【四】

 柔らかそうな金糸の髪。
 ちょっとたれ目がちで愛嬌のある緑の瞳に、目元の泣き黒子。
 瞳にあわせたものか、男は明るい緑色の服を身にまとい、若干遠慮がちにちょこんと椅子に腰かけている。
 年のころは二十歳半ば――いや、もしかするともう少し上かもしれない。
「で?」
 木の机を挟んで、横にも縦にも大きな男が優男に睨みを利かせた。
 優男はちょっと小首を傾げて目の前のヒゲヅラの巨漢を見る。その顔に動揺はなく、巨漢が何を言っているのかわからないとでも言いたげな表情だった。
「で、って?」
 優男の言葉に、巨漢はわずかに頬を引きつらせる。
「名前! 年齢! 出身! どうしてここに来たのかの理由!! 問所もんしょに連れてこられてるんだから、そのぐらいわかるだろう!!」
 問所≠ニ聞いて、優男は目を見開く。
「え! ここ問所なんですか!? 僕不審者じゃないですよー」
 国内に入った不審者はまずここに連れてこられ、身の保障ができなければ拘束される。いったん拘束されるとなかなか解放されずに、下手をするなら一年以上牢獄と見まがう場所で生活しなければならない。
 ただ、問所に連行されるのはそれ相応、見た目が「かなり怪しい人物」だけで、ほとんどの人間は素通りしていた。
 この男の場合、見た目はただの旅人だ。大きめの皮袋には路銀と乾物、短剣や着替えなど、旅に最低限必要なものが入っているだけで、本人の服装や身につけているものをとっても、なにが怪しいというわけではない。
 しかし、この男の場合には大きな問題がある。この状況では、とても見過ごすわけにはいかないほどの発言が。
 報告を受けてとんできた男は、埒があかない会話に痺れを切らしていた。
「とりあえず名前! 出身! 身分!!」
「人に物を尋ねるときには、まず自分から言わなきゃ。お母さんに習わなかった?」
「――!!」
 刺すような目で睨まれても、どこか春風駘蕩しゅんぷうたいとう――男はにっこり微笑んでいる。狭い一室に形式的に同室していた看守はこれ以上ないほどおびえて壁に張り付いた。
 命知らずな優男は、対峙する相手がいかに恐ろしい人物であるかを知らないらしい。いや、この見事な体躯、野獣のごとき目を見れば普通ならとても逆らう気などおきないだろう。
 よほどの阿呆か命知らずか。
「オレはバルト国国王直属親衛隊総長ガイゼ・アクス! バルトの南部エルバランの出身だ!! 今年で三十七!!」
 言うや否や、巨漢は長剣を抜き、轟音とともにそれを机に突き立てた。今まで壁に張り付いていた看守は、ガイゼの怒声にすっかり腰を抜かしてへにゃへにゃと座り込んでいる。
 優男は相変わらず、まったく動じた様子はない。
「そう。僕は、セルファ・シルスター。オリューファンスの東にある小さな町の出身だよ。身分――身分は吟遊詩人かな? 今年で二十六歳。バルトには恋人を捜しに来た」
 にっこりと微笑みながら男は自己紹介する。目の前の巨漢の顔が怒りで赤黒くなっていることすらどうでもいいような、ゆったりとした口調だ。
「恋人――だと?」
「そう、恋人を」
 大きく足を組み替えて、セルファは言葉を切った。
「僕はフィリシアを捜しに来たんだよ」
 泣き黒子の男はそう言って、呆気にとられるガイゼに屈託なく笑ってみせた。
 張り詰めた空気が一瞬とける。
「――厄介だな」
 ドアを挟んだ廊下に、小さなつぶやきが生まれた。
「失踪中だった記憶喪失の娘に恋人≠ゥ」
 その意図するところは。
 少年はわずかに眉根を寄せる。
「いったい何を考えている、あの男」
 ドアの向こうではまだ何かを話し合う声が聞こえる。しかし、彼――アーサーは、それ以上の会話は無意味だといわんばかりにその場から離れてゆっくりと歩き出した。
 一見どこか抜けているように見える男だが、実際はどうなのだろう。ガイゼを前にしても動揺しなかったのは、異様なほど世間知らずなのか、それともおそろしく肝が据わっているのか。
 どちらにせよあのまま放置しておくのは得策ではない。国王直属の親衛隊総長が手ずから取り調べているのであれば、この話は国王の耳に入っている可能性が高くなる。
「シャドー」
「は」
 アーサーの呼びかけに、どこからともなく返事がくる。わずかな気配と言葉だけを返してきたシャドーを捜すように首をひねったが、続く廊下に動くものはなかった。
 逡巡するように口をつぐみ、
「あの男を見張れ。フィリシアに危害を加えるようなら」
 少年はわずかに瞳を細め、言葉をつづけた。
「処分しろ」
「御意に」
 非情ともいえる内容を機械的に命じると、対する男は抑揚なく応じた。まるでそれが当然といわんばかりの声音にアーサーの動きが止まる。
 彼は感情を殺すように息をつめ、やがて小さく吐き出して窓の外を見た。
 奇妙な沈黙のあとに、
「お前はオレに従うのか?」
 そう、どこか動揺したかのようにつぶやく。
「貴方様が我があるじゆえ」
 淡々とした答えにアーサーは唇を噛んだ。それは彼にとって、望んだ言葉であると同時に望まなかった答えでもあった。
 瞳の奥が戸惑いと困惑にゆれる。
 虚勢を張ることなく、見たままの幼さを残して少年は瞳を伏せた。
「……知っているんだろう、オレは――」
「忠誠を誓いました。それは、あなたにです」
「虚像だ」
「確かに。しかし、自分にはそれのみが真実です」
「――そうか」
 わずかに吐き出したのは安堵の息だったのか、あきらめの息だったのか。
 彼は重い足を持ち上げまた歩き始めた。
「感謝する」
 小さな言葉を風に乗せて。

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