【三】
謁見の間は想像以上に広く、そこに控えている人間の数も多かった。身につけている物は多様で、正装の役人や武器を携帯している兵士、小間使いらしき少年がいるかと思えば侍女などもいる。不思議な光景だと思いながら、カトリーナは導かれるまま赤絨毯を踏みしめて謁見の間の中央へと進んだ。
王の御前で膝を折り低頭したとき、彼はわずかに動揺を見せた。
「ロルサーバの第三王女カトリーナ・エルラファンです、陛下」
許可を受ける前に顔を上げると、豪奢な椅子に深く腰掛けていた男の体が少しだけ前に傾いていた。
豪奢といっても、この規模の国の王が座するには質素といっても過言ではないものだ。巨木から抜かれたのだろう木製の椅子には精巧な彫刻と赤い玉がいくつかはめ込まれている。黄金の椅子を見慣れていたカトリーナは意外に思ったが、しかし顔に出すことはなく優雅に微笑んだ。
彼女自身、一国の王女として大国の王の前に出るにはみすぼらしい服装なのだ。
寵姫の地位を望む娘は美しく着飾って相手の気を引こうと躍起になる。最終的な結果さえ希望に沿うなら手段を選ばない者も多い。
だがもともと希望など持っていないカトリーナは、普段と同じ服装のままアーサー王の前にいた。周りがどよめき、ひどく汚いものを見る目を少女へと向けるが、これはいつものことなので平然とやり過ごした。
恥ずかしいとも思わなかった。
これが自分の今の姿なのだとカトリーナは思っている。虚勢をはればボロが出て醜態をさらすハメになるだろう。
「遠路ご苦労だった。てっきり村娘かと」
アーサーは誰もが心の中で思っていた言葉をあっさり口にして苦笑を浮かべた。まるで腫れ物に触るような対応が常だったカトリーナは、少し驚いて玉座を見上げる。
「客人を部屋へ案内しろ。それから、ふさわしい服を」
「え?」
「下働きの娘と間違えそうだ」
アーサーの一言に、微妙な空気で満たされた謁見の間はシンと静まり返った――次の瞬間、誰かがこらえきれないように吹き出す。ざわざわと乱れ始めた広間は、すぐに笑い声で満たされてしばらく絶えなかった。
呆然としたカトリーナは、すぐに侮辱されたことに気付いて頬を染めた。
いくらみすぼらしい格好をしていても、下女と間違われたことはない。王家のたしなみとしての礼儀作法は、そんじょそこらの小国よりもよほど力を入れて教育されていた。ただ、身なりがあまりに質素なため、その落差が気に食わなくて手を抜いているだけだ。
「メアリ、客室に案内して差し上げろ」
相手は大国の王だ。反感を買ってはいけない――そう思って、カトリーナはぐっと耐えた。貧困にあえぐ国が援助を求めたい国の王の反感だけは買うわけにはいかない。
笑いの絶えない謁見の間から逃げるように飛び出し、カトリーナは広い廊下をわたった。巨大な国にしては控えめな内装だが、あまりに腹が立ちすぎて観察するだけのゆとりはない。
目の前を行く四十に手が届きそうな年齢の侍女――メアリは、鼻息の荒い客人を気にも留めず、しずしずと前を行く。そして一際見事なドアの前に立ち、カトリーナに向き直って一礼してからドアを開けた。
その間、メアリは一言も口をきかなかった。カトリーナに入室をすすめるのも無言のままで、ドアを閉める前に一度だけ、すぐにドレスを持って参ります、とだけ告げた。
「くやしいー!!」
気位が高いわけでもない少女だったが、露骨に言われるほど慣れてもいなかった事実を突きつけられて地団駄を踏んだ。
アーサー王は変わり者といわれるだけあって失礼極まりない男だ。
「大国の王だからって何よー!!」
大声で叫び興奮の治まらないまま部屋の中央へと進んだ。
そして、目を見開いて立ち止まる。
アーサーは客室に案内するようメアリに言った。
「客室……これが?」
広い部屋にはくつろぐためだろう長椅子二脚とそろいの卓、花台、姿見用の鏡、絵画、陶芸品などが上品に置かれている。右手のドアをのぞいて浴室を確認し、左手のドアに寝室の衣裳部屋を確認する。そこに置かれている調度品はどれもこれも一級品だ。城全体が質素なだけに異様な雰囲気である。
カトリーナはしゃがんで絨毯を確認し溜め息を漏らした。
よく磨かれた大理石の上に敷かれた絨毯は、織物の町レリャンの作、しかも、有名な作り手によるものの可能性が高い。署名代わりに縫いこめられた印を見つけ、カトリーナはそっと絨毯からおりた。
「こんなところに客人を通すの、バルトは」
調度品のひとつを持って帰れば父親がさぞ驚くだろう。どれもこれも一見してかなりの値が付くと想像ができる。当然のことだが、これだけバルトにはゆとりがあるのだ。それに比べて、ロルサーバは明日の食事にも困る有様だ。同じ国家でありながらこれほど違う――その差に落胆せずにはいられなかった。
ロルサーバも凶作続きでなければもう少しましな生活ができるだろうが、ここまで贅沢な暮らしは無理に違いない。交易で栄える国は外交官と交易商が中心となって国を繁栄させるが、失礼なあの男がいてこその安定ともいえる。
悔しいが、技量は認めざるを得ないだろう。
不機嫌に周りを観察していると、メアリと数人の侍女がドレスと菓子器を持って入ってきた。
「ああ、着替えは勝手にやるから平気よ」
「しかし」
「長旅で疲れてるの。一人にさせてくれない?」
「わかりました。晩餐のころ、お伺いします」
メアリは丁寧に頭を下げて侍女を連れ立って部屋を出た。それを笑顔で見送ってから、円卓に置かれた器から菓子をつまんで口に運ぶ。
「……おいしい」
ほのかな甘さは癖がなく舌触りがいい。食べ慣れた硬いクッキーとは違う食感に少しだけ感心し、カトリーナはドレスを一瞥してからドアに向かった。
「あんなの着てたら目立っちゃうじゃない」
汚すかもしれないし、と続けて廊下を確認し、人がいないのをいいことに通用口から城外へ出る。ふと振り返って、王城の一部が増築されたような造りであることに気づいた。城を作る巨石の色と組みかたが異なっているのだ。
過去、その下に火薬庫があったことも知らず、カトリーナはなんとなく後ろ髪を引かれながらも城下町へと繰り出した。
まだ日が高いのに、晩餐まで大人しく待っているなどもったいない、という考えである。時間は有効に使うべきだ。従来の姫ならば言われたとおり着替えて部屋で待っているだろうが、カトリーナはそうした命令はことごとく無視して本能の赴くまま歩く。
城の正面には巨大な通りがある。ここをまっすぐ行けばバルトが主用としている水路に辿り着くため、商人たちの多くはこの通りを中心に店を開く。莫大な金が動く、文字通り交易街である。
「すごい」
門兵に見られないようにいったん近くの森に入り、カトリーナは何気ない風を装って城の前にある巨大な広場に出た。活気付く町は彼女の想像を超え、圧倒的な迫力で目の前に広がっている。露店で品を売る者もいれば、客寄せに声をからしながら叫ぶ者、一芸を披露して小銭を稼ぐ者とさまざまだ。
行商、という言葉が脳裏に浮かぶ。道のいたるところで交渉が繰り広げられ、客と商人たちの攻防が続いていた。
扱うものは多種多様。果物もあれば家具や家畜を取り扱う店まである。装飾品、小さな髪飾りなども意外に多い。
カトリーナは軽い足取りで熱気の渦巻く道を歩いていく。そして、肩を寄せ合い話し合う男たちを見つけて柳眉を寄せた。剣を持ち歩くのは別段珍しくはないのだが、商人の国として有名なバルトの城下町ではどうにも目に付く。騎士という風体でもなく、賞金稼ぎという様子でもない。
ひどく中途半端な印象を受け、カトリーナは近くにある露店の商品の品定めをするふりをしてこっそりとその一団を観察した。
彼女はよく問題ごとに巻き込まれる。それは生まれながらの直感が引き起こす揉め事なのだが、当人はまったく気づくことなく、今回も厄介ごとの尻尾を掴まえて待機している。
やがて、その一団が何かを見つけてしきりと耳打ちを始めた。
カトリーナは不審に思ってその視線の先を追い、あっと声を上げた。
「アーサー王!」
バカ正直にも指までさして大声を出す。辺りがざわついたことも気にせず、カトリーナはついさっき目通りした大国の王に駆け寄った。
「奇遇です」
名を呼んだことで身バレした少女は、途中でまずいと思ったものの引くに引けない状況になってぺこりと頭を下げた。質素な服装からするに、お忍びだったのだろう。服装を確認して心の中でしまったと舌打ちする。
ああ、これでまた嫌味を言われるに違いない。彼女はそう思って肩を落とす。謁見の間での不躾な言葉を思い出し、腹を立てる前に自分の軽率さが恨めしくなった。
カトリーナは返答がないことにおびえながら、ちらと男の表情を伺った。
――思い切り、呆れている。
無言のまま溜め息をつかれ、カトリーナはもう一度頭を下げた。
「アーサー様」
どこからともなく、まるでカトリーナに助け舟を出すように声がかけられる。
「国王陛下があんまり忍んで来ちゃいけませんよ。城で大騒ぎになる」
「そうですよ、総出で捜しにいらっしゃるんですから」
「それが仕事だからな」
非難する声にアーサーは苦笑を引っ込めて事も無げに告げた。
「あそこは息が詰まるんだ。午後の会議までには戻る――誰か来たらそう伝えてくれ」
「いいっすよ、任せてください」
「頼もしいな」
「いえいえ、陛下の頼みとあらば」
ゆえに、馴れ合うことをひどく嫌う。
口を利くのも一大事であるはずだった。あのロルサーバでもそうであったのだから、これほどの国ならば、王は玉座を暖め続け、下々の前に現れることなど特定の催事に限られるのが当然で。
「……変わった人」
ぼそりと感想を述べると、それが聞こえたらしいアーサーがふっと口元をゆがめた。
「姫君が一人で来る場所じゃないだろう」
「私はここを見るために来たのよ! ……です」
慌てて付け足すと、アーサーが謁見の間とは違う表情で小さく笑った。目じりが下がると、少し優しい顔になるのだと気づいて言葉を失う。
カトリーナを促すように歩き始めたが、アーサーの笑いは一向に収まらない。
彼女がぷうっと頬を膨らませると、それを見てさらにアーサーが笑う。悪循環だ。女の機嫌をとるために何かをしてくれるという人間ではないらしい。
それでも、不思議と嫌な気はしなかった。
「どこに行くの?」
「あてはない」
「え?」
「定例の見回りだ」
「……国王陛下じきじきに?」
「陳述書は宰相に押し付けたし、外交は外交官の仕事だ。オレは最終的な決断だけ出す。よって、議会がなければオレは暇だ。町はいろいろと面白い」
剣を一本ぶらさげただけの軽装で王は笑う。なるほど、この性格なら単身で動き回るのも当然かとカトリーナは納得する。警護の人間はさぞ大変だろう。町の人間の反応を見る限り、これはごく日常の出来事で、さらにそれを疎んではいないようだった。
やはり変わり者という諸国の噂は正しいようだ。
「見回りといえば」
カトリーナは思い出して口を開いた。
「さっき変な人たちがいたわ……い、いました。陛下、狙われてませんか?」
「敬語はいい」
アーサーは肩を揺らして笑いながら、少し不機嫌になるカトリーナから視線を逸らした。
「さて、ここもきな臭くなってきたな」
楽しげな口調がわずかに緊張する。カトリーナの目には、背後を確認した王の笑みがどこか自虐的なように映っていた。