著者:月のなぎさ 凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

想い


「うわぁ。暫く見ないうちに大きくなったなぁ〜」
親友から届いた手紙に同封されていた写真を見ながら、呉羽美里は思わず独り言を呟いた。手紙の送り主は、親友の朝霧神無。鬼頭と呼ばれる最強の鬼に生まれる前に刻印を刻まれ、今はその刻印を刻だ鬼、木籐華鬼との間に生まれた息子と、鬼ケ里で幸せに暮らしていた。写真には、やんちゃそうな男の子と神無の姿が写っていた。

 美里が鬼ケ里を出てから、すでに6年という歳月が流れようとしていた。美里は、当時在籍していた鬼ケ里高校の校医であり鬼頭の庇護翼の一人でもある高槻麗二の口利きで、5年制の看護科のある学校に入学した。その後看護科を卒業し、昨年ようやく正看護士の資格を手にしたのだった。

 この6年間で美里が鬼ケ里を訪ねたのは、数回しかなかった。一回は神無の出産の知らせを受けてから少し経った時だった。

 鬼ケ里は、今美里が住んでいる街からはかなり距離があるために、どうしても日帰りができなかった。神無が出産したという連絡を受けて鬼ケ里を訪れたとき、泊まるところはあるから、心配しないでという神無のことばに、宿か来客用の部屋でも取ってくれたのだろうと、軽い気持ちで訪ねた。しかし美里は、通された部屋を見ておののいた。それは、鬼頭の三翼の一人であり、鬼ケ里高校に在籍していた頃に美里が密かに思いを寄せていた、士都麻光晴の部屋だった。光晴が里を離れるときに、美里が遊びに来たときには自由に使ってくれと言い残していったのだという。

 確かに、同じ棟の中に泊まれば、乳飲み子を抱える神無とも、もえぎともゆっくりと会う時間を持つことができるのだが……。それにしても、と美里は思った。もえぎの後に続いて足を踏み入れた光晴の部屋は、美里の想像以上に広い部屋だったのだ。

「里を出てからまだ一度も顔を見せないんですよ」

 光晴の部屋を使うことを美里が戸惑っていることを察したのか、もえぎはそう言って苦笑した。それでも、いつ主が帰ってきてもいいように、もえぎがこまめに面倒を見ているのだろう。普段使われていないはずの部屋にもかかわらず、隅々まできちんと掃除が行き届いていた。

「このベッドの上だけでも、十分暮らしていけそう……」
当時生活していた、看護学校の寮の部屋は、2段ベッドと作り付けの机とロッカーのある二人部屋だった。その部屋の一人分のスペースよりも、寝室に置かれたキングサイズのベッドの方が広いように美里には思えた。

 どこに身を置いたらいいのか迷ってしまうほど広いベッドに横たわって目を瞑っても、広すぎて落ち着かず直ぐには寝付けなかった。仕方なく体を起こして部屋を見渡す。

 部屋の中には光晴の私物らしいものはなにもなく、ただでさえ広いその部屋はいっそう広く思えた。ガランとした部屋の光景は、その部屋の本来の主である光晴の不在を強く感じさせた。結局その夜、美里は殆ど寝付くことがないまま朝を迎えてしまったのだった。

 美里としては、もっと頻繁に鬼ケ里の人たちに会いに行きたいと思うのだが、忙しくて時間が取れないという理由以上に、あの、主不在の部屋に泊まることを考えると、つい足が遠く。その後、何度も神無から顔を見せに来て欲しいと言われて結局2回ほど足を運んだが、看護学校の専攻科に上がってからは行っていなかった。


「呉羽さん」
「あ、はい」
いつの間にか鬼ケ里に思いを馳せていた美里は、休憩室のドアから顔を出した婦長に呼ばれ、慌てて神無からの手紙と写真を封筒に収めて席を立った。






「なんじゃこりゃ?」
仕事場からそれほど離れていない場所にある公園の前で、光晴は思わず声を漏らした。街中の公園にしてはかなりの敷地を持つその公園には、沢山の樹と噴水のある池があり、その池から流れ出るせせらぎが公園の中を走っていた。

「あら、士都麻さんいらっしゃい」
光晴が公園の入り口に隣接するひなびたパン屋の前に立つと、店の中から、いかにも人のよさそうな年配の女性が声をかけてきた。その店は、職人気質のご主人と人当たりのいい奥さんが切り盛りしている。その店の惣菜パンは、どれを食べても美味しいと評判の店だった。手作りのメンチカツをはさんだものと焼きそばパンが光晴のお気に入りで、天気のいい日にはいつも、そこでパンを買って公園のベンチで食べるのが最近の日課になっていた。
「おばちゃん、いつもの」
「ごめんなさいね。今日はみんな売り切れちゃって、いま作ってるところなのよ」
「ええ?そりゃまた繁盛なことで」
「なんせほら?……」
おばちゃんの視線につられて光晴も振り返ると、そこには子供達の歓声で大賑わいの公園の光景が広がっていた。
「今日から夏休みに入っただろ?だから、あっという間に売り切れちゃって。ごめんなさいね」
人のよさそうなおばちゃんは、本当に申し訳ないという顔をした。
「そっか、今日から夏休みか〜。もうそんな季節か〜。しゃーないな、また出直してくるわ」
わるいわね、というおばちゃんの声に片手を上げてこたえると、光晴は店を後にした。




「それにしても、急に暑くなったな!」
 再度公園に向かうために外に出た光晴は、射るような日差しを避けるように額に手をかざすと、空を見上げた。今日梅雨が明けたばかりのだというのに、抜けるような青空を背にした真っ白な入道雲が、本格的な夏の到来を告げていた。

 日中の中でも一番暑い時間帯のせいか、ついさっきまであれだけいた子供達の姿はどこにもなく、公園の水辺に隣接した木陰に点在する殆どのベンチの上には、ネクタイを緩めて昼寝を決め込むサラリーマンの姿があった。光晴は、一つだけ空席になっていたベンチに腰掛けると、紙袋からパンを取り出してかじりついた。

 時折吹く噴水の上を抜けてくる風が、心地いい。自然が多く雪深い鬼ケ里で育ったためか、光晴は暑いのが苦手だ。しかし、それ以上に冷房が嫌いだった。程なく昼食を終えた光晴は、ふぅとため息を吐いて大きく伸びをした。すると、誰かの気配を感じて視線を走らせた。
 そこには、自転車を支えて立つ小さな女の子の姿があった。自転車のかごには、スケッチブックと鞄が入っていた。女の子は困ったような顔をして、辺りを見回している。どうやら、夏休みの宿題の絵を描く場所を探しているようだ。

 ふと、光晴と女の子の視線が絡んだ。刹那、女の子はまた隣のベンチに視線を移していった。女の子の視線を追うようにして、光晴もベンチに視線を移すが、光晴が座っている以外のすべてのベンチには、寝転ぶサラリーマンの姿があった。

 女の子の視線が、水辺にあるベンチを一周して、また光晴のところに戻ってくる。
光晴が、座る?と問いかけるように女の子見て小首を傾げてみせると、女の子は困ったような顔で俯いた。仕方なく光晴は、荷物をベンチに置いたまま女の子に歩み寄る。

「絵を描くところを探してるんとちゃうん?」
女の子は、腰をかがめて顔を覗き込んで話す光晴の顔は見ずに、黙ってコクリと頷いた。
「良かったらお兄ちゃんの横に座る?俺もう少ししたら行くし」
光晴の言葉に、女の子は戸惑いの表情をいっそう濃くすると、自転車にまたがって踵を返して行ってしまった。
「恥ずかしかったンかな?」
女の子の後ろ姿を見送りながら、光晴は呟いた。


 翌日光晴は、前日と同じく昼時を避けて公園に出向いた。手には、前の日に取り置いてもらうように頼んでおいた、お気に入りの惣菜パンの入った袋があった。

 水辺のベンチは、昼寝をするサラリーマンに占領されていた。よく見ると、その面子は昨日同じようで、それぞれが決まった場所のベンチを確保していた。その結果光晴はまた昨日と同じベンチに腰を下ろすことになった。紙袋に手を伸ばそうとした時、視界の端に昨日の女の子の姿を見つけた。


 − そりゃ、恥ずかしがってるのとちがうわよ、士都麻さん − 
 − へ?じゃあ、なに? −
 − 最近の子は、知らない人と口を利いちゃいけないって、親に言われてるのよ −
 − なんで? −
 − ほら、近頃なにかと物騒だからよ −
 − そういうもんかね? −
 
 パンを買いながら、昨日の公園での出来事を話した光晴に、おばちゃんはそう言った。俺そんなに怪しい人に見えるかな?と独り言を吐いた光晴に、
「士都麻さんがそう見えるってことじゃなくて、そういうご時世なのよ」
と、おばちゃんは顔を顰めて言った。

 ついさっき、パン屋のおばちゃんと交わした会話が脳裏を掠めたが、困り果てた顔で立ち尽くす女の子を見かねて、光晴は自分の隣を指差しながら声をかけた。
「良かったら、ここに座る?」
女の子は、困った顔のまま光晴の指先と顔を交互に見た。

 − 最近の子は、知らない人と口を利いちゃいけないって、親に言われてるのよ −

「知らないお兄ちゃんと口を利いたらいけないって、お母さんにいわれてるん?」
光晴が女の子に尋ねると、女の子は黙ってコクリと頷いた。ずっと暑い中、自転車を漕いで来たのだろう、女の子は真っ赤な顔をしていた。麦藁帽子から覗く頬には、汗で髪の毛がぴったりと張り付いている。
「俺の名前は、士都麻光晴っていうんや。お嬢ちゃんの名前は?なんていうの」
女の子は、いきなり名乗ってきた光晴の顔をびっくりした顔で凝視した。
「知らないお兄ちゃんと口を利いたらいけないんやったら、友達やったら口を利いてもいいんやろ?今から俺と友達になろ。だから、そんな日向の暑いところにおらんと、こっちの日陰に入っておいで」
女の子は少しの間躊躇していたが、暑さに負けたのかコクリと頷き自転車を押して日陰に入ってきた。しかし、女の子が腰掛けたのはベンチから少し離れた小さな段差だった。
その様子を見て光晴は苦笑したが、とりあえず日陰に落ち着いた女の子の姿をみて、隣に置いた紙袋に手を伸ばした。


 翌日から、女の子は同じくらいの時間に公園に現れると、光晴が声をかけなくてもベンチから少し離れた段差に腰掛けてスケッチブックを広げた。相変わらず名前を聞いても答えようとしない女の子の様子に、光晴は小さくため息をつく。
「俺、まだ信用されてないんやな?」
光晴の小さな独り言は女の子の耳には届かなかったらしい。女の子は黙って水を噴き上げる噴水を見ては、鉛筆を走らせていた。

 暫く黙って絵を描いていた女の子は、ふぅとため息をつくとおもむろに消しゴムを取り出してゴシゴシと消し始めた。それから、少し描いてはゴシゴシと消し、また少し描いては消すという動作を繰り返す。
「思うような絵が描けへんの?」
女の子がまた消しゴムでゴシゴシと消し始めた時、見かねたように光晴が声をかけた。
女の子は、チラッと光晴に視線をよこすと直ぐさまスケッチブックに視線を戻して、コクンと頷く。

「俺こう見えても絵を描くの上手いんやで。ちょっと見せてみ?」
光晴が、女の子の横に回ってスケッチブックを覗き込もうとすると、女の子は慌ててスケッチブックを胸に抱え込み、グッと光晴を睨みつける。
「ちょっと見せてくれてもええやん?」
ブンブンと首を振る女の子。
「まだお兄ちゃんと口を利きたくないん?」
一向に一言も話そうとしない女の子の態度に、光晴がボソッとごちた。
「ママが、知らないおじさんと話しちゃいけませんって」
「お、おじ……!?」
女の子に、おもむろにおじさんと呼ばれたことにショックを感じた光晴は、すっとその場から離れると、空になった紙袋をクシャッと丸め、気いつけて帰りと女の子に一声かけて公園を後にした。


「士都麻さん。昨日見かけたけど、かわいい子だね?」
いつものパン屋に立ち寄ると、人懐っこいおばちゃんが声をかけてきた。
「うん、そうなんやけど。俺、めちゃくちゃ怪しいやつだと思われてるらしくて。しかも……」
知らないおじさんと話しちゃいけないと言われたと愚痴ると、おばちゃんは声を上げてカラカラと笑った。
「そりゃしょうがないよ?だってさ、あの子まだ学校に上がったばかりくらいだろ?その子の年じゃ、大人の男の人はみんなおじさんに見えるんじゃないの?」
「でも、名前も教えてくれないんやで?おばちゃんどこの子だか知ってる?」
「いや、あんまり見かけない子だね〜。最近ここいら辺も、マンションが多くなっちゃったしね。あの子自転車に乗ってただろ?もしかしたら、家はここから遠いのかもしれないね?」

おばちゃんから紙袋を受け取った光晴は、今日もあの子は来るだろうか?
今日は、名前くらいは教えてくれるだろうかと、いろいろと思い巡らしながらいつもの水辺に向かった。しかし、光晴が昼食を終えても女の子は姿を見せなかった。光晴は小さなため息をつくと、おもむろにスケッチブックと鉛筆を取り出す。ここ数日、女の子が絵を描く姿を目にしていて、自分でも久々に絵を描いてみたくなったのだ。スルスルと鉛筆を走らせていると、隣でわぁという声が聞こえた。慌てて顔を上げると、いつの間にやってきたのか、いつもの女の子が光晴のスケッチブックを覗き込んでいた。
「いらっしゃい」
光晴が声をかけると、女の子は光晴のスケッチブックを見つめたまま軽く頭を下げた。
「なに?」
「おじさん、絵、上手だね」
「おじ……。あ、おじさんね、仕事で絵を描くこともあるから」
「へぇ〜、絵を描くお仕事をしている人なの?」
「いや、絵を描くのが仕事ってわけじゃないんやけど、ま、似たようなもんかな?」
「ふぅ〜ん」
女の子は、光晴の話を聞いているのかいないのか、スケッチブックから視線をはずさないまま曖昧な返事した。
「お嬢ちゃん、絵を描くのは好き?」
「オジョウチャンじゃない」
「へ?」
「アヤカ」
どうやら女の子は、自分の名前はオジョウチャンではなく、アヤカだと言いたいらしい。
「アヤカちゃんっていうの?」
光晴が尋ねると、アヤカは黙って頷いた。
「アヤカちゃん、苗字はなんていうの?」
「サトウ。サトウアヤカっていうの。こういう字を書くんだよ」
アヤカは、スッと自分の鞄を差し出した。そこにはワープロの文字で、「佐藤絢香」と印字されたピンクのテープが貼られていた。


 その翌日から、絢香は少しずつ光晴に自分の話をするようになった。

絢香には姉がいるが、今は中学受験のための塾に朝から通っていて、両親も共働きのため、昼間は家に誰もいないということだった。
「なあ、絢香ちゃん。こんな暑い時間に公園に来ないで、もっと涼しい午前中にきたらいいんとちゃう?」
「だめなの」
「なんで?」
「午前中はワークをやらなきゃいけないの」
ワークというのは、夏休みの宿題のことらしい。
「でも、こんな暑い時間に公園に来るのはしんどいやろ?」
コクっと頷く絢香。
「だったら、やっぱり午前中に……」
絢香は、水辺のベンチで昼寝をしているサラリーマンの姿に視線を送っておもむろに口を開いた。
「午前中に公園に来ちゃうと、疲れて午後はお昼寝しちゃうからだめだって、ママが」

ため息混じりに絢香が吐き出した言葉を聞いて、ここにいるサラリーマンのおじさん達は、午前中公園で遊んでいたのだろうと絢香に思われていることに、光晴は込み上げてくる笑いを堪えるのが大変だった。

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著者:月のなぎさ凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

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 著者権はすべて凌月 葉様にありますので、ご了承下さいませ。


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