乙女の妄想日記 〜魔王様の恋人 閑話その二〜
【後編】
不意にノックの音が響き、四人の少女は互いの顔を見合わせた。思考の波に呑まれていた小雪はハッとしたようにドアを見詰める。
「まだ起きてるの?」
時計は九時半を指していた。
返事を待たずにドアを開けたのは小雪の母である。パジャマを着ているにもかかわらずエプロンをつけたその姿はどこか滑稽で笑いを誘った。
「もう寝なさい――と、言いたい所だけど」
母は体の半分をドアで隠したままにっこり微笑んで少女たちの反応を見て、それからドアを大きく開けた。
「皆で勉強会してるって言ったら、お父さんがケーキ買ってきたの。ちゃんとフリだけでもしなさいよ?」
わっと少女たちの顔がほころぶのを満足そうに見ている。
小雪の母はテーブルにケーキと紅茶を置いて早く寝るようにと念だけ押して出て行った。
「小雪のお母さん優しい〜」
「美人だし!」
「お父さんも優しいよね」
口々に褒められ、くすぐったく思いながら小雪は否定する。優しいし明るいし、別段これといって嫌いな点もない、仲のいい親子だと思う。
たまには喧嘩もするが、毛嫌いするようなことはなかった。
「ウチなんか、テレビ見てればうるさいし、ご飯の時も文句ばっか」
「お父さん汚い」
「そうそう! パンツ一枚で歩き回ったりするんだよ!?」
「最低――!」
きゃぁきゃぁ騒ぎながらケーキを食べる友人を、小雪は不思議そうに見詰めた。あまりこういう事を考えたことがなかったのだ。
父親がだらしなくしている事は多かったが、ただ単純にそういうものなのだろうと思っていた。
仕事で疲れて帰ってくる父は、時々おいしいと評判になっている店でケーキを買ってきてくれる。
多少食べ物につられている感はあるが、小雪は父の事も母の事も好きだった。
「そーいえばさ」
少女が思い出したように口を開いた。
「武蔵の家って、借金すごいって本当?」
「え?」
「お母さん言ってたんだよね〜だからホラ、お姉さん学校行かずに働いてるって。いつ夜逃げするんだろうって、噂してたらしいよ?」
フォークを持つ手が止まった。
確かに少し前のイナキの家は誰がどう見ても傾きかけたボロ屋だった。通学路の途中に建っている彼の家は毎日見ている。
母に言われて花を持って登校する時はいつもより少し早めに家を出る小雪は、いろんな音が漏れてくるイナキの家の前で少し立ち止まったりもした。
そのせいで、仲良く登校するイナキとダリアを目撃するハメになり、ついでに一緒の家に帰っていくところまで見てしまったりもしたのだが。
小雪は乱暴にケーキにフォークを突き刺した。
あの二人が一緒に住んでいることは確認済みだ。本人の口からもしっかり聞いた。
しかも、恋人同士らしい。
確か子供を守るものに児童福祉法というのがあったはずだ。父が唸り声をあげながらしばらくして読むのを挫折した記事に、ぎっしりと並んだ難しい文章。
子供を守るための言葉。
それを考えると、教師が生徒と付き合うのは児童福祉法違反になるのではないか、と小雪は小さく唸った。
もっとちゃんと勉強しておこう。
いきなり騒いで迷惑をかけると、イナキに嫌な顔をされるに違いない。
同年代の少年とは明らかに違う彼は、多分自分よりずっとたくさんの事を考えてダリアを恋人だと言ったのだと思う。
そんな彼を好きになってしまったのだから、嫌われないようにするのが本当に難しい。
騒げば大人たちが二人の仲を裂くのはわかる。けれどそうやって二人をバラバラにしても、自分には振り向いてくれないだろう。
それは直感ではなく、確信。
ダリアを守るように抱きしめていた少年を見た瞬間にひらめいた想いだった。
「何か最近、武蔵んトコお金の回りがいいとかって」
「宝くじ当てたんだって!」
「……そのわりには、あんま変わってないよね?」
どうやら小雪の反応を楽しんでいるらしい友人たちを、彼女は思わず睨みつける。
本人にとってはかなり深刻なことを考えているのだ。
あのセリゼウスと名乗った男に出会ってから、彼女が考えることといったらイナキとダリアのことばかりだった。
本当は、関係なんて知りたくない。
好きな男の子と美人教師の関係なんて――そんな言い方をしたら、いかにも何かがありそうな感じがして不快だった。
それでも聞かずにいられなかった。人を試すような表情で言葉をかけてきた魔将軍の言葉を。
興味を持ったからこそ耳を貸して、その内容がダリアが魔界の王だとか、イナキがその夫なんだとか。
どんなにうそ臭い内容でも真面目に聞いてしまう自分は――やっぱり、武蔵イナキというクラスメイトに特別な感情を抱いているということで、もうそれは気付かないフリなんてできないほど自分の中では確かなものになっていた。
作り話のような内容を延々二時間聞かされた小雪は、始めこそ否定したが最後にはそのおかしな話術にすっかり丸め込まれてしまっていた。
なにせ、質問をすれば無茶苦茶なことを理路整然と返してくるのだ。どんなことを聞いてもまるでそれが真実であるかのように動じることなく返答する。
魔界と呼ばれる場所のこと、そこで長く続いた戦い、玉座につく美しき王――
セリゼウスの地位も、彼の部下のことも、何もかもがあまりにリアルに語られ続けたお蔭で、小雪の中でも一つの世界が出来上がってしまった。
魔界という名の国が。
今考えると色々妙なことも多いのだが、きっとセリゼウスが目の前にいて、この疑問をぶつければ再びもっともらしい言葉を並べられて言い包められてしまうだろう。
ひとまず、ダリアが宇宙人と言われるより、どこかの国の偉い人だと言われたほうが納得もしやすい。
そしてその偉い人は執事を連れて日本に来て、武蔵イナキに目をつけた。
そういう事なのだ。
ただ謎がある。
放送室での告白騒動で、ダリアの執事らしいちょび髭オヤジに抱きかかえられたその後に、二人は校庭の片隅に立っていた。
四階の廊下ではなく、校庭に。
歩いた覚えもないのにほんの一瞬で。
「………瞬間移動」
まだイナキの話題で盛り上がっている友人たちには聞こえないような小声で小雪は呟く。
「マジシャン?」
そういえば飛行機を消したマジックもある。きっとどこかにタネや仕掛けがあるのだろうと、小雪は一人納得した。
三笠ダリアはマジシャンのボスで、魔界という名前のどこかの国の偉い人で、武蔵イナキを口説き落として連れて行こうとしているのだ。
「……武蔵君大ピンチ」
ボソボソと口の中で言うと、
「告白しちゃえ!」
と、興味津々で三人が身を乗り出している。どうやら独り言を聞かれてしまったらしい。
「なんで!?」
「好きなんでしょ?」
「小雪、いけるんじゃない?」
「押せ押せ!」
他人事だと思って盛り上がる友人にむかって、
「好きじゃないもん!」
真っ赤になってそう否定すると、少女がクリームのついたフォークを左右に大きく振ってみせた。
「とかなんとか言ってさ〜中学進級したら、モテモテになっちゃうかもよォ? あたし結構、武蔵ってもてると思うんだけどなぁ」
ぐぐっと小雪は口ごもる。
ダリアの事もあるのだが、実はなかなか、彼は人気がある。
実際にバレンタインの時にはいくつもチョコを受け取っているし――本人は本気で義理だと思い込んでいるようだが、あの中のいくつかは本命チョコなのだ。
クラスの一番人気の男の子に比べれば支持者は少ないが、恐ろしいことにチョコを渡した女の子の多くは、かなり真剣に片想い中だったりする。
「告っちゃえ!」
「す、好きじゃないもん!」
思い切りばれているとは知りつつも、小雪は精一杯否定した。
けしかけられるほどに否定して、それでも大丈夫なんて言われるとなんだか本当に上手くいってしまいそうな気分にもなってくる。
小学校卒業まであとわずか。
そして、舞台は中学へ移る。
不安と期待をいっぱい詰め込んだ、新しい世界はすぐ目の前にあった。
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