【三】

 男たちが息を殺す。
 夕刻から降りつづく雨は一向にやむ気配を見せない。世界を覆いつくさんとするほど広がった雷雲は、天と地面を鮮やかな光の線で幾度も結んでいる。
「……行ったか?」
 木に寄り添うようにしていた男は、我知らず押し殺した声で仲間に問いかけた。
「――ああ、気付かれちゃいねぇみたいだ」
 ドアからゆっくり離れていく少女を闇の中から見つめ、別の男が安堵したようにつぶやいた。
 雨足が激しいことが幸いし、城の警固は城内のみにとどめられているようだ。巡回する兵士の姿が見えないことは大きな利点だ。
 余計な揉め事は避けたい。ここで敵に計画が知られたら、自分たちの面子めんつにかかわる。
 先発隊として送り出された自分たちが成さなければならないのは、フロリアム大陸有数の巨大国家となったバルトの一角を切り崩すこと。
 ――楽な仕事だ。
 通常、国が大きくなればなるほど警固が厳しくなる。高い城壁を築き、屈強な兵士を多く配備させるのが通例だ。
 しかし、バルトはそうではない。
 城壁もなく、警備の兵は最小限。しかも、バルト内部の要人の手によって、最近警備が縮小されたと聞く。
「うまい話だぜ」
「おい、さっきの娘――ありゃ、舞姫か?」
 煌煌こうこうと光で満たされた窓をしゃくると、さらに別の男が口を開く。
「ああ、見たことがある。間違いない」
 七人いた男の一人が深く頷いた。
「どうする?」
「どうするって、捕まえといて損はねぇだろ。国王の婚約者だ、先に押さえといたほうがこっちにゃ有利さ」
 部屋の位置を確認しながら、足早に男たちが森の中を移動する。
 服が雨を吸い込んで異様に重い。本来軽装で行動する彼らは、肌に張り付く服に眉をしかめた。
「おい、門は――」
 後方を警戒しながら走っていた男が、口をつぐんだ。
 大きな扉の前に立つ二つの影を発見したのである。この土砂降りの雨の中、律儀なことに身動きひとつせずに門を守っている。
 主要部分にのみ重点をおいたような甲冑が稲妻で不気味に光っている。警固が薄いとはいえ、そこにいる二人の男はそれなりに腕が立ちそうだ。手に持たれている槍はまっすぐ上空を向いている。
 それは計算され尽くして創られた石像のような完璧さでそこにあった。
 男たちは互いに目で合図を送り、三人が森から出た。
 数歩歩いたところで申し合わせたように口を開く。
「ったく、すげぇ雨だな、下着までぐしょぐしょだ」
一張羅いっちょうらが台無しだぜ!」
 雷に負けないほどの大声を出すと、門前の警備兵が三人の男たちへと視線をやる。体を一切動かさないところを見ると、ずいぶん慣れているようだ。
「おい、守衛さん! ここだろ、今日の夜会はよ!!」
 遠くから声を張り上げた。
「他の奴はもう来てるのか!?」
 別の男も負けじと大声を出す。それを聞いて、警備兵は怪訝そうに男たちのほうへ顔を向けた。
「ったく、せっかくの夜会だってのに、こんなに濡れちまって――なぁ、着替えは出してもらえるのか!?」
 軽い調子で近づいていくと、警備兵が表情を険しくした。
「なんの話だ?」
 警備兵の問いかけに、三人の男は顔を見合わせる。
「なんのって――夜会だろ? 今日ここでやるって」
「……夜会はある。だが、一般人の入場は禁止だ」
 警備兵の言葉に男たちは大げさに目をむいた。
「ちょっと待ってくれよ、誰でも参加できるって聞いたぜ! 城下じゃこの話で大騒ぎだ! もうすぐ皆来るんじゃねぇか?」
 両手を大きく広げて抗議すると、警備兵が男たちに向き直る。
「そんな話はない! さっさと消えろ!」
 警備兵が槍を男たちに向ける。さすがに大扉を預かるだけはあり、対処は的確だ。不審者に耳を一切貸さない点、剣の間合いまで近付けさせないその警戒心は門番として文句はない。当然のことなのだが、意外にこれができない者が多いのだ。
 だが、敵は外だけではない。
 腐敗は身の内側からも進行する。
 そしてそれは目に見えないからこそ、致命傷を与えるほどの威力を持つ。
 男たちに向き直った警備兵は、目を大きく見開いたまま、声もなくゆっくりと崩れ落ちた。
「心臓ひと突きか。いい腕だな」
 地面に伏した警備兵は、冷たい雨に打たれてもピクリともしなかった。雨に混じった血がどす黒く地面を染めていく。
 男はそれを軽く蹴飛ばして森を見て顎をしゃくる。すぐにその視線をもう一人の警備兵に向けた。
 研ぎ澄まされた剣を手に、門番が口元をだらしなく歪めた。彼はしゃがみ込んで、すでに絶命した仲間の服で剣をゆっくりぬぐった。
「ああ、血がついちまった。汚ねえ」
 まじめそうな顔でそうつぶやく。たったいま殺した同胞を死んだ魚のように濁った目で見つめ、ふっと顔を上げた。
 七人の男が立っている。
 彼らは顔を見合わせ苦笑した。
「大扉は開くか?」
 男の一人が乱暴に服を脱ぎながら言った。泥水と化した地面にそれを投げ捨てると、水を含んで重みを増したそれが不快な音をたてる。
「開くぜぇ? オレは、門番だからな」
 門番――ダリスンは、死体の腰から鍵束をむしり取り、にやにや笑った。
 それぞれに服を脱ぎ捨てた男たちを見てダリスンが口笛を鳴らす。その下にあったのは、体にぴったりと張り付くような特注の鎧と、数本の剣の束だった。
 鎧に守られた体は驚くほど鍛え上げられている。普通の男の二倍はあるだろうと思われる腕に厚い胸板、どんな剣豪と渡り歩いても打ち負けすることのない、その体を支えるための足腰。
 羅刹の道を歩いてきた猛者もさが、獰猛な笑みをたたえてそこにいた。
 彼らは城下町でいだばかりの剣をぬく。
「派手な夜会を開こうじゃねぇか」
 バルト城を守る大扉が、不気味な音を響かせてゆっくりと開いていった。

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