【五】

「め、めめめメアリ!」
「……何でしょうか」
「陛下の寝所にお伺いしてみようかと考えてるのよ! どう思う!?」
「わたくしごときが口出しできる事ではありません」
 晩餐を辞退して、与えられた部屋で食事をしながら侍女に問うと、それはそれは丁寧な返答が来た。
「そうなんだけどね! ああ、なんて言えばいいのかしら? とりあえず私、陛下のことは嫌いじゃないと思うの。でも好きかどうかってよくわからないの。だからね?」
「はい」
「嫌なら股間を蹴り上げるとして、ひとまず寝所の場所を教えてくれない?」
「……ひとつ宜しいでしょうか」
「なに?」
「前提はとぎですか?」
 この場合の伽は話し相手ではなく、ともにねやに入る異性を指すのだと気づき、カトリーナはぼっと頬を染めて否定するように両手をふった。
「ちちちち違うに決まってるじゃない! お話したいだけよ! そうね、国の建て直しの方法とか、今後の課題とか、いろいろあるじゃない! 有意義な会話が!!」
「昼間でも充分なのでは?」
「そうなんだけど! 二人で話したいの! 二人きりで!!」
 勢い込んで意見すると、メアリか水差しを静かにテーブルの上においてカトリーナをじっと見つめた。
「では、夜着を持ってこさせます」
「違うの! 興味があるの。誤解しないでね、伽じゃなくて、そうじゃなくて、ああ、もう! とにかく会ってゆっくり話したいのよー!!」
「承知しました」
 混乱しながら言葉をならべると、恐ろしく簡潔に応じてメアリが部屋を出て行き、カトリーナはぐったりと疲れ果てて項垂れた。
「私、馬鹿かもしれないわ……」
 選択肢はカトリーナではなくアーサーにある。好きも嫌いも、立場の弱い彼女が叫んだところでさしたる意味など持たないのだ。メアリに呆れられたのかもしれないと落ち込みながら、カトリーナはちびちびと食事をすすめる。
「恋かしら」
 ぼそりと口にすると再びぼっと頬が熱くなった。自分よりも父親と年齢が近いような男だ、懸想するには年が離れすぎている――きっと何かの間違いだと、手にしたフォークで皿の上にのっている豆と格闘しながら悶々とした。
「お行儀が悪いですよ、カトリーナ様」
 突然聞こえたメアリの声にカトリーナは飛び上がる。間近に薄い夜着と丈の長い、一見ドレスにも見える上着を持った侍女の姿があった。
「陛下の寝所は」
 ベッドに服を、円卓に香水瓶を置きながら、メアリは丁寧にアーサーの寝所をカトリーナに説明する。それを真剣に聞いていると食欲は失せていた。
 復唱し、間違いがないことを確認する。
「ではカトリーナ様、朝食は陛下のお部屋にお運びしますので」
「ちちちち違うって言ってるでしょ!? ちゃんと帰ってくるわよ、本当よ!?」
「……かしこまりました。では、食事はこちらにご用意します」
「ええ! お願いね!」
 食器を片付け、メアリは深々と頭を下げて、
「ご健闘を」
 などという言葉を述べて出て行った。笑いをこらえるように口元がかすかに引きつっていたのは、きっとカトリーナの被害妄想からくる見間違いだ。つんととり澄まし、笑顔など一度も見せたことのない侍女がこんなことで笑うはずはないと、カトリーナは羞恥に身もだえしながら自分に言い聞かせる。
 円卓の香水瓶の蓋を開け、風を送って香りを確認して絶句する。
 甘く独特な香りは、普段つける香水とは種類が違う。恋人を待つ娘がまとうのだと教えてくれたのは、さてどこの国の偉人だったかとカトリーナは混乱した頭で考えた。
 つけずにいようかと一瞬瓶を卓に戻しかけたが、メアリの好意を無駄にしては申し訳ないという彼女なりの仁義を通し、そっと首元に香りを忍ばせた。
「やましい考えなんてないわよ、人の親切を無下にしては駄目ってだけで」
 言い訳に力が入っていることすら気づかず、彼女はベッドに広げられた夜着を手にして硬直する。夜着にはさまざまな種類があり、防寒に優れているもの、通気性のよいもの、肌触りを重視したものが一般的だが、その他に、明らかに別用途のものがあった。
 ランプにかざした夜着は、非常に軽くて柔らかく、おまけに露出度が高い。綺麗に飾り付けられた胸元や、歩けば足の付け根まで見えそうな切れ込みは、はっきり言って部屋着としては完全に失敗作だ。
「これは何? 私が着るの?」
 襲ってくださいと言わんばかりだ。カトリーナはひくりと顔を引きつらせつつも、やはり「メアリの好意を無駄には……」と呪文のように繰り返しながら着衣し、鏡の前で一回転して悲鳴をあげた。
 着ると見た目以上に卑猥になる。歳相応の成長をとげた体は若干色気に欠けるが、それは夜着が充分補ってくれている。彼女なりに堅苦しい話題を述べて用意してもらった夜着だが、これで理知的な会話が成立するはずがない。
「絶対変よ!」
 鏡の中の自分に抗議してみるものの脱ぐ気にはなれなかった。一人で大騒ぎしながらもう一度鏡の前で回ってみて、真っ赤になって用意された上着に袖を通した。上等な生地で仕立てられた上着は肌触りがよく、露出度の高い夜着のせいで心地よさも倍増する。
 思わずうっとりした時点で、彼女は正気に戻って慌てて部屋を出た。夜更け過ぎに行くよりも、一秒でも早く会ったほうがいいと考え、何かにせかされるように廊下を渡り、人に会うたびに上着の襟元を掻き合わせて作り笑顔で挨拶をした。
 そして、メアリの言ったとおり、少し豪奢なドアを発見する。
 寝所を護る兵がいないことに首を傾げながら、カトリーナはドアをそっとノックした。しかし、返事は一向にない。
 しばらく待ってもう一度ドアを叩いたが、それでも反応はなかった。
 緊張が瞬時にとけた。
「陛下?」
 午後からずっと悩みに悩み、やっと決心して来たというのに、どうやら不在らしい。それならそうと教えてくれればいいのにと、カトリーナは胸中でメアリに毒づいていた。
 あんなに緊張して、あんなに浮かれて――あんなにドキドキしたのが、本当に間抜けに思えてくる。
「……勇気、出したのに」
 溜め息をついてから指先でドアをはじくと、微動だにしなかったそれが前触れなく音をたてた。
「なんだ?」
 大きく開けたドア枠に手をかけ、うつむき加減で問いかけた男にカトリーナは唖然とする。いないとばかり思っていたが、ただ眠っていただけらしい。入浴中もずっと考え込んでいて、それでずいぶん時間をかけていたことをすっかり忘れていた。先刻の食事がメアリだけだったのは、時間が遅かったからなのだとようやく理解した。
 時計は確認できないが、あまり早い時間ではないに違いない。謝罪しなければと思ったが、とっさにいい言葉が思い浮かばなかった。
「明日も朝議で早いんだ。……用がないなら失礼するが」
 あくびをかみ殺しながらアーサーに告げられてカトリーナは慌てる。何かを言わなければいけない。謝罪でも、激励でも、とにかく何でもいいから言葉を。
 しかし混乱して彫刻のように立ち尽くすばかりだ。
「カトリーナ?」
 かすれた声で低く名を呼ばれた瞬間、カトリーナの中でプツリと何かが切れた音がした。掻き合わせていた上着を大きく開き、動きを止める。思考が完全に停止し、自分が何をしているのかよくわからなかった。
 アーサーは眠そうに細めた目を見開き、夜着姿の少女の体をゆっくり辿るように眺めてから、おもむろに顔を上げる。彼にまっすぐに見つめられると、カトリーナは早鐘のように脈打つ心臓さえ意識からとんだ。
 官能的な夜着は、果たして彼の目にどう映ったのか――。審判を待つ囚人のような心情でカトリーナはアーサーを見上げた。
 彼はまじまじとカトリーナを見てようやく一声を発した。
「お前は変態か」
「ご、ごめんなさい! 思わず!」
 思わずなんだと、カトリーナは内心で自らに問う。ああ、失敗した。一瞬でそれだけを悟って顔を赤らめる。アーサーが軽蔑するまでもなく、まるで要領を得ない行動に恥ずかしくなった。
 朝、彼に会ってからどうも調子が悪い――というより、地に足がついていない気分だ。やることなすこと、すべてが突飛で空回りしている。
 伽にしたってあんな色気のない誘い方はない。まず寝室に入り、果実酒をすすめ、ベッドにいざない誘惑するのが普通であって、廊下で仁王立ちのままいきなり上着をはだければ、色気も何もあったものではない。
 しかも彼は寝起きときている。カトリーナはおたおたと言い訳を探した。
 廊下で独り混乱する少女を見るに見かねて、アーサーは小さく溜め息をついた。
「何のまねだ?」 
「と、ととととと伽です!」
「どもるな」
 気持ちいいくらいすっぱりと言われてカトリーナは項垂れる。
 娼婦ならともかく、曲がりなりにも一国の姫が自らすすんで男の寝所に訪れるのはあまり褒められた行為でない。本来の姫なら昼夜を問わず愛想と色気を振りまいて、ついでに貞淑さをかもし出し、夜な夜な王が寝所に訪れるのを待つものだ。気に入れば寵姫として後宮に入ることを許され、さらに気に入られれば婚姻を交わすこともある。
 そういった風潮が定着しているから、男のもとに通う娘ははしたないと映るに違いない。自分が何のためにここに来たのかすらわからなくなった少女は、ただオロオロするばかりだった。
「用はすんだか?」
 その姿をしばらく見つめた後にべもなく問われ、カトリーナは肩を落として頷いた。何の躊躇いもなく、目の前でぱたりとドアが閉じる。
「……ひどいわ」
 あまりに引き際のいい男に、なけなしの勇気を奮ってここにきた少女は、ぷうっと頬を膨らませる。股間を蹴り上げる以前に、まったく相手にすらされていない事実に傷ついた。
 年頃の娘のあられもない姿に動揺すらしてくれない。
「ちょっとくらい優しくしてくれたっていいじゃない。すごく恥ずかしかったんだから。確かに色っぽくはないだろうけど、こんな邪険にしなくてもいいじゃないの。ひどいわ。陛下のバ――」
 大きな音をたててドアが再び開いてから、カトリーナはようやく文句を言いながらドアを蹴飛ばしている自分に気づく。
「……明日は朝議で早いと言ったはずだが」
「え、ええ、お伺いしました」
 正面の男は顔を伏せたままだったが、怒っているのがありありとわかる口調だった。ドアを蹴飛ばしていた足を引っ込め、カトリーナはとっさに一歩だけ後退する。
「文句なら聞こう。手短にしてくれ」
 今度はあくびを隠そうともせず、アーサーはそう口にした。しかし、素直に言えるわけがなく、カトリーナは口ごもってしまう。そんな彼女にアーサーは手を伸ばした。
 突然引き寄せられ、カトリーナは呼吸さえ忘れた。間近に迫る顔に思わず目を閉じて体をこわばらせる。次の行動を予測した彼女は目をつぶったまましばらく呼吸を止めていたが、忍び笑いを耳にしてそっと目を開けた。
 息がかかるほど近い場所で男が笑っている。
「誘惑するなら、せめてこれくらい慣れてから来てもらわないとな」
 体中が熱くなった。笑みながらアーサーはカトリーナを自由にし、今度こそ本当に就寝のためにドアを閉める。
 からかわれたのだと気づいた。年若い娘に対して彼が取ったのは、本当なら腹を立ててもおかしくないような失礼な行動であるはずだった。
 けれど彼女は、怒りよりも強くその身を襲う高揚に呆然と立ち尽くす。生地を通して触れられた腕がひどく熱い気がしてならない。
「……シャドー」
 あえぐように小さく影の名を呼ぶと、背後で闇がうごめくのがわかる。
「私、あの方が好きかもしれないの」
 ひかえめに意見してみると、振り返った先にいた漆黒の男は小刻みに肩を揺らしていた。
「……笑ったわね?」
「いえ、まさか」
「笑ったでしょ?」
「断じてそのようなことは」
 ああ、厳格なはずのこの男すら笑っている。カトリーナは真っ赤になりながら憤激するような表情を作っての影に八つ当たりをし――。
 そしてもう一度アーサーの顰蹙を買って、予定通りトボトボ部屋に帰るはめになった。

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