【十二】
石で囲まれたその場所は、小さな明かりが一つだけ揺れていた。
「こんな場所あったんだ……」
無駄に広いバルト城には未使用の部屋が数多く存在していた。フィリシア自身、怪我が治ってから訊き込みをかねて何度か探索してはいたが、この部屋は初めてである。
もっとも、好きで入ったわけではない。
大きな石を組んで作られたその部屋には窓一つなく、ドアのかわりに等間隔の鉄の棒が並んでいる。それは女の細腕でどうにかできるようなものではなかった。
そして、出入り口はしっかり施錠されている。
フィリシアは小さく息を吐く。
(私のとるべき道は二つ)
心の中で囁いた。
一つは、このまま生きながらえて数日後に訪れるだろう公開処刑をただ怯えながら待つ。
もう一つは、生き恥をさらす前に自害する。
「逃げ出す事は……できそうにないよね」
フィリシアは鉄柵の間から手を伸ばし、ドアを閉ざし続ける南京錠に触れた。南京錠はやけに新しく、驚くほど大きかった。
地下牢の格子に合わせて特注したものだろう。
「裏切り者は、顔が利くってことかしら」
なんにせよ、時期が悪すぎる。もともと手薄な警備しかされていなかったバルト城は、雨の日にはさらに人手が減る。雨天は外出する者が減るからという、ひどく曖昧な理由で。
それに今晩は仮面舞踏会が催されていた。
そこには国の現在と未来を預かる重鎮たちも多く含まれており、彼らもこの夜襲で捕まったとなれば――バルトは、重大な局面をむかえたと言っても過言ではない。
国は一人で動かすものではない。
多くの忠実な臣下、多岐にわたり優秀な人材、そして彼らをまとめる者がいて、初めて輪郭を現していくものだ。
フィリシアが唯一無事だと信じられるのは、エディウス一人。
最悪の事態は免れた。
フィリシアがシャドーに拘束された時、寝所のベッドを調べる者の姿はなかった。あの調子で見当違いの場所を探し続けてくれれば、国王は難を逃れられる。
乱戦によって混乱をきたしたあの場所は、飛び散った血で隠し通路の入り口が随分わかりにくくなっているはずだ。
現段階ではエディウスは無事であると考えるべきだろう。
少なくとも、エディウスが捕まったのなら何らかの動きがあってもいい。
現時点では、夜襲のあとの
フィリシアは南京錠から手を放した。
脳裏をかすめる不吉な予感を振り払うように、フィリシアは目をつむって頭をふる。
エディウスはまだ捕まってはいない。
「大丈夫、まだ……」
そう言って己を落ち着けさせようとしても、拭いきれない不安が胸の内でくすぶっている。
平穏だった大国が一晩で陥落した。
国王が無事逃げられたのは不幸中の幸い――しかし、その事実を単純に喜ぶわけにはいかなかった。
フィリシアは震える指を喉元へ運ぶ。
微かな痛みが彼女に現状を伝える。
(シャドー……)
フィリシアを拘束したのは、アーサーを守っているはずの男だった。
(彼がアーサーを裏切ってイリジアに付いた?)
それは有り得ない。
彼のことをよく知っているわけではないが、フィリシアは瞬時にその疑問を打ち消した。王族に仕える者は先祖代々忠誠を誓っている者が多く、よほどの事情がない限り主人を裏切ったりはしない。それに、あの手の男は主人に忠実だ。
自我をねじ伏せてでも主人に尽くし、決して私利私欲で寝返ったりはしない人間だと思う。
(でも、シャドーは私を殺す覚悟で捕まえた)
ざわりと背筋に悪寒が走る。
喉に突きつけられた細長い武器の殺傷能力はさほど高いわけではなかった。だが、使い方によっては確実に敵を死に至らしめることのできる物でもある。
彼はそれを容赦なくフィリシアに向けた。
(シャドーがアーサーに忠誠を誓ったままバルトを裏切ったのなら――)
それは噛み合ってはならないはずの符号。
「バルトを裏切ったのは……」
全身を包む悪寒に、フィリシアは体をこわばらせる。
一人だけいる。
地位が高く、イリジアとの繋がりがある者が。
城の警備を手薄にさせることも、夜会で重鎮たちを集めることも、城の内部に反旗の種を植えることさえ可能である者が、たった一人だけいる。
「でも……血をわけた……」
地下牢のドアがゆっくり開いていく。柔らかそうな光りをたたえる廊下には多くの松明があり、イリジア兵が着ている甲冑が鈍く光っている。
その甲冑の間を縫うように、見慣れた少年が近付いてきた。
「血をわけた兄弟でしょう……?」
彼はゆったりとした足取りで薄暗い地下牢へとつづく石の階段をおりてくる。敵≠フ
それが、疑問を確信へと変えた。
「どうして!」
叫ぶようなフィリシアの声に、彼はなにも答えずに瞳を細める。
「どうしてそこにいるの!?」
少年は無言のまま階段をおり、少女の目の前で足を止めた。
「答えて! アーサー!!」
フィリシアの悲痛な問いかけに、アーサーは微笑んでいた。
ただ、残酷に。