【十一】

 城へ戻ったときは、すでに夕方だった。
 くれないに染まった城は、悠然とかまえている昼間の城よりはるかに美しい。燃えるように染まる城と刻々と広がる夜景は幻想的に人々を酔わせる。
 それをよく知っている城下の者は、こぞって城へ目をやった。
 まあ、今はどうでもいい話なのだが。
 フィリシアの前には、目を真っ赤にしたうら若き侍女が一人、肩をぶるぶる震わせ、両手で濃紺のスカートをぎゅっと握りしめて立ち尽くしている。
(うーん)
 ソバカスだらけの彼女は細身だが丸顔で、よく動く表情が可愛らしい少女だった。いつもきちんとした身なりの彼女の髪は、今日はひどく乱れている。
 いや、朝見たときはそんなことなどなくて。
「ごめん」
 フィリシアが言うと、少女の大きな青い目から大粒の涙が零れ落ちた。
「ご、ごめん、マーサ」
 そして結局、わんわんと泣き出されてしまった。
 昼ごろから、フィリシアがいなくなった。――忽然と。
 もともと逃亡する気で城を出たのだから、同行者のエディウス以外、彼女の失踪の原因を知る者などいない。そして案の定、エディウスも公務をサボって私用をかね、誰にも言わずに城を出たものだから、城内ではかなりの騒ぎになってしまったらしい。
 フィリシアつきの侍女マーサが、病み上がりの彼女の体をどれほど心配したのかは想像に難くない。
 フィリシアが未来の王妃であるということ以前に、彼女が記憶を失っているという事実に心を痛めてくれるような娘だった。
 城の中で、フィリシアが唯一安心して話せる相手だった。
「ご、ごめんね!! 城の外を見たかっただけなの! すぐ戻ってくるつもりだったの!!」
 実は二度と戻ってくる気などなかったなんて、口が裂けても言えない。とにかく必死で、フィリシアはマーサをなだめすかす。
「傷が治ったとはいえ、そう無理できる体ではないんですよ!?」
「う……うん。ごめん」
「もしもの事があったらどうしようと、私、私……」
「うわぁあぁ! だからごめんってば! もう黙って出て行かない!! 約束する!!」
 落ち着いたかと思ったらまたしゃくりあげる。
 フィリシアはオロオロとマーサの背中をさすった。もともと感情の起伏が激しい娘ではあったが、これでは本当にらちがあかない。
「こ、今夜は夜会があるって話なのに……そんな大事なときに――」
「え?」
 マーサの言葉をさえぎるようにフィリシアは声をあげる。
「夜会?」
 そういえば、エディウスもそんなことを言っていたと思い出して首を傾げる。そして、露店で買った装飾具をフィリシアに手渡したのだ。
「今夜?」
 フィリシアの問いかけにマーサは涙をふきながら頷く。まだ何度かしゃくりあげているが、涙をこらえようとしているのがわかった。
「衣装を選んでいただかないと」
「は?」
 まず夜会というものがなんなのか理解できないフィリシアは、意味を解さず大きく首を傾げていた。
「こちらです」
 唖然とするフィリシアをつれて、マーサは向かいの部屋へ歩いてゆく。ひどくいやな予感を抱えつつ、フィリシアは彼女のあとに続いた。
 ドアを開けたその奥には、逃げ出したくなるような世界が待っていた。
 そこはエディウスの母親の衣裳部屋以上に目を疑う部屋――クローゼットがずらりと並び、そこに収め切れなかったのかそのまま部屋の壁と壁を繋ぐ立派な木の棒に引っ掛けられているドレスが何着もつるされていた。ぎっしり並んだ色とりどりの衣装≠ヘどれもこれも異様に露出度が高い。
 しかも派手の一言に尽きる。
 彼女の目の前に広がったのは、部屋を埋め尽くす勢いの極彩色の悪夢である。
「なに、これ」
 真っ青になりながら、フィリシアは絞り出すような声でマーサに問う。
 どんな踊りをさせたいのか理解に苦しむ衣装≠フ群れに、大きな羽飾り。すでに何に使うのかも訊く気がうせるさまざまな道具がきれいに棚に並んでいる。
「はい、フィリシア様の衣装です」
(だ、だからその衣装≠チてなによ――!?)
 あまりに混乱しすぎて、言葉にならなかった。
 マーサはにっこりと微笑んで、動転するフィリシアにさっくりと言ってのけた。
「今夜、久しぶりに舞姫の舞を愛でようと、王がフィリシア様に内緒で夜会を企画しました」
「はィ!?」
 声が思い切り裏返った。
 記憶のない舞姫。
 ほとんど強制的に、彼女は夜会の主役となっていた。

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