【十二】

 何度も目を開けようと努力したが、そのたびに優しい声に諭されて彼女は浅い眠りを繰り返した。
「剣、は……」
 熱に浮かされたまま問うと、気遣うように髪を梳いていた手が止まる。
「ここにある。よく、守ってくれたな」
 低く静かな声はそう返し、そっと額に口付けを落とす。優しい仕草が嬉しくて、カトリーナはほっと吐息を吐き出して再び眠りに落ちていった。
 美しい銀の剣は、この世に二つとない見事なもの。ようやくアーサーが手に入れた、彼を自由にするためのきっかけとなる大切な剣。
「よかった……」
 ぽつりと口にしてカトリーナは目を開けた。そして、あまり見慣れない豪奢な天蓋つきのベッドをぼんやり見上げて首をひねる。しばらく考えて思い当たった。
「あら、陛下の寝所だわ」
 のろのろ体を起こすと節々がひどく痛んで、さらに眩暈までする。それでも、カトリーナはベッドから降りて熱に浮かされたままアーサーの姿を捜した。さっきまでいたような気がするが、時間の感覚がうまくつかめない。水路に落ちて寝込んでからどれだけの時間がたったのかもよくわからず、ぼんやりとしたまま歩き出した。
 体のだるさが抜けない。ああまだ熱があるんだと朦朧としながら考えたが、彼女はかまわず長い廊下をよろよろと進んだ。
「カトリーナ様!?」
 少女の甲高い声がする。頭痛を覚えながら声のした方向を見ると、イザベラが手にしたカゴを投げ捨て真っ青になって駆け寄ってきた。
「ま、まだ寝てなくては……! どこか苦しいんですか!? 医師を呼びますのでどうぞ部屋に!!」
「陛下は?」
「え?」
「陛下はどこ? お伝えしなきゃいけないの」
「会議中です。終わったらカトリーナ様の見舞いに……」
「駄目よ、急いでるの。陛下はどこ?」
 とめるイザベラを押しのけてカトリーナは壁伝いに歩き出す。何度かさとすようにイザベラに声をかけられたが頑として聞かずに歩いていると、彼女はあきらめてカトリーナの体をささえて歩き出した。
 驚いて彼女を見ると苦笑が返ってきた。
「夜着に裸足だなんて皆が卒倒しますよ」
「……そうね、忘れてたわ」
 くすりと笑いながらもとまることなく歩を進める。すれ違う人々はカトリーナの姿にぎょっとして動きを止めたが、歩くので精一杯という彼女は羞恥心すら抜け落ちてアーサーのもとに向かった。
 歩きながら、懸命に記憶の糸をたぐりよせる。頬に偽の傷痕を刻んだ男はイーサの人間だが、イーサ国王につく者ではない。むしろ、王と敵対する立場にある。その人間が、いくら価値があるとはいえ、アーサーの剣を欲しがったというのは奇妙な話だ。
 美術的な意味合いでなく、武器として欲するのもやはり奇妙だった。武器を多く搬出する国だからその希少価値は容易に想像がつくだろうが、だからといってたかが剣ごときに目の色を変えるなど――。
 そう、たかが剣ごとき、なのだ。カトリーナからすれば。
 その剣にどれほど価値があったところで、所詮は剣なのだ。危険を冒してまで手に入れることはない。そこまで考え、カトリーナは首を傾げた。剣を持ってきた男が狙われたのは王族縁の者だからなのだと単純に考えたが、イーサの人間がアーサーの反応だけでそれを判別したとは考えにくく、さらに、縁の者を狙う意味もないように思う。
 では、彼らの目的はなにか。
 カトリーナは数日前のできごとを必死で思い出す。
 初めに狙われたのは剣を持ってきた男。次に狙ったのは、おそらくアーサーの剣。そして、イーサからの使者と続く。
「……本当に剣が欲しかっただけ?」
「カトリーナ様?」
「ああ、気にしないで、独り言。頭がくらくらするの」
「熱があるんですよ。メアリさんが助けてくれなかったら今頃どうなってたか」
「助けてくれたの?」
「はい。ずぶ濡れなのに、カトリーナ様の容態が落ち着くまでは休めないと言い張って、本当に大変だったんです」
「お礼、……言ってないわ」
「メアリさんも寝込んでるんでしばらくは無理ですよ」
「……そう」
「カトリーナ様は陛下の剣を放そうとしなくて、こっちはこっちで大変で。そりゃ、献上されたものの中では際立って素晴らしかったですけど、命あってのものですよ」
「そうね」
 侍女にたしなめられたカトリーナは項垂れる。助かったからいいものの、下手をするなら命を落としかねない事態だったのだ。アーサーにもたくさん心配をかけてしまったに違いない。
 意気消沈して溜め息をつくと、イザベラは慌てて言葉を足した。
「でも、陛下が気に入られたものが盗まれてしまって、城中大騒ぎだったんです。あんなに見事な銀細工に剣身はふたつとないし、作り手の所在もわからないから。だから、カトリーナ様大手柄です! 見つかって本当によかったと――」
 イザベラの言葉にぴたりと動きを止める。言われてみれば、確かにどこにでもある代物ではない。素人目から見ても同じ物を作るにはかなりの技術が必要だと思う。イーサの人間がそれに目をつけた可能性がないとは言い切れない。不審な動きを見てシャドーを護衛に頼んだことによって、作り手を捜すことを断念した敵が、次に狙ったのはアーサー自身が持つ剣だったのではないか。
 浮き足立った城は、どんなに厳重に見張っていても多くの隙ができる。シャドーを敵に回して一対一で戦うよりもよほど分がある。
 では、剣を盗む理由はなんだ。
 押し黙ったままカトリーナは考え込む。
 この世に二つとない剣に価値を見い出すなら、それは――。
「陛下の持つ、剣」
 まさかと思った。本当は銀細工の剣などでなくてもよかったのではないかという疑問がわきあがる。普段アーサーが持つ剣は、兵士たちが持つものと同じで何の飾り気もない種類だったが、あの剣が来てから彼はそれを持ち続けている。
 大広間での一件から、彼が銀細工の剣を一目で気に入ったことは誰にでもわかっただろう。
 ――だから、目をつけたというのか。
 バルト王が動いた証しとするために、小さな、しかし確かな証拠として盗み出したのか。
 国を代表して訪れた同郷を殺せば内乱を呼びかねない。だが、それをバルトに押し付ければ争いの中心はどこに向くのか。
「じゃあレリャンは……?」
 温和な国王は争いを好まない。神経の細い彼は揉め事が大嫌いで、いつも部屋に閉じこもり織機を改良し、いい生地ができあがるのを楽しみにしていた。
「――ああ、わかったわ。そういえば、彼≠ヘ興味を持っていたわね、レリャンの技術に」
 水路で争ったあの男に見覚えがないのは当然だ。イーサでは、髪を落とし髭を生やしていたあの姿が見慣れていたから、ずいぶんと雰囲気が違っていたのだ。まともに話したことのない男の顔までしっかりと覚えているわけもなく、カトリーナは思わず舌打ちしていた。
 あっちはさぞ驚いただろう。見下していた粗雑な娘がバルトに滞在し、王妃として迎えられる事実に。
「やられたわ。でも、もう勝手にはさせない」
 イザベラはぼそぼそとつぶやくカトリーナに不審な目を向けながらも大きな扉の前で足をとめた。熱が上がって幻聴でも聞こえていると思っているのか、彼女のほうがよほど顔色が悪い。
 中から聞こえてくるいくつもの声はひどく緊迫した様子だった。婚礼の儀の前にこの混乱を収拾したいと思っているに違いない。
 カトリーナは深く息を吸い込んでイザベラから離れた。
「ありがとう」
「処罰の際にはご一緒いたします」
「まあ、心強いわね。でも大丈夫よ」
 少し緊張気味に口にした侍女にカトリーナは笑んでから頷いてドアに手をかけた。アーサーに恥をかかせることになるのを少し気に病みながらもゆっくりとドアを押し開く。会議室の中はいくつもの机が並び、男たちが顔を突き合わせて論議する真っ最中だった。
 一番初めにカトリーナに気付いたのはアーサーである。
 慌てて立ち上がった彼はカトリーナのもとに駆け寄って上着を脱ぐなりその肩を包んだ。
「どうした、まだ寝ていろ」
 浅い眠りの中で何度も聞いた声がカトリーナに優しくささやく。気付けば必ず聞こえてきたことから、忙しい合間をぬいながら時間の許す限りそばにいてくれたのだと知れる。そう思うと、胸の奥からふつふつと温かくなる。
 ざわめく室内を熱に浮かされた目で見渡してから、カトリーナはアーサーを見上げた。
「イーサの使者は?」
「重態だ。まだ意識はない。お前も早く……」
 緊迫した空気を感じたがカトリーナは安堵して笑顔を見せた。使者が生きているなら、敵が動く前に自分が行動に移せばいい。
 使者にとどめを刺しに来る者がいるだろう。同時に、イーサ国王の命を狙う者も行動を起こす。それで、彼ら≠フ望んだ舞台ができあがる。
「陛下、しばらく警備を強化してください。奴らが狙うのはあなたの命じゃない」
「なんだと?」
「あなたの地位を利用したいの。バルト王が動いたという既成事実もね」
 アーサーに支えられたままカトリーナは机に向かう。思わず身をひく臣下に小さく笑って、置かれていた紙に羽ペンを滑らせて文字を刻むと丁寧に折りたたんだ。誰に渡すのがいいだろう、そう考えて思い当たったのは、アーサーの影の名だった。
「シャドー、帰ってきてる?」
「ああ、お前が寝込んでいるあいだに」
 戸惑うアーサーの返答に頷いてカトリーナはどこともなく声をかける。
「お使いを頼まれてくれない?」
 短い一言に応じるように、アーサーの影は音もなくドアを開けてするりと入室してきた。いつもと変わらない姿でひざまずく彼に手紙を渡し、カトリーナは考え込む。
「イーサ国王に……駄目だわ、えぇっと。ああ、宰相に渡してくれない? 彼ならうまく処理してくれるわ。ちょっと意地悪だけど、切れ者なのよ」
「カトリーナ、どういうことだ?」
「自分の手を汚さずに国を盗ろうと思った者がいるの。変わり者で有名なバルト王の息がかかった者が、イーサに喧嘩をふっかけたことにしたかったのよ。レリャンを巻き込んだのはね、その技術が欲しかったから。ああ、本当にあの国の王族は短気で困るわ」
 こめかみを押さえながらカトリーナは答える。
 イーサ国王を暗殺したのでは体裁が悪く、あとあと揉め事の種にもなりかねない。だから彼≠ヘ考えたのだろう。自分の立場をよく見せるためにどうすればいいか、誰にも反感を買わずにすむ、その方法を。
 交易国として魅力のある国は、イーサにとって――とくに、彼≠ノとっては脅威だったに違いない。莫大な富を持ち、優秀な兵を有するバルトを彼≠ヘ早めに潰したいと考え隠れ蓑として利用できると思いこの国に目をつけた。そうして、何の落ち度もないレリャンをも巻き込み、あわよくばその国ごと技術を手に入れようとした。
 戦争がどれほどの被害をもたらし、どれほどの悲しみを生むとも知らずに。
「彼≠ヘ愚かにもイーサとバルト、レリャンの三国が戦争をすれば邪魔者がいなくなると思ったのよ。あるいは、その混乱に乗じてイーサ王を亡き者にしようとしたか。……陛下、血を分けた兄弟でもこんなことをしてしまうの。本当に駄目な人たちでしょう? でもきっと、イーサ国王は笑って許してしまうのよ。本当に……本当に困った男」
「カトリーナ!?」
 ぐらりと視界が揺れた。
「陛下、レリャンに書状を……きっとあちらにも何か仕掛けているわ。でも、イーサの宰相は優秀だからすぐに落ち着くはず……レリャンの王に心配はいらないとご連絡差し上げて。でないと、キリエ様がまた倒れて……」
 浮遊感が体を襲った。なにかもっと伝えたいことがたくさんあったのに、思考がうまくまとまらず、言葉が出てこなかった。
 ただ温かく包まれて、彼女は再び意識を手放す。閉ざされた視界さえ反転するような不快な感覚が続いていたが、不思議なくらい体が楽になった気がした。
 耳元で何度も何度も、染み入るような優しい声が言葉をつむぐ。
 何ひとつ理解できなかったにもかかわらず、それはひどく嬉しい言葉のような気がした。

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