【四】

 途切れることなく緩やかに流れる音楽。
 あでやかな女たちが男たちに誘われて、舞踏会の輪の中へ消えていく。アーサー王子が主催した仮面舞踏会は、王城で開かれるには異色の催しだった。
「盛況ですな」
 派手な羽飾りをつけた仮面の男が、壁に背をあずけたまま微動だにしない漆黒の仮面に声をかける。
「要人は全員出席している」
 漆黒の仮面は簡潔に答えた。
「ほう――さすが、アーサー王子」
 そのつぶやきに、漆黒の仮面が男を見る。
「貴方が出席されるとは思いませんでしたよ、イリジアのゼノム殿」
 漆黒の仮面――アーサーの言葉に羽飾りの男は小さく笑った。
「今夜は貴方のそばが一番安全でしょう」
 皮肉な口調だった。
 しかし、アーサーはなにも返さず再び優雅に踊る人々へと視線を戻した。
 妖艶ともいえるドレスをまとった女たち。初めて開かれた仮面舞踏会≠ヘ、淫靡な響きをもって受け入れられた。
 大きく開けた胸元に細く締めあげられた腰。高く結わえられた髪がうなじを美しく見せ、そこから続く背中のラインをさらに際立たせる。
 目元だけを隠した仮面は、女たちをいっそう妖艶とした美女に見せた。
 男たちは女を誘う。
 太陽のもとでは見ることのできなかった蠱惑的な女を。
 アーサーはわずかに視線を動かした。
 大広間のドアは四つ。その一つは、彼のすぐ隣に位置している。そして、他の三つのドアにはそれぞれアーサーと同じ漆黒の仮面をつけた男たちがひっそりと立っていた。
 三つのドアに立つ男たちが、申し合わせたかのようにドアノブに手を伸ばす。
「――時間だ」
 吐息のようにささやいて、アーサーもまた、ドアノブへと手を伸ばした。
 重厚なドアが開く。その奥から現れたのは、この場にひどく不釣合いな男だった。優雅に踊る人々は、怪訝そうにそれぞれのドアへと視線を向ける。
 一つのドアに一人ずつ、剣を片手にずぶ濡れになった剣士が立っている。
 体の一部のように張り付く甲冑、雷鳴を受け不気味に輝く剣。そしてそれを持つ男たちの容姿は、明らかに招待客である彼らとは異質だった。
 ドアに立つ男の一人が剣を大きく薙ぎ払う。
 一瞬凍りついた空気が、絹を裂くような女の悲鳴で破られた。
 アーサーはゼノムと呼ばれた男を誘導し、素早くドアを潜り抜ける。
「おっと、夜会はこれからだぜ?」
 ドアを閉めた瞬間、野太い声とともに剣が突きつけられた。
 大広間にあった出入り口は四つ。進入してきた男たちも四人――。
 アーサーの目の前にいるのは、五人目の刺客。
「――剣を引け」
 ドアに背をあずけたまま、アーサーは低い声で男に命じる。背後から、女の悲鳴と男たちの叫び声が聞こえた。
 丸腰のバルトの民。この大広間に集められた者の多くは、それぞれの得意分野で名をはせる偉人たちばかりだ。政治に明るい者もいれば、巨万の富を有する者もいる。貿易で名を上げる者、古来よりバルトに仕える従順な臣下たち――。
 大広間にいたのは、国の中枢を動かす人間。
 アーサーの前に立ちふさがる男は一瞬だけドアへ視線を向け、助けを呼ぶ人々の声に耳を澄ます。
 男が視線を対峙する少年に戻しても、大広間の惨状などまるで聞こえないかのように、彼は一切表情を変えることはなかった。
「……あんた、アーサー王子か」
 男が剣を引いた。
「黒い仮面に胸の赤い花。いい目印だ」
 にっと男が笑う。彼はそのまま背を向け、廊下を歩き出した。
「こっちへ来い。あんたが見付かるとヤバいんでな。――っと、後ろのオッサンもついてこいよ」
 男は言いながら、体を低くして剣をかまえる。無駄のない動きだ。
 世界が一瞬、光で満たされる。その直後、耳を覆いたくなるような轟音とともに床がわずかに揺れた。
 悪くない天候だ。激しい雷雨が雑音をかき消してくれる。
 男は獰猛な笑みを見せた。雨音とは異なる音が混じる。乱れることのない足音は、遊びほうける貴族のものとはいささか違う。
「おい、いまの悲鳴は――」
 廊下の角を曲がって走ってきた兵士が、はっとしたように立ち止まった。
「アーサー王子? これは、いったい……」
 見知らぬ男に警戒して剣に手を伸ばしかけ、兵士はすぐにアーサーの存在に気付いて動きを止めた。王子に剣を向けるわけにはいかないと、とっさに判断したのかもしれない。
「平和ボケしすぎだぜ、あんた」
 低くささやいて、男は剣を振り上げた。
 驚愕に歪んだ顔が雷光で白く浮かび上がる。大きく開いた口からあふれ出した悲鳴は、雷鳴にかき消された。
 ――同時刻――
 少女はふっと顔を上げる。
「フィリシア様?」
 息を殺した女主人に、侍女は不思議そうな視線を向ける。
 フィリシアはなにも返さず、ただじっと闇を睨んでいた。
「どうかしましたか?」
「……悲鳴が……」
 聞こえた気がする、と心の中で続けて、眉を寄せた。
(――気のせい……?)
 激しい雷雨が続いている。普段はひっそりと夜のとばりのおりる時刻であるのに、今夜は静寂を打ち破るような激しい雷鳴が轟き、雨足は強くなる一方だ。
 この雨の中、夜会に出席する人間は相当な物好きに違いない。
「……あ、大扉は夕刻で閉まるか」
 ポツリとフィリシアがつぶやく。確か一度閉じたら夜が明けるまではよほどの理由がない限り開かないと聞く。もっとも、夜遅くまで遊びまわって窓から帰ってくるという不届き者もいないわけではないのだから、城内の出入りが完全に禁止されているのではないようだ。
 ただ夜会に出席する者はそれなりの身分らしく、大扉が閉まる前に全員入城している。そして今晩はこの城の一室を仮の宿とするのだ。
 無駄なほど広い城には部屋が呆れるほど余っている。たまの来客が例え三桁であったとしても、なんとか対処してしまうのである。
 明日の朝食は大騒ぎだろう。臨時で雇ったコックの数は、料理長でも未確認であるに違いない。
 小さく笑って、フィリシアはマーサを見た。
「さ、マーサ……」
 声をかけると、マーサはうっとりと溜め息をついていた。
 目の前にいるうら若き女主人の変貌は、見事としか言いようがなかった。
 初めはマーサがフィリシアに化粧をしようと奮闘していた。だが、あまりにその手元がおぼつかず、見かねてフィリシアが小さく揺れる蝋燭の炎をたよりに化粧をすることになった。
 不安そうに見つめていた侍女は、フィリシアの手際のよさに唖然と見入り、そうして瞬く間に出来上がった舞姫≠ノ我を忘れて見惚れていた。
「おキレイですーっ」
 一年前に人々を魅了してやまなかった少女が目の前にいる。きりりとした目元、薄く色づく頬、ふっくらとした唇。普段はあまり気付きもしない彼女の持つ独特の存在感が、今ようやく解放されたかのようだった。
 しかも今は一年前と違って、その体つきが柔らかくなっている。夜会に出れば、男たちの目が釘付けになるだろう。
 主人の勇姿≠思い描き、侍女は頬を赤らめる。
「フィリシア様! 国王陛下はメロメロです!!」
 まだ言い足りなかったらしいマーサは、握りこぶしで力説してくれる。
 さすがにきわどい姿であることは自覚して、フィリシアは脱力した。挑発するにしても限度がある。なんでもいいからもう少し肌の露出を防がないと、とても夜会どころではなさそうだ。
「メロメロぉ」
 赤らめた頬に手をあてて、マーサがくねくね照れている。よほど気に入ったらしい。
「……いいから、あなたも化粧するのよ?」
「へ?」
「ドレスも選ばなきゃ」
「えぇ!?」
 ようやく正気に戻って、マーサが頬に手をあてたまま動きを止めた。
「夜会に出席するんでしょ? まさかその服で行く気?」
 そう言われ、侍女は服を見た。
 彼女が着ているのは侍女たちが身につける共通の作業着である。濃紺のドレスに白いエプロンが定番の、いたって簡素なものだ。とても夜会むきではない。
「ドレスは赤? んー青が似合うかしら?」
「え!? そ、そんな!! へ、陛下からの贈り物ですよ!?」
「いいじゃない、ちょっとくらい」
「でもでも」
 ドレスを選び始めたフィリシアに、マーサがすがりつく。
「私そんなに胸ありません!」
「……。そうね。詰め物がいるわ」
「……はい」
 耳まで真っ赤にして、マーサが素直に頷いた。
「なるべく胸元の開いてないドレスを選んで……うーん。エディウス、露出系好き?」
 なかなかきわどいドレスが多い。何着か手にとって、フィリシアは眉間に皺をよせる。きわどいどころか開きすぎだろうと思われる服が多数を占めているのだ。
 これはフィリシア≠フ趣味か、はたまたエディウスの趣味か。
(明日じっくり問いつめる必要がありそうね)
 真剣にそんなことを考えてしまう。
 いくつかマーサが着られそうなドレスを物色し、ふとフィリシアが顔をあげた。
 声が聞こえる。
 悲鳴のような女の声と、野太い男の声。
「フィリシア様?」
 フィリシアはとっさにマーサの口を押さえた。きょとんと見あげる侍女に黙っているように合図して、フィリシアはドアを見る。
 声が近づいてくる。
 下卑た――声。
 ざわりと背筋に悪寒がはしる。
「ここか? おい!!」
 ドアが激しく揺れる。続いたのは、女の悲鳴。
 それを聞いて、マーサが体を硬直させた。もう一度ドアが激しく揺れ、女の悲鳴が聞こえた。
「こ、こちらです!」
 震えるような声がそう答える。
「おい、ここか?」
「この辺りなのは間違いねぇ。――女、騙したら……わかってるよな?」
 ささやくような優しい声に、女は引きつった悲鳴をあげる。
(なに……!?)
 廊下で交わされる言葉。廊下を挟んで反対側ということは、つまりそこは、フィリシア自身の部屋でもある。
 フィリシアはとっさに蝋燭を吹き消した。
 おかしい。夜、彼女の部屋に訪れるのは侍女のマーサぐらいのもので、夜中に国王の婚約者であるフィリシアのもとに来る男など、今まで一人もなかった。
 それに、この会話からはっきりわかることがある。
(この城の人間じゃない)
 城の者ならフィリシアの部屋を知っているはずだ。彼女の部屋は比較的わかりやすい場所にあるのだ、いまさら確認するまでもないだろう。それも、城の者を脅して≠ワで探す必要はない。
 ドアを開ける音が響く。
 そして、怒鳴り声。なにかを破壊する音。
「舞姫はどこだ!? 言え! 言わないなら――」
 廊下から聞こえてきた怒声に、フィリシアは目を見開く。
 何がなんだかわからない。ただ、いまの状況がひどく危険であることだけは理解できる。
 ここで見付かれば安全ではいられない。相手は男で、しかも複数だ。逃げ切れる自信がなかった。
「フィリシア様……っ」
 マーサがガタガタ震えながら、しがみついてきた。
 フィリシアは彼女の体をしっかり抱きしめ無言でドアを見つめた。
「どこだって聞いてんだよぉ!!」
 怒声とともに衣裳部屋のドアが激しい音をたてた。
「ひ――!!」
 雷光が部屋を一瞬明るくした。
 衣裳部屋のドアに剣が刺さっている。赤い血をしたたらせた、不気味な大振りの剣が。
 それを見た瞬間、顔を強張らせた恐慌状態のマーサがフィリシアの腕を振り払い後退った。
 混乱をきたした彼女の体に何かがぶつかり、大きく揺れる。
 振り返ったフィリシアの目に、驚愕し色を失ったマーサの顔とゆっくりと傾いていく衣装箱、そしてそれと同じように落下していく演舞に使用するのだろう幾つもの道具が映る。
 とっさに手を伸ばし、フィリシアは衣装箱を受け止めた。
 しかし、幾つもの道具がそのまま床に叩きつけられ、大きく跳ね上がり高い音を響かせた。
 その音に、雷鳴が重なる。
「――おい」
 扉の外で、笑いを含む声が誰かにそう呼びかけている。
 少女たちのすぐ横で金属音が共鳴するように響いている。その音は雷のそれとはまったく異なるもので、不自然なほど長く続いた。
 血で染まった剣が、ドアからゆっくり引き抜かれる。
「ああ、子猫ちゃんはこっちに隠れてたかな?」
 茫然と床を見つめたフィリシアの耳にそんな言葉が飛び込んできた。

Back  Top  Next