フィリシアはセルファが出て行ったドアをじっと見詰めていた。
 否定はできない。でも、肯定もできない。
 セルファの言葉はあいまいな部分が多い。彼の話を鵜呑みにするなら、結局フィリシアという少女と一緒に旅をしていただけということになる。
 恋人同士だと言い切ってもいた。
 しかし、それを証明するものは何一つない。
 うまく誤魔化してはいるが、彼はフィリシアのことを何一つ語ってはいなかった。話すのを待っていたというのは、口実に過ぎないのではないのか。
「胡散臭い……でも」
 頭から否定もできなくて、フィリシアは溜め息をつく。
「胡散臭いですか?」
 おっとりとマーサは首をかしげた。
「とても真摯に見えましたけれど。恋人の傷が癒えるまで黙って待つだなんて、優しくて素敵なかたじゃないですか」
(……そうか、あーゆーのが好みなのか……)
 ほんのりと頬を染める少女にフィリシアが遠い目をする。好みのタイプがまったく噛み合わないらしい。
 確かに見た目は悪くない。旅人なのにまったくスレた感じはしないし、身なりも悪くはないだろう。
 自称吟遊詩人と言うだけあって、そこらへんは完璧なようにも思う。
 よく言えば浮世離れした、悪く言えば配線が一本つなぎ間違えているような雰囲気もあるが、彼の職業から言えばたいしたことではないのかもしれない。
「マーサ、優しいのと逃げ腰なのとじゃわけが違うの。それに、あの人は大切なことを何も言ってない。あれは誰もが知っていることよ」
「そうですけど……でも……」
 不満げな侍女に、女主人は小さく息を吐く。
「じゃあマーサ、あなたに大好きな、とっても大切な恋人がいたとしたら」
 もじもじしながらマーサがフィリシアの言葉にうなずく。フィリシアは言葉を続けた。
「その人が傷ついていたら、あなたはどうするの?」
「そ――それは……慰めます」
「そうよね、心配して慰める。その時あなたは、何も聞かずにただ相手を慰めるだけ? どうしたの、大丈夫? 私に何かできることはない? そう聞くものじゃないの?」
「………」
「聞かないのは優しさよ。でもそれは上辺だけになりやすい。セルファが本当にフィリシア≠フ恋人なら、彼女を本気で大切に思っていたのなら、時間をかけてでも話を聞いてやるべきだった。私ならそれを望む」
「……触れて欲しくないことは、誰にでもあります」
「そうね」
 フィリシアはマーサを見ながら微笑した。
「けど私は、大切な人が苦しんでいたらその苦しみを分けて欲しいと思うの。傷や痛みを肩代わりすることはできない。でも、一緒に泣くことはできるでしょう?」
 マーサがうつむく。
「泣くとね、涙の分だけ心が少し軽くなるの。だから私≠ェ、私の大切な人の分も泣いてあげるのよ」
 奇麗事だとわかっている。自分の持つ理想論だ。だが、やはり大切な人と同じ場所に立ちたいとフィリシアは思う。
 泣けないほど苦しいなら、自分が代わりに泣いてあげたいのだと――
 そう、傲慢にも望んでしまう。
「フィリシア様……」
「ん?」
 ぱっとあげたマーサの顔は紅潮していた。胸の前できゅっと握られた小さな手はプルプル揺れている。
 てっきりうつむいているから、考え込んでいるか納得していないとばかり思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
「なんかできる大人の女って感じです!!」
「や、その表現は違うと……」
 どちらかというなら我が儘な女だ。相手の総てを欲しいと願う、そんな強欲さが自分の中には確かに眠っている。
 マーサに尊敬の眼差しで見られるのは少し居心地が悪かった。
「ものすごく恋愛慣れしてるみたいです!!」
「いや、そういうわけじゃなくて」
 それどころか今は記憶すらない。
「私、口説かれたみたいです!!」
「だいぶ違うかな〜?」
 何でそんなほうに話がいっているのだろうと、フィリシアは本気で首を傾げた。
「私もいい女になります!!」
「ガンバレ〜……って、マーサ! 私と一つしか違わないじゃないの!!」
 あれっと、今度はマーサが首を傾げた。
「そうでした!」
 ペロンと舌を出して、マーサがおどける。
「セルファ様のことは、ちょっと保留ですね?」
「そうね。現時点では、判断できない。ただの大法螺吹おおぼらふきなのか、見たまんま真摯な吟遊詩人なのか」
 マーサは苦笑しながらフィリシアの部屋にある洗い物を抱え込んだ。
 ふと、フィリシアがその姿を目で追う。
「あ……」
 洗い物の中には、エディウス王の母のドレスも混じっていた。
「待って!」
 部屋から出て行こうとするマーサを慌てて呼び止めて、フィリシアはドレスのポケットを探った。
「なんですか?」
「あ〜いや、プレゼント」
「どなたからの?」
「……通りすがりの旅人から」
「はぁ」
 丁寧に紙でくるまれているアクセサリーは、露店でエディウスがフィリシアのために選んだものだ。
 しかしなんとなく言いにくくて、あいまいな返答になってしまう。
 夜会用と言われたそれらは、実際に選んだ衣装とはまったく合わなかった。
 それどころか、よほど今の着ているドレスに似合いそうだ。淡いブルーのドレスは、フィリシアの体のことを考え、ずいぶんと楽な作りになっている。しかし、華やかさを失っているわけではない。
 フィリシアは手早くアクセサリーを出し、次々と身につけていく。
(む……鍵どうしよう……)
 ちょっと考えて、エディウスのネックレスを優先した。壊れた二つの鍵はそのままポケットの中に滑り込ませる。
 紙を丸めようとしたとき、そこに干からびた葉っぱが付いていることに気付いた。
 ドキリとする。
 大通りの裏側、バルトの闇の部分。
 この葉は、エディウスに連れていかれた薄暗い部屋でとっさに掴んでしまったもの。甘く濁る、ひどく危険な香りのする店に置かれていた商品=B
 そして同時に、エディウスがまとう芳香でもあった。
「ね、ねぇマーサ」
 鼓動が速くなる。
 いつの間にか、喉が渇いている。
「クカって、知ってる?」
「クカ?」
「葉っぱの――」
 マーサが息をのんだ。
「フィリシア様、いけません」
「え?」
「クカは、人の心を壊す麻薬です。常用性の低い、高価で貴族たちにも評判の麻薬ですが、それは人の心を狂わせます」
(え――?)
 茫然と、フィリシアはマーサを見た。少女はきつい目でフィリシアを見詰め返している。
(だって、エディウスはそれを――)
「アーサー様のお母上、ウェスタリア様はそれで気がれたのです」
(でも、だって、エディウスはそれを買っていたのよ……?)
 まるで常連客のようにひどく慣れた様子で、彼はクカを買っていた。
 きっとずいぶん昔からそれを買うため城下におりていたに違いない。人ごみを難なく渡り歩けるほどに。
(そんな……)
 彼は心を病んでいた。
 あの二面性がなんであるかを知った瞬間、フィリシアは部屋を飛び出していた。

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