ふと、フィリシアは城に目をやった。
 城はなだらかな高台の上にある。国を象徴するその建造物は、規模さえ大きいが大国の主が住まうにはいささか質素なようにも映る。
 壁に使われている石だって、どうせそこら辺の石切り場から運んだものに違いない。たいした価値はないだろう――石自体には。
 ただ、石に価値はなくとも、城そのものには価値が見いだせる。
 しっかりとした設計のもとに作られた城。よほど名のある者に作らせたのだろう建物は、後方に控える森に溶け込んでいきそうなほどの見事な調和を見せている。そして町は、静寂の内に沈みかねないその城に活気を与えるかのような賑わいぶりだ。
 市がたつ。
 祭りでもないのに、人が集まってくる。美しい城を一目見ようとはるばる遠方から来る者もいれば、商売の途中に立ち寄って顔を上げるものもいる。
 人の流れが物流を生み、金を動かす。
 衰えることを忘れた大国。住みよい国という噂を聞きつけ、知らずに人が増えていく。領土のほとんどは、どこからともなく流れてきた者たちが耕している。彼らは国に根付き、バルトの民となっていった。
 民が住みよいということはすなわち、国が豊かであるということの証。
 国が豊かであるのは、国王の才望の証。
 一見かなり難有りに見えるが、実はなかなか、やり手らしい。
「……そんなに私の顔が珍しいか?」
 あまりじろじろフィリシアが見るものだから、たまりかねたようにエディウスが口を開く。
 目深にフードをかぶってはいるが、一応人目が気になるのだろう。
「……別に」
 なんとなく釈然とはしなかったが、そういって小さく溜め息をついた。
(嫌いでは、ないんだけどなぁ)
 いろいろ本当に難のある男ではあるが、多分きっと、好きと嫌いで二分するなら確実に好きな部類に振り分けられる。
(――あと、一ヶ月か……)
 再び小さく溜め息をつくと、エディウスが何を思ったのかフィリシアの手をとった。
 きょとんとする彼女を誘導するように、エディウスが人波を掻き分けていく。歩き慣れている後ろ姿にあきれてしまう。
(本当変わった人)
 目的地に着いたのだろう。エディウスの足がぴたりと止まり、フィリシアを引き寄せる。
 少しひらけたその空間には、老人が一人、ちょこんと椅子に座っていた。彼の前には木の机があり、その上にはネックレスだのブレスレットだのが所狭しと置かれている。指輪やピアスなんて小物も売っているらしい。髪留めも何点かある。
 老人はフードをかぶった男ににっこりと笑って見せる。シワシワの顔がさらにシワシワになっていた。
「そちらのお嬢さんに?」
 自分も銀細工を作るのに、エディウスは老人にうなずいてみせた。
「何色がいい?」
「青……」
 不意の問いかけにとっさにフィリシアがそう返すと、エディウスが小さく笑った。
「では店主」
 言って、エディウスはネックレスとピアスと指輪を選んだ。一瞬で選んだわりに、なかなかフィリシアの趣味を考慮したセンスのいいアクセサリーである。総てに鮮やかな青い石が使われているのだから、先ほどの質問はこのためだろう。
 エディウスは使い古した財布から金を払い、商品を受け取るとフィリシアに手渡した。
「夜会用だ」
「へ?」
 呆けたようなフィリシアに小さく笑って、エディウスは露店の脇の小道へ入ってゆく。
「ちょ……今度はどこ行く気よ!?」
 受け取ったアクセサリーを落とさないようにあわててポケットにしまい、フィリシアは足早に男のあとをついてゆく。
 建物と建物に挟まれたその通路は、ひどく暗く感じられた。大通りとは一線を引いている。喧騒けんそうが遠のく。
 掃除の手も行き届いていないのだろう。細い通路の両隅にはいつ捨てられたとも知れないゴミが溜まっている。
 大通りは昼の活気から夜の賑わいへと変化を遂げようとしている。それなのに、いま足を踏み入れているこの場所は、大通りの光をより強く感じずにはいられない暗さがある。それは、栄華を極めたバルトのもつ闇。
「ここ……?」
 フィリシアが息をのむ。
 うつろな瞳の男が、ぼんやりと侵入者を見詰める。だらしなく木箱に座り、何かを思い出したように笑い出す。
 エディウスはそんな男には目もくれず、立ち並ぶ店の一軒へと足を運ばせた。
 手垢てあかで汚れた木のドアが、不快な音をたてる。
 店の中は薄暗かった。
 ランプの光がひとつ、店の奥で揺れている。
「いらっしゃい……おや、今日はお連れがいるんですかい」
 のんびりとした男の声が、社交辞令のようにかけられる。ランプはカウンターの上に置かれていた。その奥に、20代後半といった風貌の男が立っている。
「……入ってるか?」
 エディウスの低い問いかけに、男はニヤリと笑った。
「ええ、ご注文どおりの最高級品が」
「そうか」
 エディウスに続いてフィリシアが恐る恐る店の中へ入っていく。
 店内は、甘い香りで充満していた。
(これ……)
 エディウスが纏う香り。それが、この店の中であふれかえっている。
 フィリシアはカウンターへ向かうエディウスを目で追いながら、薄暗い店内を慎重に歩いた。うっかりしていると何かつまずいてしまいそうなほど、その店には物がごちゃごちゃと置かれている。
 薄暗さに目が慣れると、フィリシアは奇妙なことに気付く。
 店は、かなりの種類の品揃えをしているのだろう。
 棚ごとにさまざまな名が刻まれ、分類分けがなされている。商品は、木の箱に小山となっている何かの葉っぱのようなもの。
(……? クカ?)
 総ての名に、その文字がある。おそらくはクカという種類の葉なのだろう。
 フィリシアはその箱のひとつに手を伸ばした。
「触れるな。お前には無用の代物しろものだ」
 静かな声とともに、フィリシアの体をエディウスが引き寄せる。
「あ、買い物終わったの?」
 後方にいた男にギクリとしながら、フィリシアは平静を装って明るく聞いた。
「ああ。行くぞ」
「……うん」
 おとなしくエディウスのあとに続く少女。
 その手の内側には、一枚の葉が握られていた。
 クカという名の、人生を狂わせるものが――

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