【二十九】

 惣平は溜め息をついた。
 フィリシアと名乗った少女は彼の幼なじみであり恋人でもある美奈子と瓜二つ。雰囲気はまったく違うが、黙って立っていれば彼らの両親でさえ一瞬戸惑うほど似ていた。
「気味が悪いな……」
 素直な考えをもらすと、
「なにが?」
 ふと机が陰る。見れば、クラスメイトが不思議そうな顔で立っていた。
「なんでもない」
「ふぅん? ああ、そうだ。文化祭の出しもん考えてるんだけど、喫茶店にしようかって」
「いいんじゃないの?」
「適当に返事すんなよぉ。このままだと仮装喫茶に決定するんだよ。反対だろ?」
「別にー」
「お前、変な格好して写真撮られまくりたいのか?」
「それは嫌」
「だろ!? 反対しろよ!」
 念を押して男子生徒が去っていく。別のクラスメイトにも根回しをしているらしく、次々と掴まえては話しかけていた。
「出しもん決めるの大変なのになぁ」
 仮装喫茶だってホームルームでは確定せず、いろいろ時間をとってようやく決まったのだ。そして文化祭まであと一ヶ月。
「衣装作る時間なくなるぞ」
 文化祭間際に居残りなんて洒落にならないとつぶやいて廊下を見ると、見知った少女がキョロキョロしながら歩いているのが目にとまった。
 その名を呼びかけ、惣平は慌てて言葉をのみこむ。
「シア」
 かろうじて不自然にならない呼び名を口にする。廊下に出ると、フィリシアがほっとしたように立ち止まった。
「そ、惣平」
 ぎこちなく呼ばれるのは妙な気分だった。きっとアーサーという名を思い浮かべたんだろうなと、昨日聞いた彼女の話からそう考える。
 フィリシアはセーラー服を着て、もじもじしながら惣平を見ている。どうやらスカートの裾を気にしているらしい。彼女が庭に倒れていたときに身につけていたのは、美術の教科書や舞台などで見るきらびやかなドレスだった。胸元は大胆に開いていたが地面にするようなロングドレス――膝上十五センチのスカートは、さすがに恥ずかしいのだろう。
「どうしてわかったの?」
「え?」
 不意に問いかけられ、惣平は小首を傾げた。
「出かける時、ミナの両親も気付かなかったのに」
「ああ、そのくらい」
 わからないはずはない。確かに容姿は瓜二つだが、仕草や雰囲気が違うのだ。
 惣平は苦笑してからフィリシアをまじまじと見て口を開いた。
「……いつから?」
「え?」
「まさか朝からミナのフリして……だから、一人で登校するって言ったのか、アイツ」
 フィリシアの言葉から推察して、惣平は低くうめいた。
 頭が痛い。いくら外見が同じだからと言っても、いきなり見ず知らずの人間と入れ替わろうだなんて――姉妹といつわって一緒に登校されるのも問題だが、こんな無茶なことをするなんて、あまりに美奈子らしくて頭痛がした。
「本当、なに考えてるんだ、あのバカ」
 美奈子が惣平の家でくつろいでいる姿が目に浮かぶ。一般常識すらない人間を代役にたてて平然としていられるあの神経がわからない。
「――ごめんなさい」
 項垂れてフィリシアが謝罪した。一瞬美奈子に謝られたような気がして動揺し、惣平は小さく息を吐き出した。
「シアに言ってるわけじゃないよ。オレこそ、ごめん。アイツのバカっぷりを忘れてた」
 毒づくと、フィリシアは目を見開いてから微笑する。顔も体型も本当によく似ているが、やはり二人はまったく違う。フィリシアはどこか大人びて見え、だからいっそう戸惑ってしまう。
「なにかあったら、ここに来てくれればいい」
 教室を指差すと、フィリシアも視線を動かした。そして、ぐるりとあたりを見渡して、感嘆するような吐息をつく。
「すごいのね、ここ」
「どこが?」
「こんなに大きな施設、はじめて見た。学問って、王族や貴族、身分の高い人間がするのが普通だったから。音楽で先生が来て勉強が始まるの、すごく面白い」
「……授業内容、わかるの?」
「授業?」
「勉強の内容」
「全然」
 表情が明るくなる。ちょっとおどけたような仕草が、美奈子にとてもよく似ていた。
「成績悪いの周知の事実だから……運がいいのかな」
 惣平が苦笑する。勉強についていけなくても、まわりはあまり気にとめないだろう。
 美奈子の勉強のスタイルは一夜漬けた。もともと勉強嫌いな彼女の成績は低迷し続けているのだが、本人は日常に勉強という行為を取り入れる気がない。赤点を増産させた時には真っ青になって勉強をするが、それも改善されると再び勉強をやめてしまうのだ。
 唯一の得意科目は体育というなんとも情けない少女。
 それを思い出して、惣平は盛大な溜め息をついた。
「あ、ミナ!」
 明るい声の方角に惣平が視線をやると、大きく手を振りながら小柄な少女が駆けてきた。
「五組の小野寺。ミナはおのっち≠ニか呼んでたかな」
 フィリシアは惣平を見てから駆けてくる少女に向き直った。
「どうしたの、おのっち」
 ごく自然に問いかける。その姿は美奈子そのもので、惣平は驚いてフィリシアの顔を凝視する。
「それがさぁ、友達の友達ってヤツがね」
 息を弾ませながらも、彼女は小声になる。ちらりと惣平を気にするように視線を走らせてから、フィリシアに向かって口を開いた。
「できちゃったらしくて。ウチのガッコじゃないんだけど、お金集まんなくって困ってんだって。カンパできない? なんかさ、大きくなりすぎたとかで、普通の病院じゃ断られたらしんだよね。……一応やってくれるとこ見付けたんだけど、リスクが高いって料金つりあがっちゃって大変なんだって」
「……カンパ」
 フィリシアが口の中で繰り返すのを見て、惣平が慌ててポケットを探った。
「ほら」
 ぐしゃぐしゃにたたまれた千円札を突き出すと、小野寺はおっという奇妙な声をあげた。
「ありがと! マジ助かるぅ」
 千円札を握りしめ、大げさに頷いてから再び廊下を走っていった。
「今のなに?」
 フィリシアは惣平に問いかける。
「お金」
「あれが? 紙に見えたけど」
「紙幣ってやつ。……なかったの?」
「うん」
 なんとなく頭を抱えたくなった。こうやって少しずつフィリシアによってイメージが狂っていくと、美奈子のバカっぷりがさらに定着しそうな気がした。
「できちゃったって、なにが?」
 ものすごく素直に聞いてくるので、惣平は廊下のすみに移動してフィリシアを見た。
「できちゃったって……妊娠したってことだろ」
「――妊娠? 赤ちゃんができたの?」
「で、産めないし親にも言えないから、こっそりおろそうってやつ」
「……おろすって?」
「人工中絶」
「それ、なに?」
 どうしてそこまで質問するんだと逆に問いかけようとして、惣平は口ごもった。フィリシアは本当に真剣な表情で惣平の次の言葉を待っている。日本では珍しくないその行為は、海外では非難される場合あり、状況によっては認められないこともある。
 ましてや彼女の住んでいた場所は、その言葉を信用するならあまりにもこことはかけ離れているのだ。言葉の意味も内容も、理解していない可能性が高い。
「……お腹にいる子供を、生まれる前にそのまま殺すこと」
 残酷な言い方だと思いながらも素直に伝えた。その方法は以前少し聞いたが、とても口にはできなかった。
 フィリシアは押し黙りそれ以上口をきくことはなかった。
 彼女はアーサー≠フ兄である男と婚約していたという話だ。他人事と割り切れるほど無関係な話題でもなかっただろう。言い過ぎたと後悔した直後、予鈴が鳴り響いた。
「シア、教室に……」
 ふっと、言葉につまる。青白い顔をした少女は、口元を押さえていた。
「どうした?」
「ん、なんか気分悪くて。ごめん、平気」
 慌ててそう返して、フィリシアはキョロキョロと廊下を見た。まだ多くの生徒が廊下に残っているが、その動きから彼女が自分の教室を探していることがわかった。
「二組だ、あっち」
 指をさして教えると彼女は頷いて歩き出す。
 その後ろ姿に、惣平は訳もわからず動揺した。

Back  Top  Next