【六】
あの一件から数日がたった。
さすがに寝所に乗り込むことはやめたカトリーナだが、その代わりに周りが感心するほどアーサーについて回っている。
立場上、過去に多くの女性に付きまとわれてきた男は、彼女に対してもそっけないそぶり以外見せたことがない。そして、今までなら、ある程度見込みがないとわかった姫君は潔く身をひいてきた。
しかし、カトリーナは一向にめげない。
相手にされていないことなど気づかないように、今日も精力的に国王陛下を追い回している。
「陛下は!?」
質素なりに着飾ったロルサーバの王女は、バルト王の所在を臣下に問い詰める真っ最中だった。
「朝議です」
そろそろ本気で跡取りを望んでいる臣下たちは、この突拍子もないほど元気な姫君に多少の期待を寄せていた。ロルサーバは国交を結ぶほどたいした国ではないが、世継ぎがいなくては王を中心に栄えた国が立ち行かない。アーサーの嫡子なら、国の未来は約束されたも同然だろう――変わり者と噂の高い男は確かに変わってはいるが、傾いた国を己の力だけで復興させた手腕を持つ堅実な明主でもある。
「……朝議なの? まだかかる?」
「交易の主流となるイーサとレリャンの両国が敵対しているという情報が入って」
「イーサ? イーサミュール?」
尋ねると、男は驚いたようにカトリーナを注視した。あまり一般的な呼び名ではないものを口にした異国の王女は少し難しい顔をして小首を傾げる。
「まだ血の気の多さは直ってないのね、困った男。キリエ様にご迷惑がないといいのだけれど」
小さく溜め息をついてからにっこりと笑みを浮かべる。
「ありがとう。午前中はかかるの?」
「……はあ、その予定で。……失礼ですが、ご存知なので?」
「え」
カトリーナはぎょっとした。
「ええ、ちょっとね?」
両国の王には会ったことがある。両国どころか、大陸で名の通った者にはほとんどめもじしたと言っても過言ではない彼女だが、理由が理由なだけに公言するのははばかられて、怪訝な顔をする男に愛想笑いを振りまき逃げるようにその場を離れた。
「悪いことなんてしてないんだけど」
一部で悪名高くささやかれているカトリーナは、言い訳じみた独り言を吐いた。イーサは血の気が多い男が治める、文武両道を声高に謳い武器を多く搬出する国だ。武に長けた兄が国を治め、智に長けた弟が国を仕切る形を取り、血筋ゆえか短絡的に動くことがある。
対し、レリャンは穏やかな王が統治する織物を中心に栄えた国で、イーサとは水と油ほどの差がある。あれほど違っているなら、むしろ争いなど起きないのではないかとカトリーナは率直に考えている。
「キリエ様、また倒れてないかしら」
レリャンの王は胃腸が弱い。心配事があるとすぐに熱を出して寝込むほど体も弱い。
カトリーナは青白い男の顔を思い出して溜め息をつく。そして、これで午前は暇になってしまったと嘆きながら廊下を歩き、中庭の見える窓辺で足を止めた。
バルト城は他の城と比べても類を見ない規模の建造物だ。多くの客室、会議室、大浴場を抱え、広い資料室、職務室、食堂、調理場、洗濯場があり、手入れの行き届いた広い中庭も存在する。言ってみれば時間を潰すには充分な場所なのだが、逆に一人で歩き回るには広すぎる雰囲気だった。
「暇だわー」
朝議の会場はどこだろう、と彼女は考える。ドアの前で待機していれば一番に会えるかもしれない。そこまで想定してから、視界をよぎった人影に思考を止める。
中庭を横切る途中で足を止める男がいた。辺りを見渡し、植木の中に手を突っ込んで何かをふところの中に隠して再び歩き出す。
「……本当に、どうなってるのかしらこの国は」
カトリーナは近くにある階段をおりた。男が向かった先にあたりをつけて足早に移動し、目的の相手を発見する。
頬に大きな傷を持つ背の高い男だ。何食わぬ顔で廊下を悠然と歩く姿はこれといって不審な点など見当たらず、実際に誰も彼に声をかけたりはしていない。兵士すら警戒する様子はなかった。
カトリーナは視線だけを男に送る。城が巨大であるため仕える者の数も半端ではないが、いきなり不審者扱いするわけにはいかない。行動を起こすなら、絶対言い逃れができないような決定的な証拠が欲しいところだ。
ふと、男の握っていた拳がとかれた。
「あ……」
カトリーナの口から声が漏れると男の手は再びきつく握りなおされた。
顔を上げた瞬間、鋭く射すくめるような視線にぶつかる。まずいと直感した刹那、右半身に衝撃を受けて彼女は大きくよろめいた。
「カトリーナ様!?」
甲高い悲鳴がカトリーナの名を呼ぶ。
「申し訳ございません、お怪我は!? どこか痛い場所は!?」
よろめいた彼女の体はそのままぐらぐら揺れた。隣を見れば、洗濯籠と水差しを持った娘が青い顔をしながらカトリーナの腕を掴んで押したり引いたりを繰り返している。
「大丈夫よ」
「お怪我は!?」
「だから大丈夫」
苦笑して答えながら男を見るがそこにはすでに誰の姿もなかった。逃げられたかと舌打ちすると、勘違いした侍女が勢いよくカトリーナの体を揺すった。
「申し訳ありません……! どうか解雇だけはお許しください! やっとありつけた仕事なんです! 城で働けるなんて身に余る栄誉ですが、ああ、せめて日雇いに格下げでお許しください!」
「――日雇い?」
「最近やっと昇格したばかりなんです!」
カトリーナは、見覚えのある少女がメアリのしたにつく侍女の一人だと気づいて優しく問いかける。
「その水差しに入ってるものは?」
「あ……あの、その……」
「水じゃないわね?」
「お許しください! どうしても飲みたいという兵士がいて、それで、少し……ほんの少しだけ果実酒を……」
青ざめる顔がさらに青くなる。
もうそろそろ言及をやめないと少女が卒倒しそうな雰囲気だった。カトリーナは小さく息を吐き出して少女を見る。
「名前は?」
「イザベラです。イザベラ・エドガー。……カトリーナ様……」
「責めてるんじゃないわ。服のシミを落とさないとメアリに怒られそうだから、そうね、あなたの部屋に案内してくれない?」
「え?」
「あるんでしょう、個室。早くしないと落ちなくなるわ」
わざとらしくスカートをつまむとイザベラは大きく頷いて歩き出した。せかせかとした動きには無駄が多く、途中で何度も人にぶつかりそうになった。謝る姿に多くの者が苦笑を返す。どうやらよくある事らしいとカトリーナは判断した。
「こちらです」
洗濯篭と水差しを持ったまま、彼女は体を大きく傾けてドアを開けてカトリーナを通した。
「住み込みの者は部屋を貸していただけます」
「ええ、知ってるわ。本当にこの国の民は恵まれているのね」
小奇麗なベッド、木製の洋服ダンス、円卓に勉強用なのだろう机と椅子が置かれている。小さいながらもちゃんと生活のできる環境だ。労働者の多くが共同の空間でひしめきあって暮らす中、一介の侍女にこれほど整った住居を提供する国も珍しいだろう。
労働者がただの労働力としての位置づけではなく、個人として認められているのだ。
「素晴らしい方ね、陛下は」
国が傾いたのはわずか十七年前だった。
「はい」
真摯な顔で頷くイザベラにカトリーナは笑みを向ける。そして、彼女に背を向けて言葉をかけた。
「いったん服を脱ぐわ、そっちのほうがやりやすいでしょ。何か着る物はある?」
「え……お貸しできるようなものは……」
「そうなの? この際選り好みはしないからなんでもいいわ。そうね、その服の替えは?」
カトリーナが肩越しにイザベラを見ると、彼女は小さな声をあげ円卓に荷物を置いてタンスに駆け寄り、中からメイドたちが着る濃紺のドレスと言うのもおこがましい作業着を取り出した。
「これですか?」
「ええ、それを貸してもらえる?」
「でも……」
「服が乾くまでのあいだよ。そのドレス、仕立てがいいでしょ? ちょっと着てみたかったの」
悪戯を告白するように小さく告げると、イザベラは目を丸くし、次の瞬間には笑顔になってうなずいた。堅苦しいドレスを脱ぎ、簡素で体の動かしやすい服に袖を通す。
着替えてから足元を見ると、上等な靴が浮いていて何だかひどく気になった。
「靴も替えますか?」
ドレスを丁寧に扱うイザベラに問いかけられ、カトリーナはぱっと笑顔になった。
「貸していただける?」
「喜んで」
「ありがとう」
「髪も編みますか?」
「ええ!」
長い髪を綺麗に編みこんでもらい、そうしてすっかり侍女に扮した一国の王女は「服が乾くまで」を条件に部屋をあとにした。
彼女は、水差しだけイザベラに預け、洗濯篭を持って廊下を歩く。まるで長く仕える侍女のようにすれ違う人と明るく挨拶を交わしながらまっすぐに洗濯場に向かった。
「こっちのほうが調べ物がしやすいわ。それに」
日雇い労働というのもなかなかおいしい。
さていくら稼げるかなと、彼女は王女らしからぬ表情でほくそ笑んでいた。