【十一】

 ウェスタリアに言われて、何度あの葉を買いに行っただろう。
 店主は子供が大金を持ち歩いていることに気をとめる様子もなく、店の前で遊んでいる少年だけが嘲笑うような視線を向けてきた。
 その意味もよくわからず、エディウスは言われたとおりにクカの葉を買いに行き、そしていつものようにウェスタリアの元へと届けた。
 ドアをノックするとややあって、気だるげな返事が聞こえた。
 エディウスは不審に思いながらもドアを開ける。
 その部屋は白くけぶっていた。
 肺がただれて腐り果ててしまいそうな甘い芳香にエディウスは息をつめる。
「おいで」
 気だるげな声が呼びかける。
 天蓋つきのベッドは薄い生地のカーテンがひかれていた。そこから白い手がのび、おいでおいでと少年を誘う。
 どこか不気味なその呼びかけに、しかし彼は深く考えることなく従った。
 室内は厚手のカーテンを引いたままでどこか薄暗く、こもったような空気が渦を巻いていた。
 エディウスがベッドのわきまで行くと、ウェスタリアの手はクカの葉を受け取っていったん引っ込み、再びのびてきた。
 指がゆっくりと少年の頬をたどる。
「エディウス……」
 うっとりとした女の声が少年の耳へと届く。意味もわからず戸惑うエディウスを、彼女は強引に引き寄せた。
 世界が反転する。
「ウェスタリア様?」
 柔らかいベッドに倒れこむと同時に甘い芳香が全身を包む。その不快さに、エディウスの声が震えた。冴え冴えとした意識の中で見た優しかった女の顔は、狂気じみた笑顔へとその形を変えていた。
「エディウス」
 甘い声を耳にしたとき全身を包んだのは、紛れもなく悪寒だった。
 覆いかぶさってくる女の肢体。柔らかくなまめかしいそれがなにを求めているのかを理解するには、当時の彼はあまりに無知だった。
 甘い香りをのせ、しなやかな指先がからみつく。
 よせられる唇の意味すらわからなかった。
「いっしょに溺れましょう」
 母としての愛情を求めてきた人は、女の顔で笑っていた。
 それが愛情以外のものであると判断すらできず、彼はただ求められるままに強烈な快楽に溺れた。
 十二歳の誕生日を過ぎ、彼女の体に変化が現れるまで続いた情事。
 いつしかそれが背徳の行為であると気付きながら、溺れることしか知らなかった事へのつけは、確かな形となって少年の前に突きつけられた。
「エディウス、ほら。あなたの――弟よ」
 嬉しそうに笑う女を直視することができなかった。その腕に抱いたものがなんであるかを、誰よりもよく知っていたから。
 不義の子。
 夫である国王は、エディウスの母にのみ愛情を向け続けた。ウェスタリアの懐妊を疑問に思った者は彼女のもとに王が通っていなかったことを知り、間男を捜そうと必死になった。
 しかし、不逞の輩の捜査は難航した。
 ウェスタリアは、身籠った時からすでに気がれていたのだと宮廷医師のオルグは青ざめたままうめき、彼女は自分が生んだのは王との和子であると言い張った。
 エディウスに疑いの目が向かなかったのは、彼がまだ幼すぎるという理由だけだった。けれど、一番ウェスタリアになついていた少年がなんらかの情報を掴んでいるのではないかと踏んでいた官司たちに連日のように問い詰められた。
 足音が聞こえるたびに逃げ出したい衝動にかられた。向けられる視線に軽蔑の色が浮かぶことがないように、彼は毎日祈り続けた。
 そして、いつ真実が公になるのかと怯え続け後悔を繰り返すその生活に、少年の心は疲れ果てていた。
 何度も城の窓から身を乗り出したか知れない。
 刃物を見れば自然と手を伸ばすそんな日々が続き、それでも寸での所で泣きながら手を引いた。
 死ねばどれほど楽だろう。
 多くの目と言葉は残忍な刃となって確実に彼の心をいでいった。その苦痛を忘れられるならどんなに幸せだろうかと――そう、自らに問いかけられずにはいられなかった。
「弟よ、エディウス」
 ウェスタリアは赤ん坊を抱きしめてささやく。
 命を絶てば疑惑の目が自分にも向くかもしれない。他の可能性の一切が否定された現状では、どんなに有り得ないと思われても真実のみが浮き彫りにされる。
 そして責められるのは、王妃という立場でありながら第一王子と通じた彼女だ。
 罵声はきっと、彼女を容赦なく追い詰めていくだろう。
 その後の悲劇を予想し、彼はただ苦痛だけが残る時間を息を殺すように過ごしてきた。
「エディウス、あなたも私と同じ。とうに狂っているのよ」
 甘い芳香をまき散らし楽しげに微笑む女。
 母のように慕ってきた女の変貌に吐き気さえ覚え、そのおぞましさをエディウスは必死で耐えた。
 足元が崩れていくような底知れぬ恐怖の中で、彼はただ声もなく叫び≠ツづける。
 どうすればいい、と。
 なにを償えばいい――
 と。
 ふとあげた視線の先には、父がいた。
 突き放すようなその眼差しが、恐怖を絶望へと塗り替えた。
 父は知っているのかもしれない。
 知っていたからこそ、正室の不貞を追求せず、生まれた子を我が子として育てることを許したのかもしれない。
 絶望は底なしで、底を知れば泥沼になる。
 己の罪の深さに少年はただ自らを責め続けることしかできなかった。

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