城へ戻ったときは、すでに夕方だった。
 くれないに染まった城は、昼間の悠然とかまえている城よりはるかに美しい。幻想的に人々を酔わせる。
 それをよく知っている城下のものは、こぞって城へ目をやった。
 まぁ、今はどうでもいい話なのだが。
 フィリシアの前には、目を真っ赤にしたうら若き侍女が一人。肩をぶるぶる震わせ、両手でスカートをぎゅっと握りしめて立ち尽くしている。
(う〜ん)
 ソバカスだらけの少女。細身だが丸顔で、よく動く表情がかわいらしい少女。いつもきちんとした身なりの彼女の髪は、今日はひどく乱れている。
 いや、朝見たときはそんなことなどなくて。
「ごめん」
 フィリシアが言うと、少女の大きな青い目から大粒の涙が零れ落ちた。
「ご、ごめん、マーサ」
 ワンワン泣き出されてしまった。
 昼ごろから、フィリシアがいなくなった。忽然と。もともと逃亡する気で城を出たのだから、同行者のエディウス以外、彼女の失踪の原因を知るものなどいない。
 そして案の定、エディウスも公務をサボって私用をかね、誰にも言わずに城を出たものだから、城内ではかなりの騒ぎになってしまったらしい。
 フィリシアつきの侍女マーサが、どれほど心配したのかは想像に難くない。
 フィリシアが未来の王妃であるということ以前に、彼女が記憶を失っているという事実に心を痛めてくれるような娘だった。
 城の中で、フィリシアが唯一安心して話せる相手だった。
「ご、ごめんね!! 城の外を見たかっただけなの! すぐ戻ってくるつもりだったの!!」
 実は二度と戻ってくる気などなかったなんて、口が裂けても言えない。とにかく必死で、フィリシアはマーサをなだめすかす。
「傷が治ったとはいえ、そう無理できる体ではないんですよ!?」
「う……うん。ごめん」
「もしものことがあったらどうしようと、私、私〜……」
「うわぁあぁ! だからごめんってば! もう黙って出て行かない!! 約束する!!」
 落ち着いたかと思ったらまたしゃくりあげる。
 フィリシアはオロオロとマーサの背中をさすった。これでは本当にらちがあかない。
「こ、今夜は夜会があるって話なのに……そんな大事なときに――」
「え?」
 マーサの言葉をさえぎるように、フィリシアは声をあげる。
「夜会?」
 そういえば、エディウスもそんなことを言っていたような。そして、アクセサリーをフィリシアにプレゼントした。
「今夜??」
 フィリシアの問いかけに、マーサは涙を拭きながらうなずく。まだ何度かしゃくりあげているが、涙をこらえようとしているのがわかった。
「衣装を選んでいただかないと」
「は?」
 意味を解さず、フィリシアは大きく首をかしげていた。
「こちらです」
 唖然とするフィリシアをつれて、マーサは向かいの部屋へ歩いてゆく。ひどくいやな予感をかかえつつ、フィリシアは彼女のあとに続いた。
 ドアを開けたその奥には、逃げ出したくなるような世界が待っていた。
 色とりどりのその衣装≠ヘ、異様に露出度が高い。部屋を埋め尽くす勢いの、極彩色の悪夢である。
「なに、これ」
 真っ青になりながら、フィリシアは絞り出すような声でマーサに問う。
 サンバでも踊れそうな勢いの衣装≠フ群れに、大きな羽飾り。すでに何に使うのかも聞きたくないようなさまざまな道具がきれいに棚に並んでいる。
「はい、フィリシア様の衣装です」
(だ、だからその衣装≠チてなによ――!?)
 あまりに混乱しすぎて、言葉にならなかった。
 マーサはにっこりと微笑んで、さっくりと言ってのけた。
「今夜、久しぶりにフィリシア様の舞を愛でようと、王が夜会を企画しました」
「はィ!?」
 声が思いっきり裏返った。
 記憶のない舞姫。
 ほとんど強制的に、彼女は夜会の主役となっていた。

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