【十六】

「よし、これで最後ね」
 巧みに隠された壁の小さな隠し扉を見つけて、フィリシアは微かににじんだ額の汗をぬぐう。かれこれ二時間はクカ探しに没頭していただろう。
 フィリシアは部屋の中を見渡した。
 散々はがされた絨毯はグチャグチャにたたまれ、床は穴だらけ。壁にも大小さまざまな穴がぽっかりと口をあけ、わずかに置かれた調度品の引き出しは取り外され、どのドアも全開だ。
 絵画は床に置かれているし、優美なツボはひっくり返しにされている。
 掃除の手が行き届き、装飾・調度品の少ない王の寝所がここまで荒らされたのは、おそらく彼が王位を継承して以来初めてだろう。
「……帰ろ」
 荒らすだけ荒らして、フィリシアはさっさとドアにむかった。これを片付けるのには相当時間がかかる。微妙に埃っぽくなった寝室をちらりと見やり、フィリシアはぬるく笑っている。
 幸いクカは見付からなかった。
「今日はこのへんで許してあげる」
 夢中になってやりすぎた。早く掃除を頼まないと夜までに片付かない。さすがにこのままではまずい。
(無事なのはベッドだけか……)
 ふとそう思い、ドアにむかっていた足が止まる。
「……いや、まさかねぇ?」
 この部屋で唯一無事な場所。一応手探りでいろいろ調べはしたが、部屋中がここまで荒らせるなら、逆にそこだけ無事というのも納得がいかない。
 フィリシアはくるりと体を反転させるとベッドに向かった。
 天蓋つきの悪趣味なベッド。きっとこれも誰かの献上品なのだろう。エディウスの趣味なら、もう少しまともなもの使うに違いない。
 彼からもらった短剣は、護身用に肌身離さず持っている。その繊細な装飾を思い出し、フィリシアは腰の革ベルトに固定されていた短剣を手にした。
 軽装だがゆったりとしている服を着ているために、その剣が人の目に触れることは少ない。
 しかし、とくにセルファが現れてからは、いつでもどこでもしっかり持ち歩いている。
 フィリシアはそれに視線を落とす。そのとき、視界の端におかしなものが飛び込んできた。
 純金のベッドの模様に埋もれているそれは、細長い切り込みのようだった。
「引き出し発見!」
 不自然な細長い切り込みは引き出しという雰囲気ではなかったのだが、フィリシアはかまわず指をかける。ところが、装飾の一部として組み込まれているそれは、なかなか思うように引き出せなかった。
 フィリシアは座り込み、短剣をぬく。
 それをわずかな溝に引っ掛けて、なんとか指をかけるだけの場所を確保することに成功した。
「……。これ、引き出しじゃない」
 まるでドアノブのようだ。
 フィリシアは一瞬迷い、しかし好奇心をおさえきれずに思い切りひねってみた。
 ゴッと、重い音が響く。続くのは何かがこすれる音。
「え……」
 フィリシアはベッドから目が離せなかった。
 さぞ無駄に金のかけられているだろう純金のベッド――それが、ゆっくりと傾いていく。フィリシアのいる、つまりはノブのあった右側が垂直に天井に向くと、ベッドはそのまま動かなくなった。
 真横に倒されるような形でとまっている天蓋つきのベッドの下には、大きな空洞があった。中はずいぶんと暗いが、そこにおりるためのゆるやかな斜面もある。
 微かに吹いてくる風が、カビとコケの入り混じった異臭を運んできた。
「か、隠し通路発見……」
 茫然とフィリシアは横倒しになった純金のベッドとよどんだ空気を運ぶ空洞を交互に見る。水路とは明らかに違う道は、脱出用の通路に違いない。
「ちょっと待ってよ、こーゆう場合は横に動くもんでしょ!? なんで横倒しになってるのよ!? これどうやって戻すのよ!!」
 ちなみに、ベッドの下にあった床は陥没して洞窟におりるための斜面となり、ベッド自体は横倒しという状況である。
 とても一人でどうにかなるものではない。もし、もう一度ノブだかレバーだかわからないものをひねって今より悪い状況になったら、とてもではないが修復不能だ。
 フィリシアはすっくと立ち上がった。
「クカ探し終了!!」
 すでに部屋はどうしようもない状態になっていた。本当に目が当てられない。
 フィリシアは足早に穴だらけの部屋を出て、律儀に王の寝所を守る親衛隊の二人の間をすり抜け、パッと彼らに向き直った。
「ごめん、ちょっと部屋汚しちゃったから、人集めて片付けてくれる?」
 ちょっとに力を入れにっこり微笑むと、親衛隊の二人は顔を見合わせて不思議そうに寝所につづく赤絨毯を歩いていった。
 ドアを開け、あんぐりと大口を開けて三秒後。
「うわぁ!?」
「賊か!?」
 フィリシアは二人の絶叫を背後に聞きながら、引きつった顔で笑っていた。
「誰が賊よ」
 確かにすさまじく荒らしはしたが、仮にも国王の婚約者の所業しょぎょうを賊に例えるのは問題がある。だが、あの部屋を見ればきっと誰もが同じ反応をするに違いない。
「やりすぎたなぁ」
 半壊した部屋を思い出してフィリシアは溜め息をつく。王の寝所へと続く長い廊下をぬけ、彼女は明るい通路へと出た。
「何をやりすぎたの?」
 ささやきが耳元で聞こえた。
「!?」
 なにかが喉元をかすめ、ジャラリと音をたてる。
「セルファ!!」
 考えるよりも早く、その名が口をつく。とっさに振り向いたその先に、浮世離れした吟遊詩人が微笑んでいた。
 その手に、壊れた鍵のついた鎖を握って。
「あ――」
 フィリシアは喉を手で押さえる。そこにあるべきはずのものがない。
 壊れた鍵。悲劇を呼ぶもの。
 それは、誰の手にも渡ってはいけない秘宝。
「返して!!」
 あの追いかけっこから二時間以上たっていた。もうここにはいないとふんで気を抜いていたフィリシアは、セルファの意表をついたその行動に動揺を隠せなかった。
「ダメだよ。これは僕のもの」
 クスクスと笑いながら、セルファが走り出した。
「待って! 返しなさい!」
 フィリシアは男のあとを追いかける。脳裏で何かが交錯した。同じようなことが以前にもあったような気がする。
 とめようとした。そう、あの時もとめようとしたのだ。
 だが、間に合わなかった。
 記憶の片すみで少女が笑う。
 不思議そうに、まぶしそうに。
「お願い、やめて――!!」
 フィリシアの瞳の奥で、壊れた鍵は不気味なほど美しく輝いていた。
 少女の笑顔とともに。

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