著者:月のなぎさ 凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

想い

 ここ、鬼ケ里高校の職員宿舎の別棟1階にある食堂では、いつもの朝と同じ光景が繰り広げられていた。そこに、内線の着信を知らせる電信音が鳴り響く。

「はい。あ、おはようございます。なにかありましたか?そうですか、分かりました。直ぐに伺わせます」

 朝食を取っていた三翼は、もえぎの受け答えを見て、背筋になにか寒いものが走るのを感じ、互いの顔を見合わせる。

「鬼頭ですか?」
「ええ。麗二様にすぐにお部屋に来ていただきたいとのことです」
「え〜〜!」
もえぎの言葉に、麗二よりも早く水羽と光晴が声をあげる。
「珍しいこともあるもんですね?」
麗二は小さく息を吐くと、黒い鞄を手にして玄関に向かった。


「ちょっと疲れたんでしょう」
麗二はそういいながら、華鬼の顔に視線を送った。
「そうか」
「あの私、大丈夫ですから」
ベッドに横たわった神無は、戸惑ったような顔をして体を起こそうとした。

 その日の朝、華鬼は大きな物音で目を覚ました。慌ててキッチン向かうと、床にしゃがみこんで割れ皿に手を伸ばした神無の姿が目に入った。突然キッチンに飛び込んで来た華鬼の気配に、神無は慌てて顔を上げた。
「ごめんなさい、こんな物音で起こしちゃって。ちょっと手が滑ってしまったものだから」
神無の顔を見た華鬼は、慌てて神無に駆け寄った。神無の顔が、酷く青白かったのだ。
「片付けはいい。お前は寝てろ」
華鬼は不機嫌にそう言い放つと、いきなり神無を抱き上げてベッドに押し込んだ。
「でも、お皿を片付けないと……」
華鬼が不機嫌な顔をしているわけが、自分が朝から皿を割ってしまったからだと思っている神無は、ベッドから抜け出そうとする。
「そんな青白い顔でうろうろされるほうが迷惑だ」
 華鬼は、イライラしてつい強い口調で言ってしまったことを即座に後悔した。他にかける言葉がありそうなものなのに、そう思うと華鬼の顔はさらに不機嫌になる。
「あ、はい」
華鬼の機嫌が悪くなっていくのを見て、神無はおとなしく布団の中に引き下がった。
「今日は寝てろ」
華鬼はそう言うと、そのまま寝室を出て行ってしまった。ベッドの中で、神無は暫く躊躇していたが、華鬼のあの様子では、今日は外に出るのは無理だろうと考え直し、制服をパジャマに着替えてベッドにもぐりこんだ。


「昨日の来客で、いつもより疲れたんでしょう」
麗二はいたわるような視線を神無に向ける。麗二が言うように、昨日この家に来客があった。華鬼の父、忠尚の嫁の伊織が来たのだ。彼女は神無の様子を見るために来たといいながら、マタニティレスや妊娠中に必要なものを数点届けてくれた。神無は伊織のことを姉のように慕っており、特に気を張るうなことはなかった。それどころか、華鬼が呆れるほどおしゃべりに花が咲き、時間が過ぎるのも忘れていた。疲れたかと尋ねられても、そんな自覚は全くかったのだが、いつもと違うテンションで一日過ごしたせいで、思ったよりも体は疲れていたのかもしれない。

 今朝起きたとき、確かにいつもより少し体が重い気がした。しかし、大して気に留めることもなく、いつものように朝食の支度をしてテーブルに皿を運ぼうとしたとき、大きく視界が揺れるのを感じた。軽い眩暈を起こしたのだ。それで、手にしていた皿を床に落とし、皿は大きな音を立てて割れてしまった。慌てて拾おうとししゃがみこんだとき、視界が暗くなるのを感じ、顔を上げた時には不機嫌な顔をした華鬼が目の前にいたのだった。

「今日は休ませる」
「そうですね。今日は大事を取って学校は休んだほうがいいでしょう。というか、そろそろ休学の手続きをしたほうがいいかもしれませんね」
麗二の言葉に、華鬼も黙って頷いた。


 昇降口の前で、控えめに校門に視線を送る女生徒の姿を見て、水羽は歩みを速めた。女生徒の名は、呉羽美里。神無の唯一の友達だ。
「今日、神無休みなんだ」
水羽は、周りに生徒がいないことをざっと確認すると、美里に歩み寄って、短くそう言った。
「え?」
「ちょっと具合が悪くて」
「神無ちゃん、具合悪いんですか?大丈夫なんですか?」
水羽の言葉に、途端に心配顔になる美里。
「ん、ああ。大したことはないと思う」
水羽はそれだけ言うと、足早に美里のもとを去った。水羽はその容姿から学校の中でも目立つ存在であることを自覚している。しかし美里は、目立つことは好まず、静かに学園生活を送ることを望んでいた。そのため水羽は、自分が美里と懇意にしている姿をクラスメートなどに目撃されて、彼女が目立ってしまうことを避けるようにしていたのだ。美里もそれを理解しているのだろう、特に水羽の後を追ってくるようなことはしなかった。

 授業中、水羽はそっと美里の方に視線を送る。美里は心配そうな面持ちで神無の席を見つめてから、窓の外に視線を移した。その視線の先には職員宿舎の別棟があった。
 

 昼休み、いつもの中庭のベンチで美里は一人でお弁当を食べていた。その後、持参した袋から網掛けのお包みを出して編み始める。しかし直ぐにその手を止めて、ぽっかりと開いた隣のベンチに視線を送った。その後美里は、そっとそのベンチに手を伸ばして、静かに数回撫でると、顔を上げて職員宿舎の4階に視線を送った。

「神無のことは心配いらない」
突然かけられた声に、美里は振り向き声の主を確認すると、緊張した面持ちですばやく立ちあがり頭を下げた。
「き、木籐先輩!こ、こんにちは」
あまりの勢いで頭を下げたため、美里の隣においてあった袋からオフホワイトの毛糸玉が飛び出し、良く手入れをされた中庭の芝生の上をころころと転がった。美里は、急いでそれを拾おうと手を伸ばしかけ、今度は手にしていた網掛けのお包みを落としそうになる。一人で、赤くなったり青くなったりしながら、バタバタと取り乱している少女の姿を、華鬼は知らないうちに神無と重ねていた。

 毛糸玉は転がり続けて、華鬼の靴に当たってようやく止まった。すると華鬼は、スッと片膝を折ってしゃがみこんで毛糸玉を拾うと、毛糸玉についていた埃をそっと払い、スイっと美里に向かって差し出した。

 突然の華鬼の行動にあっけに取られた美里は、一瞬華鬼の顔を見下ろしていたが、ふっと我に返って差し出した毛糸玉を受け取ろうとした。しかしまた、手にした編み物を取り落としそうになり、それをベンチの上においてから毛糸玉を両手で受け取った。
「あ、ありがとうございました」
美里は毛糸玉を胸に抱いたまま、深々と頭を下げてお礼を言った。華鬼は、サッと膝の埃を払って立ち上がると、視線を職員宿舎の4階に向けた。それにつられるように、美里も4階に視線を送る。
「神無は、今日は大事を取って俺が休ませた。だから心配はいらない」
華鬼が美里の顔に視線を移してそういうと、美里は安堵したようにホッと息を吐いてから、小さな声で、よかった と言って、安心したように笑顔をほころばせた。華鬼はその笑顔を見て小さく頷くと踵を返した。

「なんや、急いで来たのに、華鬼に先を越されてしもたわ」
 横から投げかけられた声に、華鬼が不機嫌に視線を送ると、木の陰から光晴が顔を出した。光晴の声を聞いて、ベンチに腰掛かけていた美里は弾かれたように立ち上がった。
「やあ、美里ちゃん。こんにちは」
突然名前を呼ばれた美里は、緊張と恥ずかしさが入り混じった引きつった面持ちのまま、急速に顔を赤らめた。
「し、し、し、士都麻先輩。こ、こ、ここ、こんにちは」
深々と頭を下げて挨拶したものの、美里は恥ずかしさのあまり顔を上げることができず、そのままの姿勢で固まったしまった。
「おいおい。君、大丈夫か〜?」
光晴が慌てて美里に向かって駆け寄ると、それを察知した美里は慌てて顔を上げ、ベンチの上の荷物をひったくるようにして抱えた。
「し、失礼します」
美里はまた深々と頭を下げると、ギクシャクとした足取りで中庭を後にした。

「どないしたんや?あの子」
一人でごちる光晴に、その一部始終を目の当たりにした華鬼が、揶揄を含んだ笑いを向けた。
「なんや?」
光晴はじろっと華鬼を睨み付けた。
「お前の顔が怖いから逃げ出したんじゃないか?」
そういうと、華鬼は可笑しそうに肩を揺すりながら行ってしまった。

「ねね、今の聞いた?僕初めて聞いたよ、華鬼が冗談言うの」
光晴が姿を現したのとは、反対側の木の陰から水羽が顔出し、続いて姿を現した麗二を振り返りながら言った。
「いや〜、私も初めて聞いたかもしれませんね。いや、珍しいものを見せてもらいました」
麗二は、華鬼が姿を消した校舎の入り口に視線を送りながらそう言った。

 水羽は、美里が神無の具合を心から心配していることを感じて、麗二に神無の具合について確認をしてから、大事を取っただけなのだと美里に知らせるために中庭にやってきたのだ。光晴と麗二は、水羽についてやってきたのだった。

「それにしても華鬼変わったよね」
「ええ。以前は、他人の動向に関心を持つなんてことありえなかったんですけどね」
「美里ちゃんが、ほんとに神無のことを心配している様子を見て、華鬼なりになにかを感じたのかもしれないね」
「これも、神無さんのおかげですね」
「そやな〜。神無ちゃん、ほんまにええ子やもんな〜。それに、あの美里ちゃんって子も、ええ子やな〜。お姉さんの赤ちゃんに、手編みでプレゼントを贈るって言うのも、ええな〜」
光晴は、それとなく職員宿舎の4階に視線を送りながら呟いた。
「でも、光晴って彼女に避けられてるんじゃないの?」
「え?」
「その可能性はあるかもしれませんね?彼女、鬼頭に対して多少緊張はしていたみたいですけど、顔見て逃げ出すようなことはしてないですもんね?」
「ええ?それって……」
「華鬼が言うとおり、顔が怖いと思われてたりして」
水羽はそういいながら、からかうような視線を光晴に向けた。
「ええ?えええ?まじ?お、オレって、ええ?」
一人で取り乱す光晴の様子を見て、麗二は口元に手を当て、笑いが堪えきれない様子で水羽をつついた。
「ちょっと苛め過ぎじゃありませんか?」
「いいんだよ。まったく、華鬼といい、光晴といい……。うちの鬼たちは、どうしてこうも鈍いかね〜?」
水羽はやれやれというように、肩をすくめて見せた。

 それから暫くの間、鬼頭と呼ばれる男からも顔が怖いといわれた鬼は、鏡を眼にするたびに笑顔の練習をし、ことある毎に不自然な笑顔で笑いかけるようになり、周りの鬼にドン引きされたという。しかし、その要因になった少女は、想いを寄せている鬼が、そんなとんでもないことになっていることなど、知る由もなかった。

Back  Top  Next



著者:月のなぎさ凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

※小説の無断転載、記載、再配布はご遠慮ください。
 著者権はすべて凌月 葉様にありますので、ご了承下さいませ。


華鬼Top   宝物部屋   サイトTop