著者:月のなぎさ 凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

想い


「あれ?呉羽さん。どうしました?怪我でもしましたか?」
 保健室の扉の前で躊躇していた少女は、突然、秀麗な保健医に声をかけられ、驚きのあまりに固まってしまう。少女に声をかけてきた彼の名前は、高槻麗二。鬼頭の一翼を勤める鬼だ。
 少女の様子を見た麗二は、苦笑しながら保健室に入るように促した。
「何か用があってきたのでしょう?さ、遠慮しないでお入りなさい」
 しかし少女は、その言葉に小さく首を横に振って
「えっと、あの……、は、早咲くんはいますか?」
と、蚊の鳴くような小さな声で用件を口にした。
「え?僕なら居るけどなに?」
一見すると、少女かと見まがうばかりの美しい容姿をした小柄な少年は保健室のドアに駆け寄る。彼の名前は、早咲水羽。鬼頭の三翼の一人だ。
「あの、こ、これ選択授業のノートのコピーです。神無ちゃんに届けてもらえますか?」
 コピーを手にしている少女の名前は、呉羽美里。鬼頭と呼ばれる木籐華鬼の花嫁、朝霧神無の唯一の友達だ。今日は神無が体調不良で学校を休んだために、彼女が授業のノートを届けに来てくれたのだった。

美里はやっとのことで言葉を吐き出すと、ついっとコピーを、水羽の前に差し出した。
「私、神無ちゃんと同じ選択授業を取っているんです。早咲くんは、選択授業が一緒じゃないから、その分のノートはないだろうと思って……」
「ありがとう。でさ、ついでで悪いけど、他の授業の分のノートもコピーしてもらってもいいかな?」
「へ?あ、構いませんけど。でも、他の授業は早咲くんも一緒だったのに?」
美里は、同じクラスで机を並べる水羽が神無にノートを届けると思っているのだ。それで、水羽が選択していない分の授業のノートだけを自分が届けようと思ったのだろう。

「僕はノートなんか取らないから……」
水羽が、苦笑しながらそういうと、美里は水羽の言葉を特に気にする様子もなく、私のでよければ、と鞄から他の教科のノートも取り出した。
「そういうことなら、ここのコピー機を使っていいですよ。さ、中にどうぞ」
二人のやり取りを聞いていた麗二が口を挟んだ。
「あ、ありがとうございます」
美里は、律儀に頭を下げると保健室の扉をくぐった。


「このコピー機を使ってください」
 麗二は、軽やかな身のこなしで、美里をコピー機のところへエスコートし、コピー機の使用方法の説明を始めた。

「麗ちゃん。なんか、その腰のあたりに当てた手が微妙なかんじやで?」
麗二が美里に説明する様子をみて、椅子に座ってお茶をすすっていた男が声をかけた。
その声を聞いて、突然美里は声を上げそうになるほど驚き、慌てて自分の口に手を当てた。
声をかけた男の名前は、士都麻光晴。やはり鬼頭の三翼の一人で、美里が密かに思いを寄せている鬼だった。

「いやだな〜、私はただコピー機の使い方を説明していただけですよ?それとも、ヤキモチですか?」
突然の麗二の言葉に、美里の顔はみるみるうちに顔が赤くなり、その後はただただ恥ずかしくて、麗二の説明もなにも一切耳に入らなくなってしまった。
「麗ちゃん、もうなに言うてんねん。美里ちゃん、困ってうつむいてしもたやないか!」
「いや、私は別に美里さんを困らそうと思っているわけではないんですけどね。美里さん、せっかくここにいらっしゃったので、良かったらお茶でも飲みませんか?コピーは私が取っておきますから」
緊張と恥ずかしさのあまりに動きがぎこちない美里は、麗二に促されるまま光晴の向いの席に座らされる。
「じゃあ、お茶は僕が入れてあげるよ」
「え?あ、そんな、悪いです……」
水羽の言葉を聞いて美里は我に返り、咄嗟に席を立とうとする。しかし、座っててと水羽に肩を押され、仕方なくそのまま腰をおろした。目の前には、自分の想い人が居る。そう思っただけで、美里は恥ずかしさで顔を上げることもできずにいた。
「はいどうぞ」
水羽は美里に紅茶の入ったカップを差し出した。他の三人が緑茶を飲んでいたので、当然自分にも緑茶が出てくるものだと思っていた美里は、ほのかな紅茶の香りに思わず顔を上げる。
「あ、あの」
「あれ?紅茶は嫌いだった?確かこの前神無が、『美里ちゃんは紅茶が好きだ』って言ってたけど?」
水羽が小首を傾げて美里の顔を覗く。
「それで紅茶を用意して、いつお茶を飲みにいらしてくれるかとお待ちしていたんですよ」
コピーが終わったノートを美里に手渡しながら、麗二は含みを持った微笑を投げかけた。
しかし、緊張した面持ちの美里はそんな二人の様子には気づいていないようだ。
「頂いてもいいんですか?」
「ええ、もちろん」
美里は麗二から受け取ったノートを鞄にしまってから、両手で紅茶のカップを手に取っり、紅茶の薫りを静かに胸一杯に吸い込んだ。
「いい香り」
優しく甘いアールグレイの薫りで緊張がほぐれたのか、美里はふわりと笑顔を浮かべる。
光晴はその笑顔を、向かいの席から黙って見つめていた。

「さて、ではそろそろ行きましょうか?」
美里が紅茶を飲み終わったのを見計らって、麗二が口を開いた。
「あ、もう皆さんお帰りになりますよね。すいません、長々とお邪魔してしまって」
慌てて席を立とうとする美里。
「なに言ってるの?呉羽もくるんだよ」
「へ?」
「神無ちゃん、今日はずっと家の中にいたので、きっと退屈していると思うんです。だから、美里さんが顔を出してくれると神無さんも嬉しいと思うんですが、いかがですか?」
「え?でも、私なんかがお邪魔してもいいんでしょうか?」
「ノートを届けてくれるんだろ?呉羽が行かなくてどうするんだよ?」
ほら行くよ、と水羽が美里の鞄も抱えて立ち上がるのを見て、美里も慌てて後に続いた。


「神無さん、なんか待ちくたびれて寝てしまったみたいです。神無さんが起きたら、鬼頭がこちらに来るように言ってくれるそうです。ついでに、夕飯のお誘いもしておきました」
受話器を置いたもえぎが、三翼と美里の顔を見ながら言った。
「それじゃあ、私はここでお暇します」
美里はそういうと、荷物をまとめて席を立つ。
「ちょっと待ってよ。まさか、神無の顔を見ないで帰るつもり?それって薄情じゃない?」
水羽の言葉に、美里は思案顔になった。確かにここまで来て神無に顔をあわせないで帰るのは、友達として薄情だといわれても仕方がないかもしれない。しかし、保健室でもお茶をご馳走になってしまい、いつもより学校を出るが遅くなってしまったのだ。ここで神無が起きるのを待っていたら、確実に寮の門限には間に合わないだろう。

時計を見ながら何かを考えている様子の美里にもえぎが声をかけた。
「よかったら、美里さんもお夕飯をここで一緒にいかがですか?」
「え?そんな、申し訳ないです!」
慌てて首を横に振る美里。
「せっかく来てくださったのに、このまま帰してしまったら、私が鬼頭に叱られます。女子寮には、私から連絡を入れましょう。今日は、神無さんの具合が悪いようなので、鬼頭も一緒にここで食事をしていただこうと、お鍋の材料を沢山用意したんです。だから、美里さんの分もありますから、遠慮しなくても大丈夫ですよ」
もえぎはやんわりとした笑顔でそう言った。美里は戸惑った顔で周りを見回すが、そこに居る誰もが黙って頷いてくる。
「分かりました。それじゃあ、今日はお夕飯にお邪魔させていただきます」
美里は皆に向かって深々と頭を下げた。
「そうと決まったら、神無さんが起きてくるまで、ゆっくりしててください」
もえぎは、美里の荷物をそっと受け取ってソファーに座るように促した。

暫くすると、華鬼と一緒に神無が食堂に下りてきた。
「美里ちゃん、わざわざありがとう」
食堂にはいるやいなや、神無は美里に駆け寄ってお礼を言った。
「え、ううん。お礼なんかいいよ!それより体のほうは大丈夫?」
「ええ。昨日来客があってちょっと疲れただけだから。心配かけてごめんなさい」
「ううん。神無ちゃんが大丈夫ならそれでいいの。あ、これ今日の分のノートね」
差し出されたコピーを、神無が嬉しそうに受け取って早速広げると、美里も一緒に覗き込んで指をところどころ指差しながら説明を始めた。
「二人とも立ってないで座ったらどうだ?」
下手をすると、立ったままその日の復習を始めそうな二人の様子を見かねて、華鬼が声をかけた。
「あ、そうだね。美里ちゃん、よかったら他も教えてもらってもいいかな?えっと、ここに座って」
華鬼に声をかけられて美里は一瞬緊張した面持ちになったが、神無の言葉を受けてすぐに隣に座って一緒にコピーを覗き込む。
「これは、どうしてこういう訳になるの?」
「えっとね、それは……。あ、ここ。ここに関係代名詞があるから……」
周りに他に人が居ることも忘れて、コピーと教科書を広げて復習を始めた二人の様子を、華鬼と三翼は目を細めて静かに見守っていた。

「よかったら、また遊びに来てくださいね」
夕飯を終え、片づけを手伝うという美里の申し出を、もえぎは「今日はもう遅いから」とやんわりと断った上でそう告げた。
美里は一瞬戸惑った表情を浮かべたものの、もえぎに微笑み返されると静かに頷いた。
「じゃあ美里ちゃん、明日学校でね」
「うん。でも無理しないでね」
「うん。ありがとう」


美里は、女子寮まで送っていくという水羽の言葉を丁重に断ると、今日はご馳走様でした、と玄関先で深々と頭を下げて帰って行った。


 それから、つわりを迎えた神無は、体調を崩して学校を休みことが多くなった。美里は、そのたびに神無にノートのコピーを届けに職員宿舎に出向き、食堂で皆と一緒に夕飯を取ることになった。

ある日のこと、美里はもえぎに夕飯の支度を手伝うと申し出た。
「あら、お客様にそんなことをしていただくなんて、とんでもありません。もう神無さんもいらっしゃると思いますから、遠慮なさらずにゆっくりしててください」
「でも、あの。わがままで申し訳ないんですけど、手伝わせていただけませんか?」
「呉羽、いいんだよ、そんなことに気を遣わなくても」
「あ、あの、そうじゃなくて……」
「手伝っていただけばいいじゃないですか」
「え?」
麗二の言葉に、水羽は驚いて振り向いた。
「本人がこれだけ手伝いたいっておっしゃってるんですよ。だったら、手伝っていただいてもいいじゃないですか?」
「それもそうですね。それじゃあ美里さん。私たちは女同士、台所で一緒に夕飯の支度に取り掛かりましょうか?」
「はい!よろしくお願いします」
美里は初めて大きな声で返事をすると、嬉々として台所に飛び込んでいった。


「じゃあ美里さん。このお野菜切っていただいてもいいですか?」
「あ、はい!」
「あら、包丁の使い方が手馴れていらっしゃるのね。そういえば、いつもお弁当を持っていらしゃるんですものね、ずっと自炊をしているんですか?」
包丁捌きをもえぎに褒められて、美里は照れくさそうに少し頬を赤らめて頷いた。
「実家はずっと両親が共稼ぎだったんです。だから、いつもお姉ちゃんと二人で家事をしてて。小さい頃から、よく並んで台所に立ちました」
「そうなんですか。だから慣れていらっしゃるのね」
「なんか、もえぎさんが台所に立っていらっしゃる姿を見たら、姉のことを思い出してしまって……。スイマセン、無理を言ってしまって」
「いいえ、こちらこそ手伝っていただいて、助かります」
職員宿舎の別棟で夕飯を取る機会も多くなり、もえぎとも気心が知れてきたせいか、その日の美里はいつもよりも饒舌だった。
彼女の両親は刻印を持った姉の身を案じて、彼女たちをセキュリティのしっかりとした私立の女子校に通わせてくれていたのだという。しかしそのために、彼女の両親はずっと共稼ぎをしてその学費を工面していたのだ。彼女より4歳年上だという姉は、女子校でも目立った存在であったが、姉はそのことを鼻にかけることもなく、皆の憧れの的だったらしい。
彼女もそんな姉に憧れていたのだという。

「両親が事故にあった日。残業で帰宅が遅くなった母を父が車で駅まで迎えに行ったんです。その日はとても激しい雨が降っていて、信号待ちをしていた父の車に交差点を曲がりきれなかったトラックが正面衝突してきて……。二人とも即死でした」
「そうですか。それはお辛かったでしょう?」
もえぎのいたわるような言葉に、美里は静かに頷いた。
「子供が生まれたばかりの姉に頼るのも気が引けて、ここの高校に入ることにしたんです。でも、なかなかなじめなくて……。でも、そんなときに神無ちゃんとお友達になることができて、こうして皆さんとも親しくしていただいて。今はとっても幸せです。本当にありがとうございました」
「いいえ、私はなにもしていませんよ。それに神無さんだって、あなたとお友達になれたことを、すごく喜んでいると思いますよ。学校を休むたびに、こうして毎回ノートを届けてくれる友達なんて、そうそういませんもの」
「私のノートなんて、たいしたものではないんですけど。でも神無ちゃん頑張っているから。少しでも役に立てたらいいなと思って」
「その気持ちが、神無さんは一番嬉しいんだと思いますよ。学校をお休みした日は、神無さんあなたのことばかり話していますもの」
「え?そうなんですか」
美里は嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。




「なにを話しているんでしょうね?」
「なんかすごく嬉しそうに笑ってるけど、小さい声で話しているからちっとも聞こえないよ」
「こらこらそこのお二人さん。盗み聞きなんてしょうもないことやめとき」
台所の入り口で、息を潜める二人の鬼に向かって、光晴が声をかける。
「盗み聞きなんて、人聞きのわるい」
「そうだよ。ただ、楽しそうに話しているから、何を話しているのかな?と思っただけで」
慌てて言い逃れをする二人を、光晴は二人を台所の入り口から引き剥がして、食卓の椅子に座らせた。
「ええやないか。楽しそうに話してるんやから邪魔せんでも。あの子もようやく、神無ちゃん以外にも、あんな笑顔を見せるようになったってことなんやから」
相変わらず、台所で楽しそうにもえぎと話しながら夕飯の支度をする少女の横顔に視線を送って、光晴はそう言った。




翌日、美里は昇降口で水羽に名前を呼ばれて振り返った。
「あのさ。神無、今日も休みなんだ」
「そう、昨日も顔色悪かったものね。じゃあ今日もノートのコピーを届けるようにします」

足早にそこから立ち去ろうとした美里の腕を水羽が咄嗟に掴んで引き止めた。
「あ、ちょっと待って」

怪訝そうな顔をして自分を見上げる少女の視線を水羽はそっと避け、少し言いよどみながら口を開いた。
「それと、もうそろそろ……。神無休学すると思う」
「そ、そうですか」
美里も予感はしていたのだろう、少し戸惑った様子を見せながらも、その口調はどこか覚悟を決めたようにしっかりとしたものだった。



その日の放課後、美里は保健室を訪れた。
「高槻先生いらっしゃいますか?」
「ああ、呉羽さん。どうしました?」
「あの、ご相談したいことがあるんですが、今よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
麗二は、美里が始めてここを訪れたときに出してくれた紅茶を美里の前に差し出した。
美里はいつかのように、アールグレイの薫りを胸いっぱいに深く吸い込むと、意を決したように口を開いた。




美里の話を聞いた麗二は、暫くじっと黙ったままだった。
「それで、呉羽さんは後悔しませんか?」
「はい」
「決心は固いようですね」
「ええ」
「そうですか、それでは私の知り合いを当たってみましょう」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはまだ早いですよ。あなたのご希望に添えるかどうか、まだ分からないのですから」
「あ、すいません。でも、よろしくお願いします」
「わかりました」
「それと、これ今日の分のコピーです。神無ちゃんに届けていただけますか?」
「あれ、美里さんは今日は届けに来ないんですか?」
「毎日お邪魔するわけにも行きませんから」
「そんな遠慮は無用ですよ。神無さんだって、あなたに会えるのを楽しみにしてるわけですし」
「でも……。すいません。今日はちょっと考えたいこともありますので。よろしくお願いします」
「そうですか、分かりました。確かに渡しておきますね。神無さんには、用事があって来れないと言っておきますから」
「お手数をおかけします」
美里は、いつものように律儀に深々と頭を下げると、保健室を後にした。

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著者:月のなぎさ凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

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