【十四】

 最近、毎日同じことをしている気がする。
 毎日毎日、こりもせず。
「フィリシアー」
 これ以上ないほど間の抜けた声で泣き黒子の男が走ってくる。本人は甘えているようだが、甘えられているほうとしては迷惑この上ない。
「来るな――!!」
 振り向きざまに叫んで、フィリシアは廊下を走りだした。セルファの後ろには、顔を浅黒く変色させたガイゼがいる。またしても何かをやらかしたらしい。
 城内だというのに、ガイゼは剣を片手にものすごい勢いでセルファを追いかけている。そのセルファがフィリシアに助けを求めて、当然巻き込まれたくないフィリシアは例のごとく走り出すのだ。
「……恒例行事」
 すでに見飽きてしまったようにアーサーが溜め息をつく。実際、城内で一日に何度も見かけているので慣れてもいた。
「どう思う、あの男」
 だるそうに廊下のすみに座り込んで、アーサーが誰に訊くでもなくつぶやいた。
「今のところ不審な動きは」
 短く答えた低い声に少年は溜め息を返す。この時期に王城に来るということは、必ずなんらかの裏がある。その裏の一部はフィリシアと考えて間違いないだろう。
 つくづく色々なことに巻き込まれる少女だと、アーサーは半ば感心していた。
 自分のおかれた境遇に悩まなくなったのはいいことだが、その代償が見知らぬ恋人との追いかけっこと言うのはさすがにちょっと不憫な気がする。しかもその後方には凶暴な大男が控えているのだ。
 捕まってかばったりすれば、無事でなどいられないだろう。
 フィリシアは人目も気にせず全力で走っている。最近ずいぶん軽装だとは思ったが、セルファ対策であったらしい。
 忙しく歩き回る人々を軽くよけ、彼女は小さく声をあげた。
 どうしたのかと首をひねったアーサーは、すぐに彼女の見つめる先にエディウスの姿を発見して納得した。
「エディ!!」
 舞姫はなにを思ったのか重鎮に囲まれている国王めがけてまっすぐ走り出した。男たちがぎょっとして足をとめる。
 無理もない。フィリシアの後ろにはセルファが、さらにその後ろには親衛隊総長のガイゼがいるのだ。しかもその手には彼に合わせて作られた、通常よりもひとまわり大きな剣が握られ豪快に空気を斬っている。
 フィリシアは状況ののみこめていないだろうエディウスの腕を掴むや否や、
「行くわよ!!」
 の言葉とともに、重鎮に囲まれていた国王を拉致した。
「え――!?」
 男たちが唖然と二人を見送る。拉致された本人もなにが起こったのかわかってはいないだろうが、とめることすらしないのを見ると、彼らも状況をのみこめていなかったに違いない。
「待ってよ、フィリシアー」
「待つのは貴様だ!!」
 懇願と罵声が目の前を通り過ぎたあと、彼らはようやく我にかえった。
「へ、陛下!!」
「エディウス様!?」
「お待ちください!!」
 十人以上いた臣下たちも、この奇妙な追いかけっこに参加する気らしい。慌てて方向を変え、派手な衣服を気にしながらぞろぞろと歩き出した。
「おーい、急がないと見失うよ?」
 アーサーが面白そうに声をかけると、男たちはお互いの顔を見合わせて走り出した。
「いや本当、楽しそう」
 唖然とする侍女や兵士たちの顔も、これがなかなか見ものである。
 フィリシア、セルファ、ガイゼの追いかけっこなら日常茶飯事となりつつあるが、国王が巻き込まれたのは初めてだ。しかもその臣下までもがいっしょとなると、滑稽すぎて笑うしかない。
「いいな。オレも巻き込まれちゃおっかな」
「王子!!」
 パッと立ち上がったアーサーに、シャドーが動揺して声をあげた。踏み出した一歩を引き戻してアーサーは少しだけ不満げな顔になる。
「――ダメ?」
「……で、できれば」
 アーサーが視線を近くの窓へと向けた。そこには、黒装束の男が半分身を乗り出すようにこちらを見ていた。
 いつもは沈着冷静な男だ。人前に姿を見せるのは必要最小限、つねに影からアーサーを守護する優秀な護衛である。王が親衛隊に守られるように、彼にも彼だけを専属で守る者がいる。
 それがシャドー。
 本当の名も素性さえも知れない、しかし誰よりも信頼のおける男。
「わかったよ」
 アーサーの言葉を聞いてシャドーが胸を撫で下ろした。
「森へ行って本でも読んでる」
「申し訳ありません」
「いいよ。――大切な時期だ、無茶はしない」
 アーサーの視線の先には老医師がいた。王族のみを診る宮廷医と呼ばれる男。今日は質素に白衣を着たその姿は、ずいぶん小さく見えた。
 オルグ医師はアーサーを見つめて、深くこうべをたれる。
「そっか……」
 ポツリとつぶやいて少年は黒装束の男に視線を戻す。
 心配そうに見つめてくる男に笑いかけて、彼は小声で言った。
「シャドー、目立ってる」
「――!!」
 バッと、シャドーが隠れた。それでも、人々の好奇の視線は窓へと集中している。親衛隊はおおっぴらに国王を守るが、その逆に王子の守護者はめったなことでは姿を現さず、文字通り少年の影のように身をひそめて警護にあたる。ゆえに、王子を守る影≠目にすることは城にいても難しいのだ。
 しばらく侍女たちの噂話のネタにされるだろう。
 アーサーは小さく笑った。
 そしてゆっくりとオルグの元へ足を運ばせる。
「――夜会の準備を」
 アーサーの言葉にオルグは一瞬言葉につまる。
 彼は少年の顔を凝視して、重々しく頷いた。
「御意に」

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