【四】

 フィリシアは息を殺してドアにはりつく。
 耳をすまして室内の気配をうかがい、注意深くドアを開き、音もなくその隙間に滑り込む。
「さってと……」
 ざっと室内を物色した。
 お世辞にも綺麗とは言いがたい室内。どこか埃っぽくよどんだ感じのする空気。
 所狭しと置かれている箱のひとつを手に取ると、埃まみれの箱の中には使い古された帽子が入っていた。
「当たり」
 にっこり笑んで年代もののクローゼットを開けると、あきれるくらいドレスが詰め込んである。
「こりゃ夜会用ね」
 ドレスを一枚手に取り、大きく胸と背中が開いているのを確認して苦笑した。今はくすんだ色のそれらは、当時はさぞかしきらびやかに紳士たちの心を奪ったに違いない。
 よくこんな無駄なことをしたものだと、高価な宝石をちりばめられたドレスに内心あきれてしまう。
 他のクローゼットの前に立ち無造作に次々と開けて中を覗きこむと、どれもこれも、豪華な夜会用のドレスばかりがつめられていた。
「――絶対、あるはずよ!!」
 侍女に聞いた。
 国王であるエディウスの母親は、北部の旧家の娘で――非常に、天真爛漫な女性であったという。
 自由気ままに生きてきた彼女が、亡き王に見初みそめられて側室としてバルトに輿入れしたのだと。
「そんな人が、お城でじっとしてるわけないでしょ!?」
 五つ目のクローゼットを開けたとき、フィリシアは小さく拳を握った。
 外観はほかと変わりないが、質素な服ばかりがつめられたクローゼット。紛れもなくフィリシアの目的のものである。
 服を一着手にとって、彼女は小さく唸り声をあげた。
「染色も形も質素だけど――」
 生地は一級品だ。
 エディウスの母親は亡き国王の寵愛を一身に受けていたという。側室という立場でありながらこれほど多くの夜会用のドレスとお忍び用の服を作らせたということは、侍女から聞いた話は嘘ではないのだろう。
 宝石を入れるために特注したと思われる棚にちらりと視線をやって溜め息をついた。
 亡き王は隣国から第三王女を娶った。栗色の髪に栗色の瞳をした、まだ十三歳になったばかりの愛らしい少女だったそうだ。政略結婚はよくある話だ。一国の王女として生まれたのだ、彼女もそれは承知だったろう。
 だが、二人の間に御子は生まれなかった。
 数年後、亡き王は銀髪に鮮やかな蒼い眼をした目の覚めるような美女を城へと迎え入れる。
 それがエディウスの母親だった。彼女は亡き王の寵愛をうけ、すぐに懐妊した。生まれたのがエディウス――第一王子である。
 亡き王は美しい二人だけをただひたすらに愛し、そして、二十年余りたってようやく懐妊した正室には興味の欠片も示さなかった。
 王位は側室の子でありながら第一王子として生まれたエディウスへと継承された。
 血筋からすれば王位を継承するにふさわしいのは、隣国の第三王女であり正室でもあった女性が産んだ王子、アーサーであったはずなのに。
「……なんか、残酷な話」
 アーサーの母は、心を病んでいたらしい。
 何ひとつ非の打ちどころがない一国の王女でありながら、あまつさえ求められて正室となったにもかかわらず、側室でしかない旧家の娘にすべてを奪われたのだ。男から一身に受けるはずの愛情は塵ほどもなく、ようやく授かった王にもっとも近い子は、王になることはなかった。
 ひどい仕打ちだと思ったに違いない。
 寵姫に向ける深い愛情の片鱗はこの広い衣裳部屋のいたるところからにじみでていた。
 苦痛の日々は十数年におよび、王の凶報が国中をかけるとエディウスの母親は未練さえなくあっさりと祖国へ帰っていった。
 亡き王にかわり息子が王位を継承することなどどうでもいいというように。
 残されたアーサーの母親も、時を同じくしてやはり祖国へ帰ったらしい。
 壊れた心を抱えたまま。
 フィリシアは侍女から耳にした話に重い気分になりながら、いくつか服を取り出し、そのうちの一着に視線を落とす。
「これ……かな……」
 落ち着いた色合いに少ない装飾のドレスは町娘になりきるならちょうどいい。
「城を出るななんて言わなかったよね、オルグ先生?」
 フィリシアは身に着けていた上等のドレスを脱ぎ捨てた。

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