第二話 秘密な二人  =1=


 入学式で散々時間をとり、その後のホームルームでも同様に時間を費やす。そろそろ集中力も途切れた生徒たちがざわめき始めた室内とは対照的に、イナキは神妙な顔で次々と起立して簡単な自己紹介をするクラスメイトに視線をそそいでいた。
 四つの学校から生徒が集まっているためか、知っている顔もちらほらある。照れ隠しのように早口で自己紹介する生徒が多い中、ゆっくりと立ち上がった一人の少女は感心するぐらいハキハキと言葉を発した。
 たぶん、嫌いなタイプではないのだろう。自己紹介を終え、すとんと腰掛けて背を伸ばすその横顔を眺め、イナキはそう思う。
 嫌いではないが、苦手な相手なのだ。
「可愛いかも」
 くすりと前方からひそやかな笑いが聞こえた。顔を前方に向けると、目の前に座る海斗がちらりとイナキに視線をやってから小雪を見た。
「な?」
 同意を求められ、イナキは眉をひそめる。ほんの一言、二言交わしただけの間柄なのに親しげなのが奇妙だった。とくにイナキは人懐こい性格ではなく、どちらかというなら暗くてとっつきにくいと敬遠されるたぐいの人間だ。
 その彼に向かって、海斗は楽しそうに言葉をかけてくる。
 イナキは口をつぐんだまま海斗を見詰めた。そして、ようやく予想通り彼が目立っていることに気付く。身長はおそらく百七十センチ近いだろう。日本人離れした顔は目立つなと言うほうが無理な相談で、その彼がイナキに親しげに声をかけてくるものだから、予想以上に人目についてしまう。
 小学校ではさほど目立つことなく、ダリアと出会うまでは平凡な生活を送ってきたイナキは、中学生になれば再び平穏な学園生活に戻るのだと信じきていた。
 しかし、明らかに考えが甘かった。
 経歴の捏造などダリアにとっては朝飯前――さらに今回は、ヴェルモンダールもついてきている。
「……暇なのか、魔界は」
 魔王が中学校の教師をして、その補佐までいっしょに教鞭をとるほどやる事がないのか。それはそれで結構だが、ツッコミ魂に火がつきそうだ。
 難しい顔をして考え込んでいると、がたりと音をたてて海斗が立ち上がった。宙を泳いでいた視線がいっせいに彼に向くのがわかる。
 海斗は名前を告げ、出身校、誕生日、趣味を簡単に口にしてすぐに着席した。室内を満たすざわめきが一段と大きくなったのをいいことに、イナキもすぐ立ち上がって同じような自己紹介を並べてさっさと席に着いた。
 意外に、目立つ人間のそばにいるから自分も目立つというものでもないのかもしれない。少しだけ安堵すると海斗が振り返った。
「趣味、読書?」
「……そうだけど」
「ふーん? なんか面白いのあったら紹介してよ」
 屈託なく笑うのでイナキは頷いた。読書家には見えないが、人は見かけによらないと思うことが最近頻繁に起こっているので素直に受け入れる。しばらく彼と話していると突き刺さるような視線を感じ、イナキはちらりとわきを見た。
 すぐに真剣な表情の小雪と目が合った。
 彼女は慌てて視線をそらすようにうつむいた。じろじろ見られるのはあまりいい気分ではないが、仕方がないと思いつつさらに視線を動かす。すると、クラス担任である相田の姿が目に入った。青白い顔をして倒れそうにふらふらしながらも、彼は熱心にノートに何かを書きこんでいる。
 イナキはその姿をしばらく見てからさらに教室内を見渡した。
 真新しい制服に身を包んだ生徒たちは依然として落ち着きがない。クラスメイトの自己紹介そっちのけで話し込んでいる者も多い。
 平和だなと苦笑して体をひねると、後方の出入り口の近くのドアに男が立っているのが見えた。
 筋骨隆々なその男は小学校でさんざん見慣れた男でもある。少し前までは気にも留めなかった隣のクラス担任は、やけにダリアにからんでくるようになってから、要注意人物としてイナキにチェックされている。
 二人が並んで談笑している姿を中学校に来てからも見せられるのは、はっきり言って気分のいいものではない。
 だが、そんな理由だけで彼女の交友関係まで口出しするわけにはいかないだろう。
 複雑だがひどく単純なその感情の呼び名を知らない少年は、ひとまず大久保がここにいる理由を考えることで小さな苛立ちを誤魔化した。
 そして、すぐに嫌な発想に辿り着く。
「……ダリアのせい?」
 あまり考えたくはないが、ダリアのために小学校の教師から中学校の教師になった可能性は捨てきれない。
 いや、おそらくその確率がもっとも高いだろう。だがどうやって、こんな唐突に、こんなに運よくかわることができたのかが疑問だ。
 相田と同じようにメモを取っている男にしばらく注意を向けると、
「そーいえばあの先生、武蔵の学校の先生なんだって?」
「え? ああ」
 出し抜けに海斗に問いかけられた。一度も担任になったことがなかったとはいえ、悪い先生じゃないことは知っている。だからよけいに腹が立つ。
 しかし苛立ちの原因が彼にはよく理解できない。
 思わず小首を傾げるイナキを海斗は不思議そうに見詰めた。
「一組の……三笠先生? も、確かそうなんだよな?」
 再び問いかけられて、イナキは慌てて頷いた。そういえば、それが仮の苗字だった。普段名前ばかりを呼んでいるから、基本的なことを忘れそうになる自分にうろたえてしまう。
 よほど変な表情をしてしまったのだろう、海斗が怪訝な顔をした。
「なに?」
「……小学校ではダリア先生って……言われてたから」
「ああ、そうなんだ? じゃあダリア先生ね。美人だよなぁ。すっごくスタイルいいし」
 それはもうお墨付きなので反論しない。黙って立っていたって目立ってしまうのだから、これからは小学校の時以上に注意しなければならない。
 ダリアに自制心を求めるのは難しいが、協力は求めておこう。心労が確実にひとつ増えているイナキは、ぬるく笑っている。
 一通り自己紹介が終わると、テストの予定と部活の入部希望用紙が配られた。一年の部活は必須で全員がどこかに入らなければならない。
「武蔵は?」
 紙をヒラヒラさせながら海斗が聞いてくる。
「……蘇我は?」
「オレ? オレはバスケ。うーん、サッカーや野球も捨てがたいけどなぁ。お前は?」
「パソコン部か美術部か園芸部」
「……文化系ばっかじゃん」
 入部希望の部活を素直に伝えると、海斗は苦笑して肩をすくめた。
「バスケどーよ、バスケ。楽しそうだろ?」
「気が向いたらね」
「部活見学行こうぜ」
「……うん。いや、今日はやめとく」
 まずはダリアを探して釘を打ち、次にヴェルモンダールを探して、どうしてこんな事になっているのか質問するほうが先決だ。
 ダリアの浮かれっぷりに気付かなかったことを反省しながら、今後の予定について話す教師を見た。
 号令とともに立ち上がって一礼すると、倒れるんじゃないかとハラハラさせられる相田は、健康そのものといった巨漢の大久保といっしょに教室を出て行った。
 教室がざわめくより早く、廊下からにぎやかな声が聞こえてくる。このまま帰宅してもいいし部活動を見学してもいい。選択肢を与えられた学生は各々荷物をまとめて教室を出ていった。
 それに習うようにイナキも少ない荷物をまとめる。
 女生徒と談笑をはじめた海斗に声をかけ、見知ったクラスメイトと短く言葉を交わしてイナキは教室を出た。
「武蔵くん」
 廊下を出たところで声をかけられ、イナキはもれそうになる溜め息を呑み込んで振りかえった。
「里美さん、また明日ね」
 入学早々、こんなところで揉め事はご免だぞと心の中で毒づいてから満面に笑みを浮かべてそう言うと、小雪は何か言いかけた口をパクパクと開閉させていた。
 その姿を見てイナキは目を瞬く。
 元気溌剌げんきはつらつなイメージが常に付きまとう彼女は、前より少しだけ大人びて見える。
 イナキはじっと小雪を見詰める。そして、いつも結ってある髪が今日は肩にかかっていることに気付く。
 しかし、それ以外にも何かが違う。
 無言で注視し続けていると戸惑うように小雪が唇を噛んだ。その頬がほんのり赤みを帯びてくると、イナキはようやく違う箇所を発見した。
 いつもは縛っているが、彼女の髪は本来長い。ゆるくウェーブのかかった髪がやわらかく揺れるのを思い出す。トレードマークのようなその髪が、今は肩より少しだけ長い程度に切りそろえられ、サラサラと透明な音をたてている。
 帰り際になってようやくそれに気付いた自分に呆れながらも、女子は髪型ひとつでずいぶん変わるんだなとたんじながらイナキは小さく笑った。
「それ」
「え?」
 そういえば、ダリアが髪を切った時も戸惑いを覚えた。彼女の場合は可愛く思えたのだが、逆の印象を受ける事もあるようだ。
 不思議そうに瞬きを繰り返す小雪に向かい、イナキは短く言葉を続ける。
「その髪型、似合ってるね」
 髪型ひとつでここまで変わるのだから、女は魔性と言われるのもなんだか妙に納得がいく。
 だがしかし、一番の魔性は己だということにはまったく気付かず、真っ赤になって立ち尽くすクラスメイトに背を向けて、少年は感心しながら歩き出した。

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