【十】

 ふと、フィリシアは城に目をやった。
 城はなだらかな高台の上にあり、続く広場も若干の傾斜があった。国を象徴する建造物は、規模さえ大きいが大国の王が住まうにはいささか質素なようにも映る。
 壁に使われている石は近くの石切り場から運んだものに違いない。それそのものにはたいした価値など見いだせそうになかった。
 だが、石に価値はなくとも、城そのものには価値が見いだせる。
 美観を考慮してしっかりとした設計のもとに作られた城。よほど名のある者に作らせたのだろう建物は、後方に控える森に溶け込んでいきそうなほどの見事な調和を見せている。そして町は、静寂の内に沈みかねないその城に活気を与えるかのような賑わいぶりだ。
 市がたつ。
 祭りでもないのに、人が集まってくる。美しい城を一目見ようとはるばる遠方から来る者もいれば、商売の途中に立ち寄って顔を上げる者もいる。
 人の流れが物流を生み、金を動かす。
 衰えることを忘れた大国。住みよい国という噂を聞きつけ、知らずに人が増えていく。開墾された領土のほとんどは、どこからともなく流れてきた者たちが耕している。彼らは国に根付き、やがてバルトの民となっていった。
 民が住みよいということはすなわち、国が豊かであるということの証。
 国が豊かであるのは、王の才望の証。
 一見かなり難有りに見えるが、実はなかなか、やり手らしい。
「……そんなに私の顔が珍しいか?」
 あまりじろじろフィリシアが見るものだから、たまりかねたようにエディウスが口を開く。
 目深にフードをかぶってはいても一応人目が気になるようだった。
「……別に」
 なんとなく釈然とはしなかったが、そう返して溜め息をついた。
(嫌いでは、ないんだけどなぁ)
 いろいろ本当に難のある男ではあるが、多分きっと、好きと嫌いで二分するなら確実に好きな部類に振り分けられる。
(――あと、一ヶ月か……)
 再び溜め息をつくと、エディウスが何を思ったのかフィリシアの手をとった。
 きょとんとする彼女を誘導するように、エディウスが人波を掻き分けていく。歩き慣れている後ろ姿にフィリシアはあきれてしまう。
(本当変わった人)
 目的地に着いたのだろう。エディウスの足がぴたりと止まり、フィリシアを引き寄せる。
 少しひらけたその空間には、老人が一人、ちょこんと椅子に座っていた。彼の前には古ぼけた木の机があり、その上には首飾りだの小さな王冠だのが所狭しと置かれている。指輪や耳飾りなんて小物も売っているらしい。髪留めも何点かある。
 老人はフードをかぶった男ににっこりと笑ってみせる。年輪のように刻まれた皺が深くなり、人のよさそうな笑顔がフィリシアに向けられた。
「そちらのお嬢さんに?」
 自分も銀細工を作るのに、エディウスは老人に頷いた。
「何色がいい?」
「青……」
 不意の問いかけにとっさにフィリシアがそう返すと、エディウスが小さく笑った。
「では店主」
 言って、エディウスは首飾りと耳飾り、さらにそろいの指輪を選んだ。一瞬で決めたわりに、フィリシアも納得するような趣味のいい品々である。すべてに鮮やかな青い石が使われているのだから、先ほどの質問はこのためだろう。
 エディウスは使い古された革の財布から金を払い、油紙に包まれた商品を受け取るとフィリシアに手渡した。
「夜会用だ」
「へ?」
 呆けたようなフィリシアに笑って、エディウスは露店の脇の小道へ入ってゆく。
「ちょ……今度はどこ行く気よ!?」
 受け取った装飾具を落とさないように慌ててしまい、フィリシアは足早に男のあとをついてゆく。
 建物と建物に挟まれたその通路は、ひどく暗く感じられた。大通りとは一線を画している。喧騒が遠のく。
 掃除の手も行き届いていないのだろう。細い通路の両隅にはいつ捨てられたとも知れないゴミが溜まっている。
 大通りは昼の活気から夜の賑わいへと変化を遂げようとしている。それなのに、いま足を踏み入れているこの場所は、大通りの光をより強く感じずにはいられない暗さがある。それは、栄華を極めたバルトのもつ闇。
 あまり衛生状態がいいとはいえない通路にはすえた臭いが広がり、どす黒い水溜りがいくつもあった。
 王が来る場所ではない。悪漢たちがくだを巻いていたあの場所よりもよほどふさわしくない場所に足を踏み入れている気がして、フィリシアの体は知らずに緊張していた。
 やがて狭い通路を抜けた。
「ここ……?」
 フィリシアが息をのむ。
 うつろな瞳の男が、ぼんやりと侵入者を見つめる。だらしなく木箱に座り、なにかを思い出したように笑い出す。
 エディウスはそんな男には目もくれず、立ち並ぶ店の一軒へと足を運ばせた。
 手垢で汚れた木のドアが不快な音をたてる。
 店の中は薄暗かった。
 ランプの光がひとつ、店の奥で揺れている。
「いらっしゃい……おや、今日はお連れがいるんですかい」
 のんびりとした男の声が社交辞令のようにかけられる。ランプは正面のどっしりとした机の上に置かれていた。その奥に、二十代後半といった風貌の男が立っている。
「……入ってるか?」
 エディウスの低い問いかけに、男はにやりと笑った。
「ええ、ご注文どおりの最高級品が」
「そうか」
 エディウスに続いてフィリシアが恐る恐る店の中へ入っていく。
 店内は、甘い香りが充満していた。
(これ……)
 エディウスがまとう香り。それが、この店の中であふれかえっている。
 フィリシアは店の奥へ向かうエディウスを目で追いながら、薄暗い店内を慎重に歩いた。うっかりしていると何かにつまずいてしまいそうなほどその店には物が散乱し、実際に何度か箱を蹴飛ばして、フィリシアはそのたびに動揺した。
 薄暗さに目が慣れると、フィリシアは奇妙なことに気付く。
 店は、かなり豊富な品揃えなのだろう。
 棚ごとにさまざまな名が刻まれ、意外なほど細かく分類されている。商品は、木の箱に小山となっている何かの葉っぱのようなもの。
(……? クカ?)
 すべてのふだにその文字が刻まれていることから、その種類の葉の専門店なのだと判断できた。
 フィリシアは興味をひかれてその箱のひとつに手を伸ばした。
「触れるな。お前には無用の代物だ」
 静かな声とともにフィリシアの体をエディウスが引き寄せる。
「あ、買い物終わったの?」
 後方にいた男にギクリとしながら、フィリシアは平静を装って明るく訊いた。
「ああ。行くぞ」
「……うん」
 おとなしくエディウスのあとに続く少女。
 その手の内側には、一枚の葉が握られていた。
 クカという名の、人生を狂わせるものが――。

Back  Top  Next