【四】

 翌日、カトリーナが目覚めると待ってましたとばかりに侍女に取り囲まれて着衣させられた。
「汚したら大変じゃない」
 上等なドレスに抗議すると、メアリは憮然とした表情を向けて口を開いた。
「王の客人にみすぼらしい服を着せろと?」
「そうは言ってないけど、もっと質素なものでいいのよ。ああ、あなたが着てるようなドレス」
 手を打って意見すると思いのほかきつく睨まれた。侍女が着る服は作業に適した簡素なものだが、生地は良く、機能的にも優れている。しかも、彼女が昨日着ていた服よりも数段仕立てがいい。
 それを訴えようとしたが、メアリの機嫌がさらに悪くなりそうなので口をつぐんだ。
「……せめてそっちのドレスがよかった」
 カトリーナが壁にかけてある一着を指差すと、メアリは彼女とドレスを交互に見て、それから口を開いた。
「どれが一番高価なものだと?」
 まるで手本のように姿勢のいい侍女の問いに、カトリーナは戸惑いを隠せない様子で壁にかけてある別の一着を指差した。生地といい、仕立てといい、一級品というべきドレスだろう。派手さには欠けるが、決して他のものと比べて見劣りなどしない。
「わかりました」
 ちらと視線をやってメアリは一礼すると、他の侍女たちに部屋を片付けるように言い、同時に軽い朝食を用意して出て行った。
 急に静かになった部屋で、カトリーナはぐったりと椅子に座り込む。侍女に囲まれる生活に慣れていないというのもあるが、メアリの監視するような視線や厳格な雰囲気に息が詰まって仕方ない。
 改めて、アーサーに文句を言いたい気分になった。
「あの方の寵姫かぁ」
 雲の上の人というほど遠くはないが、かといって近いわけでもない。
 カトリーナは朝食に手をつけながら難しい顔をする。
 父のことを考え寵姫の地位を望むなら、まずアーサーに気に入られる必要があった。一番手っ取り早く印象付けるなら、寝所に忍び込むのがいい。
 いままで、かたくなに好きになった相手でなければ嫌だと思い続けた少女の心は、ほんの少しだけ揺らめいている。
「別に、好きってわけじゃないわ。ただ……」
 妙に気になる相手ではある。まるで王らしくない、気さくとさえ映る彼の行動が目を引くのだ。町にあれほどなじむ王も珍しいだろう。何気ない言葉にもいちいち足を止めるのは彼の性格なのかもしれないが、それに民が萎縮しないところを見ると、この交流もずいぶん長く続いているのだとわかる。
 暇だと言っていたが、城の人間が総出で捜しまわるなら本当に暇なわけがない。おそらくは、わずかな時間の合間を縫って町を見回っているのだろう。道でばったり出会ったのは、彼に少し時間ができて慌てて城を抜け出した証拠ではないかとカトリーナは考える。
「……変わった人」
 用意された食事で空腹を満たすと、カトリーナは町での経緯と晩餐の光景を思い出していた。顎が外れそうなほど豪華な食事は、過去に一度も見たことがないほどで、質素を絵に描いたような生活をしていたカトリーナはフォークを握る手が震えた。
 ぜひ父と母にも食べさせてやりたい。頑張って給仕を続ける侍女や下働きの男、料理長も招いて長テーブルを囲めば、さぞにぎやかな食事になって楽しいに違いない。そう思うと、食事が喉を通らなくなった。
 いまさら凶作を嘆いても始まらないが、残された者たちのことが不意に気がかりになる。
「乾パンくらいなら送れるかしら。干し肉と……でも、使いをやるにも知り合いが……雇うにしたってお金が」
 すっかり貧乏が身についている王女は小さく溜め息をつき、そして窓の外に目をとめて部屋を飛び出した。昨日と同じ順路で城を出て、今度は町とは逆の方向、森へと向かう。
 途中、視線に気付いて立ち止まると、すばやく物陰に隠れる不審者の姿があった。
 なるほどきな臭い。
 昨日のアーサーの言葉を胸のうちで繰り返しながら森の中に入っていく。町中ばかりか王城まで監視しているとなると、狙いは確実にアーサー自身に絞られてくるのだが、国王陛下は気付かないふりをし続けているようだった。
「命を狙うならとっくに襲いかかってるわよね? ってことは、狙いは別にあるってことかしら」
 ない知恵はどうあっても搾り出せず、カトリーナはただ首を傾げながら木々の間を分け入って、光のあまり差さない場所に鮮やかに咲く花を見つけて立ち止まった。
 そっと手を伸ばして花を摘み、それから当初の目的を思い出して歩き出す。
 密林には道しるべなどない。けれど、迷うという気がおきず、彼女は摘んだばかりの花を見おろして機嫌よく歩き続ける。そして、目的の人物を発見すると駆け出した。
「国王陛下」
 朝議の途中で抜け出してきたのか、昨日と打って変わって正装で身を固めた男は、突然の声に驚いて振り返った。目を丸くしてから瞠目し、肩をすくめる。
 カトリーナはドレスの裾を軽く持ち上げて一礼した。
「おはようございます、陛下」
「あまり出歩かないほうがいい」
「多少の護身術なら心得てます。あの手の輩なら問題ないわ」
 きっぱりと断言するカトリーナにアーサーは驚きを隠せないように注視した。
「だって私、護衛がいないんですもの。それより陛下は大丈夫なんですか?」
 剣を持つのはこけおどしである可能性がないわけではない。丸腰より襲われにくいという理由だけで持ち歩く者もいる。そう思って問うと、アーサーは皮肉っぽい笑みを見せた。
「平和を謳う国に剣が不用だとは思ってない。手合わせするか?」
「ええ、ぜひ!」
 瞬時に快諾すると、アーサーはさらに目を丸くして苦笑をもらす。剣に多少自信のあるカトリーナは、小馬鹿にされたような気がして頬を膨らませた。
 それに気付いたアーサーは、ふと視線を空へと移した。
「シャドー」
 何かを考えるように間をあけ、静かにそう呼びかけるとそれに応えて森がざわめく。とっさに警戒したカトリーナの面前に闇がするりとおりてきて、彼女は慌てて後退った。すぐに人だということはわかった。そして昨日、アーサーがその名を呼んだことを思い出す。
「オレの護衛だ。百人の騎士よりも心強い」
 アーサーの言葉に黒衣の男はわずかに頭を下げて応じた。交わす言葉がどれほど少なくとも、流れる空気が二人の関係を告げている。
 絶対的な主従と信頼が、凛と張り詰めた大気から読み取れる。
 警護を専門に請け負う集団があることをカトリーナは知っている。ただ、彼らは戦争や内乱などの際に雇われるだけで、代価と見合った仕事しかしない。それが常識だった。
 しかし、強い意志を秘めた瞳をもつ男は彼らとは違うように見え、そして、警護だけを受け持つようにも見えなかった。むしろ、警護ではなく戦いにこそ比重をおく部類の人間だろう。敵に回せばさぞ恐ろしいに違いない。
 そんな男が、一国の王を守っているのだ。
 アーサー王はいい片腕を持っているらしい、とカトリーナは瞬時に思う。昨日の愛馬の一件を思い出し小さく会釈してから、
「呼べば来てくれるの?」
 カトリーナが真剣に聞くと、シャドーの表情がわずかに動く。どうやら戸惑っているらしく、彼は主人に助けを求めるように視線をやった。
「行ってやれ」
 どこか楽しげな声音だった。
「しかし、アーサー様」
「陛下を優先して、暇があったら来てくれればいいの」
 渋る男に焦ってカトリーナは口を開く。勢いに任せた頼みは無茶だとわかっているが、行く先々の姫君は見目のよい専用の騎士に守られていた。一度それを味わってみたかったのだ。
 百人の騎士より心強いと言い切ったアーサーの態度も興味深い。期待に満ちた眼差しを向け続けると、よほど主人が気がかりらしいシャドーがしぶしぶ頷いた。
「……わかりました」
「やったー!」
 思わずカトリーナは両手をあげて叫んだ。
「あ、別に身の危険なんて感じてないのよ? 憧れてたの。お姫様っぽいでしょ?」
 呆気に取られる男たちに、正真正銘一国の王女はほこほことした笑顔で見当はずれな言い訳をした。
「だから、手があいたときに来てくれれば――」
 カトリーナは言葉の途中で、シャドーが肩を落とし、アーサーが体を小刻みに揺らしていることに気付く。疑問に思う前に、快活な笑い声が響いた。
「な、なぜ笑うのよ!?」
「いや、気にするな」
 顔を背けながらもアーサーは笑い続け、軽くシャドーの肩を叩いた。
「行っていい。呼んだら来てやってくれ」
「……御意に」
 憮然と返答して姿を消したシャドーにアーサーの笑みがさらに深くなる。笑いの原因となった少女は、例のごとく頬を膨らませてキッとアーサーを睨みつけてから彼を押しのけて花の添えられた石の前に立った。摘んだばかりと思しき花に瞳を細め、ちらと背後で笑い続ける男を盗み見てから持ってきた花をすべての石に――墓標に、丁寧に据えた。
 背後で響いていた笑いが消える。
 カトリーナは膝を折って手を合わせてからゆっくりと立ち上がった。
「それが何なのか知ってるのか?」
 静かに問うアーサーに、カトリーナは一瞬考えてから小首を傾げた。
「存じません」
「……この世界には、墓標に花を供える習慣はない」
 カトリーナは、どこか寂しげにアーサーがそう口にした姿にどきりとしながら素直に頷いた。故人をしのぶことはあるが、確かに花をたむけることはなく、墓標自体も立てない国がある。
 長い年月を感じさせる石は風雨にさらされ風景の一部に馴染んでいた。その前には、昨日とは違う花がある。老婆の仕業かと思ってみたものの、どうにもしっくりこなかった。そして、今の言葉から花はアーサーが用意したものなのだと悟る。
 アーサー自らが捧げる意味はわからないが、おそらくは、とても大切な思い出があるのだろう。
 人目を忍んで、それでも毎日通う理由が。
「また花を持ってきても?」
 尋ねると、アーサーは驚いてカトリーナを凝視し、そして晴れやかな笑顔になった。
「ああ」
 頷いた彼が、奇妙な表情になって言葉を失うカトリーナに近づいてきた。
「どうしたんだ? 熱でもあるのか?」
 問いの意味がわからないカトリーナは、彼の手が頬に触れた瞬間悲鳴をあげながら飛びのいた。顔が一気に赤くなるのが自分でもわかり動転する。
 笑顔ひとつで動揺するなんてどうかしている。はじめの印象が悪かったのだと、彼女は必死に言い訳の言葉を胸中で繰り返して両手で頬を包んだ。意地悪な笑顔や苦笑ばかりが目に付いたから、嬉しそうな顔は見慣れないのだ。昨日会ったばかりの相手に慣れる慣れないもおかしな話だとは思うが、彼女はそんな結論を出して自分に言い聞かせる。
 しかし、その半面で別のことも考えている。
「陛下!」
 頬から手を離し、怪訝な顔になる男に向き直って彼女は言葉を続けた。
「カトリーナと呼んでいただけますか!?」
 きょとんとされたがいまさら撤回もできないので、カトリーナはじっと言葉を待つ。アーサーはおかしな奴だなと苦笑して、
「カトリーナ? それで、次はなんだ」
 望みどおり口にした。それを聞いた瞬間、カトリーナは返事も忘れて奇声をあげながら彼の元から脱兎のごとく逃げ出していた。
 無論、取り残された男は訳がわからない。
 朝議の途中で抜け出したことなどすっかり忘れ、カトリーナが去った方角をしばらく眺めてアーサーは唸り声をあげる。
「変わった娘だな」
 遠目に見守っていた影だけが、主人の鈍さにそっと頭を抱えていた。

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