乙女の妄想日記 〜魔王様の恋人 閑話その二〜
【前編】
部屋に置かれたクッション、窓を飾るワッフル生地のカーテン、毛足の長いカーペットまで、淡いピンクを基調にした一室。
その部屋には少し大きめのテーブルがあり、テーブルの中央にも可愛い花を描いたピンク色のタイルがはめられていた。そして、タイルを囲むように教科書とプリント用紙が置かれている。
そこにいた四人の少女は勉強と言うよりお泊まり会の様相で、パジャマに着替えて楽しげに話していた。
「そういえばさ」
顔をつき合わせてプリント用紙を見るともなく見ていた一人の少女が、思い出したかのように口を開いた。
「学校で捕まった不審者って、あの変なおじさんだよね?」
変なおじさんと言われ、残りの三人は同じ顔を思い浮かべた。線の細い体にシワだらけの顔、ワンレングスの髪にピンと上を向いた髭。
そして特注品かと問いかけたくなる、おかしな帽子を頭にひっかけたいかにも怪しげな男。
「……そうでしょ」
少女の一人がボソリと言った。
「小雪はそれどころじゃないもんね〜?」
かけられた言葉に、シャープペンを持った手がピクリと揺れる。少女――里見小雪が口を尖らせて友人を見ると、彼女は意地悪く微笑んでいた。
「武蔵がさ、ダリア先生と付き合ってるって本気で信じてるんだよね?」
「え〜! ないない! それ絶対ない!」
「似合わないって!」
次々に飛び出す言葉に小雪はムッとする。そこまで思い切り否定しなくてもいいだろうと、彼女は内心思っていた。
もちろんそれは二人の関係を応援してのことではない。
なんとなくイナキが否定されたような気がしたからだ。
「関係ないでしょ!」
心臓が激しく脈打つのを感じながら、小雪は語調を荒げた。
「関係ないの?」
まだ意地悪く笑う友人を、小雪はきつく睨みつける。
「でもさ、武蔵となんて付き合ってるわけないじゃん。先生美人だし、大久保、すんごい声かけまくってるって」
別の少女がそう言って苦笑する。
大久保は隣のクラスの担任だ。ボディビルダーに憧れて週四回はジムに通っているという噂がたち、服は総て特注だと囁かれるほど彼の体は異様に筋肉質である。
生徒を腕にぶら下げては豪快に笑っているその姿は、映画に出てくるヒーローのようだった。
大久保は事あるごとにダリアに声をかけている。
どこかおっとりとした、清楚なイメージのある人当たりのいい美人教師はそんな男のアプローチにまったく気付くことなくいつもマイペースに微笑んでいた。
しかし、小雪は知っている。
あれが偽物の顔であることを。
穏やかな表層にだまされる者が多い中、彼女は不幸にしてその真実を知ってしまった。
「ダリア様と小僧の関係を知りたくないか?」
そんな言葉をかけてきた男は、自らを魔将軍セリゼウスと名乗った。
教室でイナキとダリアが恋人同士だと言い、教師につまみ出された男である。彼は学校帰りの通学路の途中に待ち伏せてそう小雪に問いかけた。
知らない人に声をかけられても無視をする、身の危険を感じたら大声で叫んで助けを求める。
学校で散々教わったその言葉は、男の問いかけで吹っ飛んでいた。
ダリアとイナキの関係。
それは教師と生徒と言うもの以上なのか――
予感はあった。
ずっと何かが引っかかっていた。
だから、セリゼウスの言葉に耳を貸してしまった。
武蔵イナキは、里見小雪にとって少し特別な男の子だったのだ。
あれは五年生に進級してすぐ――先生に移動教室の伝達を受け、それをクラスメイトに伝えようとした時。
前日放送されていた話題のアニメのことで、教室内は騒然となっていた。
たかがアニメと侮る事なかれ。
それを見ていた小雪すら一緒に語りつくしたい衝動に駆られ、しかし移動教室のことを伝えなければと何度もクラスメイトに声をかけた。
しかし声は一向に届かない。
どうしようと不安になったとき、教室に入ってきたイナキが無言のまま黒板に移動教室のことをでかでかと書いた。
彼は唖然とする小雪の前でチョークを戻し、平手で黒板を叩いた。
よく響くどころではないその音に驚き、クラスメイトたちはいっせいに言葉を失って互いの顔を見た。
イナキはその彼らに一言、
「三時間目は理科室に移動だよ」
さらりと告げて、まるで何事もなかったかのように自分の席に戻って教科書とノートを手にした。
武蔵イナキは、クラスでさほど目立つ少年ではない。
小雪はその一件まで、まるで彼の存在など気にしてはいなかった。
例えて言うなら、彼は空気のような存在だ。いてもまったく気にとめるほどでもないような、「ああ、いたんだ」と再確認するような、そんなクラスメイトだった。
いつも一人でいることの多い男の子。
あえて人の輪の中に入って行こうとはしないけれど、だからと言って、誰かに無視されたり嫌われているわけでもない、不思議な男の子。
初めは暗いという印象を持っていた小雪は、しばらくしてその考えを改めた。
普段は集団の中心にいないにもかかわらず、何かの拍子にひょっこり顔を覗かせては手助けをするのが彼だ。
それに気付くたびに目が彼を追うようになった。
小さな小さな心遣い。
誰かのために道をあけることや、困った人に手をさしのべること。そんな些細な事すらできない自分に驚くと同時に、それを自然と行動に移せる彼がすごいと思った。
けれど、当たり前のことを本当に当たり前に行動に移すから、彼の善意はわかりにくい。
小雪の中で彼に対して暗いというイメージは消えた。
まるで総てを見渡そうとでもするかのような静かな眼差しのクラスメイト。彼がいるとクラスが落ち着いた雰囲気になるのは何故だろう。
暗いのではなく穏やかなのだと気付いたのはいつからだろう。
しかしそれとはまったく逆に、その内に激しいものを持っているとそう感じたのは何がきっかけだったのか。
全然好みじゃないはずだった。
好きなタイプは頭がよくてカッコいい、背の高い男の子だったはずだ。明るくて楽しいのがいいと、そう友達と話し合ってはクラスの男子を見てわざとらしく溜め息をついた。
そしてその条件の多くはイナキには当てはまらなかった。
それなのに、いつの間にか好きではないはずの彼から目が離せなくなった。
だからセリゼウスの言葉に耳を貸したのだ。
「二人の関係を知りたくないか?」
その、言葉に。