【十六】

「おはよう」
 大挙をして遠ざかる派手な人々を廊下の窓から眺めていると、背後から少年の声がかけられた。
 フィリシアは振り向き、少年を見つめる。
「昨日の踊り子だろ? 舞姫。なんか、全然雰囲気違うなぁ」
 少年は興味深そうに頷いている。
 演舞のさいには相応の衣装を身にまとい、化粧をほどこす。何より重要なのは、そこにいる人々を自分の作り出す世界に引き込むことだ。
 雰囲気が違うのも当然だろう。
 その舞台に立つのがただの少女であってはならない。そこにいるのは、一流の踊り子であり、舞姫と呼ばれる女なのだ。
 フィリシア自身も意識してそう振る舞っている。
「あなたは?」
 警戒するようにフィリシアは少年を見た。城下町でも見かけそうなほど簡素な服を身につけた彼は、
「アーサー」
 そう答えてフィリシアの手をとった。
 アーサーといえば国王の腹違いの弟にあたるはずだ。王族なら先刻の行列の中にいなければならない。
 確かこれから大聖堂で儀式があると小耳に挟んだ。国王の戴冠十年式典に、王子が欠席していいはずはないだろう。
 偽物かと勘ぐっていると、アーサーと名乗った少年はぐいぐいフィリシアの手を引っぱって歩き始めた。
「食事は?」
「すませた」
「部屋はどう?」
「……いい部屋だった」
「だろうね。兄上、キミの部屋指定してたもん。珍しいなぁ。キミのこと、気に入ったのかな」
 くすくすとアーサーが笑った。
 まさか泉で裸を見られたから面識があるとはとても言えず、フィリシアはただ沈黙した。
 王城は夕刻には閉門する。そして施錠をし、夜間は往来の一切を禁止していた。
 宴に参加することを許された一般人は、ゆえに王城で一泊しなければならない。その費用は城がすべて負担するという好待遇で、加えていうなら無償で泊まれるにしてはどの部屋も破格だった。
 その中にあってなお、フィリシアが案内されたその部屋は別格。
 とても踊り子風情が泊まれる場所ではない。しかも、廊下を挟んだ隣の衣裳部屋を好きに使っていいという。
 国王であるエディウスが一体なにを考えているのか見当もつかず、フィリシアは自然と険しい表情になった。
 一瞬彼に理由を聞こうかと思ったが、フィリシアはすぐにそれをあきらめた。彼女以上に興味深そうなそぶりをみせる彼にエディウスの動向を聞いても望んだ答えは返ってきそうにない。
 それに――。
「アーサー王子?」
 彼が本当の王子かどうかもわからないのだ。王子のふりをした旅人かもしれない。同じ旅人同士なら、ただ立ち寄っただけの国の王子の顔など知るはずもない。
 からかわれているかもしれないと、フィリシアは警戒をあらわにする。
 昨日は散々目立ったのだ。
 いつもならさっさと立ち去るのだが、剣を所持して城内に入った上に勝手に演舞を披露したせいで、剣は取り上げられるわ無理やり部屋をあてがわれるわで、結局ここに足止めされてしまった。
 そのことを知っているなら、暇な男が声をかけてきても別段不思議ではなかった。
「本物?」
 問いかけると、少年がちらりとフィリシアに視線を投げた。
「もちろん」
 笑顔であっけらかんと返すと、後方から悲鳴があがった。
 ぎょっとして振り返った先には、見るからに青くなった侍女の姿があった。彼女は白いエプロンを握りしめ、ブルブル震えながら目を大きく見開いていた。
 動揺のあまり声が出ないように、しばらく口を開閉させて、ようやく喉の奥から声を絞り出した。
「アーサー様、どうしてこのような場所に……!?」
「あ、見付かった」
 ぺろりと舌を出したと思ったら、手を掴んだまま走り出した。
「ほ、本物!? って、式典は!?」
 大聖堂へ向かう行列の中に王子の姿がなければさぞ混乱することだろう。いくら国王が主役といえども、その弟が席をはずしていいはずがない。
 本物の王子がここにいては問題がある。
「サナットが――オレとよく似た背格好の友人が代わりに出席してくれてる。オレ、堅苦しいのダメだから」
 いけしゃあしゃあと言ってのけ、アーサーはフィリシアの手を握りしめたまま通用口から飛び出した。
 柔らかな栗色の髪が風に揺れている。
「ねぇ、釣りに行こうよ。馬を用意してあるんだ」
 そう言って、アーサー王子は無邪気な微笑を浮かべた。唖然とするフィリシアを近くに待機させていた馬に乗せ、本当に川に向かって走り出した。
「式典は!?」
「面倒臭い。あーゆうの苦手。兄上が適当に話し合わせてやってくれるよ」
 人工的に作られたのだろう山道を巧みに馬を操って駆け抜けていく。乗馬の腕はたいしたものだが、操る当人の中身はまるで子供のようだった。
 激しく揺れる馬上ではしゃべることが困難で、フィリシアはただ馬から振り落とされないようにアーサーにしがみ付いて、流れていく景色を辛うじて見つめる。
 やがて馬は失速し、川のほとりでいななきをあげた。
「王子!」
 申し訳程度に裸身を隠したあられもない姿の女たちが、馬上にアーサーの姿を見つけてコロコロと笑いながら近づいてくる。
 女たちがはじいた水か光を乱反射させた。
「あれ? 来てたの?」
 慣れた様子でアーサーが笑っている。
「いい加減なうえに女好き……!?」
 なんだか誰かを彷彿とさせるその少年を、フィリシアは引きつった顔で見つめた。
「これじゃ魚釣れないなぁ」
 目のやり場に困るほど官能的な女たちを困ったように眺め、アーサーが苦笑を漏らす。てっきり女たちと川遊びに興じるかと思いきや、意外にも彼は手綱を握りなおした。
「王子!?」
 いかにも驚いたようにかけられる女たちの声に、彼は軽く笑顔を向けた。
「ごめん、今日は彼女と魚釣りなんだ」
 大声で返すと、女たちは不満げに声をあげた。
「またね」
 惜しむ様子もなく彼は手綱をひく。
「――いいの?」
 思わず問いかけると、王子は小さく笑った。
 背後からはさまざまな文句が飛び交っている。それを背に受けているフィリシアは、ひたすら居心地が悪かった。
「夕方までに大物釣らないと」
「夕方?」
「うん。夕食の食材」
「食材――!?」
「料理長と賭けをしちゃったから、釣らないとまずいんだよね」
 しみじみと王子がつぶやく。
 物静かな国王とは相反する少年が、苦笑しながら馬の脇腹を軽く蹴った。

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