連れていかれたのは、国王が赴くにはあまりにあんまりな店だった。
 土でざらつく床、使い込まれすぎてすっかり角が取れてしまったテーブル、ちょこんとそえられた丸椅子。
 壁は所々へこんでいる。拳のあとがくっきり残っているところもあるし、店主が補強したのだろう、板が打ち付けてある場所もある。
 エディウスはフィリシアをカウンター席に座らせた。
 口髭をたくわえた店主が顔を上げ、驚いたように目を見張る。
「いらっしゃい、お久しぶりですねぇ」
「ああ。最近少し忙しくてな」
 親しげな店主に、エディウスが笑う。
(……意外)
 フィリシアはまじまじとエディウスを見た。いつもデスマスクのように陰鬱な顔しかしていないのに、こんなに明るい顔もするのだ。
 まるで別人を見ているようだった。
「どうですか、お仕事のほうは」
「ああ、まぁなんとかやってるさ。――そうだ、これを」
 エディウスは短剣と一緒に腰にぶら下げた袋をはずし、双方を店主に渡す。
「おや……」
 店主は目を細めた。
 細やかな装飾をほどこされた鞘を吟味し、剣を抜き、小さくうなり声を上げる。
「いやぁなかなか……いい物を作られる。あなたが荷をおろすようになってから、こんなさびれた酒場にも、これ目当てに来る客が増えましてねぇ」
 本当に嬉しそうに、店主が笑った。
 短剣を鞘に戻し、もう一度じっくりと眺めてから、店主は袋の中身を出した。
 袋には、婦人用の手鏡や櫛、ブレスレットやペンダントトップが入っていた。
 総て銀製品。その細やかな装飾は、短剣同様かなり芸術的価値の高いものである。
「こりゃあ、ヤローどもが目の色変えますねぇ」
 店主が思わずといったふうに吹き出した。
「なんで??」
 フィリシアが問いかけると、店主が含み笑いをする。
「そりゃあ」
 そこまで言って、ブレスレットをフィリシアに差し出した。
「これを貴女に。私の心だと思って――受け取っていただけますか?」
 急にキザな口調になって、店主は真剣にフィリシアにささやく。
 あっけにとられてフィリシアは店主を見、続いてブレスレットに視線を落とした。
 なるほど確かに、これが心だといわれたら。
(惚れた男にそれを言われたら――ちょっとグラッとくるかも)
 繊細で優美な銀細工。心を込めて、時間をかけて作られたのだろうと一瞬見ただけでもそうわかる見事な一品。
 もらえば悪い気はしない。
「今晩はこれの争奪戦で荒れますよ」
 苦笑に近い表情で店主は笑った。
「御代は――」
「いや、いい。その代わり食事を」
「そんな、いけませんよ!!」
 エディウスの返事に、店主はあせった声を出す。
「あなた、いつも代金を受け取ってくれないじゃないですか!? いいですか、あなた!! あなた、ご自分の商品の価値を理解してない!!」
 根っからの善人なのか、店主はなおも言葉を続けた。
「これはね、芸術品ですよ!? 以前は酒場の荒くれどもがり落として持って帰っていってましたがね、今では名だたる宝石商が入荷日をこと細かく問い合わせるくらい人気なんです!! 代金受け取ってもらえなかったら、私は申し訳なくて夜も寝られませんよ!!」
 切々と訴える店主。
 あまり興味なさげに聞き流すエディウス。
(……なにがなんだか……)
 すでに突っ込みどころを失って、フィリシアは呆然としていた。
(つまり、商品の代価を受け取ってないってことよね、一度も)
 まぁ生活に苦労しているわけじゃないから、本当にそこのところは興味がないのだろう。
「ちょっとお嬢さん!!」
 急に矛先を向けられ、フィリシアは目を丸くする。
「あなたも何か言ってくださいよ!! このままじゃ――」
「う〜ん。でも、必要ないって言ってるんだし。ねぇ、別に生活苦しいわけじゃないもんね?」
 にっこりエディウスに問いかけると、彼も微笑した。
「この酒場を維持してくれればいい。ここが気に入っている」
「いやしかし……」
「いいって言ってんだから、もらっときなよ。それより私、お腹すいちゃった。何かおいしいものが食べたいな」
 満面の笑みで請求すると、店主はしぶしぶうなずく。
「じゃあ、今回だけですよ!! 次回は必ず代金受け取ってもらいますからね!」
 なんだかおかしな話だけれど、店主はそう言って厨房へ去っていった。
 厨房からは、何かを刻む音が聞こえてくる。
「で、エディウス王。なんなのよ、ここ?」
 ようやくできた質問に、エディウスは笑う。我慢に我慢を重ねてきたもろもろの質問を、フィリシアがようやくぶつけてきたことがおかしかったらしい。
「私の隠れ家かな? 食事がうまい」
「――そーゆーことじゃなくてね? なんで王様が商品横流ししてんのよ。それも、タダで?」
「横流し? おかしなことを言う。アレは私が作ったのだぞ。最近公務に追われて時間がとれず、ここにくるのが遅くなった。それだけだ」
「へ――!?」
 一国の王様が銀細工を作るとは。
 おかしい。
 おかしすぎる。
「なによそれ!?」
「……変か?」
「変でしょ!? しかもなんでわざわざここに持ってきてんのよ!?」
「工房に飾っておいても仕方ないだろう。家臣に見せれば嘆くし。まったく、私に趣味があるのがそんなにおかしいか?」
「いやもぉ、なんてゆーかこう……」
(そりゃ嘆くでしょ。普通持たないよ、そんな趣味……)
 いろいろ言いたかったが、あえて言わずにおいた。他人様の趣味に口出しするほど無粋ではない。
「そうだ、これを」
 エディウスはふところから細身の短剣を取り出してフィリシアに渡した。
 美しく繊細な装飾は先ほどの短剣を連想させる。ただ、その短剣には、深い闇色の石が埋め込まれていた。
「――きれい」
 思わす漏れた言葉に、エディウスが微笑する。
 闇色の石は、光に当てると本来の色を取り戻す。
 それは深海を思わせる底の知れない蒼――
 エディウスの瞳の色。
「これ……?」
 そっと石に触れると、エディウスの静かな声が言った。
「お前が以前欲しがっていたものだ。覚えてはいまいが――自己満足だ。よければ、持っていてくれ」
 ずきりと心が痛む。
 記憶は戻らない。
 いや、戻らないどころか――
「エディウス、私、フィリシアじゃないかもしれない」
「……馬鹿なことを」
「別人かもしれない。もしかしたら本人かもしれないけど、わからない。本当になにも思い出せないの」
 残酷な言葉だと思う。
 一年間も姿を消して、やっと戻ってきたらこんな状態で。
 好きなのかもわからない。向けられる好意に流されているだけなのかもしれない。
 嫌いではないと思う。
 でも、それだけだ。
 本当にそれだけなのだ。
「お前は、フィリシアだ。でなければ、いったい誰だというのだ――?」
 ゆらりと、エディウスの瞳の奥が揺れる。
「お前だ。私が殺した、そのままのお前だ――」
 フィリシアの目の前で、何かがゆっくりと狂っていく。
「エディウス……?」
 優しげな雰囲気を持った銀細工師は、秀麗なデスマスクをかぶった男へと――
 その総てを塗り替えられていった。

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