【三十二】

 踊るのは楽しい。どんな時でも、それはフィリシアの中を満たしてくれる。
 美奈子に言われるまま彼女の代わりとして学校へ行っていたフィリシアは、一年、二年、三年が協力し合い発表する舞台にも立たされた。
「本当にあのバカ……」
 舞台袖でフィリシアを待っていた惣平は心底呆れたという表情で肩を落とした。閉幕したいまも鳴りやまない拍手に満足しながら彼に駆け寄ると、外で待っているという言葉だけを残して踵を返した。
「ミナって井沢と付き合ってるの?」
 赤いロングコートにピンクのカツラをかぶった奇抜な格好の女子が軽い調子で訊いてきた。井沢、と一瞬考えて、それが惣平の苗字であることを思い出す。
「……一応」
「へぇ……なんかちょっと意外」
「どうして?」
「井沢って真面目そうじゃん。なんかさぁ、幼なじみって言っても、こう……」
「合わない?」
 彼女は慌てて首をふった。
「そーゆうわけじゃないけど! タイプ違うなって思っただけで!」
「私もそう思う」
 くすくす笑いながら、フィリシアは頷いて更衣室に向かった。
 美奈子と惣平は確かにタイプがまったく違う。それでも二人はごく当たり前のように行動をともにし、ふざけあい、ときには驚くほど親密な空気をただよわせる。
「エディウスがいなかったら、私も――」
 明るく人懐こい王子に惹かれていたのだろうか。
 セーラー服に着替えて赤いリボンを結び、先刻まで身につけていた衣装を所定の位置に戻して体育館を出た。廊下には惣平が手持ち無沙汰で待っていて、フィリシアに気付いて軽く手をあげる。
「さっきまでミナがいたんだ。あいつ、屋台行くって走ってった」
「……いいの?」
「自分のことミナの双子の姉だって言いふらしてたから、シアも口裏あわせよろしく」
 すでに開き直ったらしい惣平はヒラヒラと手を振りながら告げる。今日一日は彼女に合わせる気らしい。
 大変だとは思ったが、彼がそう判断したならそれに従おうと頷いてみせた。
「舞台に立ってるの、ミナかと思った。……本人が隣にいるのに変な話だけど」
 独り言のように口にして、彼は苦笑する。
「最近ますます似てきてないか?」
「そう?」
 暇さえあれば互いのことを話し合っている。まるで過去をたどるような会話は、時に辛くもあるが、自分自身を見直す上では大切な役割を担っていた。
「でも、惣平は間違えないのね」
「そりゃまぁ」
「恋人間違えたりはしないか」
 しみじみ納得してると、ゆったりと歩きながら展示物を見ていた惣平が激しく咳き込んだ。
「……隠してるの?」
「別にっ」
「恥ずかしい?」
「そーじゃないけど。……近すぎたから、慣れない」
「そのわりには、二人っきりの時はいちゃいちゃしてるじゃない」
 再び惣平が咳き込む。過剰な反応がおかしくてフィリシアが小さく笑うと、恨めしそうに惣平が彼女の顔を見た。
 こっそり覗き見していたわけではないが、たまたまそういう場面に出くわしてしまう時がある。さすがにバツが悪くて見なかったふりをするのだが、その光景はなかなか興味深かった。
「趣味悪いぞ」
 肩を落としてうめく惣平は、展示品の飾られた教室から出て廊下を歩き出した。
「フィリシアだって、どーせイチャイチャしてたんだろ」
「……私?」
「エディウスと」
「夜はね。昼間はずっと仕事してて、顔見ることもできなかったの。なんか私が夜這いしてたみたいな感じ」
 けろりと伝えると、惣平が廊下のすみでうずくまる。不思議に思って隣に並ぶと、ちょうどそこから校庭に並んだ屋台が見えた。
「惣平にもお兄さんがいたんだよね?」
 なんとなく口を開くと、うずくまっていた惣平が立ち上がってその視線を窓の外にむけた。いろいろな音が入り乱れる場所を眺めて、少し間をあけ口を開く。
「変な話だよな。全然似てないんだから」
 美奈子からもそれは聞いた。年の離れた兄弟というなら、それはエディウスとアーサーも同じだった。だが、確かに彼の言うとおり、彼の兄とエディウスは容姿や行動パターンがまったく似ていない。
「王様って、美形なんだろ?」
「うん、整ってる。綺麗な人はたくさん見たけど、あそこまで整った人ははじめて。……会いたい?」
「うーん」
「年齢離れてるんだけどね」
「……うん、会えるもんなら会ってみたい。アーサーってヤツにも……会えるならさ。どんなヤツ?」
 惣平の問いにフィリシアは目を見開く。アーサーに関することを質問されたのは初めてだった。あえてその話題に触れないようにしていたフィリシアが驚きを隠せずにいると、惣平は唇を尖らせた。
「ちょっとくらい興味はある」
 照れ隠しのような、どこかつっけんどんな口調がおかしくてフィリシアは小さく笑った。
「外見は本当に惣平と同じ。明るくて人懐っこくて、悪戯が大好きな教育係泣かせ」
「……それ、絶対オレじゃない」
 少し不満げな口調にフィリシアは微苦笑を返し、彼に関する記憶をゆっくりとたどる。確かに性格だけを比べれば共通点は少ないが、居心地がいいと思ってしまうその雰囲気はよく似ている。
 懐かしく過去を心の中で描くと、惣平は校庭に背を向けた。
「本当、変な感じだな。オレの兄貴は喘息持っててさ、いつも苦しそうだったんだ。医者になって治してやるってのがオレの口癖だったみたいで……それが違う世界じゃ兄貴が生きてて王様で、オレが王子様ってゆーのもなぁ……」
 戸惑いはよくわかる。フィリシアも自分と同じ顔をした少女がごく平凡に暮らしていることに混乱したのだ。そして、仲のいい相談役の少年と恋人同士になっていたのだから、頭で理解していても感情がついていかなかった。
 目の前にしてもそうなのだから、話だけ聞いている彼はそれ以上だろう。
 小さく息を吐き出して、彼は言葉を続けた。
「オレは兄貴死んだのもよくわかんなくて、先生になって病気治してやるんだってずっと言ってた。それ聞いて母親が泣いてたんだ。残酷だよな」
「つー先生みたいになるってゆーのが、惣平の口癖だったんだよね?」
 出し抜けに明るい声がかけられ、フィリシアが惣平に向けていた視線を廊下へと移動させると、そこにはたこ焼きの乗ったお皿を持ちながら美奈子が立っていた。
「つー先生?」
「小児科の先生が津野田先生っていうの。だからつー先生。でも……」
「産婦人科の先生も捨てがたい」
「そうそう! このスケベ!」
 気持ちを切り替えるように少しおどけた惣平を美奈子が明るく笑い飛ばす。
「スケベじゃないだろ。オレは子供好きなんだよ」
「とか言ってさーやらしいよね、フィリシア」
「でも、いい先生になりそう」
 くすりと笑う。真面目な優しい医者になるだろう。この世界の仕組みを少しずつ理解したフィリシアは、医療機関というものが担当する病気やその性質によって細分化されていることを知った。それぞれに専門分野があり、その医師が集まって大きな病院を作ったりするその仕組みはとても興味深い。
 一人の医者が出産から臨終までを診るのが当たり前の世界とは違うのだ。
 そんな中で、惣平が子供に囲まれて苦笑している姿は簡単に想像できた。
「キミ、よくわかってる」
 肩を軽く叩く。そして深々と頷いた。
「何がキミなの――!? 似合わないっ」
「お前とフィリシアは違うの」
 べっと舌を出す。
「差別!」
「うるさい。オレは毎日子守りしてるし、絶対に子供のあつかいうまい」
「子守り?」
 フィリシアと美奈子が声をそろえると、惣平はニッと笑って美奈子を指差した。
「そう、子守り」
「ひっどーい! 私、子供じゃないし!」
「ガキだろ」
 美奈子が近づいてきた瞬間、ふわりと鼻先をかすめた香りに思わず口元を押さえた。なにかが胃からせり上がってくると思った直後、フィリシアは近くの水飲み場に駆け寄っていた。
 最近、匂いに反応して気分が悪くなることが多い。嘔吐がおさまると体がだるいような気がしてしばらく動けなくなる。環境の変化に体がついていかず、発熱が続き、体調が崩れやすくなっているのかもしれない。
「大丈夫か?」
 戸惑うような惣平の声が聞こえた。
 口をゆすいで息を整えてから、フィリシアはようやく顔をあげる。
「ちょっと体調悪くて。……ミナ?」
 たこ焼きを持ったまま少し離れた場所に立つ彼女は、なぜか青ざめて震えているようだった。
「どうかしたの?」
「あ……うん、最近、つられて気分悪くなっちゃうから」
 不自然な位置で苦笑する。重ねて問おうとするフィリシアの肩に惣平の手が置かれ、ぐっと力が入ったことに疑問を抱いて彼を見ると、真剣な眼差しで顔をのぞきこまれた。
「なに?」
「……シア、まさか……」
 続けて問うその声が、やけに低く廊下に響いた。

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