『祈りの庭』
  【一】

「嫌です!」
 その日の早朝は何のとこもなく、いつもどおりの会話で幕を開けた。
 どこの落ちぶれた貴族かと首をひねりたくなるようなひどく手入れの悪い城は、その国の中心に位置していた。
 昔は白かった壁も見事にくすみ、崩れた壁の一部には板が立てかけられている。壁紙は剥がれ落ち、調度品は埃をかぶり、革張りの椅子はヒビだらけ――もはや、貴族というのもおこがましいほどの廃れようだ。
 色あせた椅子に座り、細身の男は肩を落として少女を見た。
「エーゼル伯は名の通った資産家だ。悪い話ではない」
「嫌です!」
「お前、もう十七歳だろう? 妹たちは文句ひとつ言わずに嫁いでいったのに、なぜお前だけそうなんだ」
「好きでもない方など絶対に嫌です!」
 色あせたボロのドレスをまとった少女は肩を怒らせて怒鳴っている。口を閉じていればどこのご令嬢かと問われるほどに整っている容姿は母譲りで、残念なことにその気の強さまで見事に遺伝してしまったらしい。
 男は溜め息だけを繰り返す。
「王族に生まれた不運を嘆け。好いた相手にめぐり合うなど奇跡だ」
「お父様はお母様を口説き落としたと伺いました」
「……ああ、そういえばもう一件、縁談話があってな」
 男は娘から視線をそらす。ぷうっと膨れた彼女を無視して口を開いた。
「バルト王のもとに行かんか? フロリアム大陸有数の大国だ」
「……三十半ばの堅物の変態と伺っています」
「うまく取り入り寵姫になれば援助してもらえるだろう。なに、多少おかしくても、仮にも一国を統治するほどのお方だ。路頭に迷うことはない」
 円卓の上には質素な食事が並んでいる。それでもいつもよりは充分に贅沢な朝食だった。
 毎日の食事にすら困る王は娘にちらと視線をやった。
「国のために行ってくれんか?」
 娘たちから多少の援助は受けているが、国を復興させるには程遠い。凶作続きのこの国は食料が底をつき、すでに日々の生活さえままならなかった。まず一番に家畜が犠牲になり、悪循環のように労働力が減っていった。餓死者と疫病が出ないのが不思議なほどの状況で、それでも国民が逃げ出さないのは、国が再び潤うと信じているからに他ならない。
「わかりました」
 少女は顔を上げる。
「でもきっと、すぐに帰ってまいります」

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