著者:月のなぎさ 凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

想い


美里の勤める病院は、救急指定を受けている中規模の総合病院で、美里はその病院の小児科病棟に勤務していた。

休憩を終えた美里に、婦長は救急外来に患者を迎えに行って欲しいと告げた。救急外来で処置を行ったあと、入院治療が必要な患者は、各病棟に移されるからだ。

 搬送されてきたのは、7歳の女の子。自転車に乗っていて車にはねられたのだという。乗っていた自転車を引っけられた形で起こった事故だったために、女の子軽い脳震盪は起こしていたものの、右腕を骨折しただけで命には別状は無かった。

 美里が救急外来の待合室を覗くと、ベンチにポツンとたたずむ人影が見えた。
「付き添いの方ですか?」
美里が声をかけると、俯いていた人物が顔を上げた。
「あっ」
思わず声を上げてしまった美里を、怪訝そうな顔で見上げた人物は士都麻光晴だった。光晴は、じっと美里の顔を見て何かに気がついたのだろう。スッと美里のネームプレートに視線を移す。
「もしかして、美里ちゃん?」
「あ、はい。士都麻先輩ですよね?って、あれ?今運ばれて来た子って、先輩のお子さんなんですか?」
「そんなことあるわけないやろ?絢香ちゃん女の子やで?」
 鬼は特殊な種族で、刻印を持った花嫁との間にしか子を成すことはできず、産まれてくる子もすべて男の子だということを美里は思い出した。
「あ、そうでしたね。それじゃあ、どうして先輩が絢香ちゃんに付き添ってきたんですか?」
「絢香ちゃんとは、ちょっとした知り合いなんや。あの子が事故にあったとき、ちょうど俺が居合わせて……。あの子の両親が仕事で直ぐには来れんというんで、俺が代わりに乗ったんや」
「そうなんですか。でも、それは困ったな」
「ん?」
「絢香ちゃん処置が終わったんで、これから小児科病棟に移るんです。てっきり保護者の方が付き添っていらしたと思ったんで、入院の手続きの説明をしようと思ったんですけど。絢香ちゃんの保護者の方、いつごろいらっしゃるかご存知ですか?」
「警察の人が連絡したって言っとったから、そのうち来るとは思うけど……」
「分かりました、その件に関してはこちらで確認をしてみます。先輩はこのまま帰られますか?」
「絢香ちゃんが不安やろうから、家族の人が来るまで俺が付き添うことにするわ」
「分かりました。それじゃあ、ちょっとここでお待ちいただいてもいいですか?」
「はい。了解です」
少しおどけた口調でそう告げる光晴の様子に、美里は小さく笑みを漏らすと、少しお待ちくださいと言い残して、処置室と書かれたドアの中に姿を消した。


「それにしても美里ちゃん、見違えたわ!」
「え?そ、そうですか?」
「もうどこから見ても、立派な看護士さんって感じやな」
「いいえ、まだ看護士になって2年目ですから。私なんてまだまだです」
「そっか、2年目か〜」
「ええ。あれから、5年制の看護科に行って、去年やっと看護士になれたんです」
「ってことは、あれからもう……」
「6年ですよ」
「そっかぁ〜。時が経つのは早いな!道理で、見違えるわけやな」
「先輩は、変わりませんね」
「そうか〜?」
「ええ。一目見て直ぐに分かりました」
「そういえば、俺の顔見るなり『あっ』って声上げてたもんな。俺、いきなり人の顔みて声上げるもんやから、びっくりしたで?」
「すいません、いきなり声なんてあげてしまって。失礼しました」
「いや、美里ちゃんが気づいてくれなかったら、俺は素通りするところやった」
「でも、いくら知り合いだったとしても、他人の空似ってこともあるわけですし。軽率でした。はぁ、私もまだまだだな〜」
「そんなことない。さっきちょっと仕事振り見させてもろたけど、たいしたもんやったで」
「そんなこと無いんですよ。もう、先輩の看護士さんや婦長さんから叱られてばっかりで」
「そっか。美里ちゃんも頑張ってるンやな」
光晴に褒められ、美里は照れくさそうに少し頬を染めて笑った。

 絢香が小児科病棟に移された後も、光晴は絢香に付き添い、結局両親が駆けつけるまで残っていた。光晴が帰るタイミングが、ちょうど美里の仕事が終わるのと重なったので、どちらからということもなく、一緒に食事をすることになったのだった。


「そ、そういえば。士都麻先輩は今なにをなさっているんですか?」
「ん?俺か?俺は、建築関係」
「建築関係ですか?」
「建築関係の仕事は現場から現場に渡り歩くんやけど、俺って根無し草みたいなところがあるからな。そういう生活が性にあってるみたいなんや」
「じゃあ、今の仕事場はこの辺りなんですか?」
「ああ、絢香ちゃんが事故にあった公園の近くや」
光晴はそれから、絢香と知り合ったきっかけを語り始めた。美里は、その話に時々相槌を入れながら聞いていた。



「それにしても、美里ちゃん。変わったな〜」
一通り、絢香の話を終えた光晴は、おもむろにそう言った。
「え?そうですか?う〜ん。そういわれれば変わったかもしれませんね。私だって、もう22歳ですもの」
「え?もうそんなになるのか?」
「ええ。もうすっかりおばさんです」
「おばさんは言いすぎやろ?22歳なんて、まだまだ若いやないか?」
「看護士としては、まだまだ駆け出しなんですけど。勤務先が小児科で、子供ばかりを相手にしてるので。最近の子は、ませた子が多くて……。『20歳過ぎたら、もうおばさんだよ』って言われるんです。ま、やってることもお母さんの代わりみたいなことが多いからかな?」
美里はそういいながら苦笑を漏らす。
「え?なに?美里ちゃんをおばさん呼ばわりするようなガキがおるんか?そいつ一回締めないといかんな?」
光晴は、大げさに拳を作って見せてから、ふっと息を吐いた。
「俺もな、絢香ちゃんに初めて会った時、「しらないおじさん」って言われたわ」
「え?先輩がおじさんですか?ふふふ、あのくらいの年の子ならそういうかもしれませんね〜。でも大丈夫ですよ。さっきも言いましたけど、先輩、昔と全然変わってませんから」
そっか?といいながら小首を傾げる光晴の笑顔を見て、美里は鼓動が早くなるのを感じた。

それは、光晴の笑顔が以前と変わらず優しくて温かかったからだ。そして、この突然の再会で、ずっと秘めていた想いがまだ胸の奥にあることに、美里は気づいてしまった。

6年前のあの日、光晴が何故自分に制服のボタンを届けてくれたのかを、手の平の中に残された光晴の想い出の欠片を握り締めて、何度も何度も考えた。しかし、何度考えても、たどり着く答えは……。

 鬼頭の花嫁である神無が鬼ケ里に招かれてからも、花嫁の存在すら迎え入れようとしなかった華鬼。そのため、神無を護るために三翼が求愛したという話を美里も知っていた。
光晴の想い人は神無なのだ。しかし、そのことで神無に嫉妬する気持ちは、美里にはなかった。光晴は鬼で、自分は人間だ。鬼という生き物は、生まれる前から刻印を刻まれた女性しか愛さないのだと、鬼の花嫁になった姉から聞かされていた。つまり、自分が光晴に愛されることはありえない。

 光晴が自分にも優しく接してくれるのは、きっと光晴が生まれながらにして持つ包容力や優しさと、自分が神無の唯一の友達だからだろう。現に、光晴のボタンを手渡してくれた時、水羽は、厄除けくらいにはなるだろうと光晴が言っていたと伝えてきた。

 6年の時を経た今、またあの想いが自分の中から顔を出そうとしてくる。でもそれはしてはいけないことなのだと思いなおし、表面上だけは精一杯、冷静を装って美里は口を開いた。

「私はだめだな〜。もうすっかりおばさんです」
「俺が、美里ちゃんが変わったって言ったのは、別におばさんになったとかそういう意味ではないで?」
「え?」
「なんていうか……。前より、よう喋るようになって、明るくなったなって、そう思ったから変わったって言ったんや」
「え?それって、里にいた頃の私は暗かったってことですか?」
「え?いや。べ、別にそういうことや無くて……」
「すいません。分かってます。こういう仕事をしていくには……っていうか。やっぱり、世間に出てやっていくには、それなりに対応していかなくちゃならないし」
「ま、そうかもしれんな」
「ええ。6年もあれば人は変わるんですよ」
美里は、そういうと光晴の視線を避けるように俯いた。光晴は美里の寂しそうな笑顔に、この6年の間に美里の身に起きたことの片鱗を見たような気がした。


 絢香が入院してから、光晴は毎日同じ時間に見舞いに来るようになった。
絢香は、あいかわらず光晴のことを「おじさん」と呼んでいたが、光晴は気にする様子もなく、近頃では自分で「おじちゃん」と口にするようにまでなっていた。
小さな子供の怪我は治りも早い。絢香は、右手にギプスをしたままではあったが、一週間ほどで元気に退院して行った。
 美里にとって、絢香の退院は喜ばしいことではあったが、それは光晴の顔をみる機会を失うことを意味していた。もともと偶然の再会なのだ。しかも、光晴は仕事の都合であちらこちらの土地を渡り歩く生活をしているという。もう2度と会うこともないのかもしれないと思うと、一週間という時間は神様が見せてくれた短い夢だったのだと美里は思った。




「ふぅ」
光晴は、大きなため息をついて手にしていた荷物を椅子に置いた。
そこは、光晴のお気に入りの喫茶店だった。レトロな造りの店内には淹れたてのコーヒーのいい香りで満ちていた。ここのところ光晴は、この喫茶店て昼食を取ることが多かった。

「また公園に来れるようになったら、連絡してな?」
携帯の番号を書いた紙を光晴が差し出すと、絢香はニコッと笑いながら小指を立てた右手を光晴の前に差し出した。
「分かった。じゃあまた絵の続きを手伝ってね、約束だよ」
「おお、約束や」
光晴は絢香と指切りをしながら頷いた。
それから絢香からは連絡が来ていない。きっとまだ、絢香のギプスが外れるには時間が必要なのだろう。夏も本番を迎え、いくら水辺の日陰にあるとはいえ公園のベンチの暑さは尋常ではなくなっていた。
そのために光晴は、昼食をとる場所をこの喫茶店に移したのだ。

 それほど広くない店内には、客のプライバシーに配慮してか、ところどころに観葉植物が配置されていた。

「先輩とは関係ありません!」
 光晴の背後に置かれた観葉植物の向こう側から、突然女性の声がした。どこか聞き覚えがあるその声に、光晴は思わず振り返る。観葉植物のわずかな隙間から、見覚えのある女性の横顔が垣間見えた。

(美里ちゃん?)

 植え込みを隔て向こう側には、美里と男性がテーブルを挟んで座っていた。美里は、自分がつい大きな声を出してしまったことを恥じているのか、じっと俯いていた。
 なにか低い声で、ボソボソとしゃべる声が聞こえた後、ガタンと音がして男性が立ち上がった。
「本当に、私のわがままで。申し訳ありません」
 立ち上がった男性の背中に美里が声をかけると、男性は苦笑を見せてそのまま店を後にした。

 暫くしてから、カタンと小さな音がした。美里が席を立ったらしい。慌てて光晴は身を小さくする。が、ひょいっと身を縮めた行為が却って美里の視線を誘導する結果になった。
「し、士都麻先輩……」
不自然に壁に顔を向けていた光晴の背後から、驚いたような美里の声がした。

「や、やあ、美里ちゃんもおったんかいな?き、奇遇やな」
「かっこ悪いところを見られちゃいましたね?」
慌てて取り繕った挨拶をする光晴に、美里は自嘲するように力なく微笑んでみせた。
「別に、無理に話してとは言わんけど、俺でもよかったら話を聞くし」
光晴の言葉に、美里はじっと俯いて立ち尽くしている。その姿を見かねて光晴は口を開いた。
「美里ちゃん、これから時間ある?よかったら場所変えようか?」
黙って頷いた美里を連れ立って光晴は店を後にした。


「ごめんな、盗み聞きするつもりはなかったんやけど。聞こえてしもた。なんか、さっきの人との話しに、俺のことが出ていたような気がするんやけど。俺の勘違いだったらごめんな」
光晴は狭い居酒屋のカウンターの隅で並んで座る美里の顔を覗き込む。
「いいえ。つい、大きな声を出してしまった私が悪かったんです」
そういったきり、美里は暫くの間黙って俯いていた。その隣で光晴も、ただ黙ってじっと美里の言葉を待っていた。
 絢香が取り持ってくれた縁で、美里と思わぬ再会を果たして、光晴は何故自分が、あんなにも絢香のことが気になったのかを初めて理解した。公園の片隅に現れた小さな女の子の姿は、どこか美里と似ているものがあった。性格的には、絢香の方が現代っ子らしいクールさがあった。しかし、何かに対して頑なまでにひたむきに望む姿や、奥に寂しさの陰を宿した瞳が、光晴の目には重なって見えたのだ。

 6年前、美里の想いを知りながらも何もしてあげることができなかった事を、絢香の世話をすることで、埋め合わせようとしていたのかもしれないと思った。

 美里は、目の前に置かれたグラスに数回口をつけて飲み込んだあと、静かにその重い口を開いた。喫茶店で話をしていた人物は、今年の春まで同じ職場にいた医師なのだという。彼は、実家の医院を継ぐために退職し、その退職を機に美里に交際を申し込んできたのだという。しかし、美里は断った。それでも、その医師は諦められなかったらしく、その後も何度か美里の下を訪れては、言い寄ってきているのだという。
 先日、光晴と美里が一緒に食事をしている姿を彼が見かけ、それが原因で自分との交際を渋っているのだと勘違いしたらしい。今日彼は、それを確かめに美里の下を訪れたのだという。
「ま、俺が口を出すことじゃないかもしれんけど、一回ぐらい付き合ってみてもいいのとちゃう?」
「それはできません」
「なんで?」
「……」
「他に好きな人がいるの?」
俯いたままフルフルと首を振る美里。
「見た感じでは、よさそうな人だったけど?ま、いかにもぼっちゃん育ちって感じやったけどな。それとも、見た目と違ってすごく性格が悪いとか?」
美里は、今度はしっかりと顔を上げて、光晴の言葉を否定するようにしっかりと首を横に振る。
「ま、好きでもないやつと付き合うのはいややって気持ちも分かるけど」
「先生はいい人です。私にはもったない位のいい人なんです」
「嫌いやないんや。だったら……。ってごめん、俺部外者なのに、首を突っ込みすぎやな?でもな、付き合えんなら、付き合えん理由を、ちゃんと相手に説明せんといかんのとちゃう?それがはっきりせんから、相手やって引くに引けないんやないの?」
「だから、私が悪いんです」
「だから、そうやなくて。誰かと付き合うのも、付き合いたくないって思うのも、その人の自由やろ?それを断ったからって、別に誰が悪いとかそういうことにはならへんやろ。ただな、相手だって一生懸命申し込んできているんや。それも一回二回やないみたいだし……。それやったら、なんで付き合うことができんのか、ちゃんと説明しないとあかんって、俺は思うけどな?」
偉そうな事言ってごめんなと続けた光晴の言葉に、美里はゆっくりと首を振る。


「女も、二十歳を過ぎると、人に胸を張って言えないことが一つや二つはあるんですよ」
暫くの沈黙のあと、美里はそう呟いた。
「え?」
「先輩が知ってる、引っ込み思案な16歳の女の子は、もう居なくなっちゃったんですよ」
「美里ちゃん……?」
グッと唇をかみ締めて、俯く美里に何か言葉をかけようとして、光晴はふと言いようのない違和感を感じた。それは、鬼という生き物が持つ独特の五感から感じるものだった。
もしかして……、と思い当たった理由を口にしようとして、光晴はぐっと堪えた。それを口にしてしまうことは、ただでさえ憔悴しきった様子の美里に新たな傷を加えてしまうことになってしまうからだった。

 結局美里は、その言葉を最後に、ぐっと口を噤んだまま何も語ろうとはしなかった。
「無理に誘ってしまってごめんな」
「いいえ、こちらこそ。ご心配頂いてありがとうございました」
美里は、いつかのように律儀に深々と頭を下げると改札口を通る人波の中に姿を消した。
光晴は美里の後姿を見送ってから、携帯を取り出した。
「ああ、麗ちゃん?俺や。あんな、ちょっと調べて欲しいことがあるんやけど、頼める?」

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著者:月のなぎさ凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

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