【十一】

 祝いの品にふさわしい銀の剣は、それからアーサーの身につねに寄り添っていた。実用的でなおかつ美しい一品は誰の目にもこの場に似つかわしく思え、褒める者があとを絶たない。腕のいい銀細工師が手がけたのだろうと、もっぱら噂になっていた。
 剣身もよく鍛え上げられている。
「あの人、きっと鍛冶屋ね」
 剣を持ってきた男を、カトリーナはそう判断した。無骨な手は力強く、しっかりとした肩の筋肉はカトリーナの予想を裏付けるにはいい判断材料だ。少し独特の形状をもつ剣は誰の趣味なのか、なかなか興味深いところである。
 姿見の前に腰かけ、メアリに長い髪を結わえてもらいながらカトリーナは溜め息をついた。
「私も欲しいわ」
「陛下の持つ剣ですか?」
「あれは駄目。あれは陛下用のだから、私専用のものを」
 この世に二つとない剣はただの飾り物というわけではなく、驚くほど実戦向けでもあった。カトリーナは自分用に、軽くて丈夫な剣が欲しい。バルトに流れ込んでくる不審者が何を考えているのか掴めない今、警戒するに越したことはないのだ。
 できれば父が到着して成婚の儀が始まる前に決着をつけたい。そうでなければ大切な儀式がめちゃくちゃにされてしまいそうで不安で仕方なかった。
「頼んでおけばよかった」
 あれから三日たつがシャドーはまだ帰ってきていない。剣を持ってきた男は田舎と口にしただけで詳細は言わなかったから、バルトの領土内とは限らなかった。強行軍で来た可能性もあり、当分は帰ってこないとも考えられる。
 手近にある剣で我慢しようと護身用の剣に手をのばすと、メアリがたしなめるように進言してきた。
「王妃になる者が剣を持つものではありません」
 意外な一言に動きをとめる。
「王が武を象徴するなら、王妃は平穏を約束すべきだと私は思います」
「女は戦うなと?」
「剣を手にして幸せになった王妃など知りません」
「戦うことも必要よ」
「この慶事にですか?」
 国中が王の成婚を祝い、町は連日お祭り騒ぎだ。浮き足立った国民や商人たちがこぞって集まり、今までにない賑わいを見せている。そんな彼らからすれば、アーサーが献上された剣を持つならまだしも、幸せの絶頂にいるはずのカトリーナが剣を持って歩くなど、さぞ奇異に映るに違いない。
 けれど、表層とは違うことが起こっているのは事実だ。アーサーの命を狙っているわけではなく、今はただ静観しているだけというのがなんとも不気味だった。それを感知しているのがアーサーとカトリーナ、さらに、今はここにいないシャドーだけというのはあまりに心もとない。
 誰かに助けを求めるべきではないのかとカトリーナは思う。しかし、アーサーは疑問に思ってしまうほど他人を信用せず、おそらく、カトリーナが自力で調べなければこの件に関しても口を開くことはなかっただろう。
 なかなかどうして難しい。警戒心の強い王は、腹心と呼べる部下をたった一人しか持っていないのだ。それは確かに心強い味方ではあるが、こんな緊急時にはひどく不安になる。
 いっそメアリに相談しようかと思ったが、カトリーナはついに口を開くことができずに剣をあきらめた。いざとなったら大声を出して助けを求めればいい。剣術はイーサ国王から会得したが、残念ながら体術には自信がなく、カトリーナは不満をつのらせながらも大人しく鏡を見つめた。
 鏡の向こうには綺麗に着飾った娘がいる。おそらく、あと数日でバルトの王妃となる娘。
 幸せに見えなくもないが不安の色も隠せない。そんなことに気付き、カトリーナは吐息をつく。
 綺麗に整えられた髪に礼を言い、カトリーナは立ち上がった。
「どちらへ?」
 円卓の上を片付けながら探るように問われ、内心どきりとしながらドアに向かう。
「昼から人が来るんでしょ? 広間に行くわ」
「ああ、そうでしたね。確かイーサからの使者が……」
 カトリーナは思わず足を止めた。バルトとイーサは交易国としての交流があり、互いが巨大な顧客という立場であるから、使者がこの嘉儀に駆けつけるのは予想できない事態ではない。いや、充分に想定内だ。
 イーサから来たという不審な人間たちが、国からの使者と通じている可能性があるのかを考えカトリーナは黙り込む。もし通じているなら、イーサ国王が裏にいると疑われるに違いない。イーサ国王は能天気で向こう見ずで、ひどく短気だがおおらかで気のいい男である。そんな彼が裏でこそこそ画策するなど考えられない。だが、全否定するだけの証拠がない。
 アーサーがイーサの使者に嫌疑をかけて言及する前に真相が知りたい。カトリーナは、メアリに不審な目で見られていることも忘れ慌てて部屋を出た。一般人に開放されているのは正面の大扉だけだ。そこで待っていれば一番に会えると考え最短距離を突き進む。
 相変わらず精力的なカトリーナの姿はすでに城の風景の一部である。元気に駆け回る彼女の姿に慣れた城の者たちはきたる成婚の儀にそなえて忙しく働き、カトリーナには目もくれない。それをいいことに彼女は大扉まで辿りつき、不審者相手に押し問答を繰り返している門番に声をかけた。
「イーサからの使者は?」
「先程お通ししましたが」
「そう! え? ……お通しした?」
「はい。書状をたずさえお越しになり、北の塔に」
「ありがとう!!」
 呆気に取られる人々を残し、出遅れたと舌打ちしながらカトリーナは踵を返した。来客用に城の空き部屋が利用されているが、相手がイーサの使者となれば通される場所はひとつだ。城の中でもきわめて眺めのいい一角、王城の中心にあたる場所に違いない。すぐさま頭の中で地図を広げ、カトリーナは入り組んだ階段をいくつもあがる。
 まさか到着直後に謁見を願い出たりはしないだろうが、下手な行動に出られる前に手を打ったほうがいい。焦りながら廊下を渡ると、長い皮袋を手にした長身の男とすれ違った。袋の隙間から、光の粒が零れ落ちる。
 ふっと息が詰まった。
 絡んだ視線がはずされた瞬間、カトリーナは振り返って男の消えた通路を見つめた。
 見たことがある、背の高い男。
「――町にいた……? ああ、あの男だわ」
 カトリーナは無意識に頬を撫で、はっとする。頬に傷こそなかったが、中庭で何かを懐に入れた男と同じだとこの時になってようやく気付く。印象に残るものがひとつ減っただけでずいぶんと風貌がかわり、違和感だけを植えつけ、とっさに同一人物だとは思わなかったのだ。
「頬の傷は偽物? どうしてそんなこと……」
 使い分けているのかもしれない。カトリーナはそう考えて押し黙る。イーサの人間は細身で身長が高い者が多く、服装もどちらかというなら似通っていて慣れない者には見分けが付きにくい。ゆえに、頬の傷は目印になる。
「城中でつけていたものをはずした?」
 射るような瞳はひどく危険な色をしていた。うまく思考がまとまらず、疑問だけがいくつも浮かぶ。カトリーナは男を追うかイーサの使者に会うかを悩み、結局使者に会うために駆け出した。
 廊下の角を曲がったところで足元が滑って大きく上体を崩し、彼女は慌てて壁に手を付いて体を支えた。
 視線が下へと落ちる。そして、点々と続く赤い跡に目を見張った。
 ふわりと風に乗って血臭が鼻腔に届く。絶え間なく流れる音楽が遠くで聞こえた。
 カトリーナは動きをとめ、血のあとを目で追う。壁に付いた血痕に息をのんで、次いで床に伏した男に気付いて駆けよった。
 抱き起こすと床には大きな血だまりができていた。
「誰か来て!」
 脈を取り、斬りつけられた体にドレスを裂いて手早く止血をほどこす。
「助けて――!!」
 細身の男はぐったりとして身動きひとつしない。見慣れぬ衣装をイーサのものだと判断した彼女は、この不可解な状況に混乱していた。
 だが、混乱した彼女にもわかることがある。
 このままではイーサの使者が命を落とす。さっきの男が仲間であるのなら、こんなことをするはずはない。近くに剣が落ちているのに気付き、仲間割れか、あるいは別の要因を考え、カトリーナははっと息をのんだ。
 さっきの男が犯人である可能性は限りなく高い。だが、現場を見た者がおらず、そしてイーサの使者が何も語らないまま命を落としたのであれば、イーサ国王は誰を疑うだろう。
 ようやく立ち直った国が再び戦火にまみれれば、復興にどれだけ時間がかかるのか。十七年前の動乱の再現のような凶事にカトリーナは再び鋭く人を呼んだ。
 遠くから足音が聞こえ、カトリーナは立ち上がる。姿をあらわしたのが兵士に号令をかけていた男だと確認して安堵した。
「カトリーナ様!? これは……」
 血まみれの王女を見て彼は激しく動揺しながら膝を折ってイーサの使者の傷を診た。
「ひどい怪我を負ってるの。――お願い、絶対に死なせないで」
 言葉だけ残し、カトリーナはとめる声を振り切って駆け出した。すれ違った瞬間、不審者は廊下の角を折れて歩いていった。そこからの道筋を思い出し、カトリーナは歯噛みする。
「あの男、捕まえてやる」
 国が湧き立つ中、仲間を斬ってまでバルトに混乱をもたらそうとする男に腹を立てカトリーナは階段を駆け下りた。髪を振り乱しながら通路に出て、人気ひとけのないことに目をとめさらに階段を下りる。どうやら、目立ちたくないらしい。あまり使われない小さい抜け道のような通路を渡り、カトリーナはそう判断する。
 ならば行き先はわかる。アーサーを追い、侍女の手伝いをしていたカトリーナは、彼女たちからいろいろな抜け道を聞き知っている。そのひとつを、あの男が使っているのだ。
 傾いた小さな通用口を抜けると、ひざまずく男の姿が見えた。その手が大地に――否、板にかけられ、それをはずした。
「待ちなさい!」
 カトリーナが叫ぶと背後で馬のいななきが響く。男は動きを止めて肩越しに振り返り、口元を引き上げて笑みを浮かべた。
「これはこれは、カトリーナ姫」
 敬意も親愛の情も感じられない、まるでさげすむような口調で男は彼女の名を呼び、もう一枚板をはずしてから立ち上がる。
 せせらぎにカトリーナの表情が険しくなった。どこに続くとも知れない水路を使って逃げる気なのだろう。人を斬り付けても後悔の片鱗さえ見せない男は、長い皮袋で軽く大地を突いた。
「姫君は大人しく籠におさまりなさい。見栄えはよくとも、いつまでもそれではバルト王に見放されますよ」
 馴れ馴れしく意見してわずかに後退する。
「何が目的? あなたは誰?」
「……ほう、覚えてらっしゃらないか。さすが、愚王が目をかける姫君だけある」
 にっと男が笑う。嘲笑という名の笑みで。
「愚王?」
 じりじりと間合いをつめながらカトリーナは男の言葉を反芻した。どこかで聞いた響きだ。この国ではなく、別の場所で。
 そう、あれは――。
「イーサ国王をそう呼ぶれ者がいたわね」
 つぶやきを遮るように男は皮袋で板を打ちつけた。思わず体をこわばらせるカトリーナに彼は満足げな笑みを浮かべてさらに後退する。足は、水路へと繋がる大きな空洞へとかかっていた。それを見たカトリーナは内心で焦り、そして、視界にちらつく銀の光に目を奪われた。
 先刻の衝撃で皮袋が少しはずれ、銀細工が覗いていた。優美で精緻なその柄は、ここ数日、アーサーが大切に身に着けていたものだとカトリーナは記憶している。
 銀細工の剣。
 なぜ、と思うよりも先に足を踏み出した。
 突進してきたカトリーナに驚いた男は、彼女をよけきれずに後方へと倒れこむ。背後には大地ではなく奈落が口を開け、二人の体を瞬く間に飲み込んだ。
 視界が塞がれる。大量の水を飲み込みながらもカトリーナは男が持つ剣にしがみついた。背中を激しい痛みが襲う。幾度も加えられる痛みに耐えかねて、カトリーナは剣にしがみついたまま意識を手放していた。

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