【十四】

 戦場には似合わない派手な装飾をほどこした甲冑の男たちが、豪奢な羽飾りをつけたきらびやかな槍を斜交はすかいにして無表情にフィリシアを見おろした。
「――通してよ」
「踊り子は入城を許可されていない」
 憮然と警備兵はフィリシアに返した。昼間は派手なパレードをし、夜は巨大な城の一角を一般開放してその大広間で宴を催しているという。
 国をあげて行われる祭典は三日間。
 ただし、一日目は派手な祭りを行う一方で残りの二日間は大聖堂に籠もりきりというのがバルト王家の慣わしらしい。
 つまり、これが式典で踊る最後の機会だ。せっかく立ち寄ったのだから一舞したいとわざわざ出向いたのに、入城すら許可されない。
 フィリシアはキッと男たちを睨みつけた。
「パレード見損ねたの! 入れてよ!!」
「踊り子は入城禁止だ」
 取り付く島もない。
 身分はと訊かれ、素直に踊り子だと答えたことが悔やまれる。他にも舞い手は何人もいたが、自らを踊り子という者は誰一人いなかった。
 踊り子は踊りと同時に花≠売る。
 大国の王の御前に出るには、その身が卑しすぎると判断されてしまったのだろう。
 たとえフィリシア自身が一度としてその交渉に応じたことがないにしても、それは言い訳にしかならず受け容れられなかった。
 芸人や一般人が王城に入るのを見つめながら、フィリシアは溜め息とともに踵を返した。
 偏見だと思う。
 確かに尊敬される仕事ではないが、それでもそれを理由に頭から否定するのは納得がいかない。
 父と母から受け継いだ大切な舞を、彼女は生きる支えとして――そして、誇りに思い舞ってきたのだ。
 それを否定されるのは何より辛い。
 フィリシアは詰めていた息を吐き出す。
 ゆっくりと暮れていく空は真っ赤に染まっていた。
 城の大扉が軋みをあげて閉ざされるのを離れた場所から見つめ、彼女は闇をまとい始めた空をあおいで城へと顔を向けた。
 森で見たときにはまさか王城だとは思わなかったその巨大な建造物は、大国と名だたるバルトの中心部。
 フィリシアは城の外壁を伝いながら歩く。
 確かに王城としての規模は充分にある建物だ。
 しかしそこは大国の王が住むにはあまりに質素な作りをしている。外からもそれがわかるなら、おそらく内部もたかが知れている。
 そして。
「城壁がない」
 呆れたようにフィリシアはつぶやく。
 城壁のない城は初めてだ。街を囲う壁すらもないこの国は、敵が攻めてきた時どうやって城を――国王を守るというのだろうか。
「武術に秀でてるって噂も聞かないし」
 不用心にも程がある。
 フィリシアはしばらく歩き、通用口を見つけるとそこに駆け寄った。
 無言で手をのばし押してみるが、わずかに軋むだけで開く気配はない。どうやら施錠されているらしい。
 当然かと苦笑混じりに思う。
 いくらなんでもそこまで不用心ではないようだ。
 大扉と通用口が閉められたのなら、残るは窓かと考え込む。
 何とかして城の中に忍び込みたい。
 そして、踊り子というだけで締め出しを食らわせる澄ました国王のまえで派手に舞って、驚く顔を拝ませてもらったら拘束される前にさっさと逃げ出すのだ。
 しかしその企みも、城の中に入れなければ実行できない。
 等間隔でならぶ窓はどれもきっちり鍵がかかっている。どれかを割って入ろうにも、近くに警備兵がいるためうまく侵入できる保証はない。
 フィリシアは城の周りを歩きながら、すっかり暮れた空を見上げる。
 星が闇を彩り始めていた。
 このままブラブラ歩いていたら、そのうち出発点である大扉に戻ってしまう。
 そう思って視線を動かし、フィリシアはその途中で目を見開いた。
 王城の二階の露台バルコニーの窓が開いている。
 しめた、と心の中で歓声をあげ、フィリシアはあたりを見渡した。中の警護を厳重にしているからか、それとももともと警備が薄いのか――近くに、人のいる気配はない。
 フィリシアは長いローブから腕をのばし壁に手をあてた。
 手探りで隙間を見つけると、もう一方の手で再び壁を探る。
「――行けそう」
 足をかける場所を探して、腕に力を入れる。さらに手のかかる場所を探して移動し、慎重に体重を移動させながら少しずつ登り、やがてその右手をバルコニーの床にかけた。
 程なくバルコニーに立ったフィリシアは体についた埃をはたきながら部屋の中を見た。
 レースのカーテンをひかれたその部屋は妙に広い。
 広いがどこか寒々としている。
 部屋にはわずかな調度品と、黄金色こがねいろに輝く悪趣味な天蓋つきのベッドがあった。
 部屋に一歩足を踏み入れ、フィリシアは顔をしかめた。
 甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 長い旅のあいだに何度か嗅ぐことになった、脳の一部を痺れさせるような独特の芳香。
「……クカ」
 麻薬の名を呼び、フィリシアは口をつぐんだ。
 王城の一室でその香りが部屋にしみこむほど愛用している者がいるらしい。クカは常用性がなく貴族にも好まれる麻薬だ。だが、王城で使用されるべきものではない。
 これが国民に知れ渡ったら間違いなく醜聞だ。
 フィリシアは一瞬考えるように室内を見渡した。
 泉で出会った男も、どこか甘い香りをまとっていたような気がする。
 部屋着姿だったのだからクカの香りなど入浴の際に落ちているとは思うのだが、なぜか気になってフィリシアは小さくうなりながらドアに向かった。
 いまは部屋の持ち主の詮索より、宴を催している場所まで行くのが急務だ。
 ふっと室内を振り返り、彼女はドアノブに手をのばす。
 なにか引っかかるような物を感じながら彼女は部屋を出て、廊下に敷き詰められた赤絨毯に不審げな目を向ける。
 質素な王城にあの広い部屋があること自体すごいと思うのに、部屋の主人はなかなか身分が高いらしい。上等な赤絨毯を踏みしめながら、フィリシアはそう結論を出した。
 そして、不意に聞こえてきた楽器の音に目を輝かせる。
 踊りたいと思ったときには足が勝手に駆け出していた。
 驚いたような人々の顔と、それ以上に困惑した警備兵の顔がいくつも見える。
 それらをすべて無視し、フィリシアは音をかなで続ける場所に向かった。
 楽器を手にする者は、おそらく名の通った弾き手に違いない。どこまでも澄んだ音色に我知らず笑みを漏らし、大広間で音楽と踊りに酔いしれる人々の壁を乗り越え、フィリシアはその中央へと躍り出た。
 ふわりと長いローブが宙を舞う。
 その柔らかな動きよりなおしなやかに、少女は大国の王の御前にその姿を現した。
 舞姫と呼ばれた高潔な笑みをたたえて。

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