著者:月のなぎさ 凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

想い


 光晴が麗二に電話を入れてから数日後、その答えが返ってきた。
麗二が返してきた答えが、自分が予想していた通りだったことに、光晴はショックを受けていた。
「なんでやねん」
 やるせない思いが胸に溢れて、つい愚痴になって零れ落ちる。

麗二からの電話を切った光晴は机の上に携帯を置くと、天井を見上げてもう一度大きくため息をついた。

 あの日光晴は、美里の体から放たれる女性特有の匂いに違和感があることを感じたのだ。
鬼は、人間にはない特別な嗅覚を持っている。そして、その嗅覚があるからこそ、身ごもった胎児の性別を見分けて、女児だけに刻印を刻むことができるのだ。そう、胎児でさえも持つ、女という性が放つ独特の匂い。当然、美里からもその匂いが放たれているはずなのだが、美里のそれは通常のものとは少し違っていたのだ。その違和感がどこから来るのか、そのときの光晴には分からなかったが、なにか予感のようなものが脳裏をよぎり、医師である麗二に相談することにしたのだった。

 麗二の話では、美里は看護科時代に体調を崩して倒れたことがあるらしい。過労から、ホルモンのバランスを崩し、麗二の知り合いの病院に入院したのだという。そして、そこで卵巣の先天的な異常が原因であることが判明した。診察した医師によると、将来に渡って彼女が妊娠できる可能性は極めて少ないとのことだった。
 その事実を知らされた美里は、暫くの間病室に引きこもっていたという。当時の美里の年齢を考えれば、それは余りにも過酷な診断だった。
 
 ぼーっと天井を見つめて物思いにふけっていた光晴の耳に、携帯の着信音が飛び込んできた。絢香からだった。

「おじちゃん?」
「おお、絢香ちゃんか?怪我もうよくなったんか?ギプスは外れた?」
「ううんまだ。でもね、明日病院に行くの、でね、帰りに公園によってもいいって、ママが。おじちゃんはお仕事忙しい?」
「明日か?いつもの時間でええか?分かった、それじゃあいつものベンチで待ってるからな」
「うん。それじゃあ明日ね」
バイバ〜イという明るい声を最後に、絢香の電話は切れた。


翌日、光晴がいつものベンチに座っていると、母親に付き添われて絢香がやってきた。まだ腕にはしっかりとギプスが巻かれたままになっていた。
「あのね、今日ギプスを新しいのに変えてきたの。おじちゃん、ここになんか絵を描いて」
「はぁ?俺が描いてしまってもいいの?」
「うん。おじちゃんに描いてほしいの」
絢香はそういうと、サインペンの入った袋を光晴に手渡してきた。
「じゃあ、なにを描いて欲しい?」
「えっと、噴水」
「え?」
「ここから見える噴水を描いてほしいの」
「え〜、それをここに描くのはちょっと難しいな〜。そや、絢香ちゃんの顔を描いてあげようか?」
「うん!」
絢香は嬉しそうに頷くと、少しだけすまし顔になって右手に巻かれたギプスを差し出してきた。
「よっしゃ、別嬪さんにかいてやるからな!」
「ベッピンサンってなに?」
「え、別嬪さんって知らんのか?美人ってことや」
「美人?それじゃあ、美里ちゃんみたいにかわいく描いて」
「み、美里ちゃん?」
「うん」
「そっか、絢香ちゃんは美里ちゃん好きか?」
「うん。看護士さんの中では、美里ちゃんが一番好き」
「そっか〜。それを聞いたら、美里ちゃんきっと喜ぶよ」
「おじちゃんも、美里ちゃんのこと好きでしょ?」
「え?おじちゃん?うん、そうやな、おじちゃんも美里ちゃんのこと好きだよ」
「ねえ、おじちゃん、美里ちゃんと結婚するの?」
「はぁ?絢香ちゃんなにいうてんの!」
「士都麻さん、申し訳ありません。コラ、絢香だめでしょ、子供がそんなことを言っては」
「いや、お母さん、子供の言うことですから、気にせんでください。で、絢香ちゃん。なんでそんなことを俺に聞くん?」
「え〜、だって。病院のお兄ちゃんとかお姉ちゃん達が、みんなそう言ってたよ」
「え?みんなって、入院してたみんな?」
 光晴の脳裏に、小児科病棟に入院していた、いかにもませた感じの子供たちの顔がよぎった。
「あのね、私ね」
「ん?」
「美里ちゃんも、おじちゃんのこと好きだと思う」
「え?」
「だって。美里ちゃんおじちゃんの話をすると、すごく嬉しそうに笑うんだよ」
「え?そうなん?」
「うん」
絢香は、美里の笑顔を思い出しているのだろうか?ふふふっとはにかむようにして笑った。




「美里ちゃん、これからちょっと時間ある?」
仕事を終えて病院の通用口から表に出た美里に、壁に寄りかかり軽く手を上げた光晴がそう声をかけてきた。美里は、戸惑った表情のまま静かに頷くと、光晴の後に続いた。


「昨日、絢香ちゃんに会ったよ」
簡単な壁に仕切られた個室形式のレストランの一室で、テーブルを挟んで座ると、光晴はおもむろに口を開いた。
「昨日、病棟のほうにも顔を出してくれました」
「絢香ちゃんな、看護士さんの中で、美里ちゃんが一番好きやって言うてたで」
「え?そうですか?それは嬉しいな」
店に着くまで困惑の表情を浮かべていた美里だったが、絢香の話題が出ると、ふっと頬を緩めた。
「それでな」
「?」
珍しくなにかを言いよどんでいる様子の光晴を、美里は小首を傾げる。光晴は、美里の顔にチラッと視線を送ると、ふっと小さく息を吐く。
「あの……、士都麻先輩?」
「おじちゃんも美里ちゃんのこと好きでしょって言われた」
「え?」
「だから、俺も美里ちゃんのこと好きやって絢香ちゃんに言うた」
「え?あの、へ?」
「それでな、今日は、美里ちゃんに聞いて欲しいことがあって、ついてきてもろたんや」
光晴がなにを話しているのか、美里は理解できていない様子で、鳩が豆鉄砲を食らったように目を瞠って光晴の顔を見た。
光晴は、軽く息を吸い込むと、じっと美里の顔を見据えた。
「俺な、バツ一やねん」
「え?」
驚きで次の言葉が見つからない様子の美里の顔を見ながら、光晴は静かに語り始めた。


絢香と公園別れてから、光晴は麗二に電話をかけた。
「おや、どうしました?」
「麗ちゃん、俺、明日美里ちゃんに会いに行こうと思う」
「そうですか、それはよかった」
「本当にそう思う?」
「おや、珍しく弱気ですね」
「あはは。俺らしくないな」
「でも、そんなものじゃないですか?」
「え?」
「鬼っていう生き物は、惚れた女性には弱いものです」
「なあ、麗ちゃん?俺、まだ間に合うと思う?」
「まあ、それは相手のあることですから、なんとも言えませんけど。でも……」
「でも?」
「私がよく知っている、「剛の士都麻」と呼ばれた鬼は、同じ過ちは繰り返さない鬼だと思っていますけど?」
「……」
「もうこれ以上、彼女を傷つけたくないでしょう?」
「ああ」
「今、彼女を護ってあげられるのは誰だか、自分が一番よくわかっているはずですけどね?」
「そやな」
「もえぎさんに、部屋を掃除しておくように言っておきますから」
「うん。ほなな」


光晴は麗二とかわした会話が、脳裏のどこかで自分の背中を押してくれているような気がした。
光晴が昔、一度だけ花嫁を迎えたこと。しかし、光晴の身体的な問題でその花嫁は、他の鬼に嫁がなければならなかったこと、その結果、光晴は鬼ケ里を後にしたことを。どこか遠くに視線を投げ、その苦い思い出までも愛しむように懐かしむように語る光晴の顔を、美里はただ黙って見つめていた。
「だから、俺は刻印を持った女性を嫁さんに迎えることはできへんの」
「……」
「美里ちゃん、刻印が欲しかったって神無ちゃんに言うたことがあったやろ?」
「え?あ、はい」
「でも、美里ちゃんに刻印がなくて、俺としてはラッキーだったかもしれへん」
「ええ?」
「鬼と人間の間には子供は生まれない」
美里は黙って頷く。
「しかも俺には子種がない。つまり俺は誰と夫婦となっても、子を成すことはできないんや」
「……」
「そのことで、俺は俺なりに随分悩んだ。やっぱり、夫婦になったら子供が欲しいとおも
うやん?でも、俺にはそれは望めない。そんな足かせのようなものを、自分以外の誰かに
負わせてしまってもいいんだろうか?って」
光晴の言葉に、美里ははっと息を呑んで俯いた。その言葉は、美里自身がずっと心の中に抱いてきた不安と同じものだった。誰かと付き合い、結婚をするという話になったとき、美里が子供を産めない体だと知ったら、相手を失うことになってしまうのではないか?
結婚するときには、そのことに承知をしてくれたとしても、生活をしていくうちにいつか、子供が欲しかったと思うのではないか?
そして、相手がそれを望んだときには、自分の元を去ってしまうのではないか?
まれに相手が子供を欲しいと思わなかったとしても、美里の中に後ろめたい気持ちがあることで、相手は本当に子供を欲しいと思っていないのだろうか?と美里自身が相手に疑いを持ってしまうような予感もあった。
それを考えると、不安ばかりが先に立ち、誰に告白されても首を縦に振ることが出来ずにいたのだ。

「それでな、美里ちゃん」
暫くの沈黙の後、光晴は静かに語りかけるように美里の名前を呼んだ。それまでずっと俯いていた美里も、光晴の声にそっと顔を上げた。
「よかったら俺の嫁さんになってくれへん?」
「え!?」
「俺は鬼やし、今話したとおりの事情もあるから……。美里ちゃんに赤ちゃんを抱かせてやることは出来ん。でも、もし、それでもよかったら、俺の嫁さんになって欲しい。俺、大事にするし、絶対美里ちゃんを幸せにする。誰に誓ってもいい。俺が必ず護るから」
「あ、あの私も、実は……」
「何も言わんでええ」
「え?」
「俺の嫁さんになってもええか、それとも俺じゃだめなのか。美里ちゃんはそれだけを答えてくれたらええ」
光晴の言葉に、美里は自分の体のことを光晴がすべて承知のしていることを悟った。
そして、その上で自分の事を話し、運命に絡め取られてしまったはずの美里の未来も、なにもかもすべてを、光晴の責任で背負おうとしてくれていることを感じた。
「……っ!!」
美里の瞳からこぼれ落ちた大粒の雫が、美里の膝の上に大きな丸い染みを作っていく。
「美里ちゃんは、俺のこと嫌い?」
美里は光晴の問いかけに、そんなことはないと伝えようとするが、喉の奥がギュッと締め付けられるようになって上手く声が出てこない。
美里は慌てて、ブルブルと首を横に振って答えた。
「じゃあ……」
光晴が次の言葉を発する前に、美里は顔を手で覆ったままコクコクと首を大きく縦に振った。

「そっか、よかった!俺振られたらどうしようと思って、めっちゃ緊張した!」
光晴は、嬉しそうにそう言うとテーブルを回って美里の体をぎゅっと抱きしめる。

「俺、本当はな、6年前から美里ちゃんのこと好きやったんや」
「!?」
「あれ、なに?その目は疑ってるん?でもな、ごめんな。俺、怖かったンや。俺の負った足かせを美里ちゃんにもはめてしまうことになるんやないかって、そう思って」
「せ……んぱい」
「でもあの時、俺がもっちょっと勇気を持って、美里ちゃんに気持ちを打ち明け取ったら、美里ちゃん、こないに悩まんでもよかったのにな。ほんとごめんな」
「……」
「これからは、一人で悩まんでええからな。俺が、ずっと一緒におるから。俺がずっと護っていくから、な」
美里は次の言葉を紡ぐことも出来ず、ただ光晴の胸に体を預けて泣きじゃくった。光晴は、美里の小さな体を慈しむ様に抱きしめたまま、小さな子をあやすようにそっと美里の背中をトントンと叩いていた。

暫くしてようやく美里が泣き止むと、光晴は改めて美里の名前を静かに呼んだ。
「美里ちゃん?」
「は……い」
「早速で悪いんやけど、一つだけ俺のお願い聞いてくれへん?」
「お、お願いですか?」
「うん。あのな、俺のことを名前で呼んで欲しいねん」
「名前?」
「そうや。いつまでも、他人行儀に「先輩」って呼ばれるのも、味気ないやろ?呼び方は任せるから。「光晴」「みつ」でもなんでもええから」
「え、でも、そんな急に……」
「難しいか?」
躊躇いがちにコクンと頷く美里。
「じゃ、今試しに一回呼んでみて」
「え?あの、その。み、光晴さん?」
「おおー、ええなぁ〜。もう、めっちゃっ嬉しい!もう1回、もう1回呼んで!」
「え?でも、あの」
「なん?」
「恥ずかしいです」
「恥ずかしがることないやろ。ほら、な?頼むわ」
「光晴さん」
「はい!」
まるで子供のような顔で嬉しそうに返事をする光晴の笑顔を見て、美里は思わず噴出した。
「それ、それや!」
「え?」
「やっぱ、美里ちゃんには笑顔が似合う!俺、一生懸命その笑顔護るからな!幸せになろうな!」
美里は急に恥ずかしくなったのか、頬を真っ赤に染めてコクンと頷く。光晴は、もう一度美里の体をぎゅっと抱きしめると、胸の中に込み上げてくる愛おしさ噛み締めるように、きつく目を閉じた。

= end =

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著者:月のなぎさ凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

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 著者権はすべて凌月 葉様にありますので、ご了承下さいませ。


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