【十】

 書状と目がくらむような贈り物を持ち、バルトの使者がロルサーバにむけて発ってから六日目の朝、初めてその事実を聞かされたカトリーナは本気で焦った。
「そんな大金……!!」
 実に、ロルサーバの五年分の国家予算だ。青ざめる彼女にアーサーは平然とした顔を向けた。
「一国の王を留守にさせるんだ。このくらいの金額じゃ少ないくらいだろう」
 玉座に腰をすえた彼はけろりと返す。同じ通貨でもロルサーバとバルトでは価値がまったく違うのだと彼女はようやく理解した。しかし、破格であるのは変わりない。うまい理由をつけ、莫大な援助を負担に思わせないよう配慮してくれたアーサーの横顔をカトリーナはじっと凝視してから口を開いた。
「日雇いで何日分かしら?」
「……頼むから、体で返すのはやめてくれ」
「あら」
 どうしてばれたのかとカトリーナは小首を傾げる。
「イモ剥きはうまくなったって総長に褒められたのに」
「また行ったのか」
「だって暇なんですもの」
 謁見と婚礼衣装の採寸と仮縫い、さらに婚儀の段取りと打ち合わせ以外、カトリーナは暇である。アーサーはカトリーナの父が到着したら五日間は職務から離れなければならないと想定し、調整のために会議室に入り浸っていて彼女の相手をするほど時間はない。深夜に部屋に帰り、早朝には朝議に出て、しかも町の見回りも行っているというのだからあきれを通り越して感心すらしてしまう。
 カトリーナの口から不満の声が出ないのは、激務であっても決して愚痴をこぼさない彼の性格を知っているからに他ならない。
 二人が会えるのは謁見の間のみ。朝議後の謁見は、カトリーナにとって至福の時間でもある。
 絶え間なく押し寄せる人々は祝いの品々をたずさえ、祝いの言葉を述べる。身分さえ確認できれば大広間に通してもらえるとあって、連日驚くほどの人数が押しかけてきた。
 美しい布を広げて平伏する男が長々と祝辞を口にする。すでに布に魅入っていたカトリーナの耳には素通りだが、アーサーは一言一言を胸に留めるように聞いていた。何人か通されたあと、カトリーナは窓から聞こえる騒ぎに顔をあげ、好奇心をアーサーに気取られないよう澄まして席を立った。
 アーサーといっしょにいられるのはこの上ない幸せだが、気になることがあるとじっとしていられない性格なのだ。
 もめるような厳しい声音に、艶やかに着飾ったカトリーナは小走りになる。スカートをつまんで駆ける姿に城の者は苦笑しながらも見逃してくれた。
 争う声は祝辞に駆けつけた者を通すために開放されている正面の大扉から聞こえてきた。祝いの場に争いは決して持ち込むなと厳命された兵士たちは、大扉の前で装飾のほどこした槍をはすかいにし、がんとした表情で立っていた。
「なぁに?」
 集まった人だかりに問うと驚いたようにそれが割れ、大扉までの道ができた。
「どうしたの?」
 礼を言いながら抜けると、カトリーナの突然の登場に門番たちが目を見張る。カトリーナは槍をひくように言い、その場にひざまずいて地面に額をこすりつけるように低頭する男を見た。ひどく乱れた髪は肩よりも長く、着ている物もこの場にふさわしくない薄汚れた服だった。ごつごつと節くれだった大きな手がきつく結ばれたままそえられている。
「何事?」
「それが、どうしても拝謁したいのだと言って引かなくて」
「通してあげればいいじゃない」
「身分の知れない者です。陛下からも、怪しい者は通すなと命を」
 不審者が目に付くこの状態なら慎重にならざるを得ず、アーサーの命令も頷ける。カトリーナは低頭する男の拳に力が入るのを見て、そして口を開いた。
「お祝いに駆けつけてくれたの?」
 男の肩が小さく揺れた。
「顔をあげて?」
 恐る恐るといった様子で男がゆっくりと動く。ずいぶんと体格のいい男だ。ボロ布をまとってはいるが浮浪者という雰囲気はなく、ぼさぼさの髪の間からのぞく瞳は不思議と澄んで、よどみがなかった。五十代といったところか――カトリーナは浅黒い肌に無精ひげをたくわえた男を無言で見つめた。
 彼は細長い皮の袋を大切そうに持っていた。
「国王陛下に、お渡ししたいのです」
 かすれた声で短く訴えてくる。そらすことなくまっすぐに見つめ返してくる瞳にカトリーナは笑顔を浮かべた。
「通してあげて」
「カトリーナ様!? しかし、もしものことがあると……」
「いいから、通してあげて。責任は私がもちます」
「……」
「遠いところ駆けつけてきてくれたのよ。ね? そうでしょ?」
 革の靴は擦り切れて指が覗くほどで、服以上にひどい有り様だった。どのくらいの距離を歩いてきたのかカトリーナには想像もつかなかったが、それは決して楽な道ではなかっただろう。
 カトリーナの言葉が意外だったのか、真摯な瞳は驚きに揺れ、柔らかな笑みに変わる。
「ありがとうございます」
 再び低頭する。カトリーナは頷き、兵士たちにもう一度声をかけてからそこを離れ、窓の外から見える景色に足をとめた。町は人々でごった返している。誰も彼もが嘉儀かぎに駆けつけてくれるわけではないが、ああして来てくれる者がいるのかと思うと素直に嬉しかった。
 もちろん、不審者もいるに違いない。アーサーの危惧はそこにある。なぜイーサの人間がバルトに来ているのか理由を知りたいのだが、アーサーから動くなと注意されていた。
 どこか自虐的だった彼は、ここ数日で少し変わった。
 その変化がカトリーナには嬉しく感じる。王としての立場を負い目なく受けいれてくれれば、彼はもっと自由になれるだろう。
 すれ違う人々がカトリーナを祝う。その言葉は、この城で、この国でのアーサーの功績を褒め彼を認めてくれているようで気分がいい。
 大広間に入室すると先刻の男の姿が見えた。ちゃんと通してくれたのだと安堵すると、それを見咎めたアーサーが首を傾げた。無言のままなんでもないと首を振って着席し、届けられた品々に見入る。広間の一角にはあとで侍女たちが大騒ぎしそうなきらびやかな小山ができあがっていた。
 それから何人かが自慢の品を献上し、ようやくあの男が二人の正面に来た。場にそぐわない男の登場にざわめきが起きる。当然だろう。誰もが小奇麗な身なりでやってくる中、この男だけがひどく汚らしい姿をしていたのだから。しかし、アーサーは表情一つ変えなかった。ただ静かに、男が震える手で長い布を差し出すのを見つめている。
「これを、主人から預かって参りました」
 顔を伏せたまま男はうやうやしく告げる。彼はそのまま石像のように平伏した姿で動かなくなり、いっこうに説明もなく生地をはずそうともしない。後がつまっていることを確認した臣下が焦れて彼に言葉をかけた。しかし、相変わらずぴくりとも動かない。
 臣下は立腹して近づき、乱暴に皮袋を持ち上げ怪訝な顔をした。
「なんだ?」
「……いえ」
「……持ってこい」
 奇妙なやり取りが気になったのか、珍しくアーサーが声をかける。薄汚れた皮袋を臣下がアーサーの元まで運ぶと床に額をこすりつけていた男がわずかに顔をあげた。
 アーサーはごわついた布の重さを量り、やはり怪訝な顔をする。そして、きつく結んである糸をはずし、生地をずらして動きをとめた。
「――陛下?」
 アーサーの肩が小刻みに揺れていた。見開かれた瞳は瞬きも忘れ、布地の下にあったものを瞠目する。珍しい反応にカトリーナの視線も彼の手元に落ちた。
 そこにあったのは、光の加減で変化を見せる目を見張るほど見事な青い石をはめ込んだ、とても短時間で仕上げたとは思えない優美で精緻な銀の剣。まばゆいばかりの柄は、溜め息が出るような銀細工でできていた。
「綺麗ね」
 鞘にも同様に装飾がほどこされている。きっと長い時間をかけて心を込めて作られたものなのだろうと、カトリーナは感嘆しながら思う。
「これを作った者は」
 努めて声を落とし、アーサーは再び平伏した男を見た。
「お前の主人は……」
 何かを問おうとして、しかし、アーサーはその言葉をのみこむ。複雑な表情が浮かぶその横顔を不思議に思いながら見つめ、カトリーナは顔をあげた男に視線をむけた。
「二男一女に恵まれ、いまは田舎で銀細工を作っております。成婚の噂を聞き、その剣を国王陛下にぜひと」
「……そうか」
 複雑な表情が崩れる。アーサーは男が祝辞を述べて去っていく姿を見送ってから剣を手にしたまま席を立った。
「しばらく休む。半刻後に再開する」
 珍しい言葉に大広間が一瞬ざわめいたが、アーサーはそれ以上何も言わずにその場を立ち去った。カトリーナも立ち上がり、彼のあとを追うように歩き出してからふと足をとめる。
 剣を持って訪れたあの男が広間をあとにすると、数人の男たちが視線を交わして同時に出て行ったのだ。こそこそと距離をとるように動くのが不自然で仕方ない。あれで隠れているつもりかと呆れながらカトリーナが早足に廊下へ出ると、アーサーの後ろ姿が廊下を折れるところだった。
「陛下!」
 恥じらいなく駆けて、剣を持ったまま歩く彼の腕をひいた。何かを問おうと口を開いたカトリーナは、逆に振り向きざまに引き寄せられて大きくよろめき、剣ごとアーサーにきつく抱きしめられた。
 驚倒した彼女はすぐに彼の異変に気付いて唇を噛んだ。そして、小さく震える背中にそっと手を回す。
 なにかをこらえるように喘いで、彼は大きく息を吸い込んだ。
「――生きて……」
 熱い息とともに吐き出された言葉は喜びと安堵がにじむ。苦しいほどの抱擁を受けながらカトリーナは目を細めた。
 銀細工を作った者は、アーサーにとって特別な相手に違いない。
 そして、銀細工師にとってアーサーも。丁寧に、丹精込めて仕上げられただろう剣は、きっと彼のために長い時間をかけて作られたのだ。いつか必ず訪れると予期した、この祝いの場のためだけに。
「すまない、しばらく一人にしてくれ」
「……はい」
 顔を伏せたまま語る彼にカトリーナは素直に頷いた。遠ざかる背に一礼し、彼女は細く息を吸い込む。
「シャドー」
 小さく名を呼ぶと、音もなく黒づくめの男が姿を現した。カトリーナは彼に向き直って考えるように間をあけてから口を開く。
「さっきの人……銀細工の剣を持ってきた男」
「はい」
 シャドーの声がいつもより少し硬い。それを鋭く感じ取り、カトリーナは目を閉じた。アーサー同様に、この男も銀細工師――あるいは、それを届けた男の素性を知っているのかもしれない。
 知っているが進言しないところを見ると、隠したい相手なのだろう。あるいは、守りたい相手なのか。
「無事に帰して差し上げて。どこの誰かなんて詳細な報告はいらないわ」
 驚く男に頷いてみせる。
「頼めるかしら?」
「御意に」
 深く頭をさげ、シャドーは短く言葉を続けた。
「感謝します」
 ふと掻き消える気配に吐息がもれた。まさか彼の口から礼が聞けるなど思ってもみなかったのだ。王と、王を守る者がそろって気にかけるなら、相手は平民ではなく王家に縁の者である可能性が高い。
 城の敷地内に古い工房があることを思い出したカトリーナは肩をすくませた。
「……関係ないわ、私には」
 大広間に向かいながらカトリーナはつぶやく。ただ、遠路はるばる訪れた男が、一目でアーサーが気に入る逸品を献上した。そしてその男を不審な人間が狙っている気がしたからシャドーに彼のことを頼んだのだ。
 彼女にとってはたったそれだけのことだった。
「もしよかったら伝えてね、名も知らぬ方」
 長い廊下の途中で澄み渡った空を見上げ、カトリーナは笑みを浮かべた。
「陛下は必ず幸せになります。だから、もう心配はいらないと」

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