著者:月のなぎさ 凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

想い

 授業が終わり、神無はいつものように鞄を手にして一人で校舎を後にした。桃子が退学してから、一緒に帰宅するような友人もなく、神無は一人で帰宅するのが通例となっていたのだ。

 華鬼の花嫁として認められた今、表立った三翼の庇護は必要がなくなったとはいえ、神無に向けられる視線の多さは相変わらずで・・・。神無は俯いたまま校庭の隅を歩いていた。すると、校門の手前で何が落ちているのに気がついた。
 
 手にしてみると、それは女性用の財布のようだった。神無は財布を手にして暫くの間躊躇していたが、意を決したように頷いてからそっと財布の留め金をはずして中を見た。
 
 財布の中には、多少の金銭と学生証が入っている。確認してみると、同じクラスの女子のものだった。札入れのほうには、女子寮のカードキーも入っていた。咄嗟に届けなくてはと思ったものの、この場所に落ちていたということは、すでに校内にはいないのかもしれない。しかし、カードキーがなければ寮に入ることもできない。落し物をどのよう持ち主に届けたらいいか、神無は財布を手にしたまま校門の前で立ち尽くしていた。
 
「あれ?神無。なにしてるの?」
 振り向くと水羽と光晴が立っていた。
「あの、これ。呉羽さんの落し物なんです」
「え?呉羽?ああ、うちのクラスの」
 神無が手にした財布を覗き込むようにして水羽が尋ねてきた。
「女子寮のカードキーも入ってて・・・」
「え?そりゃ大変やないか!」
神無の言葉に、光晴が身を乗り出すようにしてくる。
「ここに落ちてたってことは、もう校内にはいないのかもしれないね」
困惑した表情で黙って頷く神無。
「一応、校内放送で呼びかけてみて、それから女子寮に届ければいいんじゃないかな?」
水羽の提案に、神無は黙って頷くと放送室に向かって歩き出した。


翌日、神無が自分の席に着くと、おとなしそうな女子生徒がおずおずと近づいてきた。
「あ・・・あの」
神無が顔を上げると、昨日の財布の持ち主、呉羽美里が立っていた。
「えっと、あの。昨日はありがとうございました」
「え、あ。いいえ・・・」
突然、礼を言われたせいか、神無は薄っすらと頬を染めてうつむいた。
「あの・・・。これ・・・。お礼です」
美里は小さな声でそういうと、小さな袋を差し出してくる。
「え、あの、そんなお礼なんて」
慌ててブンブンと手を振る神無に、美里は困ったように手にした袋を差し出して立ち尽くしている。そんな二人の様子を見かねて水羽が口を挟んだ。
「受け取ってあげなよ、神無。普通財布を拾ったら、お礼に一割っていうだろ?」
水羽の言葉に、二人の少女は真っ赤にしたままの顔を上げる。一人は困惑の表情を深くし、一人はほっと安堵の笑みを浮かべている。その真逆な二人の顔を見て、水羽は思わず苦笑する。結局水羽の説得もあり、神無は恐縮しながら美里から小さな袋を受け取ることになった。


「へ〜。お姉さんが鬼の嫁さんね〜」
もえぎの差し出したお茶をすすりながら、光晴が言った。
「お姉さんがココに嫁いだ後にご両親が交通事故で亡くなってしまったらしくて。他に身寄りがなかった彼女は、お姉さんの嫁ぎ先に引き取られることになったらしいです。お姉さんの所から、街の高校に通うこともできたらしいんですが、彼女がお姉さんに遠慮して、全寮制のうちの高校に入る事にしたらしいです」
「さすが麗二、情報が早いね」
「そんな理由でココに来る娘もおるんやな〜」
光晴がしみじみとした口調で言った。

 鬼ヶ里高校は特殊な高校だ。その女子生徒の多くは、鬼の花嫁として生まれる前から刻印を刻まれ、本人の意思とは関係なく連れてこられる。花嫁であれば刻印をつけた鬼か、その鬼の庇護翼の保護を受けられる。しかし、美里は花嫁ではなく、誰も彼女を保護するものはいない。水羽の話だと、美里は神無と良く似た性格のようで、自分から他の生徒に話しかけることが出来ないおとなしい少女らしい。だとしたら、あの特殊な状況のなかで、たった独りで送る学生生活がどんなものか、それはそこにいる誰もが容易に想像がついた。

「で、神無ちゃん、お礼になにもろたん?」
光晴は、小さな袋を手にしたまま俯いている神無に声をかけた。
「あ」
神無が、光晴の言葉に慌てて袋の口を開けると、中にはキレイなハンカチとカードが入っていた。
「お礼状?」
水羽がカードを指す。神無は、黙って頷きながらカードに視線を送った。
「ごめんなさいって書いてあります」
「へ?『ありがとう』じゃなくて、『ごめんなさい』?」
光晴の言葉に頷きながら、神無はカードをテーブルの上に置いた。

   「朝霧さんへ
    私のお財布を拾ってくださってありがとうございました。
    それと、ずっと何もしてあげられなくてごめんなさい。
    木籐先輩とお幸せに。
                      呉羽美里」

「何もしてあげられなくてって?」
「多分・・・」
カードをじっと見つめていた水羽が口を開いた。

「彼女はきっと、神無が他の花嫁にいじめられていたことに対して、彼女なりに心を痛めていたんだろう?でも、土佐塚もいたし、彼女もあの性格だから、神無に手を差し伸べることが出来なかったことを、申し訳ないと思ってるのかもしれないな」
「でも、あの状況じゃあ仕方なかったやろ」
光晴がポツリというと、そこにいた誰もが黙って頷いた。
「でも、なかなかいい子みたいじゃないですか。神無ちゃん、いいお友達ができてよかったですね」
「お友達?」
麗二の言葉に、神無は少しだけ戸惑った表情を向けた。


 移動教室へ向かう廊下で、神無はいつの間にか隣に美里と並んで歩いているのに気がついた。
「あ。あの、この間はどうもありがとうございました」
神無が声をかけると、美里が驚いたように顔を上げる。どうやら、美里も俯いたまま歩いていて、隣に神無がいたことに気がついていなかったらしい。
「え、あ、あの。いえ、お礼を言わなくてはいけないのは私のほうなんで。ありがとうございました」
美里は律儀に神無に向かって深々と頭を下げる。その様子に恐縮して、神無も慌てて頭を下げた。周りの喧騒とは関係なく、廊下でペコペコと頭を下げあいながら歩いていく二人の様子を、水羽は苦笑しながら眺めていた。


 ある日の昼休み、渡り廊下を歩いていた華鬼は、隣接する中庭のベンチに座る神無を見つけた。声をかけようとすると、隣に見たことのない少女の姿があるのに気づき足を止める。
二人は、並んで黙ったままお弁当を食べていた。その後、ほぼ同時に食べ終わると、無言のまま弁当箱を片づけ、神無の隣の女学生は袋から何かをごそごそと取り出した。神無は黙ってそれをみている。女学生が手にしたものを膝の上で広げると、神無がそっと覗き込む。女学生が手にしたものを指差しながら神無に何か話しかけると、神無が真っ赤に俯きながら、はにかんだ笑顔を見せた。良く見ると、言葉を発した女学生も真っ赤になりながら、嬉しそうな笑顔を零す。女学生の膝の上のものは、編み物のようだった。
ベンチに並ぶ二人は、時々視線を絡ませて微笑みあうだけで言葉をかわさないのだが、その二人が纏う空気は、とても穏やかで優しいものだった。
「なにやってるんだ?」
 華鬼は、訝しげにポツリと漏らすと、神無に声をかけるのを諦め、踵を返して教室に向かう。
「神無ちゃん、いい友達ができたみたいでよかったやないか」
突然声をかけられて、華鬼は柳眉をしかめた。
「みたいだな」
光晴の言葉に気の無い返事をした華鬼は、もう一度中庭に視線を送り、ふっと目を細めた。


「もえぎさん。ちょっとお尋ねしてもいいですか?」
「あら、神無さん」
神無の声に、もえぎは笑顔で椅子に座るように促した。

「改まってどうしたんですか?」
もじもじと言葉を捜している、口下手な少女に向かって、もえぎは優しく声をかける。
「あの、刻印なんですけど・・・」
「刻印って、鬼のですか?」
「生まれた後に刻印をつけることってできるんでしょうか?」
「え?それは、もう生まれてしまった赤ん坊に、刻印をつけることができるか?ということですか?」
「ええ。赤ん坊っていうか・・・。女の人に」
「どうなんでしょう?聞いたことないですけど。多分それはできないと思いますよ」
「やっぱり、そうですか・・・」
口下手な少女は小さく嘆息すると、そのまま黙って俯いてしまった。

言葉に詰まる神無の様子を優しいまなざしで見つめながら、もえぎは辛抱強く少女の言葉を待った。
「友達が・・・」
「ええ」
神無は黙って頷く。
「自分も刻印が欲しかったって・・・」
「え?」
突然のことに、さすがのもえぎも驚き、次の言葉をつむげないでいた。
「彼女のお姉さんに赤ちゃんが生まれたんです」
「そうですか。それはおめでたい」
「お姉さん、とても幸せそうだそうで・・・、だからきっと私も幸せになるって」
「ええ。もちろんです」
もえぎがにっこりと頷いて微笑む。
「それで、自分も刻印が欲しかったって・・・」
ああ、それでともえぎは納得した。
神無は黙って頷いた。
しかし、刻印の話をしたときに、ふと彼女が送った視線の先には一人の鬼がいたことは、もえぎには話さなかった。美里が想いを口にしたことは一度もなかったのだが、神無は、美里がその鬼に密かに想いを抱いていることを感じた。

「そうですか。神無さんがそんなことを・・・」
小さく息を吐きながら麗二が呟いた。
「つづないな」
光晴も手元の茶碗から立ち上る湯気を見つめながら言葉を続けた。

 美里は十分魅力的な美少女ではあるのだが、麗二の話では、美里の姉が嫁いできたとき、鬼の間で噂になるほどの美人だったらしい。もともと控えめな性格の美里は、自分と姉の見た目を比較して嫉妬することもなく、美しく優しい姉に憧れていた。その姉が、鬼のもとに嫁ぎ幸せに暮らす姿を見て、自分の事のように嬉しいとまで思っていた。その後、両親を亡くし、ここに身を置くことになった。

一人の少女が、幸せになりたいと願うことは、誰にはばかることなく当然胸に描く思いだろう。ずっと姉のことを見てきた彼女は、刻印を持って生き残るということの厳しさは良く理解しているだろう。それでも、彼女は刻印を欲しいと思った。この特殊な状況下にしか身の置き場の無い彼女にとっては、自分も刻印が欲しかったと思ってしまうことは、仕方が無いことなのかもしれない。

「彼女ね、美里さん。刻印が欲しかったって言ってしまってから、神無さんに、無神経に軽々しくそんなことを口にしてしまってごめんなさいって、そりゃあもう、平謝りだったらしくて。その姿を見て、神無さんは切なくて泣きそうになったそうです」

もえぎの言葉に、三人は言葉を続けることができずに、ただ黙って俯いていた。





 食事をしながら、華鬼は神無の様子がいつもと違うことに気づいていた。彼女は、華鬼の顔を見ては、何度も口を開きそうになり、暫く考えてから口をつぐんでしまうということを繰り返していた。
 
「なんださっきから?」
 華鬼は、神無の顔を見ないまま声をかける。
「え。あの・・・」
食事を中断して、神無は俯いてしまった。
暫く待っても、次の言葉が出てきそうもない神無の様子に、
「まあいい。話す気になったら、いつでも聞くから。遠慮するな」
「あ、はい」
華鬼の言葉に、神無は安堵したように小さな笑みを零した。


華鬼が風呂から上がると、神無は居間のソファーで何かを考えているようだった。華鬼が黙って隣に座ると、華鬼の膝の辺りにそっと視線をよこしてからまた俯いた。華鬼は、小さく息を吐いてから、テーブルの上の雑誌を手にした。
「あの・・・」
「ん?」
「私に・・・」
突然口を開いた神無に華鬼が視線を送ると、神無は一生懸命言葉を捜しているようだった。
「私に、刻印を刻んでくれて、ありがとう」
真っ赤に頬を染めながら神無が零した突然の言葉に、華鬼は驚きの表情で目を見張る。
「本当に、ありがとう」
神無は、真っ赤に頬を染めたまま、まっすぐに華鬼を見据えてそう告げた。華鬼は思わず神無を胸にかき抱いた。神無は一瞬驚いて身を硬くしたが、直ぐに華鬼の胸に頭を預けた。
「どうした?なんかあったか?」
華鬼の腕の中で、神無はゆるゆると首を振る。華鬼は暫く神無のぬくもりを抱きしめ、小さく息を吸った。
「この前」
「え?」
「この前、中庭でお前を見かけた」
「ああ。美里ちゃんといたとき」
「美里?」
「お友達。お姉さんが鬼の花嫁さんで、赤ちゃんが生まれたんです。彼女、その赤ちゃんの
ためにお包みを編んでるの」
神無はそこまで言うと、はにかむように小さく笑った。華鬼が腕の力を緩めて、神無の顔を覗き込むと、恥ずかしいのか神無は胸に顔を押し付けるようにして視線を避ける。
「なんだ?」
「私にも・・・」
「ん?」
「私の赤ちゃんが生まれたら、私にも編んでくれるって」
「そうか。良かったな」
ああ、それであの時、あんなに真っ赤な顔をしていたのかと、華鬼は先日中庭で見た光景を思い浮かべていた。
「いい友達ができてよかったな」
「うん」


その頃、美里の視線の先にいた鬼は、自分に向けられた密かな想いがあることも知る由もなく、一人でごちていた。

「つづないな〜」


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著者:月のなぎさ凌月 葉様(ブログ、MIDIあり)

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 著者権はすべて凌月 葉様にありますので、ご了承下さいませ。

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