見る影もない。
人と同じように、土地すら弱っていく。
「大変だよねぇ」
女はつぶやいた。
「今、ロルサーバから姫がきてるだろ。一国の王女が一人でいらっしゃったって言うじゃないか。内情とはいえ、さぞお辛いだろうねえ」
「え……?」
驚くカトリーナに、女は小声になった。
「考えてもごらんよ。今まで来た王女様なんて、無駄に国税を使って大挙して押し寄せてきたんだよ。蝶よ花よで育てられて、移動の時なんて平気で通路を塞ぐ。おつきの人間の多いことったら、本当にうんざり。でもそれが普通なんだ。そんな中を、ロルサーバの王女は一人でいらっしゃったとか」
「……陛下を追い回すアバズレよ」
きっと誰もがそう思っているだろう言葉をカトリーナは自虐的につぶやく。すると、女は大げさに溜め息をついて首をふった。
「馬鹿だねぇ、何もわかっちゃいないね。陛下が直々にメアリに姫を頼んだって話だろ。だったら――」
「おい! 口じゃなくて手ぇ動かせ!」
調理場からの罵声に女は肩をすくめた。話の続きが聞きたかったが、問える状況ではなくてカトリーナはきゅっと唇を噛んだ。
国儀で忙しいアーサーは、カトリーナよりも国と民に気をはらう男で、わずかな時間をぬって町へも足を運んでいる。そんな彼にまとわりつく娘を城の者は鬱陶しいとは思わないのだろうか。見苦しいと感じる者も多いに違いない。心のどこかでカトリーナはそう思っていた。
所詮いっときのものなのだと自分に言い聞かせながら彼女はアーサーの姿を探し続ける毎日をおくっていた。
ざわざわと乱れる音を聞きながら手を動かしどれほどたったのか、ふっと視線を感じて顔をあげる。目の前に仁王立ちした男が立っている。さっき怒鳴った本人だと気付くと体に力が入る。
「……初めてか?」
「え……ええ」
「ふん。なら、そこそこ使えるな」
「そう!?」
剥き終わったイモは小さな山になっている。その一つをつまんで、
「まだまだだがな」
男はそう言ってにやりと笑った。男が体を動かすと、果実酒の残り香が大気に混じる。
「あら、安物ね」
クンと香りを嗅ぎ取ってカトリーナがつぶやくと、通り過ぎようとしていた巨漢は足をとめた。
「なんだと?」
「え? ああ、果実酒、安物ねって」
「……安物?」
「香りにすえた匂いがあって鼻につくわ。お城で出すの?」
イモを剥きながら尋ねると、男は腰を曲げてカトリーナの顔を覗き込んできた。さすがにぎょっとした彼女がイモを取り落とすと、彼はナイフを取り上げて細い腕を掴んで立たせ、強引に引っぱった。
「なによ!?」
「酒には詳しいか?」
「詳しくないわよ! ちょっと知ってるだけよ!」
「そのわりには言い切るな?」
目端だけは利くという少女は、いつもいつも一言余分で火種を作る。唖然と皆が見守る中、個室に押し込められた彼女は本気で怯えて身をすくませた。
「総長!?」
てっきり誰もいないのかと思った部屋には数人の男たちが顔を突き合わせている真っ最中だった。円卓の上には小さなコップがいくつも並び、樽が部屋に運び込まれて妙に狭苦しく感じる。
室内には果実酒の香りが満ちている。王城には似合わない、質の悪い酒の匂いだ。酒場の安酒よりは少しましという部類の香りにカトリーナは思わず男を見上げた。
「感想は?」
「……値段のことなんてわからないわ」
「ああ。それで?」
「お城でこんなものを出すの?」
男の顔が歪む。笑みと怒りが混じった顔にカトリーナが息をのんだ瞬間、総長と呼ばれた男は顎をしゃくった。
「酒造屋を連れて来い! 素人だと思って舐めやがって……!」
盛大に指を鳴らす総長を見て円卓を囲んでいた男たちが一斉に立ち上がる。我先にと奥にあるドアに突進しすぐに足音が小さくなっていった。その様子を眺め、男は派手に息を吐き出した。
「いつもの商人と違ったからな、胡散臭いとは思ったんだ」
「お酒は飲まないの?」
「オレはやらねぇよ。味覚が狂う。味見程度に舐めるだけで、調理に適した物はわかるがどれがうまいかなんてさっぱりだ」
「……勿体ないわ」
「嬢ちゃん酒好きか?」
腕を組みながら軽く問う大男にカトリーナは小さく笑った。
「私、ちょっとうるさいわよ?」
「詳しくないんじゃないのか?」
「安酒は知らないの」
言うと男が豪快に笑った。またあとで来いと告げられ部屋を出ると、まかないの女たちが慌てて駆け寄ってきた。
どうやら総長こと総料理長という男、気性が荒いうえに向こう見ずで、腕は確かだが悩みの種でもあるらしい。
「いきなり引っぱっていかれたから!」
「総長、安酒を買わされたみたいよ」
「だから言わんこっちゃない。専門の人間雇えって――」
「あんたよくわかったわねぇ」
「ええ、なんとか」
好奇心旺盛な性格は問題を引き寄せることもあるが、知識を与えることもある。奥の部屋から聞こえてくるすさまじい怒声に動きをとめ、皆で顔を見合わせて苦笑いした。
あれでも普段は面倒見がよくて温厚らしい。
見かけによらないと笑いながら、カトリーナは硬い椅子に座って再びイモを手にした。
「そういえば」
カトリーナは考えるように口を開く。
「変な男の人がいたの」
「変?」
「そう、背の高い、目つきの鋭い男でね、こそこそしてて……なんだったのかしら」
わざとらしく声をひそめると、イモを剥く女たちはお互いをチラチラと見合っていた。
「中庭にいたの。そこを通りかかったら、すごい顔で睨まれたのよ。怖かったわ」
「中庭――ああ、彼じゃない?」
「彼?」
「ほら、イーサから来たって言う」
「いたねぇ、イーサ……でも、どの彼?」
どの、と聞かれてカトリーナの手が止まった。慌てて補足するように言葉を続ける。
「頬に傷のある人よ。あと、手にも変な絵が」
「頬に傷があるなら一人だね。でも、手の絵はイーサから来た人間は皆あるわ」
「それ、聞いたことある。気になったから尋ねたの」
「なんだって?」
「イーサの正統な紋章とかなんとか……でも、紋章って言ってもさ」
イーサの紋章は盾と剣をはすかいにして蔦を絡ませたものだ。一瞬見ただけの模様を把握仕切れてはいないが、少なくともその絵でなかったことだけはわかる。
カトリーナは考え込む。
国を象徴する紋章はそう簡単に変えられるものではない。それに、そんな噂も耳にしない。
どこの国でも派閥と王位継承でもめることは多いが、他国にそれを引きずってくるなど国の恥でもある。それをあえてしているとなると――。
「イーサと、レリャン」
二国の間での争いごとが、バルトにまで影響を及ぼすことになる可能性は、果たしてどのくらいだろうか。
「イーサの人間がバルトに、か」
「やけに興味があるんだね、あんた」
「……イーサに知り合いがいるの。剣の達人よ」
「達人って言ったら、イーサ国王でしょ。すごい腕前だって聞いたことある」
「――それより落ちるわ」
付け足して作り笑いを向け、冷や汗をそっとぬぐう。いつも一言余分な彼女はせかせかと手を動かしてやっとカゴを空にした。
新しいカゴを取ってこようと立ち上がると、ふくよかな女性が近づいてきた。
「あんたたち、誰か買い出しに行ってくれないか?」
「町に行くの!?」
カトリーナは反射的に叫ぶ。驚いた女は小さな目を見開きながら頷いた。
「行くわ! 行かせて! 町は大好きなの!」
あらゆるものが集まる雑多な空間は目に鮮やかで心が躍る。頬を紅潮させて申し出る娘に、給仕の女は体を傾けてイモを剥く女たちを見た。
「他に行きたい人は?」
「行かせてあげてよ」
雑音にいくつもの笑い声が混じる。女たちは手を止めてカトリーナを見た。
「初めてだから遅れるかもしれないね」
「仕方ない、残りのイモはあたしらで剥くか」
「帰ってきたら手伝ってよ?」
「はしゃぎすぎて転んで怪我しないようにね」
茶化す声にあたりが湧く。カトリーナはつられて笑いながらも、少し怒ったように口を開いた。
「大丈夫よ。たまに道に迷うけど」
「そりゃ頼もしい」
明るく笑いながら紙を手渡され、買い出し用の金を受け取って歩き出す。途中で上着を着たままなのを思い出だし、小走りで戻って調理場をあとにした。
元気な少女が消えた調理場で、女たちは首をひねる。印象によく残る少女はどこか上品で、しかもその顔に見覚えがある気がしたためである。しかし、そうとは知らない彼女はお金を握りしめたまま町へとくりだし、案の定、その圧巻の光景に足を止めていた。
侍女の服を着ているためか、さまざまな店から声がかかる。気に入られれば巨大な顧客が手に入るからだ。
駆け引き上手な商人たちをうまく交わしながら、カトリーナは紙に記された店の前で足をとめた。
「これはこれは姫君」
品を物色しているとだみ声が聞こえてカトリーナは驚いて顔を上げ、そして目の合った店主に顔を引きつらせた。
髭面の店主がにんまり笑った。
「見回りですか?」
「お……お手伝いよ」
ぽそりと返す。初めて町に出たときアーサーとのやり取りで顔を覚えられてしまったらしい。しまったと、いまさらながらに顔を背ける。
「侍女の服着て?」
「汚れなくてすむでしょ? ……陛下が相手をしてくれないんですもの。このくらいいいじゃない」
八つ当たりのように愚痴をこぼすと髭面の店主が目じりを下げた。
アーサーが多忙なのはわかっている。城内の不穏な空気を感じ取り、少し役に立てるかもしれない、ついでに国に送る金も作れるかもと思ったが、結局本音が口を突いた。
一人で待つ時間はあまりに長い。異国の王女という身分だからしかたがないのだが、親しく接することのできる相手もおらず、寂しさを紛らわせるために理由をつけて動いていただけかもしれないとカトリーナは己を恥じながら棚に並んだ商品に目を落とした。
「陛下はなかなか器用な方だ。……が、嫌った人間をそばにおくほど物好きじゃありませんぜ」
店主の視線がカトリーナの背後に流れると同時、土を踏みしめる音のあとに後頭部に鈍い衝撃がきた。
カトリーナはとっさに振り返って、そこにアーサーの姿を認めて混乱した。
「陛下!?」
驚く彼女に頭にアーサーの手刀が落ちる。先刻と同じ衝撃に、カトリーナは頭を引っ込めて口を尖らせた。
「なによ!」
「城中大騒ぎだ、馬鹿者」
再び手刀が落ちる。
「カトリーナの姿が見えないと侍女が泣きながら会議室に飛び込んできて会議がめちゃくちゃになった」
「あ、忘れてた」
「あとでイザベラによく謝っておけ」
「はい」
「それと、次からは一言断って行くように」
「……わかりました」
手刀でトントン頭を叩かれても言い返すことができずに悔しそうに頷くと、髭面の店主が腹を抱えて笑っていた。
怪訝に見つめる男女に、目じりにたまった涙を拭きながら口を開く。
「人のことは言えないじゃないですか、陛下。それに普通は王女様に出歩くなと注意するもんであって、断ってから行けなんてなぁ、普通はありませんぜ?」
「……とめても行くだろう」
「行くわ」
「じゃあせめて断ってからにしろ」
「そうします」
呆れ果てたアーサーにカトリーナは神妙に頷く。とたんに周りから小さな笑い声が響いてきた。珍しく取り乱す王は朝議の会場から飛び出してきたらしく正装のままで、ようやくそのことに気づいた本人はどこかバツが悪そうな顔をしている。
人だかりの耐えかねて踵を返す男に、カトリーナは慌てて声をかけた。
「まだお使いが終わってないの!」
「お使い?」
「……ちょっと調理場のお手伝いを」
紙にはいくつかの食材が書き連ねてあった。昼までに買って届けないと迷惑をかけてしまうと思い、彼女は紙を握りしめてアーサーを見上げる。
彼は小さく溜め息をついて、近くの武器商に声をかける。
「剣を一本くれないか? 悪いな、代金はあとで届けさせる」
「い、いえ!」
うやうやしく差し出された剣をベルトに固定し、アーサーはカトリーナの元に戻ってきた。出掛けるときは必ず剣を帯びる男は、それすら忘れて捜しに来てくれたらしい。それを知って、カトリーナの顔がほころぶ。
「朝議はよろしいのですか?」
「もう収拾がつかん」
すでに帰る気のないアーサーは、カトリーナから紙を受け取って内容を確認し、髭面の店主から食材を買い取って歩き出した。
カトリーナは慌ててその隣に並ぶ。
ゆったりとした歩調は、彼の歩く速度ではない。
じんと痺れるように胸の奥が熱くなった。